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煩悩は盾となり、カメラは矛となって迫る

 今日もテールドローンを受け取り、配信を開始した。昨日の到達地点である5階層までは、極力戦闘を避けて進んできた。


 5階層の空気は、これまでの階層よりも重い。


 岩肌は黒く沈み、燐光は血のような赤みを帯びていく。ゴブリンの巣とでも呼ぶべき階層だ。今日の目標は、この5階層を抜け、ボス部屋への道を切り拓くこと。

 鉄級ライセンスのプリムにとって、初めてのボス戦への挑戦になる。


『おは~。今日も竜姫バニーちゃんを見にきました』

『そんな装備で大丈夫か? 素肌切られたら普通に致命傷だぞ?』


 プリムは通路の角で足を止め、翠の瞳を細めた。


「エロスちゃん、右奥に気配が2つ」


「きゅるる(……3つだ。左の壁際にも1匹、潜んでいる)」


「3匹か……アーティア」


 星紋が輝き、アムリタとソーマの力が余の流体へ流れ込む。その瞬間、プリムの身体がわずかに揺れた。


「……んっ」


 余が直接吸い上げる感触を、身体の奥で感じているのだろう。くすぐったそうに肩をすくめながら、それでも剣を構える。


(……少しは慣れてきた、ということか)


 アムリタが余の流体に生じた消耗を癒やし、ソーマの浄化が刃へまとわりつく。長剣が、ぴりりと澄んだ気配を帯びた。


「きゅるっ(……行け)」


「うん!」


 プリムが踏み込む。右奥の2匹が同時に飛び出してきた。余は気配を読み、プリムの足元へ微かな圧を送る。

 プリムが大きく左へ跳んだ。右から来た1匹が空を切る。その隙に剣が閃き、ゴブリンの首を刎ねた。もう1匹が棍棒を振り上げる――余は左腕を盾に変えた。


「っ、弾いた!」


「きゅるっ(……押し返せ)」


 盾ごと相手を押しのけ、踏み込みざまに首を貫く。2匹目も光となって消えた。左の壁際から3匹目。もう感知している。


「きゅるる(……後ろ、左!)」


 プリムが振り向きざまに剣を薙ぐ。3匹目が、光の粒になって散った。足元に転がった魔石はどれも小粒で、値のつかなそうな代物だったが、プリムは律儀に拾ってリュックへ放り込んだ。


「……やった」


 息を整えながら、プリムがふっと目を細める。


「エロスちゃん、最後のやつ、声が来る前になんとなく分かった気がする」


「きゅるっ(……余の感知が、流体を通して伝わっているのだ。精度が上がってきたな)」


「なんか、繋がってる感じがするよ」


 コメント欄が動き始めた。


『鉄級で5階層を単独攻略中って、普通にすごくない?』

『スライムが指示してんの? それとも本人が感じ取ってる?』

『ミナりん:たぶん両方です! 私のアーティファクトは生態型ですけど、あの連携、完全に同期してます……!』

『ミナりん相変わらず詳しいな。生態型ってかなりレアだよね』

『Olivia_G:推論だが、あの流体アーマーは全身に密着している。感知情報が流体を介してプリムへ流れている可能性が高い』

『スライムのセンサーをプリムちゃんも使えてるってこと?』


 余は、流れ込むエネルギーを測りながら静かに計算する。

 同接、800超え。昨日の最高が600だった。着実に、増えている。


(……もっと引き出せる)


