胸に星紋を抱き、竜姫バニーちゃん爆誕
3階層への階段を降りた瞬間、プリムの足が止まった。
湿った土の匂いに、薄い燐光。足元の小さな水たまり。
「……ここ」
「きゅるる(……覚えているか)」
「うん」
プリムは静かに頷いた。
ここは、最初にプリムが余を見つけた場所だ。ミルキーシープに蹴り飛ばされながら、何度も立ち上がって突っ込んでいた余を、この女が拾った。
あの日のプリムも、ぼろぼろだった。1頭のミルキーシープに短剣で挑んで、角に脇腹をえぐられ、壁まで吹き飛ばされて。
それでも剣を手放さずに、最後は――ポーチから取り出した小瓶が割れて、その中身の匂いに羊が怯えて逃げていった。
何が起きたのか、あのときの余は瀕死だったために分からなかった。
「あの時は、2人とも、ぼろぼろだったね……」
「きゅるっ(……今は違う)」
「うん。今はもう違う! あの時の私たちじゃない!」
プリムが翠の瞳で前を向いた。左右のツインテールが垂れ耳のように揺れる。
その時、通路の奥から、のんびりした鳴き声が聞こえた。
「メェー」
ふわふわの白い毛並みのミルキーシープだった。くりっとした目でプリムと余を、のんびりと見ている。
「……こんにちは」
プリムが静かに言って身構えた。ミルキーシープは1秒、プリムを眺め――そして踏み込んできた。
「きゅるっ(……右、来るぞ)」
「分かった!」
プリムが左へ飛び退いて躱す。突進が、横をすり抜けていった。
「アーティア!」
星紋に触れる。アムリタとソーマの力が余の流体へ満ち、ガントレットが長剣へ変形した。
ミルキーシープが向き直り、また踏み込んでくる。
「はっ!」
プリムが今度は正面から踏み込んで、剣を横に払った。
どん、と重い手応え。ミルキーシープがよろけ、1歩、2歩と後退して――光の粒になって消えた。
残されたのは、ふかふかの白い毛皮と、ほんのり甘い匂いを漂わせる乳白色の小瓶がひとつ。プリムはそれを拾い上げると、特に気にする様子もなくリュックへ放り込んだ。
「……やった」
プリムはしばらく、その場に立っていた。
「やったよ! エロスちゃん。あの時は何もできなかったのに……」
「きゅるる(……余がいなかったからだ)」
「うん。エロスちゃんがいてくれて本当によかった」
(……余は資源として有用だから傍にいる。……ただそれだけだ)
そう思ったが――少しだけ、鳴き声の調子が上ずっていた気もする。
コメント欄が動いていた。
『ミルキーシープの毛皮も乳も拾ってる。そこはしっかりしてるんだな』
『カレン:ミルキーシープはお得意様よ。毛皮も乳も高く売れるから、絶対に拾い忘れないでね』
『カレンさん解説ありがとう』
『全部拾うのに入れ方は雑なの草』
『胸に手を当ててから発動してるぽい』
『おっぱいの裏に星紋があるってこと?』
『あの黒竜角のティアラ、よく見るとかっこよくね?』
『Olivia_G:ミルキーシープ戦での発動、接触から起動まで0.7秒未満。一般的な星紋起動より明らかに速い。星紋が発動部位の至近にあるか、常時半発動状態にある可能性が高い』
『0.7秒って計ってるのこわい』
『脱がし屋が本気になってきたな』
そこへ、ミナりんのコメントが流れた。
『ミナりん:今の連携、すごく綺麗でした……。あの、私ちょっと気になることがあって……』
『ミナりん:アーティファクトの発動光、虹色ですよね。あんな色、見たことないんですけど』
『虹色って何かやばいの?』
『ミナりん:……たぶん、ものすごく希少なやつです。私、こういうの見るの得意だけどあの光の密度、普通じゃないんです』
