10.西の廃棄倉庫と泥の檻
雨足は瞬く間に強まり、石畳を叩く激しい水音があらゆる生活音を掻き消していた。
西の廃棄倉庫街は、かつて荷揚げ場として使われていた巨大な木造倉庫が立ち並ぶ下町の吹き溜まりだ。
腐った木材とヘドロの臭いが立ち込める中、ひときわ巨大な倉庫の一階だけに、ぼんやりと黄色いランタンの光が灯っていた。
表の見張りは二人。
軒下で雨宿りをしながら、粗悪な安酒の瓶を回し飲みしている。
「クソが、こんな土砂降りの夜に立ち会いなんざやってられるかよ」
「ボリスの頭も念入りだな。あの道具屋の腰抜けと食堂のオヤジが、ガキ一匹のために逆らえるわけねえのによ」
男たちの背後、雨樋を伝う水煙の中から、一つの黒い影が滑り出た。
水たまりを踏む音も、風を切る音もない。
――シュッ。
鋭い呼気とともに、ジャンの左腕がわずかに振られた。
指の間に挟まれていた一本の鋼の目打ち針が、左側の男のうなじの付け根――脊髄を正確に穿つ。
「がっ……!?」
男は声を上げることもできず、全身の力を失って前へ崩れ落ちた。
その身体が泥水に落ちるより早く、ジャンはすでに右側の男の背後に密着していた。
右手の掌で男の口鼻を力任せに塞ぎ、同時に左手で逆手に抜いた黒打ち短剣を、男の左肋骨の隙間から斜め上へ――心臓の弁へと音もなく滑り込ませる。
「ぐ、ふ……ッ」
男の喉が小さく鳴り、数回の痙攣ののちに完全に脱力した。
ジャンは二つの巨体を両腕で支え、物音を立てずに壁際へと静かに横たえた。ここまでの所要時間、わずか三秒。
引き抜いた短剣の刃を男の服で無造作に拭い、鞘へ収める。
心拍数は上がっていない。呼吸も乱れない。十年以上の空白など初めから存在しなかったかのように、肉体と精神は『ネーベルクレーエ』の冷徹な殺戮機械として完璧に機能していた。
ジャンは倉庫の重い引き戸の隙間に指をかけ、音もなく滑り込んだ。
倉庫の内部は広大で、積み上げられた木箱や麻袋が巨大な影を作っていた。
中央の空き地では、焚き火を囲んで七、八人の男たちが車座になり、サイコロ賭博に興じている。
そしてその奥。
太い木製の梁から荒縄で両手首を吊るされ、足先だけがかろうじて泥の床についた状態で、ぐったりと項垂れている小さな身体があった。
ニコだった。
麻布の服は裂かれ、細い背中や顔は無数の殴打で赤黒く腫れ上がっている。
泥と血にまみれたその姿の横で、革のチョッキを着た巨漢――アイゼンシュランゲの幹部、大鉈のボリスが、椅子に深く腰掛けて大肉を骨ごと貪り食っていた。
「おい、あの道具屋の野郎、まだ来ねえのか?」
ボリスが骨を床に投げ捨て、顎で吊るされた少年を指差した。
「おいクソガキ、お前の慕ってる腰抜けは、テメエを見捨てて夜逃げでもしたんじゃねえのか、ああん?」
吊るされたニコが、腫れ上がった瞼をわずかに持ち上げた。
血の混じった唾を床に吐き捨て、掠れた声で絞り出す。
「……ジャンは、来ねえよ。来るわけねえだろ、あんな腰抜け……」
「あ?」
「あいつは……ただの臆病な道具屋だ……。お前らみたいな人殺しのところに来る度胸なんて……あるわけねえだろ……! さっさと俺を殺せよ、ブタ野郎……!」
ボリスの顔が怒りで歪み、立ち上がって腰の大鉈に手を伸ばした。
「威勢のいい口叩くのもそこまでだ。あの腰抜けの代わりに、まずテメエの指を一本ずつ切り落として――」
その瞬間。
倉庫の天井の梁の上から、乾いた金属音が響いた。
カチリ。
それは、ジャンが作業台で時計のネジを締める時に立てる、あの静かで確実な音だった。




