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第9話 謝罪会見いたしましょう【前半】

 その日は、よく晴れていた。


 大広間には明るい光が差し込み、白いクロスを掛けた卓をやわらかく照らしている。

 卓上の中央には白を基調にした花が飾られ、淡い青の花が少しだけ混じっていた。


 正面には、主賓席のようにエヴァンズ侯爵の席が用意されている。

 左右には親族席。

 前方には、前回、隣室で発言を聞いてしまった者たち。

 後方には、噂で聞いた者たち。


 聞いていない者まで来ているのは、もはや不思議ではない。


 炎上とは、そういうものだった。


 とうとう、婚約披露宴の日が来た。


 間違えた。


 謝罪会見の日である。


 少なくとも、ナタリアはそう認識していた。


 料理は控えめだが、手は抜かれていない。

 帰りに渡す菓子は、白い包み紙に濃紺色の細紐で結ばれていた。


 受付では、ナタリアの友人たちが、いつもよりずっと華やかな装いで談笑している。


「あちらの方、ローレン家のご親族かしら」


「背の高い方もいらっしゃいますわね」


「あとでどなたかに紹介していただけないかしら」


「まずは会見が無事に終わってからですわ」


「私、泣いてしまうかもしれません」


「では、こちらを」


 そう言いながら、彼女たちの手にはハンカチが握られていた。


 泣いた時用。

 化粧直し用。

 そして、万が一落としてしまった時に、感じのよい殿方へ拾ってもらう用。


 用途はそれぞれ違うが、全員が何かしらに備えていた。


 やはり、会場を見渡した者がいれば、こう思っただろう。


 これは謝罪会見というより、婚約披露宴ではないか、と。


 しかし、ナタリアは真剣だった。


 お詫びとは、最後の包み紙までお詫びである。


    *


 控室で、アルベルトは家令から最後の確認を受けていた。


「四十五度です」


「ああ」


「五秒です」


「ああ」


「戻る時、ガゼルになってはいけません」


「気をつける」


「だがは禁止です」


「ああ」


「表情筋の使用は、必要最小限でお願いいたします」


 アルベルトは真面目に頷いた。


 家令も真顔だった。


 控室の扉の隙間から、会見に使う品を運ぶ使用人たちの姿が見えた。


 盆の上に、白布が一枚、きれいに畳まれている。


 アルベルトはそれを見た。


 見なかったことにした。


 さらに、目が合った護衛が、何かを慌てて背後へ隠した。


 柄の先が少し見えている。


 網だった。


 虫取り網にしては、やけに丈夫そうな網だった。


 廊下の隅には、非常時持ち出し袋らしきものまで置かれている。


 自分は今から謝罪会見に出るはずだ。


 捕獲対象になる予定はない。


 少なくとも、今のところは。


 だが、今はそれどころではない。


 今日、自分は謝る。


 そして、撤回する。


 謝れるうちに謝る。

 言葉が届くうちに伝える。


 ナタリアがそう教えた。


 ならば。


 今日、自分は逃げない。


    *


 その頃、ナタリアは別の控室で身支度を整えていた。


 淡い色のドレス。

 派手すぎない髪飾り。

 謝罪会見にふさわしい、落ち着いた装い。


 少なくとも、本人はそう思っていた。


 だが、侍女たちは朝からいつも以上に気合いが入っていた。


 前日には香油を使って髪を整えられ、肌も丁寧に磨かれた。

 今朝も髪はつややかに結われ、横の髪だけが耳元へやわらかく垂らされている。

 頬には、ほんのりと色が差していた。


「少し、華やかすぎませんか」


「いいえ、お嬢様。謝罪会見にふさわしい清楚さでございます」


「そうでしょうか」


「はい。清楚で、上品で、大変お美しゅうございます」


 侍女頭はそう言ってから、目元を押さえた。


「どうかなさいましたか」


「いいえ、お嬢様」


 震える声だった。


「皆様、最近よく泣かれますね」


「年を取りますと、涙腺が弱くなりますので」


「そういうものですか」


「そういうものでございます」


 侍女頭は頷いた。


 嘘ではない。


 けれど、それだけでもない。


 幼い頃から見守ってきたお嬢様が、こんなに美しくなられた。