 今、特に強く流れ込んでいる感情は、2種類。


 ひとつは「応援」。戦闘が緊迫するほど強くなる。もうひとつは「煩悩」――こちらは、プリムの露出に比例して膨らむ。

 青い考察の熱も絶えず混じっているが、今は赤と桃色の勢いが際立っていた。

 応援の赤は流体アーマーの表面を走り、煩悩の桃色は、露わなうなじや腿を縁取る装甲の端で、まだ細く、淡く明滅していた。


 通路が開けると、ゴブリンの群れが現れた。


 6匹。これまでより、明らかに多い。


「きゅるる(……左右から来る。剣と盾、同時展開だ)」


「両方いっぺんに!? できるの!?」


「きゅるっ(……やってみろ。アーティアだ)」


「う、うん……! アーティア!」


 星紋が光る。


「っ、んんっ……!」


 いつもより多く吸い上げた瞬間、プリムの声が漏れた。くすぐったさより深い何かが、肩から首筋を走ったらしい。膝が、一瞬だけ内側へ寄る。


「きゅるる(……集中しろ)」


「わ、分かってるっ」


 余は全体積を一瞬で再配分した。右腕に大剣。左腕に大盾。

 その分――胸部の流体が、一気に削れる。武装に体積を奪われた反動で、腰まわりと腹部の装甲も薄くなった。脇腹のラインが露わになり、ハイレグの切れ込みが、これまでにない深さまでせり上がる。


「ふゃっ!」


 プリムが変な声を出した。


(……予想どおりだ)


 露わになった脇腹に、腹に、胸の谷間に――桃色の光が、すう、と筋を引いた。プリムの露出に呼応するように、素肌そのものの上を、淡い光が這っていく。


(……装甲のラインを離れ、素肌にまで現れたか)


「ちょっ……胸も、お尻も、脇腹も、装甲がほとんど残ってないんだけど!? しかも、なんか肌が光ってる――!? エロスちゃん!?」


「きゅるっ(……気にするな。おまえの露出に、視聴者が反応しているだけだ)」


「いちばん気にする説明なんだけど!?」


「きゅるっ(……集中しろ。来るぞ)」


「そ、そういう問題じゃ――!!」


 6匹が一斉に突っ込んでくる。プリムは悲鳴を飲み込み、大剣を横に薙いだ。

 1匹目と2匹目をまとめて断ち切り、光の粒へ変える。3匹目の棍棒を盾で受け、押し返す。左から回り込む4匹目には、余が足元へ圧を伝えた。


「左っ!」


 プリムが半歩引く。空を切ったゴブリンの首を、大剣が斜めに断った。


 だが、5匹目が低く潜り込んでいた。盾の死角。大剣を戻すには遅い。棍棒が、無防備な脇腹へ振り抜かれる――。


「っ!」


(……間に合わん)


 余が流体を戻そうとした、その瞬間。


 プリムの素肌を這っていた桃色の光が、脇腹の前で、ふわりと膜を張った。

 薄い膜のような光が、棍棒を受け止める。硬い盾ではない。やわらかく、弾力のある何かが衝撃を包み、棍棒を横へ逸らした。


「えっ?」


「きゅるっ(……何だ、今のは)」


 余さえ、一瞬反応が遅れた。


 装甲ではない。ソーマの浄化でも、アムリタの回復でもない。プリムの肌を這っていた桃色の――煩悩が、脇腹をかばうように膜を張ったのだ。


(……もっと見ていたい。傷ついて配信を終わらせたくない。その欲望が、対象を保護する防壁へ変わったのか……)


 動機は最低だが、結果だけ見れば防壁として機能している。


「きゅるる(……プリム、気にするな。今のは防御だ)」


「今のが!?」


「きゅるっ(……そうだ。恥ずかしがるな。もう1匹来る)」


「恥ずかしがる要素しかないよ!?」


 6匹目が正面から突っ込んでくる。プリムは盾を前へ、大剣を引いた。

 重い衝撃が左腕に響く――が、盾の縁に桃色の光が走り、衝撃を半分ほど逃がした。


「軽い……!」


「きゅるる(……桃色が防御に回っている。今なら押せる)」


「うんっ!」


 盾で6匹目を押し崩す。体勢を立て直した5匹目も再び飛び込んできたが、プリムは大剣を横薙ぎに振り抜き、2匹まとめて光へ変えた。


 残るは、先ほど盾で押し返した3匹目。背後へ回り込もうとした瞬間、プリムは振り向きざまに剣を突き出した。


 光の粒が、通路に散る。


 コメント欄が爆発した。


『今、桃色のバリア出なかった!?』

『煩悩で防いだ!?』

『おっぱいを見たいという気持ちが、プリムちゃんを守ったのか……?』

『最低なのに、なんか熱い』

『これもう信仰だろ』

『カレン:ちょっと待って。今の防御、何?』

『カレンさん困惑してて草』

『そりゃ困惑する』

『Olivia_G:推論だが、視聴者由来の感情エネルギーが防御膜として表出した。赤が出力補助、桃色が防御方向へ作用している可能性が高い。感情の種別ごとに、効果が分かれているらしい』

