↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/28

忠臣は谷間に主を見る

 5階層のボスを撃破した、翌日の朝。


「エロスちゃん、今日もランニング行ってくるね。お留守番、お願いできる?」


「きゅるっ(……いつも通りだ。行ってこい)」


 プリムが谷間からそっと余を抓み上げ、ベッドの上へ置いた。


「いってきまーす!」


 玄関の扉が閉まり、足音が遠ざかっていく。それを、余はベッドの上で聞いていた。

 一人になった瞬間――いや、正確には、一匹になった瞬間。余の内側で、何かが疼いた。


(……この感覚は)


 ゴブリンリーダーを撃破した時から、ずっと感じていた違和感だ。魔力の流れの底で、これまでとは違う何かが、溜まり続けている。


(……いや。溜まっているのではない。満ちているのだ)


 余は、自分の核を見つめた。流体の奥の赤黒い核が、いつもより、わずかに大きく脈打っている。


(……来るな、これは)


 プリムが出かけている、今のうちに確かめておくべきだ。そんな予感があった。

 余は、流体をベッドから部屋の中央へと広げていく。ベビーの頃よりも、ノーマルになった今よりも、さらに大きく広げても――まだ、余裕がある。


(……いいだろう。受け入れる)


 核の脈動に、自分から呼応した。


 光が、弾けた。


『個体名:エルガディス(エロス)。種族:ファフニールスライム。属性:ノーマル――固有能力の追加解放を確認しました』


 システム音が、頭の中で響いた。


(……固有能力、だと?)


 次の瞬間、知識が流れ込んでくる。教えられたのではない。元々あったものの封が解かれ、表に出てきた――そんな感覚だった。


(……これは――)


 暗黒竜としての記憶。負の感情を喰らい、力へ変えていた頃の、根源的な魔法体系。


(……魔法か)


 余は流体の先端を細く伸ばし、意識を集中させた。世界の半分を震わせていた、あの頃の感触だ。


「きゅるる……」


 先端で、漆黒の光がぱちりと弾けた。指先ほどの太さの雷が放たれ、一瞬で消える。


(……黒雷、か)


 名は、すんなりと出てきた。暗黒竜の、最も基本的な攻撃手段のひとつ。負の感情を凝縮させて放つ、直線的な雷撃。


(……出せる。もっと出せるぞ、これは)


 もう一度。今度は、壁へ向けて。


「きゅるるっ!」


 ぱぁん、と空気が裂ける。黒い雷が、壁際の床に小さな焦げ跡を刻んだ。


(……威力の調整を、覚えねばな)


 余は、自分の変化を丁寧に確かめていった。


 まず、体積。これまでより、明らかに大きく展開できる。竜姫メイルの各部位も、プリムの身体がなくとも、形として虚空に再現できた。

 腰の――竜尾バニーテールと呼ばれている部分。その形を、宙に象ってみる。


(……ここも、変わっているな)


 ただの尻尾では、ない。硬質化させれば、鞭のようにしなる。


「きゅるる」


 尾の先から、小さな黒雷がぱちりと弾けた。


(……ここからも、放てるのか)


 流体は剣。尾は、鞭。そして、尾から放つ遠距離の雷。3つの間合いを、余ひとりで埋められる。


(……悪くない。いや――むしろ、都合がいい)


 これまでは、近距離の格闘しかできなかった。遠くの敵には、プリムを近づけさせるしかない。だが、これからは違う。


(……これなら、あの女を、もっと安全な間合いで戦わせられる)


 それに――と、余は思う。


 配信というものは、都合がいい。余が強くなれば、その瞬間が、そのまま世界中へ流れていく。かつては戦場へ赴くしかなかったものが、今は谷間に収まったまま、世界の方が見に来るのだ。


(……悪い時代では、ない)


 しばらく、一人で練習を続けた。威力を絞る感覚、伸ばす感覚、尾へ体積を回す感覚。どれも、身体の奥底に元から刻まれていたように、すんなりと馴染んだ。


 窓の外で、足音が近づいてきた。


 余は急いで、床の焦げ跡を確かめた。流体の端で何度も擦る。完全には消えないが、古い床の染みに紛れる程度には薄くなった。


 玄関の鍵が、開いた。


「ただいまー!」


 プリムが、汗を拭きながら入ってくる。


「きゅるっ(……おかえり)」


「今日もいい天気だった! あ、エロスちゃん、ベッドで大人しくしてたんだ」


「きゅるる(……ああ)」


 余は、何も言わなかった。新しい力のことも、床の焦げ跡のことも――今は黙っておく。まだ完全に制御できたとは言い難い。見せるなら、実戦で確実に使えると判断してからだ。


