黄金豊穣胸魔剣、エロスハート
扉の向こうは、天井が高く、広かった。5階層のボス部屋は、道中とは比べ物にならない。
そして――中央に、それはいた。
体高2メートルを超える、筋肉の塊。緑の皮膚に、鉄の籠手。片手には、プリムの胴ほども太い棍棒を握っている。ゴブリンをそのまま肥大させ、力と耐久だけを煮詰めたような姿だ。
「……ゴブリンリーダー?」
「きゅるる(……5階層のボスだ。単純だが皮膚が硬い。力押しで来るぞ。距離を保て)」
「分かった」
視聴者の目は、まずその威容に吸い寄せられた。
『ボス部屋来た!』
『ゴブリンリーダーじゃん! 5階層のボス!』
『鉄級でこれに挑むの!?』
『竜姫バニーちゃん、ガンバ!』
プリムが戦闘態勢に入り、右腕を前へ出す。
余は長剣を、さらに一回り大きな大剣へ変形させた。その分、胸元と腰まわりの装甲が薄くなり、もともと大胆だった切れ込みがさらに深くなる。
だが、その熱は長くは続かなかった。
その瞬間を狙ったように、テールドローンのカメラが――再び、じわりとハイパーズームを始めた。
黄金の財布は、カメラ操作権を手放していない。プライベートモードはたった今使ったばかりで、再使用まであと25分。
つまり――逃げ場は、ない。
レンズが、被写体を引き寄せていく。映し出されたのは、ボスではなかった。
戦闘態勢に入った、プリムのどアップ。
胸元の切れ込み。露わな脇腹。ハイレグの深いライン。汗ばんだ筋肉質の肢体が、燐光を弾いてぬらりと光る。
コメント欄が、一拍、止まった。
そして――爆発した。
『ぎゃあああああ! おっぱいズーム来た!』
『ボスどっか行ったw 竜姫バニーちゃんしか映ってねぇ!……いいぞもっと映せ』
『これは……素晴らしい眺め……! ……REC……』
『黄金の財布、いい仕事を……!』
『ボス戦の緊張感どこ行った』
『でも頑張れ! 俺は応援してるぞ!……ふぅ』
『カレン:黄金の財布。あとで覚えてなさいよ』
『カレンさんがブチギレてらっしゃる』
『でも残念ながら、止められないんだなぁ』
(……来る)
余は、谷間の奥で、それを感じ取っていた。
煩悩エネルギーが、桁違いの密度で流れ込んでくる。霧雨が、いきなり土砂降りへ変わったような奔流。固まっていた視聴者が一斉に沸いた――その「爆発」が、余の魔力回路を直撃していた。
露わになったプリムの素肌を、桃色の光のラインが一気に太く走る。これまで淡い筋だったものが、今は幾本も、脈打つように肌の上で輝いていた。
(……だが、今は戦闘中だ。浮かれるな)
余は、己を律した。プリムは真剣だ。ならば、余も応えねばならない。
「きゅるる(……プリム。ズームのことは忘れろ。ボスに集中しろ)」
「わ、分かってる……っ。恥ずかしいけど、今はそれどころじゃないっ」
プリムの翠の瞳が、ゴブリンリーダーを捉えた。露出を頭の隅へ押しやり、剣を構える。その切り替えの早さは、もう新人のものではなかった。
ゴブリンリーダーが、動いた。
最初の一撃は、床を棍棒で叩く威嚇。石床に大きくひびが走り、プリムは半歩、退がる。
「きゅるる(……怯むな。あれは威嚇だ。本命は次だ)」
「うん……っ」
正面からの突進。体重を乗せた、単純な力押し――だが、速い。
「きゅるっ(左!)」
プリムが左へ跳ぶ。巨体がすれ違いざま、壁に突っ込んで石壁を削った。その隙に、大剣を背へ叩き込む。
ごん、と鈍い手応え。だが、ゴブリンリーダーは動じない。分厚い皮と脂肪が、ダメージを吸っている。
「……硬い」
「きゅるる(……籠手の継ぎ目を狙え。右脇と、首の付け根が急所だ)」
「首……っ、でも、あの高さに届くかな」
プリムがポーチへ手を伸ばし、小瓶を1本つまみ出した。左の――ソーマだ。
「これ、飲む……!」
「きゅるっ(……飲め。澱みが抜けて、本来の力が出る)」
ひと息に、あおる。
「……っ、体が、軽い」
ソーマの浄化が、体内の澱みを払っていく。劇的な強化ではない。だが、これまで届かなかった「あと一歩」が、届くようになる――ボス戦では、その差が大きい。
2度目の突進。今度は逃げず、正面から一歩踏み込んで――跳んだ。
澱みの抜けた脚が、いつもより高くプリムを跳ね上げる。ゴブリンリーダーの肩に足をかけ、その頭上を越えていく。
空中で大剣を振り上げた、その瞬間――ゴブリンリーダーの腕が、跳ね上がってきた。
「っ――!!」
とっさに大剣で受けたが、衝撃までは殺しきれない。プリムは弾かれ、床を転がった。右肩の装甲が裂け、血が滲む。
「きゅるるっ!」
(プリム、動くな!)
