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抱きしめて、送り出す

「アーティア!!」


 星紋が輝いた。プリムの声が通路に響いた。


「っあ……んっ!」


 余が今日一番の勢いで吸い上げた。ソーマの魔力と、アムリタの生命成分。両方の回路を同時に開いて、余の中へ引き込んでいく。プリムが肩を大きく竦め、声を詰まらせながらも、集中を切らさなかった。


 その瞬間――テールドローンのカメラが、ゆっくりと動いた。


 黄金の財布だ。カメラ操作権を握ったまま、ずっと沈黙していた男が、動き始めた。


 レンズが向いたのは、プリムの表情だった。眉を寄せ、唇を噛み、声を殺しながら――それでも目だけは、まっすぐタイラントボアを見据えている。


『これは……』

『必死に耐えてる顔だ』

『黄金の財布、今日は仕事してる』

『いつもと違う使い方だな』


 しかし――レンズは、ゆっくりと角度を変えた。

 顔から、下へ。竜姫メイルの胸元、星紋の輝くラインへ。


 コメント欄の空気が変わった。


『待って……待って……』

『黄金の財布ァァァ』

『この状況でそこ映すか……?』

『いや当然なんだけど当然なんだけど』

『カレン:プリムのことが心配なのか、煩悩だけなのかどっちなの!?』

『すいません全部です(黄金の財布談)』


(……1000年生きてきたが、人間というのは本当に業が深い)


 余は内心で呆れながら、流れ込むエネルギーを確認した。

 心配。祈り。応援。考察。そして――とてつもない煩悩。全部が混ざり合って、余の魔力回路へ流れ込んでくる。


 装甲の3色ラインが、一斉に強く輝いた。こんな輝き方を見るのは、初めてだった。


 赤と青が、渦を巻きながら右腕の一点へと吸い寄せられていく。入れ替わるように、桃色だけが装甲を離れ、薄い霧となって立ち上った。露わになっていく素肌の上を、淡く色づいた靄がまとわりつくように覆っていく。


(……これを、全部使う)


「フェン、掩護できる?」


「……っ、いえ」


 岩に背を預けたまま、フェンが短く答えた。悔しさが滲んでいた。


「きゅるっ(……フェンは無理に動かすな。目は余が潰す)」


 余は竜尾バニーテールから黒雷を放った。今度は先ほどまでとは桁が違う密度だった。タイラントボアの目に直撃し、巨体が仰け反る。


 好機だった。


「きゅるるるっ(……プリム! 右腕を出せ! 今の力を、全て剣へ回す!)」


「……っ、うん!」


 胸元の星紋が、さらに強く輝いた。余は初めて、谷間へ戻るための身体すら残さなかった。プリムの右腕へ、余自身の身体そのもの――竜姫メイルのほぼ全てを注ぎ込んだ。


 装甲が、剥がれるように次々と消えていく。ティアラが解け、胸当てが解け、脚甲が解け――竜姫メイルという名の、余自身の身体そのものが、光の帯となって右腕の一点へ吸い込まれていった。

 谷間に居座っていた、あの寛いだ塊も例外ではない。所詮はただの、感触を楽しむための仮初めの居場所だ。惜しむ理由はない。

 残ったのは、ハイレグのバニースーツと、尻尾だけ。黒雷を放つためだけに、余はそこにだけ、形を残しておいた。桃色の霧だけが、露わになった肌をやわらかく覆い続けている。