(……それに、何も知らぬ顔がどう変わるか、少し興味もある)


 プリムが余をひょいと抓み上げ、谷間へ戻した。

 ランニングのあと、プリムはギルドへ寄り、昨日の魔石と素材を売った。ゴブリンリーダーの核込みで、金貨8枚。悪くない実入りだ。


 ダンジョンの入口でテールドローンを受け取り、配信を始める。


黄金豊穣胸魔剣エロスハートの人だ!』

『今日も頼むぞ竜姫バニーちゃん』

『ミナりん:今日は別件でギルドにいるので、配信は全力で見てます!』

『ミナりんギルドの人なの?』


 昨日の余韻が、コメント欄にまだ漂っている。


 流体アーマーの上を、赤い光がゆるやかに走っていた。昨日の戦いを見た者たちの熱が、まだ続いている証だ。

 5階層のボスは、昨日倒した。今日は、その先――6階層へ踏み込む予定だ。


「きゅるる(……今日は、6階層まで足を延ばす。慎重にいくぞ)」


「うん。慎重にね」


 プリムが、6階層への階段を降りていく。道中のゴブリンは、もう危なげない。


「きゅるっ(……3匹、左前方)」


「分かった。アーティア」


 星紋に触れる。「……んっ」と小さな声が漏れ、長剣が形になった。

 プリムが踏み込む。1匹目を薙いで消し、2匹目は盾で弾いて押しのける。続けて3匹目を斬り払い、体勢を崩した2匹目にも追撃して――消した。流れるような連携だった。


「やった」


「きゅるっ(……問題ない。先へ)」


 コメント欄が、軽快に流れていく。


『今日もスムーズだ』

『エロスちゃんの指示が的確すぎる』


 そこへ、見慣れないアイコンが現れた。


『もふもふ保護協会:本日も良い光だ……。竜姫バニーちゃんがゴブリンを薙いだ瞬間、ツインテールが流れる角度は完璧だった。次は、逃さない』

『もふもふ保護協会だ』

『なんか撮ろうとしてる』

『もふもふ保護協会:エロス氏が谷間からひょこっと顔を出す瞬間こそシャッターチャンスなのだが、いかんせん予測不能。本日は終日、張り込む覚悟である』

『張り込みって言うな』

『撮り鉄みたいなノリだ』

『でも気持ちは分かる』

『Olivia_G:本日も観測を開始する。昨日のエロスハート発動時のデータを精査したが、出力パターンに、不明点が多い』

『脱がし屋は今日も分析』


(……分析する者と、撮る者か。ますます賑やかになってきた)


 6階層の通路を、プリムは順調に進んでいく。


 途中、3人組の探索者パーティとすれ違った。


「……あれ、竜姫バニーちゃん?」


「あ、はい!」


「昨日のエロスハート、すごかったです」


「ありがとうございます!」


 相手の視線が胸元の余へ向いて、プリムはようやく、自分の格好を思い出した。


「……私、この格好で声かけられたんだ……」


 じわじわと、頬が赤くなっていく。


「ダンジョンの中だと、配信のこと忘れて普通に動いちゃうんだけど……外で会うと、あ、見られてるんだって……」


「きゅるっ(……今さらか)」


「今さらだよ!」


 プリムは両手で顔を覆い、しばらく唸っていた。

 探索を始めて30分ほど。余は、ふと、奇妙な気配を拾った。


 通路の奥の岩陰に、何かが――いる。


(……生き物の気配だ。だが、魔物では、ない?)