『脱がし屋が真顔で煩悩を分析してる』

『桃色が防御なの面白すぎるだろ』

『いや「守りたい」って気持ちだからセーフ』

『ミナりん:セーフじゃないです! でも、プリムちゃんが無事でよかった……!』

『乳の調べ:……守られし脇腹に走る、ひと筋の桃色。実に神秘的でした。なお剣盾の同時展開により、素材の全体像も明らかになっております』

『乳の調べが両方おいしくいただいてる』

『欲張るな』

『ミナりん:乳の調べさん! プリムちゃんは食材じゃないですっ』


 6匹の猛攻をなんとか捌ききり、プリムはその場に膝をついた。

 荒い息。張り詰めていたものが、一気にほどける。


「はぁ、はぁ……すごい……できた」


「きゅるっ(……当然だ)」


「ありがとう、エロスちゃん。なんか、すごく集中できた」


(……同接、1000超え。煩悩と応援、両方の供給量が跳ね上がったな)


 余は淡々と確認しながら、大剣と盾を長剣へ戻す。胸部と腰部の装甲が、元どおりに満ちていった。


「あ、戻った……よかったぁ……」


 胸元を確かめて、プリムがほっと息を吐く。


 その時――コメント欄に、不穏な流れが生まれた。


『そういえばスパチャのカメラ操作権って、この配信でも使えるんだっけ?』

『あー、配信法にそういう制度あったな』

『普段は誰も使わないやつだろ……』

『ダンジョン配信でズームしても、魔物のグロ画像になるだけだからなぁ』

『ゴブリンの顔アップとか誰得だし。女性探索者も、命がけのダンジョンじゃ分厚い革鎧が普通だからな』

『でも……この配信には……うっすら汗ばんだ、健康的な筋肉美の巨乳のプリムちゃんがいる……あとは分かるな?』

『あ……』

『あーーーーー!』

『竜姫メイルをズームして、隅々まで拝むしかないよなァ!?』

『誰も使わなかった機能が、今ここで輝く時が来た!』

『操作者はカメラ位置を動かせないが、角度変更とハイパーズームの望遠機能だけは無駄に強力だからな……』

『しかも、さっき判明したよな。俺たちの熱い想いが、プリムちゃんの体を守るって』

『つまり……?』

『煩悩を送れば送るほど、桃色バリアになる……! そう、これは守護るための神聖な儀式!』

『守護らねば……ズームで、隅々まで傷がないか確認しなければ……!』

『俺の煩悩でプリムちゃんを守れるなら、安いものだ……顕現せよ! 解析眼!』

『黄金の財布:……財布の封印を、解く時が来たようだな……開け! 黄金財宝郷!』

『ミナりん:みなさん、プリムちゃんをそんな目で見ないで……! でも、心配してるってことなんでしょうか……?』

『風の通り道:たぶん違うと思うよ……ただの悪ノリだよ……』


 コメント欄に、スパチャの弾幕が流れ始めた。


「え……え? なんで急に、スパチャがこんなに……?」


(……まずい)


 余は、流れを見て理解した。


 スパチャのカメラ操作権――15分ごと、一定額以上を投げた最高額者に、カメラの操作を委ねる制度。通常のダンジョン配信で、使う者はまずいない。魔物の顔をズームして、何が楽しいのか。

 だが、この配信は違う。そして厄介なのは、カメラが安全距離より内側へは踏み込めない代わりに――ズームだけが、異様に強力なことだ。


(……物理的には近づけん。だが、ズームすれば、届く)


「エロスちゃん、スパチャがすごい勢いで来てるんだけど……! 何これ!?」


「きゅるる(……プリム、走れ)」


「え?」


「きゅるるるっ(……今すぐボス部屋へ向かえ。立ち止まって好きに撮られるよりは、戦闘追尾に入った方がまだましだ)」


「な、なんで急に!?」


 現在の抽選枠が締め切られるまで、もうほとんど時間がない。それまでにボス部屋の扉へ辿り着けなければ――。


『スパチャ最高額者、決定! カメラ操作権の発動まで、あと10秒!』


(……遅かったか!)


