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19/30

忠臣は、籠絡される

 買い物を終え、アパートに荷物を置いてから、カレンが言い出した。


「カラオケ、行かない?」


「え!? 行く!」


「フェンさんも来る?」


 フェンは、一瞬、間を置いた。


「……カラオケとは、何ですか?」


 受付のカウンターで、店員がプリムの顔を見た瞬間、一拍、手が止まった。


「……あ、いえ、何でもないです。3名様、フリータイムでよろしいですか?」


 カレンが「うん」と答えている間、プリムはリモコンだかクーポンだかのパンフレットに気を取られていて、店員の反応には気づいていない。


 待合スペースのソファにいた別の客たちも、ちらりとこちらへ目をやった。ひそひそと、何かを言い合っている。


 店員は、レジの奥でこっそりスマホを取り出し、何か操作してから、慌ててポケットに戻した。


(……警戒ではない。だが、何だ、この視線は)


 フェンは、その違和感を記憶の片隅へ留めておいた。任務中の癖だった。


 カラオケの個室は、フェンが今まで入ったどんな部屋とも違った。暗くて、狭くて、音が閉じている。壁一面のソファ。正面に大きなモニター。テーブルの上には、意味の分からない機械。


「これ、なんですか?」


「リモコン。曲を選ぶやつ」


「……曲を、選ぶ?」


「カラオケ、知らないの?」


「……この街に来て、まだ日が浅いので」


 フェンは、言いかけて止まる。任務のことは、口にしないほうがいい。


「あ、そうなんだ。じゃあ、説明するね!」


 プリムが身を乗り出して、リモコンの使い方を説明し始めた。フェンは、それをきちんと聞いた。

 最初に歌ったのは、プリムだった。探索者向けの盛り上がる曲。音程は危ういが、勢いはある。カレンが「音外れてる」と突っ込みながら、それでもノリノリで手を叩いていた。

 フェンは、端のソファに座ったまま、2人を見ていた。


(……なんだ、これは)


 プリムが画面の歌詞を目で追い、音を外しながら、楽しそうに歌っている。カレンが手を叩いて、笑っている。

 楽しい、ということが――こういう形をしているのか。


「フェンも歌いなよ!」


「……歌いません」


「なんで?」


「……歌というものを、人前でしたことが、ありません」


「じゃあ、ちょうどいい! 初めて、やってみよ!」


「……遠慮します」


「じゃあ、これ持って!」


 プリムが、テーブルの端からタンバリンを取って、フェンに押しつけた。


「歌わなくていいから、リズムだけ叩いて! こうやって、こう!」


「……これは」


「タンバリン! ほら、サビのとこで、シャンシャンって!」


 フェンは、タンバリンを持ったまま、しばらく動かなかった。プリムが歌い出し、カレンが手を叩く。サビが、来る。

 フェンは――一度だけ、ぎこちなく、タンバリンを振った。


 シャン、と鳴った。


「あっ、鳴った! いいよフェン、その調子!」


 もう一度。シャン。タイミングは、合っていなかった。それでも、振った。


「きゅるる(……フェン。貴様、存外、付き合いがいいな)」


 谷間の奥から、からかうような声が届いた。フェンの耳が、わずかに伏せられた。


「……エロス様。これは、断ると角が立つと判断したまでです」


「きゅるっ(……そういうことにしておこう)」


 フェンは、サビのたびに、タンバリンを振った。少しずつ、タイミングが合ってくる。本人は最後まで無表情のままだったが――耳だけは、ほんの少し、リズムに合わせて動いていた。


「フェン、上手くなってる!」


「……気のせいです」


 一曲歌い終えて、プリムが息をつく。それから、ドリンクバーのメニューをフェンに押しつけた。


「歌わない代わりに、何か飲も! フェン、これとか飲んだことある?」


「……フルーツティーとは、何ですか?」


「果物のお茶。飲んでみたら?」


「……果物の、お茶」


 フェンは、繰り返した。繰り返してから――「分かりました」と言った。


「フェンって、音楽とか好き?」


 カレンが曲を選びながら、何気なく聞いた。


「……分かりません。あまり、触れる機会が、ありませんでした」


「仕事柄?」


「……はい」


「どんな仕事してたの」


 フェンは、少し止まった。


「……隠密のようなことを」


「諜報?」


「……近いかと、思います」


「ふーん」


 カレンは、また「ふーん」と言っただけだった。深く掘り下げず、あっさり次へ行く。


(……この女は、なぜこんなに話しやすいのか)


