15.血染めの晩餐と鉄の蛇
バギィンッ!!
雷鳴を裂くような破壊音とともに、執務室の重厚な樫の扉が内側へ弾け飛んだ。
砕け散った木片と真鍮の蝶番が豪奢な絨毯の上を転がり、冷たい夜風と雨煙が一気に部屋の中へ吹き込む。
「な、なんだッ!? 何事だ!」
暖炉の赤々とした炎に照らされた室内で、豪奢な毛皮を羽織った初老の男――カスパル伯爵が、手にしていたクリスタルグラスを床に落とした。深紅の高級葡萄酒が白いペルシャ絨毯にどす黒い染みを作っていく。
円卓の向かいに座っていた男――アイゼンシュランゲの組長、グレゴールが瞬時に腰の長剣を抜いて立ち上がった。
仕立ての良い黒服の上からでも分かる、鋼のように引き締まった筋肉。無精髭の顎に刻まれた無数の刀傷が、彼が幾多の裏社会の抗争を生き延びてきた手練れであることを雄弁に物語っていた。
「……おい、廊下の見張りはどうした! 騎士どもは何をやっている!」
グレゴールが怒号を浴びせるが、開け放たれた廊下の暗がりからは、ただ冷たい風が吹き抜けるだけだった。誰一人として駆けつけてこない。
廊下の床には、音もなく急所を断たれた私設兵と騎士たちの骸が、物言わぬ障害物のように転がっていた。
そして、雨に濡れた黒革の外套を纏い、フードを深く被った人影が、音もなく敷居を跨いで入ってきた。
「テメエ……」
グレゴールは眉根を寄せ、男の立ち姿を凝視した。
手には光を一切反射しない二本の黒打ち短剣。全身から漂うのは、下町のドブ泥と、冷え切った血の匂いだ。
「ロルフはどうした。二階の防衛結界はどうやって破った」
侵入者は答えなかった。
ただ、フードの下から冷え切った双眸が二人を捉える。
カスパル伯爵はその異様な殺気に気圧され、青ざめた顔で腰を抜かし、暖炉の脇にある机の陰へと這うように後ずさった。
「ぐ、グレゴール! 何をボサッと突っ立っている、殺せ! そいつを八つ裂きにしろ! 金ならいくらでも上乗せしてやる!」
「黙ってろ、閣下!」
グレゴールは舌打ちし、両手で長剣を正眼に構えた。
下町のチンピラどもとは纏う空気が違う。足の置き場、重心の低さ、切っ先の微動だにしない安定感。一流の軍用剣術を修めた上で、裏社会の実戦で血を吸い尽くしてきた強者の構えだった。
「ただの道具屋の腰抜けと聞いていたが……なるほど、ボリスもロルフもやられたわけだ。昔どこかの暗殺ギルドで飼われていた生き残りか?」
グレゴールの口元が凶悪に吊り上がった。
「だがな、ネズミが何匹集まろうと、蛇の頭は落とせねえんだよ!」
グレゴールの踏み込みは、目にも留まらぬ速さだった。
絨毯を蹴り破るような爆発的な前進から、最短軌道でジャンの脳天を叩き割る剛剣の振り下ろし。力と速さが完璧に同調した必殺の一撃。
キィィィンッ!
耳をつんざく火花が散った。
ジャンは後退せず、左手の黒打ち短剣の腹で長剣の刃元を受け流していた。
真っ向から力で受け止めるのではない。相手の剣撃のベクトルをわずか数ミリだけ斜め下へ逸らし、長剣の切っ先を執務室の床板へ深々と突き刺させる。
「ぬっ……!?」
グレゴールの体勢がほんのわずかに前へ崩れた。
その刹那、ジャンの右手の短剣がグレゴールの喉元へ無音で伸びる。
しかし、グレゴールも歴戦の組長だった。
床に突き刺さった長剣を惜しげもなく捨て、懐から引き抜いた幅広の短刀でジャンの刺突を下から跳ね上げた。
ガツン! と鈍い衝突音が響き、二人の刃が激しく噛み合う。
至近距離で視線が交錯する。
グレゴールの顔に浮かぶのは獣のような獰猛な愉悦。対するジャンの顔には、一切の感情がなかった。まるで壊れた機械の歯車を噛み合わせている職人のような、冷徹な無表情。
「へっ、いい目配りだ! だが、その短剣じゃあ俺の革鎧は抜けねえぞ!」
グレゴールが頭突きを放ってきた。
ジャンは顔を半歩引いて鼻先をかすめさせると、組み合った短剣の刃を軸にしてグレゴールの腕を強引に巻き込み、背負い投げの要領で暖炉の前へ叩きつけた。
ドガァン!
薪と灰が激しく舞い散り、グレゴールの巨体が床を滑る。
だがグレゴールは瞬時に受け身を取り、足払いでジャンの体勢を崩しにかかった。二人は灰と火の粉が舞い散る室内で、刃と拳を激しくぶつけ合いながらもつれ合う。
「死ねえッ!」
グレゴールの短刀がジャンの左肩をかすめ、黒い外套の布地を切り裂く。
わずかに滲む赤い血。だが、ジャンは痛みなど知覚していないかのように眉一つ動かさなかった。
ジャンは左腕で相手の刺突を殺すと同時に、右手を作業袋へ滑り込ませた。
引き出されたのは、刃物ではない。
店で金具の接合や配管の固定に使う――「超硬質の真鍮製プライヤー(万能やっとこ)」だった。
「なっ……!?」
グレゴールが怪訝に目を見張った瞬間、ジャンはそのプライヤーでグレゴールが握る短刀の刀身の真ん中を、テコの原理で力任せに挟み込んだ。
手首のスナップを利かせ、一気に捻る。
パキィィィンッ!!
上質な鋼の短刀が、まるで乾いた小枝のように真っ二つにへし折れた。
「武器を……へし折った……!?」
「手入れのされていない鋼は、焼き入れの継ぎ目が一番脆い」
ジャンの乾いた声が、グレゴールの耳元に落ちた。
武器を失い硬直したグレゴールの鳩尾へ、ジャンの左肘が垂直に突き刺さる。
ドスッ!
「が、はっ……!!」
内臓を破裂させるような重い衝撃。
呼吸を奪われ、膝から崩れ落ちかけたグレゴールの両肩を、ジャンは無慈悲に上から掴み、石造りの暖炉の角へ向かって叩きつけた。