 今日、そのお嬢様は、自分を愛されない前提で未来を決めてしまうかもしれない。


 屋敷の者たちは知っている。


 この会見を、ただの謝罪で終わらせるつもりはない。


 あの若者も、逃げるつもりはない。


 ただし、旦那様がどう出るかは分からない。


 だから、祈っている。


 謝罪が届きますように。

 撤回が届きますように。

 旦那様の処理判断が、どうか今日だけは下りませんように。


 そして、お嬢様が、愛されない前提で未来を組み立ててしまう前に。


 あの若者の言葉が、届きますように。


 できれば、地下水路からの脱出は避けられますように。


    *


 大広間へ入ると、空気がぴんと張っていた。


 先に席についていたローレン侯爵夫妻は、ほとんど処刑台へ息子を送り出す親の顔をしていた。


「あなた、あの子は大丈夫でしょうか」


「信じよう」


 ローレン侯爵夫人の目元が、不安げに揺れた。


「……君が泣きそうな顔をするだけで、私の心は張り裂けそうだ」


「あなた」


「君は私の女神だ。私の人生そのものだ!」


「今は息子の心配をしておりますの」


「ああ。だからアルベルト」


 ローレン侯爵は前方を見た。


「母上を泣かせるな」


「あなた」


 息子の心配をしていたはずなのに、途中で父の愛が重くなった。


 二人はようやく前を見た。


 中央には、アルベルトとナタリアが並んでいる。


 ナタリアは落ち着いていた。

 アルベルトも、表面上は落ち着いている。


 表面上は。


 内側では、素数が控えていた。


 今はまだ使わない。


 使うなら、もっと後だ。


    *


 こつ。


 廊下の奥から足音がした。


 それだけで、大広間の空気が変わった。


 こつ。


 誰かが喉を鳴らす。


 こつ。


 窓の外で鳴いていた鳥が黙った。

 壁際を走りかけていた小さな鼠が、方向を変えて逃げた。

 親族の一人が、隣の夫人の袖を握る。

 別の誰かは、手を組んで祈り始めた。


 暖かな季節だというのに、震え出す者までいる。


 大広間にいる者たちは、まだ侯爵の姿を見ていない。


 見ていないのに、すでに全員が何かを察していた。


 天災の前触れに似ていた。


 雨が降る前に空気が重くなるように。

 雷が落ちる前に肌がぴりつくように。


 扉が開いた。


 エヴァンズ侯爵が入ってきた。


 その瞬間、大広間にいた者たちの頭の中で、重々しい管弦の音が鳴った。


 この世界にその曲名があるかは分からない。

 だが、もし名をつけるなら、運命とか、処刑前夜とか、そういう類のものだった。


 足音は大きくない。

 怒鳴りもしない。

 剣を抜いてもいない。


 ただ歩いているだけで、大広間の温度が一気に氷点下へ落ちた。


 親族が背筋を伸ばす。

 護衛が表情を消す。

 使用人たちが息を殺す。


 誰も叱られていない。


 けれど、その場にいる者全員が、自分の罪状を思い返していた。


 昨日の失言。

 先月の怠慢。

 幼少期に割った花瓶。


 関係のない罪まで、次々と心に浮かんでくる。


 壁際では、救護係がすでに一人を支えていた。

 気付け薬の瓶が静かに開けられる。


 謝罪会見に救護班が動いている。


 これは処刑台だ。


 アルベルトは、そう思った。


 羽虫は駆除される。


 聞いた時には、比喩だと理解していた。


 だが、実物を見ると分かる。


 あれは比喩ではない。

 方針だ。


 エヴァンズ侯爵は席についた。


 まず、ナタリアを見る。


 その目が、ほんの一瞬だけゆるんだ。


 大広間の空気が少しだけほどける。


 娘を見る目だった。


 次に、侯爵はアルベルトを見た。


 氷点下だった。


 いや、氷点下どころではない。


 太古の獣がそのまま凍りつくような冷たさだった。


 アルベルトは、危うく歴史資料になるところだった。


 飛ぶな。


 羽音を立てるな。


 絶対に、飛ぶな。


「始めなさい」


 エヴァンズ侯爵が短く言った。


 それだけで、大広間のすべての視線がアルベルトへ集まった。

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