 フェンは、自分が思ったより多くを喋っていることに、気づいた。

 少しして、プリムがドリンクバーからフルーツティーを持って戻ってきた。フェンは、それを一口だけ飲んだ。


「……甘い」


「美味しいでしょ?」


「……はい」


「また飲む?」


「……いただきます」


 2時間のカラオケを終えて、店を出た。


 入れ替わりで店に入っていく学生グループが、すれ違いざま、二度見した。「あれ、今の……」という声が、扉の向こうへ消えていく。


 プリムは、涼しい外気に伸びをしていて、気づいていない。


 夕方の商店街は、人通りが増えていた。仕事帰りの人々、買い物客、屋台の呼び込み。雑踏の中を、3人は歩いていく。


 その時だった。


 フェンの足が、ふと、止まった。


 耳がわずかに動き、鼻が空気を拾う。雑踏の中に、ひとつだけ混じる気配。プリムへ向けられた、粘りつくような視線。それと――やけに機材くさい匂い。興奮と緊張の混じった、妙に浮ついた匂いだった。

 銀狼族の感覚が、明確に「異常」を捉えていた。

 人混みの中に、男が一人。首から下げた小型カメラを、さりげなく――しかし明らかにプリムの胸元へ向けたまま、距離を詰めてくる。片手のスマホには、赤い録画マークと、その下に開いたままの投稿画面が見えていた。


 《カラオケ店員らしきアカウント:竜姫バニーちゃん、駅前のカラオケ店に来店。銀髪の獣耳の子も一緒》


 投稿時刻は2時間前。3人が受付を済ませた直後だった。


 男は、それを頼りに走ってきたらしい。息が上がっている。カラオケ店を出た3人を見つけ、そのまま追跡に切り替えたようだった。


(……何をしている)


 フェンは、男の口の動きを読んだ。「今夜のネタ」「本当にあそこに入ってるのか」「上からなら見えるかも」――途切れ途切れに、そんな言葉が聞こえてくる。


「きゅるる(……迷惑系というやつだな)」


 谷間から、小さな声が届いた。


(……それが、この世界での呼び名か)


 フェンは、考える前に動いていた。


 歩く速度を、ほんの少しだけ上げる。プリムとカレンが「次、どこ行く?」と交わす会話を遮らないまま、自然に、プリムと男の間へ身体を滑り込ませた。


 男が、小さく舌打ちした。


「昨日の切り抜きじゃ角度が悪かったんだよ……実物なら、谷間から本当に出てくるとこ、撮れるかもしれないのに」


 角度を変え、もう一度カメラを向けようとしてくる。フェンは、また間に入った。今度はわずかに男へ視線を向ける。金色の瞳が、まっすぐに男を捉えた。

 無表情だった。だが、その目には、隠しきれない圧があった。隠密として培った、殺気の一歩手前。「気づいている」「次はない」という、声を出さない警告。


 男の足が、止まる。カメラを構えたまま、フェンと目が合った。


「……っ」


 男の顔が、みるみる青ざめた。


「す、すみませんでしたぁ!」


 そう叫びながら逃げ出した――はずなのに、男は3歩進んだところで、一度だけ振り返った。

 フェンに再び睨まれると、顔を青ざめさせながら――なぜか、ほんのわずかに口元を緩め、人混みへ消えていった。


「きゅるる……(……あれは、まずい目だな)」


 谷間の奥から、エロスの呆れた声が届いた。


「……何か言いましたか、エロス様」


「きゅるっ(いや、何でもない。気にするな)」


 フェンには、その言葉の意味が分からなかった。

 ただ、危険は去った。それで十分だった。


 フェンは、男の背中が完全に見えなくなるまで視線で追ってから、何事もなかったように、プリムの斜め後ろの定位置へ戻った。


「フェン? どうかした?」


 プリムが、振り返った。


「……いえ。何でもありません」


「そう?」


 プリムは首をかしげて、また前を向く。何も気づいていない。今、自分の背後で何が起きかけたのかも、それが未然に防がれたことも。


 それでいい、とフェンは思った。


 知らせる必要はない。あの女が、この街を気に病むようになる必要はない。面倒なものは、見えないところで潰しておけばいい。


(……護衛として、当然の対処だ)


