忠臣は、居心地を知る
翌日の午後、プリムはダンジョンへ向かった。
入口でテールドローンを受け取り、配信を始める。いつも通り装備を整え、竜姫メイルが展開されると同時に、フェンが隣に立った。
「今日も同行します」
「うん! よろしくね、フェン」
「……護衛として」
「分かってるよ」
プリムが翠の瞳でにこっと笑い、フェンは視線を前へ向けた。
配信が始まった直後、コメント欄が動いた。
『あれ、今日、新しい人いる?』
『え、銀髪の子!?』
『ケモ耳!?!? 犬系?』
『前回の配信からいた子だよね』
その合間に、別の話題も混じっていた。
『おっぱい説スレ、まだ伸びてる』
『本人だけ、まだ気づいてなさそう』
『乳の調べ:新キャラ登場、記録開始します』
『新キャラより先に谷間気にしてる人いて草』
『ミナりん:(あの、すみません、今日は別件の話題が落ち着かなくて……いえ、何でもないです)』
コメント欄には、フェンへの歓迎と、フェンには意味の分からない「おっぱい説」という話題が入り乱れていた。
「きゅるる(……フェンのことを、聞いている)」
「あ! えっと、みなさん、こちらはフェンです。えーと、なんて言えばいいかな……」
フェンは無表情のまま、前を向いていた。
「フェン、自己紹介する?」
「……しません」
「そっかー。じゃあ、私から。フェンは、ちょっとした事情があって、一緒に行動してます。戦闘、めちゃくちゃ強いんですよ」
『仲間増えた!?』
『ケモ耳ちゃん歓迎!!』
『もふもふ保護協会:新メンバー登場の歴史的瞬間、しっかり連写した。竜姫バニーちゃんが「こちらはフェンです」と紹介した時の、フェン氏の微妙な無表情――保存版である』
「フェン、コメントがめちゃくちゃ湧いてる。人気だよ」
「……関係ありません」
「フェンのこと、歓迎してくれてるんだって」
「……知りません」
言ってから、フェンは自分の答えに、かすかな違和感を覚えた。
見知らぬ人間たちが、見ず知らずの自分を歓迎している。それがどういうことなのか、フェンにはうまく処理できなかった。
7階層の通路。
ゴブリンナイトが3匹、鉄の鎧を鳴らして現れた。6階層までのゴブリンとは、明らかに格が違う。装甲が厚く、構えにも隙がない。さらに、その後方に隠れていた1匹が、弓を構えて姿を見せた。
「きゅるる(……7階層はここからが本番だ。鎧の継ぎ目を狙え。フェン、右の2匹。プリムは左を頼む。弓は――余がやる)」
「分かった! アーティア!」
プリムが星紋を起動する。胸元へ指を滑り込ませ、虹色の光が滲んだ。長剣が、形になる。
『キタ』
『おっぱい説スレの人たち、今ごろ歓喜してるぞ』
『揺れの周期、毎回律儀に計測してる人いるの怖い』
『ミナりん:あ……あの今は戦闘中なので、皆さん見るところをちゃんと見てください……!』
プリムは、その流れにまったく気づいていなかった。集中した翠の瞳が、ゴブリンナイトだけを捉えている。
フェンは無言で右へ向かった。爪が銀色の軌跡を描き、1匹目の鎧の隙間を正確に裂く。2匹目には一撃を弾かれたが、すぐに角度を変え、膝裏を抉って体勢を崩し、喉元を断った。
プリムも、左の1匹へ踏み込む。鎧の上からでは、通らない。
「きゅるる(……正面から打つな。脇の下だ)」
「っ、分かった!」
剣先が脇の隙間を貫き、ゴブリンナイトが光になって消える。
その瞬間、後方に隠れていたゴブリンメイジが、杖を構えて姿を見せた。
「きゅるるっ!」
竜尾バニーテールの先端から黒雷が走り、魔法が放たれる前に、撃ち抜いた。
6階層までのようには、いかない。それでも、3人の間合いが噛み合い、確かに捌ききった。
ゴブリンナイトの鎧は上等な鉄製で、砕けた破片も存外に金になる。プリムはカートを引き寄せると、鎧の欠片と魔石をまとめて放り込んだ。
「見て見て、これカレンにもらったカートなんだよ! お古だけど、めちゃくちゃ使いやすいの!」
『カートまで自慢するのw』
『友達想いすぎん?』
『カレン:どういたしまして。使えてるのはいいけど相変わらず雑に放り込むのはやめないのね……』
『カレンさん見てた』
『フェンちゃん強すぎる』
『竜姫バニーちゃんとの連携やばい』
『Olivia_G:推論だが、フェン氏の反応速度と精度は、通常の探索者とは明らかに異なる。長期間の実戦訓練を経た可能性がある』
『脱がし屋がフェンちゃんも分析し始めた』
『ミナりん:フェンさん、強い……! あの動きは、金級帯域の探索者に匹敵するかも!?』
『金級って相当じゃん』
「フェン、すごい!」