「っう……んっ!!」


 大剣が、伸びて膨らむ。渦を巻いていた赤と青の光が、刃の中で混ざり合い、深い紫色へと変わっていく。


 そこへ――胸元から、金色の光が流れ出した。アムリタとソーマ、両方の星紋から同時に溢れた輝きが、紫に染まった刃身へ絡みついていく。


 紫の刃が、金色の輝きに包まれていった。螺旋を描いて、燃えるように輝き始める。


「プリム!」


 フェンが叫んだ。命令でも指示でもなく――ただ、名前を呼んだ。


 プリムが走った。開いた隙間へ、迷いなく。


「――やるよ、エロスちゃん!!」


「きゅるるるっ(……行け!)」


 黄金豊穣胸魔剣エロスハートが、解き放たれた。

 金色の光が炸裂する。黄金の刃が、首の付け根に叩き込まれた。


 轟音。


 刃は、さっきまで弾かれていた剛毛を裂き、鋼化した皮膚を焼き切り、深く沈んだ。

 タイラントボアが揺れた。揺れて、揺れて――崩れた。


 剣がほどけ、残った光が全身へと戻っていく。だが、形を取り戻した装甲は薄く、ティアラの輪郭も頼りない。谷間へ戻った余の身体も、普段よりひと回り小さくなっていた。


 どさり、と。巨体が、その場に倒れ伏した。消えなかった。


(……生きている。暴走が収まりきっていないだけだ)


 低い、苦しそうなうめき声が聞こえた。


「……なんか、苦しそう」


 プリムが言った。


「きゅるる(……プリム、近づくな。まだ危険だ)」


「うん、分かってる」


 分かっている、と言いながら――プリムは1歩、前に踏み出した。


「プリム! 近づくのは危険すぎます!」


 フェンが岩から身を離し、止めようとした。しかしプリムは止まらなかった。


 しゃがみ込み、両腕をゆっくりと広げる。タイラントボアの大きな頭を、両側から挟むように――優しく、静かに、抱きしめた。


「……大丈夫だよ。もう大丈夫」


 タイラントボアは、動かなかった。牙が止まり、頭が止まり、全身がゆっくりと力を抜いていった。うめき声が消え、漏れ出していた黒い魔力がゆっくりとおさまっていく。


(……なぜ)


 余は感じた。抱きしめた腕の隙間、星紋の走る胸元から、温かい何かが滲み出していた。もっと根源的な何かが、この娘からタイラントボアへ流れていた。


 数十秒が経った。


 タイラントボアが――静かになった。赤く充血していた目が、少しだけ落ち着いた色になった。それから向きを変えて、通路の奥へ歩き始めた。


 1度、振り返り、プリムの方を見た。


 プリムが小さく手を振った。


「またね」


 タイラントボアは、それを見てから――奥へ消えていった。後ろ姿が見えなくなるまで、プリムは手を振り続けた。


 コメント欄が止まった。それから、ゆっくりと動き始める。


『今何が起きた?』

『倒さなかった……あんな傷を負ったのに?』

『抱きしめたら暴走が収まった?』

『「またね」って言った……優しすぎるだろう』

『カレン:……プリムらしい。あの子、昔から拾ってきては放せなくなるタイプだったから』

『ミナりん:プリムちゃん……! あんな怪我してたのに……! やっぱりすごい人だよ……(泣)』

『Olivia_G:記録する。プリムの接触によってイレギュラーモンスターの魔力暴走が収束した。回復効果だけでは説明がつかない。別の何かが働いている可能性がある。要観察』