『ミナりん詳しすぎでは?……もしかしてギルド関係者?』
『なんか説得力ある』
(……あの女、目だけはいいな)
余は内心で唸った。鑑定系の能力か、あるいは生来の勘か。虹色の光から、ただならぬものを嗅ぎ取っている。
装甲の端を、細い青い光が静かに走った。考察の色だ。
『ミナりん:というか、こんな力を持ってる子が、なんで退学になったんだろう……。検査で見つからなかったってことですよね?』
『確かに……でもさっきから胸の下辺りに触れて発動させてるからおっぱいにあるんじゃね?』
『おっぱいの裏とかなら持ち上げないと見つからないよな?……それで退学になったって事か』
『ミナりん:……あ、すみません、勝手な推測です! でも、ずっと不思議だったんです』
プリムが、画面をちらりと見て、小さく笑った。
「ううっ……鋭いなぁ……でもこれだけ見られてたら隠し通すのは無理があるもんね……」
「きゅるっ(……気づかれるのは時間の問題だな。だが、分かったところで余が隠していれば問題なかろう)」
3階層を終えて4階層を進んでいくと、コメント欄の話題が変わり始めた。
『さっきからあの鎧、呼び名がないよね』
『竜角みたいなティアラあるし』
『黒竜メイル?』
『竜姫メイルじゃね?』
『それだ!』
『本人が竜姫バニーちゃんで、装備が竜姫メイルで!』
『完璧なネーミングだな』
『装備が竜姫メイル、本人が竜姫バニーちゃん』
『ミナりん:竜姫バニーちゃん……! 可愛い……! 素敵な呼び名です!』
『ミナりん:退学になった日からずっと応援してるけど、こんな呼ばれ方をするようになるなんて……感慨深いです』
『ミナりん古参なの!?』
『退学の日から知ってるとか超古参じゃんw』
『ミナりん:そうです! あの日からずっと見てました……。よかった……本当に、よかった……』
『ミナりん泣いてる?』
鎧の装甲の隙間に、赤と青の光が緩やかに混ざり合っていく。
余は、その流れを眺めた。
(竜姫メイル、か)
バニースーツとも軽装鎧とも違う、漆黒の戦闘装備。視聴者がつけた名にしては――悪くない。余が竜種であることを、知らずに言い当てている。
「エロスちゃん、コメントが『竜姫メイル』って……」
「きゅるっ(……見ている)」
「竜姫メイル……えへへっ、なんかお姫様みたいで、私じゃないみたい……」
「きゅるる(……余からすれば、だいたい合っている)」
「エロスちゃんまで!? 竜姫扱いなの!?……恥ずかしいなぁ……」
5階層に降りると、通路の雰囲気が変わった。天井が低くなり、横幅が狭まる。燐光が赤みを帯びてきて、岩肌が荒くなった。
そして――聞こえてきた。ぺちゃ、ぺちゃ、という複数の足音。
ゴブリンだった。体高は1メートル前後で、緑色の皮膚に、細長い手足。単体なら弱いが群れで動くのが厄介な魔物だ。今回は3匹が並んで、通路の奥からこちらを睨んでいた。
「ちょっと多いね……」
「きゅるる(……3匹か。だが、ここでいいものがある)」
「いいもの?」
余は、谷間の中で、プリムにポーチの事を思い起こさせるように、ぷるりと震えた。プリムがはっと気づく。
「あ、そうだ。瓶詰めしたやつ……!」
プリムがポーチから、小瓶を1本取り出した。とろりとした銀色に輝く液体が揺れている。左の――ソーマだ。
「これ、飲んだら、体の中がすっきりするんだよね。前に試したときも、疲れとか重さが抜けて、動きやすくなったし」
「きゅるっ(……飲め。澱みが抜けて体が軽くなるはずだ)」
プリムが、小瓶の栓を抜いてひと口、あおった。
「……っ、ぴりっとする。でも――」