「……当然です」
「でも、本当にすごい。前回もそう思ったけど、爪の動きが見えなかった」
「……訓練の結果です」
「どれくらい、やってるの?」
「……20年以上」
「20年以上!? ……フェンって、今いくつなの?」
プリムが、目を丸くした。
「……秘密です」
「そ、そっか」
『20年以上!?』
『見た目いくつなんだ』
『獣人って長命種?』
「子供の頃から、20年以上の訓練で、あの動きなの……すごいな」
フェンは、それに何も言わなかった。訓練を「すごい」と言われることは、あった。だが、この女の言い方は少し違う。ただそう思ったから言った、という顔だった。
(……この顔には、慣れない)
しばらく進んだところで、通路が広くなった。休憩できそうな岩棚がある。プリムが「少し休もう」と腰を下ろした。
フェンは立ったまま、周囲を確認する。脅威なし。通路は2方向。いつでも動ける。
「フェンも座れば」
「……立ちます」
「ずっと立ってるの、疲れない?」
「疲れません」
「そっか」
プリムが水を飲もうとした、その時。コメント欄に、ひとつの質問が流れた。
『あの、ずっと聞きたかったんですけど』
『星紋って、おっぱいにあるんですよね?』
『もう気づかれてるから、隠さなくていいと思います』
「……っ、ぶほぁっ!」
霧状になった水が、真正面に立っていたフェンへ降りかかった。
「……」
銀髪の先から、水滴が一つ、落ちる。
「ご、ごめんフェン!」
「……問題ありません」
『フェンちゃん無傷で草』
『おっぱい質問の犠牲者』
『忠臣、主の噴水を無言で受け止める』
プリムは、咳き込みながら、画面に向かって両手を振った。
「ち、ちちち違っ……! えっと、その、星紋の場所は、ちょっと、その……」
『あ、否定はしないんだ』
『反応で確定したようなもの』
「違うとも言えないし、合ってるとも言えないっていうか……!」
顔が、真っ赤になっていた。両手で頬を押さえ、視線が泳いでいる。
「きゅるっ(……諦めろ。もう、隠せる段階ではない)」
「エロスちゃんまで!?」
「きゅるる(……視聴者の観察眼を、なめるな)」
『今のエロスちゃんの鳴き方、笑ってる感じしなかった?』
『あのスライム、面白がってるだろ』
『谷間で完全に楽しんでるな』
プリムは、両手で顔を覆って、しばらく動かなかった。
「……もう、この話はおしまいです……」
『はーい』
『また今度聞きます』
『今日のところは見逃してあげる』
――のは、束の間だった。
『でもさ、隠してる時点でもう答え言ってるようなもんだよね』
『星紋の位置、公式に発表しちゃえばいいのに』
『乳の調べ:本日、間接的ながら重要な証言を得ました。記録します』
『次の配信でズームしてくれる説』
いじり足りない視聴者たちが、また少しずつ、話を蒸し返し始めた。
『ねえねえ、結局どっちなの』
『はっきりさせて』
『気になって夜しか眠れない』
「……もう」
プリムの眉が、きゅっと寄る。頬が、赤みを増していく。今度は、恥ずかしさだけの色ではなかった。
「もう、みんな――めっ、だよ!」
プリムは水筒を置くと、腰に両手を当てて、頬を少しだけ膨らませ、ぐいっと前かがみになった。
叱っているつもりの、精一杯の睨み顔だった。だが、前かがみになったことで、開いた胸元が、いつも以上に強調される形になった。本人は、まったく気づいていない。
『wwwww』
『それは効果が真逆では』
『めっ、じゃなくてご褒美だった』
『乳の調べ:貴重な自発的アングルを記録しました。連写、67枚。角度別に分類します』
『もふもふ保護協会:フェン氏が無言で視線を逸らした瞬間、12枚』
『ミナりん:あの、プリムちゃん、それ多分、逆効果……いえ、なんでもないです……』
「な、なんでみんな笑ってるの!? ちゃんと怒ってるのに!」
『怒り方が可愛すぎる』
『もう一回お願いします』
『今の角度保存しました』
「もおおお……!」
プリムは、頬を膨らませたまま、その場にしゃがみ込んでしまった。
「きゅるる……(……プリム。貴様の「めっ」は、なぜいつも逆効果なのだ)」
「エロスちゃんまで、そっち側なの!?」
フェンは、その様子を無言で見ていた。
(……星紋の位置が、なぜこれほど問題になる)
理由は、分からない。だが、プリムが追い詰められていることだけは、分かった。
フェンは、コメント欄へ、わずかに目を細めた。
(……あの女は、時々、ひどく弱い)
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