『乳の調べ:……「またね」と。心の豊かさも最上級と記録しました』


 立ち上がったプリムは、フェンの元へ駆け寄った。フェンはまだ、岩に背を預けたまま立っていた。脇腹を押さえた手の下から、じわじわと血が広がっている。


「フェン、大丈夫……じゃないよね、その傷」


「……問題ありません。動けます」


「動けても、そのままはダメ」


 プリムは辺りを見回した。倒れたタイラントボアが去った通路は、他に誰もいない。テールドローンだけが、ふよふよと宙を漂っている。


 プリムは少し考えてから、フェンの肩を抱くように誘導し、通路の岩陰へ2人で回り込んだ。ドローンに背を向ける形で、フェンを壁際に座らせる。


「……プリム?」


「動かないで。すぐ終わるから」


 プリムは、ドローンの位置を確認した。カメラの死角になる角度――自分の背中だけが映る位置。それを確かめてから、胸当てをずらした。


「フェン、口開けて」


「……え」


「早く。血、止まってないでしょ」


 カメラに映るのは、プリムの背中だけだった。だが――視聴者は、もう馬鹿ではない。


『これ』

『これあれだ』

『授乳だ! 授乳してる!!』

『アーティアの時と同じ体勢!』

『谷間がアーティファクトってバレてる時点で答え出てるだろこれ』

『生で見れる日が来るとは』

『いや見えてないけど見えてないけど分かる』

『黄金の財布が静かになった、逆に怖い』

『黄金の財布:(震え声)今日は覗きません。今日だけは』


「……っ、ふぁ……」


 フェンの喉が、小さく鳴った。プリムの肩が、時折びくりと揺れた。


 最初の一口で、フェンの瞳から焦点が消えた。


 料理に数滴垂らすだけで、三ツ星シェフの料理すら霞む味になる。それを、薄めもせず、直接口にしているのだ。次の瞬間、フェンの全身から、糸が切れたように力が抜けた。


「……フェン?」


 返事がなかった。うっすらと開いた金色の瞳は、どこも見ていない。ぐったりと力の抜けた体を、プリムの腕だけが支えていた。


「フェン!? ちょっと、大丈夫!?」


 プリムが慌てて口を離させると、フェンはとろけきった顔のまま、宙に向かって小さく笑った。


「……プリムの、味……」


 完全に、飛んでいた。


 傷は、もうとっくに塞がっている。それでも、フェンの意識はしばらく戻ってこなかった。


 しばらくして、プリムが体を離した。手早く胸当てを直し、乱れた合わせ目を整えてから、フェンの頬を軽く叩いた。


「フェン、しっかり。ね?」


「……っ、は……い」


 フェンが、ゆっくりと焦点を取り戻していく。頬が、うっすらと赤い。


「……申し訳、ありません。何が、あったのか……」


「トリップしてたよ、完全に」


「……面目、ありません」


『待って、今トリップって言った?』

『治癒薬でキマるな』

『見えないところで何が起きてたんだよ』


 プリムはくすっと笑ってから、フェンの脇腹に手を当てて、確かめる。


「……どう?」


 フェンは、答える代わりに、ゆっくりと立ち上がった。


 深く抉れていたはずの傷が、跡形もなく塞がっている。


「……立てます」


 その声には、もう痛みがなかった。


『は?』

『今の一瞬で!?』

『内臓まで届いててもおかしくない傷だったぞ!?』

『ポーションどころの騒ぎじゃない』

『母乳で瞬間再生とか薬事法どうなってんだ』

『これもう医療になるだろ』

『ミナりん:え……ちょっと待ってください、今の……!?』

『ミナりん:内臓損傷寸前に見える裂傷が、十数秒で完全治癒って……ギルドの最高位ポーションでも数分はかかります……!』

『ミナりん:これ、下手したら医療の常識が変わるレベルです……』

『Olivia_G:記録する。裂傷から完全治癒まで、体感で十数秒。既知のいかなる回復手段より速い』

『Olivia_G:再生速度・完治度、いずれも観測史上最速。竜姫バニーのアーティファクトは、既存の回復手段の延長線上にはない』

『脱がし屋も声大きくなってる』

『ミナりんまで動揺してるの珍しい』

『現場の専門家2人が揃って驚いてるの、逆に怖い』

『フェンちゃん立ち上がった瞬間の安心感すごい』

『これが竜姫バニーちゃんの本当の強さか……』


「よかった……!」


 プリムが、ぱあっと顔を輝かせた。子供のような、混じり気のない安堵の笑みだった。


 だが、直後だった。


「……あれ」


 プリムが、軽く頭を振った。


「なんか、くらっと……」


 足元がふらつく。膝から力が抜け、そのまま傾いでいく。


「プリム!?」


 フェンが咄嗟に手を伸ばし、崩れかけたプリムの体を支えた。


 笑ったままの顔。だが、唇の色が、明らかにおかしい。血の気が引いて、白っぽく変わっている。


「……プリム、唇が」


「え……あ、ほんとだ。白くなってる……」


『うわ、顔色一気に悪くなった』

『さっきまであんなに元気だったのに』

『待って、まさか』

『さっき大量に……あげてたよね』

『母乳って血液から作られるんじゃなかったっけ』

『それだ』

『あげすぎたんだ、絶対』

『カレン:ちょっと、プリム!? 返事しなさい!』

『ミナりん:……唇の色、末端の震え、今の症状は――』

『ミナりん:失血か、急激な循環不全に近い症状かもしれません。あの回復液の生成が、身体の水分や血液成分を消耗させている可能性があります』

『Olivia_G:同意する。通常の母乳も血液から運ばれた成分を原料として生成される。アーティファクトが同様の経路を極端に加速しているなら、現在の症状とも一致する』