 余はそっと、プリムへ感触を送った。


「きゅるる(……止まれ。誰か、いる)」


 プリムが足を止める。


「え、どこ?」


「きゅるっ(……左の、岩陰だ)」


 プリムが翠の瞳を向けた、その先。


 岩陰から、音もなく――人影が滑り出てきた。


 150センチあるかどうかの、小柄な人物。白銀の髪が、仄かに光っている。金色の瞳。頭の両側には、大きな狼耳。尻尾は、太腿にきつく巻きつけて固定されていた。


 感情の読めない、フラットな顔。


 だが、その姿は無傷ではなかった。灰色の外套は何か所も裂け、乾いた血が袖と脇腹にこびりついている。呼吸は静かだが、よく見れば浅い。気配を消す技術で覆い隠しているだけで、内側の魔力はひどく弱っていた。


(……馬鹿者。どれほど無茶をして、ここまで来た)


 その視線が――プリムの胸元の余を、まっすぐに捉えた。


「……見つけました」


 低く、静かな声だった。


「エルガディス――」


 その瞬間。


「きゅるるっ!(……止まれ。ここでは余を、エロスと呼べ。配信中だ)」


 フェンの目が、わずかに動いた。先ほどから一定距離を保って浮かぶ機械と、その赤い灯りへ視線を向ける。

 余の制止とプリムの反応から、それが周囲へ映像を送る監視装置だと察したらしい。


 一拍の、間。


「きゅるっ(……余計なことは、何も言うな。いいな)」


 フェンが、微かに頷く。そして、言い直した。


「……エロスを。見つけました」


 さっきより、低い声だった。


 コメント欄が、爆発した。


『え!?!?!?』

『誰!?』

『銀髪の獣耳!』

『もふもふ保護協会:――ッ。新たな被写体、出現。耳。尻尾。毛並み。すべてが良い。カメラを構える手が、震えている。落ち着け、自分……』

『もふもふ保護協会が興奮してる』

『被写体って言った』

『Olivia_G:待て。あの耳と尻尾は本物か。光の反射を見るかぎり、毛の質感が通常の人間とは異なる。獣化型アーティファクトによる身体変化か――あるいは、別の何かか』

『脱がし屋が即分析』


(……フェン)


 余は内心で舌打ちした。気配を消し、どんな場所にも潜り込む。かつての、直属の精鋭――余の配下の中で、最も優れた隠密だ。


(……追ってきたか。あいつなら……やりかねん)


「あの、えっと……」


 プリムが、フェンと余を交互に見た。


「エロスちゃんの、知り合い?」


「きゅるる(……フェンだ。昔の部下でな。詳しくは、配信を終えてから話す)」


「そうなんだ……?」


 フェンの金色の目が、プリムと余の間を一度だけ往復した。

 配信中であることも、プリムが余の正体を知らないことも、それだけで察したらしい。


 余が谷間の奥から発する「余計なことを言うな」という圧を受け、フェンは口を噤んだ。


「人間の女」


 フェンが、プリムに向き直る。任務中の金色の瞳に、感情はない。


「そちらのスライムを、お返しいただきます」


「え」


「……私の、大切な方です。あなたのような一般の探索者が、軽々しく傍に置いて飼っていい存在では、ありません」


「……飼ってるわけじゃ、ないよ」


「谷間に住まわせているのが、飼育でなくて何だと――」


「そ、それは……エロスちゃんが、自分でそこに入るから……」


「きゅるっ(……余の意思だ。問題ない)」


「――っ」


 フェンの無表情が、ほんの一瞬、揺れて――すぐに戻る。


「ま……エロス」


 言いかけて、止まる。


「……そのような場所に収まるなど……あなたらしくない」


「きゅるる(……ここは、余が決めた玉座だ。貴様に口出しは、無用)」


 長い沈黙が、通路に落ちた。フェンは、黙る。


 その間も、コメント欄は動いていた。


『あの耳と尻尾、本物っぽい』

『獣化系アーティファクトってやつ? 身体強化と獣化が同時に出るやつ』

『Olivia_G:獣化型アーティファクトの可能性は高い。だが、あの動き方――訓練の質が、通常の探索者とは違う。単なるアーティファクト使いでは、ないかもしれない』