余は即座に、接続中のアムリタを傷口へ引き上げた。流体を通して送り込み、裂けた肉と装甲を同時に塞いでいく。
「……っ、んっ。治った」
「きゅるる(……立て。まだ、終わっていない)」
コメント欄は、煩悩と応援が、ぐちゃぐちゃに入り混じっていた。
『普通にボス戦が熱い。応援したいのに、躍動するおっぱいと筋肉に目がいくw』
『傷が一瞬で治った! さっき飲んでたのは何だ? 動きも良くなったな』
『立ち上がった! 頑張れ!』
『あかん……えっちな体に見とれてたのに、必死に戦ってるの見ると申し訳なくなってくる……でも見ちゃう』
『同接1800超えてるぞ!』
『ミナりん:プリムちゃん……! 立ち上がった……! 負けないでっ』
『ミナりん本気で応援しててこっちが泣く』
『Olivia_G:戦闘中の即時回復を確認。接続が維持されるかぎり、消耗はリアルタイムで補える。――が、ボスの一撃は重い。回復が追いつくうちに、決めろ』
『脱がし屋が珍しくアドバイスしてる』
『分析じゃなくて指示とか、ガチのやつだ』
(……同接が、上がり続けている。煩悩も、応援も、最大級だ)
余は、流れ込むエネルギーが回路を満たしていくのを感じた。
赤い光が流体アーマーを駆け、Olivia_Gの考察が届くたび、青い筋がそこへ加わる。そして桃色は――プリムの素肌の上を、脈打つように走り続けていた。
(……回路が満ちる。今だ)
「きゅるる(……プリム。右腕を出せ。全力だ)」
「……っ、分かった! アーティア!」
星紋が輝く。回復と浄化の力が、同時に余の全身を駆け抜けた。
「んっ……ぁ、くぅっ……!」
今度は、ひときわ強く吸い上げた。プリムが一瞬、肩を竦める。それでも、手は離さない。
余は、己の身体のほぼすべてを右腕へ注ぎ込んだ。核だけを、谷間の奥にそっと残して。
肩当てが消え、ガントレットが解け、黒竜角のティアラさえ刃へ吸い込まれていく。
プリムの身体に残ったのは、最低限の薄い流体被膜と、ハイレグ状のバニースーツ部分――そしてその奥に埋め込まれた、余の核だけだった。露わになった全身の素肌を、桃色の光が幾筋も駆け巡っていた。
武装へ回せない桃色の光は、流体のほとんどを失ったプリムの素肌を包み、薄い防壁となって全身を守っていた。
大剣が、見上げるほどの大きさへ膨れ上がる。黒い巨大な刃を、応援の赤と考察の青が奔る。そこへ、アムリタの黄金色と、ソーマの銀色に輝く光が螺旋を描いて絡みついた。
異なる力が刃の上で重なり、やがて全体が黄金に近い眩い輝きを帯びていく。
「……でかい」
自分の手から伸びる、身の丈より大きな黄金の刃を見上げて、プリムが呟いた。
ゴブリンリーダーが、3度目の突進を始める。正面からの、逃げ場のない全力。
巨大な足音。震える石床。一直線に迫る、緑の質量。
逃げれば、避けられる。
だが――プリムは、逃げなかった。
むしろ、正面から駆け寄る。翠の瞳で、真っ直ぐに敵を見据えたまま――叫んだ。
「――これで、決めるんだからぁぁぁぁっ!」
金色をまとった漆黒の刃が、ゴブリンリーダーの首の付け根へ、深々と叩き込まれた。
轟音。
巨体が、1歩、2歩とたたらを踏み、膝をつく。
断末魔の雄叫び。――そして、崩れ落ちた。光の粒となって消えていき、後には大きな魔石が、床に転がった。
大剣が、解ける。巨大な刃を形づくっていた流体が、するするとプリムの身体を覆っていく。肩当てとティアラが再形成され、元の竜姫メイルへ戻っていった。
プリムは、その場に立ち尽くしていた。
「……やった」
声が、かすれる。
「やった……やったよ、エロスちゃん……っ!」
コメント欄が――爆発した。
『やったあああああ!』
『竜姫バニーちゃん、やったーーー!』
『鉄級ライセンスで、5階層とはいえボスを単独撃破!』
『同接2500超えてる!』
『あの金色の剣なに!? かっこよすぎるだろ!』
『おっぱいズームがきっかけで必殺技出たの、草』
『俺たちの煩悩が燃料になってるってマ?』
『カレン:……よかった。本当に、よかった』