『Olivia_G:決着技の強化で、すでに大量の回復液を消費していたと考えられる。そこへ治療が重なり、蓄積した消耗が限界を超えたのだろう』

『それでこの状態か……』

『無理させすぎだよ配信民』

『黄金の財布のせいでもある』

『黄金の財布:(さすがに反省してます)』

『カレン:誰か、今すぐギルドに連絡して。お願い』

『とにかく休ませてあげて』


(……余のせいだ)


 余は、内心で震えた。


(……ソーマは魔力を削るだけだ。だが、アムリタは違う。あれは、この女の血から作られている)


(……余は、それを知らぬまま、決着のために吸い上げすぎた。その直後、フェンの傷まで治させた)


(……知らなかったでは、済まされない)


 1000年生きても、まだ知らないことがある。余はその代償を、この女に払わせてしまった。


「……プリム、動かないでください」


 フェンの顔が、目に見えて強張っていた。プリムを支える腕がかすかに震え、先ほどアムリタを口にした自分の唇へ、一瞬だけ指が触れる。


 声は平静を保っていた。だが、プリムを膝へ横たえ、脚を少し高くするその手つきは、どこか自分を責めるように切迫していた。


「……プリム、聞こえますか」


「うん……聞こえてるよ。大丈夫、意識はちゃんとある」


 プリムが、フェンの膝の上で、弱々しく笑った。


「ちょっと、無理しすぎちゃっただけ。少し休めば平気だから」


 フェンは何も言わず、プリムの手を握った。いつもより、少しだけ強く。


 しばらくして、プリムはゆっくりと体を起こした。まだふらついていたが、フェンの肩を借りて、なんとか立ち上がる。


「……ほら、立てるよ」


「……無理は、しないでください」


「うん。今日はもう、頑張らない」


 フェンは、プリムの腰にしっかりと腕を回した。1歩も離れず、隣を歩く。少し進んでは、顔色を覗き込み、歩調を合わせ、また覗き込んだ。過保護すぎるほどの世話焼きぶりに、プリム自身が苦笑するほどだった。


「フェン、そんなに何度も見なくても平気だよ」


「……見ます」


 その一言に、迷いはなかった。ダンジョンの入口までの道のりは、いつもよりずっと長く感じられた。


『2人ともゆっくりでいいから』

『フェンちゃん完全にくっついてる』

『これはこれで尊い』

『心配だけど、てぇてぇ』

『無事に帰ってきて』


 入口が見えてきた頃、そこに立つ小さな人影があった。


「プリムちゃん!」


 駆け寄ってきたのは、配信でよく声を聞く――ミナりん、その人だった。ギルド職員の制服姿で、腕には大きめのブランケットを抱えていた。


「症状、聞いてます。すぐ救護室へ運びます」


 ミナりんは駆け寄るなり、抱えていたブランケットをプリムの肩へふわりとかけた。露出の多い竜姫メイルのまま人前に出すわけにはいかない、という配慮が、その手つきから伝わってきた。


「あ……ミナりん、本人だ……」


 プリムが、場違いな感想を漏らした。


「今はそれより、体です。歩けますか?」


「……歩けます。私が支えます」


 フェンが、静かに、しかしはっきりと答えた。


 3人は、ギルドの救護室へと向かった。


 テールドローンのカメラは、最後まで、それを追い続けていた。


『無事に着いた』

『よかった……ほんとによかった』

『ミナりんが現場に来てくれるの安心感すごい』

『カレン:……はぁ。心臓に悪い。プリム、後でちゃんと説教だから』

『今日は本当に色々あった配信だったな』

『プリムちゃん、ゆっくり休んでね』


 余は、谷間の奥から、揺れる視界を見ていた。


(……次からは、余が止める)


 アムリタがどれだけ作られ、どれだけ失われたのか。プリム自身が笑って平気だと言っても、余だけは見落とさない。


 1000年生きても、まだ知らないことがある。


 今日は、そのひとつを、この女の血で知った日だった。

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