 そう、自分に言い聞かせた。


 言い聞かせてから――ふと、気づいた。


(……いつ、動いた)


 考えて動いたのではない。気づいた時には、もう、プリムと男の間に立っていた。任務だからでも、命令されたからでもない。

 ただ、あの女に、あの粘つくレンズを近づけたくなかった。それだけだった。


(……これは)


 フェンは、その先を考えるのをやめた。


 隣を見る。カレンが、こちらを見ていた。


 カレンは、何も言わなかった。ただ小さく頷いて、視線を前に戻す。気づいていたのかもしれない。あるいは、フェンの動きだけを見て、何かを察したのか。


 それきり、カレンは何も聞かなかった。


「ねえ、お腹すかない? ご飯にしよ!」


 プリムが振り返って笑う。


 その顔は、何も知らない、いつも通りの顔だった。


(……これでいい)


 フェンは、小さく息を吐いた。


 入ったのは、商店街の奥にある、落ち着いた雰囲気の店だった。


 案内された席の近くで、若い男女のカップルが、こちらをちらちらと窺っていた。何かを言いかけては、顔を見合わせ、結局言わずに、また料理に戻る。それを、3度ほど繰り返していた。


 フェンは、それにも気づいていた。この街では、もう見慣れた光景になりつつあるらしい。


 フェンはメニューを開いて、少し考えた。


「……これは、何ですか?」


「ボロネーゼ。ひき肉のトマトソース」


「……これは」


「カルボナーラ。卵とチーズのクリームソース」


「……どちらが、美味しいですか?」


「どっちも美味しいよ! でも、初めてなら、カルボナーラのほうが食べやすいかも」


「……では、それを……」


 メニューを閉じたフェンを、カレンがじっと見ていた。昨日よりも幾分柔らかい目だった。


「……何ですか」


「別に。ずいぶん馴染んだなって思っただけ」


 フェンは、それに何と返せばいいか分からず、黙った。


 料理が来た。フェンはカルボナーラをひと口食べて――止まった。


「……」


「美味しい?」


「……はい」


「よかった!」


 プリムが嬉しそうに、自分のパスタを食べ始める。

 フェンは、黙って食べ続けた。美味しい。この世界に来てから、まともな食事を取っていなかった。路地で夜を明かし、ダンジョンの中で動き続け、食事は二の次だった。


(……こんなに、美味しいものがあるのか)


 向かいで、プリムがぱたぱたと足を動かしながら食べている。嬉しい時の癖らしい。昨日も、同じだった。

 隣のカレンが「行儀悪い」と言いながら、プリムの足を膝で軽く押さえる。プリムが「ごめん」と言いながら、まるで反省していない顔をした。


 フェンは、また食べた。


 食事の帰り道。プリムが、ふと思い出したように言った。


「フェン、今日はどこで夜を過ごすの?」


「……路地で、問題ありません」


「路地って……外で寝るの?」


「任務上、常に外での待機が基本です」


「でも今は、任務じゃ――」


「プリムを護衛することが、任務です」


「……それなら」


 プリムが、少し考えた。


「うちの部屋の前でもいい?」


「……」


「廊下なら外だし、部屋の中に入らなくてもいいでしょ。路地より近いほうが、護衛もしやすいかなって」


 フェンは、返事をしなかった。しばらく歩いてから――小さく頷いた。


「……承知しました」


 カレンは、その横顔を見て、口の端を上げた。


 部屋の扉の前。路地より、ほんの数歩だけプリムに近い場所。

 それでも、今のフェンにとっては、大きな違いなのだろう。


「カレン、また遊ぼうね!」


「また来るわよ、どうせ」


「やった!」


 プリムが、笑う。フェンは、その笑い方を――1日で、もう何度見ただろうか。


(……いつのまにか数えていた)


 フェンは立ち去っていくカレンの後ろ姿を見てから、空を見上げた。耳が、わずかに動いていた。

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