『カレンさん、珍しく素直』
『ミナりん:よかった……! プリムちゃん、よかった……!(泣)』
『ミナりん泣いてる』
『古参ファンの鑑』
その流れの中で、誰かが書いた。
『あの技、名前つけたい』
『金色の剣で必殺、って感じの』
『おっぱいズームから始まったんだから、おっぱい系がいい』
『豊穣系だな。おっぱいは豊穣だから』
『スライム(エロス)の名前も入れたくない?』
『黄金豊穣……胸魔剣……?』
『エロスが心臓みたいに胸に宿ってるだろ』
『黄金豊穣胸魔剣、読みはエロスハート!』
『それだ!』
『完璧すぎる』
『エロスハートwww最高かよ』
『もう公式でよくない?』
『Olivia_G:最終段階で、回復と浄化の力が刃全体へ展開された。あれは、これまでの比ではない出力だ。そして引き金は、あの瞬間のズーム。視聴者の感情と、流体アーマーの武装出力には、明確な相関がある。黄金豊穣胸魔剣――命名は妥当だと判断する』
『脱がし屋が命名を公認した!』
「エロスちゃん、コメントが『黄金豊穣胸魔剣』って……」
「きゅるる(……)」
(……エロスハート。よりにもよって、余の名を冠するのか)
「エロスちゃん、なんか複雑な顔(?)してない?」
「きゅるっ(……してない)」
「してるよ、絶対……」
そう言って、プリムがその場に膝をついた。
声もなく、泣いていた。怖かったのも、痛かったのも、嬉しいのも――全部が一緒くたに溢れ出したような、そんな泣き方だった。
「エロスちゃん……ありがとう。本当に、ありがとう」
プリムが胸元へ手を当て、余の核を、両手でそっと包んだ。そのまま、ぎゅっと抱きしめる。
温かかった。いつもと同じ温もりのはずなのに、今日は少し、違って感じた。
(……今はただ、この温もりの中にいるとしよう)
プリムの泣き声を聞きながら、余は今日のエネルギーを反芻していた。煩悩、熱狂、驚愕――密度も、純度も、これまでとは違った。
(……ズームは、強力な手段だ。だが、断じて、余の意図で使うものではない)
『乳の調べ:……本日も、見事な素材でした。次回も、楽しみにしております。失礼いたします』
(……この男だけは、二度と来させてはならん)
余は、そっと、そう誓った。
*
――その頃。遠く離れた、異世界では。
薄暗い廊下の、最奥。「境界門」と呼ばれる、世界と世界の狭間に立つ扉。その前に、ひとつの人影があった。
銀色の髪。金色の瞳。小柄な体は、傷だらけだった。裂けた衣服の隙間から、肩に、脇腹に、塞ぎきれない傷が幾筋も覗いている。ずいぶん長いあいだ、まともに休むことも、食べることもなかったのだろう。こけた頬。見るからに重い、足取り。
それでも、その人影――フェンは、足を止めなかった。
かつての、魔王軍隠密部隊長。魔王が異世界へ消えてから、どれほどの時が流れたか。空間の歪みを追い、情報を集め、傷を負い、力をすり減らして――ようやく、ここまで辿り着いた。
(……魔王様)
フェンは、境界門の封印を見上げた。
この扉を破るには、並の力では足りない。正規の手順を踏むだけの魔力も、もう残っていない。長い旅で、そのほとんどを使い果たしていた。
残された道は、ひとつ。
自らの生命力そのものを、魔力へ変えて叩きつける――禁じ手。
それを使えば、たとえ向こう側へ渡れても、当面は本来の力の、ほんの一握りしか振るえなくなる。下手をすれば、数年――あるいは一生、戻らないかもしれない。隠密として、最も恐れるべき状態だ。
それでも。
「ここで止まる理由は――ない」
フェンは、残された生命力を限界まで、一点に絞り込んだ。
全身から、血の気が引いていく。指先が震え、視界が白く明滅する。それでも、手は止めなかった。
封印が、軋む。ひびが、走る。
そして――砕けた。
爆ぜる光の中へ、フェンの身体が呑み込まれていく。意識が薄れ、力が根こそぎ抜けていくのが分かった。
(……待っていて、ください……魔王様)
光が、消えた。
廊下に残されたのは、砕けた封印の残骸と――わずかな、血の痕跡だけだった。