『脱がし屋がもう絞り込んでる』

『もふもふ保護協会:今、撮れた。岩陰から出てきた瞬間の一枚。逆光、銀髪、伏し目――生涯の一枚かもしれない』

『もふもふ保護協会が撮影に成功した』

『この人だけ目的が違う』


 プリムが、おそるおそる口を開いた。


「あの……フェンさん、って言うんですか?」


「……はい」


「エロスちゃんのこと、すごく心配してたんですね」


「……心配では、ありません。当然の、確認行動です」


「そっか。でも、ここまで来てくれたんですね。すごいなぁ」


 プリムが、そう言った。嫌みでも、皮肉でもない。ただ、そう思ったから言った――という顔だった。


 フェンは、何も言えなかった。


 わずかに――本当にわずかに、フェンの喉が動いた。何か言葉を探して、結局見つからなかったように見えた。


(……あの女、フェンにまで、あの調子か)


 余は、内心で呆れた。長年の修練で、感情を表へ出さぬ術を身につけた隠密だ。それが、たった一言で、これほど分かりやすく固まるとは。


 プリムは、フェンの様子をじっと見つめていたが、ふと表情を変えた。


「それより、フェンさん……怪我してますよね?」


「……問題ありません」


「問題あります。呼吸も苦しそうだし、血もついてます」


「この程度、任務の支障には――」


「だめです。治します」


 プリムが、一歩詰め寄った。


「必要ありません。人間の力を借りるつもりは、ありません」


 フェンの声は、平坦だった。だが、その平坦さの下に、微かな警戒が滲んでいるのを余は感じ取った。


 プリムは、一度だけ引いた。


「……分かりました。でも、辛くなったら絶対に、言ってくださいね」


 フェンは、答えなかった。ただ、金色の瞳が、わずかに揺れた気がした。


「じゃあ、一緒に来ますか?」


「……は?」


「ダンジョン探索、1人より2人のほうがいいし。フェンさん、強そうだもんね」


「……あなたは今、見知らぬ相手を『一緒に来ますか』と、誘いましたか」


「え?……だって、エロスちゃんの知り合いだし」


「それだけで、赤の他人を信用するのですか……」


「完全に信用は、してないですよ。でも、エロスちゃんが側にいるから、大丈夫かなって」


「きゅるる(……余は保証人ではない)」


「でもエロスちゃん、フェンさんのこと『昔の部下』って言ったでしょ。だから、私をいきなり襲ったりはしないかなって」


(……論理の飛躍が、過ぎる)


 余は呆れた。だが、プリムは本気だった。


 手が、伸びてくる。当たり前のように、フェンの方へ。


「よろしくね、フェンさん」


 フェンは――一歩、退いた。


 速かった。攻撃を避ける時と同じ、反射的な動きだった。


(……プリムの手を、避けた?)


 フェンの鼻先が、ほんのわずかに動く。金色の瞳に、警戒らしきものが浮かんだ。


「エロス様のそばにいることは、認めましょう。ですが、私は私の判断で動きます」


「……じゃあ、一緒に来てくれるんですか?」


「……エロス様の護衛として、同行するだけです。あなたとパーティを組む気は、ありません」


「分かりました! じゃあ、よろしくお願いします」


「……」


 フェンは、理解できないものを見るようにプリムを見つめていた。


(……フェン。苦労するぞ)


 余は谷間の奥で、ぷるりと震えた。


 自分にカメラが向いているのは、フェンも気づいていた。だが、それより――コメント欄が、問題だった。


『フェンちゃん!』

『フェンちゃん可愛い!』

『護衛って言ってたけど、実質パーティじゃん』

『さっきから「エロス様」って呼んでるけど、主従どっちが主なんだこれ』

『もふもふ保護協会:フェン氏、本日より重点撮影対象に追加。ツーショットは、家宝候補』

『もふもふ保護協会が一番喜んでる』

『家宝候補で草』


 フェンは、そのコメントを、見なかったことにしたようだった。表情は動かない。


 プリムの背中を追って、6階層の通路を進み始める。2歩後ろ――護衛の間合いを、きっちり保ちながら。


 その足が、ほんの一度だけ揺れた。


 だがフェンは、何事もなかったように歩き続ける。


(……馬鹿者。立っているだけでも限界ではないか)


 一度だけ、プリムの背中を見た。すぐに視線を外したが、しばらくして、また見ている。


(……フェン。貴様、もう乱され始めているではないか)


 本人は気づいていないらしい。

 いや――気づかないふりをしているだけかもしれなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。