『カメラ操作権が移譲されました。安全距離より内側へは接近できません。ハイパーズーム機能、解放。操作者――黄金の財布』


『黄金の財布だ!』

『あの人、また来た』

『毎回スパチャ額がえげつない人な』

『カメラ権とるの、初めてじゃない?』

『初めてだ! この配信で初めて使いやがった!』


(……黄金の財布。初めて、カメラを握ったか)


 テールドローンのカメラが動く。位置はそのまま。安全距離を保ったまま角度だけが調整され、レンズが、じわり、じわりとズームを始めた。


「え、カメラ……なんかズームされてる!?」


 走りながら、プリムが振り返る。


「ちょ、ちょっと待って! プライベートモード!」


 登録時に説明された、1日数回しか使えない緊急遮断機能だ。


「きゅるっ(……5分だ。5分しか、もたんぞ)」


「5分あればなんとかなる!」


 プリムがデバイスを叩き、プライベートモードを起動した。テールドローンの赤いランプが、ふっと消える。


 映像だけが遮断され、黒くなった配信画面の横では、コメント欄が悲鳴に包まれた。


『ぁあああああ!』

『プライベートモード! その手があったか!』

『5分しか使えないけど……!』

『竜姫バニーちゃんは、生き延びた……』

『カレン:ナイス判断よ、プリム!』

『Olivia_G:興味深い。逃走を選んだか。だがプライベートモードは5分間。一度使えば、30分は再使用できない。対してカメラ操作権は、操作者がドローンの追尾位置を変更できないだけで、角度調整とハイパーズームは、次の抽選まで有効。しかも15分ごとに最高額者が更新される。つまり、5分後に解除された瞬間、ズームは即座に再開できる』

『脱がし屋が冷静に逃げ道を潰してる』

『これ詰みじゃん』

『乳の調べ:……5分後を、楽しみにしております』

『待ってる宣言すな』

『やめたげて』


(……5分。5分で、ボス部屋まで走り込む)


「きゅるる(……プリム。戦闘は全部回避しろ。全力で走れ)」


「う、うん!」


 プリムが、ダンジョンの奥へ駆け出す。ミルク色のツインテールと、漆黒の黒竜角ティアラが、薄暗い通路を抜けていく。テールドローンのランプは、まだ消えたまま。


 4分50秒後。


 プリムは、5階層のボス部屋の扉の前に立っていた。全力疾走の直後、肩で息をしている。扉の向こうで、何かが身じろぎする気配がした。


「はぁ、はぁ……エロスちゃん……ここが、ボス部屋?」


「きゅるっ(……そうだ)」


 プリムの翠の瞳が、扉を見据える。怖がってはいない。緊張でもない。ただ――決意の顔だった。


(……あと、10秒)


 余はカウントする。


 テールドローンのランプが――赤く、灯った。


 コメント欄が、即座に爆発する。


『カメラ戻った!』

『ボス部屋の前だ!』

『竜姫バニーちゃん、ボス戦やるの!?』

『同接、一気に跳ね上がってる!』


 視聴者の熱が、余の魔力回路へ雪崩れ込んでくる。驚愕。期待。応援。そして――凄まじい煩悩。ひと波だけで、午前中の総量を超える勢い。


(……これだ。これを、待っていた)


「きゅるる(……プリム。扉を開けろ)」


「……うん」


 プリムが、扉に手をかけた。重い扉が、ゆっくりと開いていく。

 そして――カメラのレンズが、再び、じわりとハイパーズームを始めた。


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