次の瞬間、プリムの目が、わずかに見開かれた。
「……体が、軽い。なんか、すごく動ける気がする」
ソーマの浄化が体内の澱みを払う。それに伴って本来の身体能力が、すっと表へ出てくる。派手な強化ではなく、ただ素の力が淀みなく発揮される。だが、低階層の相手にはそれで十分だった。
「行くよ、エロスちゃん! アーティア!」
プリムが星紋を起動する。ガントレットが長剣に変わった、その瞬間。
1匹が、地面の石を拾って投げてきた。
「わっ!」
プリムが身を傾けて躱す。石が壁に当たって跳ね、頬をかすめた。
「っ……痛い」
(血が出ている)
余は胸元から引き上げたアムリタを霧へ変え、首元の装甲から頬へ吹きつけた。装甲の一部が淡く光り、プリムの頬の傷が、みるみる塞がっていく。
「あ……治った?」
「きゅるる(……常時接続している。この程度の傷なら瞬時に治せる。来るぞ)」
「う、うん!」
プリムが踏み込んだ。ソーマで底上げされた体は、いつもより鋭く動いた。
正面のゴブリンが棍棒を振り上げる。プリムは潜るように距離を詰め、剣を振り抜いた。1匹目が光になって消える。
「きゅるっ(左!)」
「はっ!」
プリムが左腕を上げる。ガントレットの装甲が盾のように展開して、ゴブリンの爪を弾いた。そのまま押し返して、剣を突き入れる。2匹目も、消えた。
3匹目が、慌てて逃げ始めた。
「あ、逃げてる」
「きゅるる(……追うな。1匹なら脅威にならん)」
プリムは素直に足を止めた。
足元には、粗末な魔石のかけらがふたつ、転がっていた。ゴブリンの魔石は小さく、買取価格もほとんどつかない。それでもプリムは律儀に拾い上げ、リュックの隅へ放り込んだ。
コメント欄が爆発していた。
『盾も出た!?』
『竜姫メイル多機能すぎでは?』
『剣になったり盾になったり万能すぎるだろ』
『さっき何か飲んでなかった?それから動きが良くなったような?』
『同接600超えた!』
『Olivia_G:頬の傷が即座に回復した。接続が維持される限り、消耗をリアルタイムで補填できる仕組みと見られる。――これは長期戦が可能なシステムだ』
『脱がし屋がまたすごいこと言ってる』
青い光が装甲の縁を静かに伝い、ティアラの虹色結晶へ吸い込まれていった。考察が増えるたび、青いラインが少しずつ太く、鮮明になっていく。
そして――プリムが、ゴブリンを薙いだ拍子に、剣の反動で大きく踏ん張った。その時、装甲のラインに沿って引き締まった肢体が、ぐっと力を込めた。
その瞬間、コメント欄が別の方向に沸いた。
『今の踏ん張り……腹筋えぐくない? この娘の装備の露出が多いから動くと筋肉が盛り上がって……ふぅ……勉強になります』
『ふぅ……デッサンの勉強になるなぁ 見た目細いのにめちゃくちゃ鍛えてるな』
『カレン:プリムは毎朝走って、毎晩筋トレしてるからね。腹筋も背筋も、探索者としては理想的に仕上がってる。特に大胸筋。あの子の大胸筋は、1年見てきたけど本当に綺麗な――』
『カレンさん急に早口になったなw』
『Olivia_G:同意する。あの踏み込みを支えているのは下半身だけではない。体幹――とりわけ大胸筋の安定が、剣の軌道のブレを抑えている。観測対象として、極めて優秀な筋肉だ』
『脱がし屋まで!?』
『何の配信だったっけこれ』
『ミナりん:分かります……! プリムちゃんの大胸筋、ずっと見てたら綺麗で……って、私まで何言ってるんですか!? 筋肉の話じゃないでしょ!!』
『こんなエッチな身体してる素晴らしい筋肉の持ち主……俺でなきゃ見逃しちゃうね』
『この配信、変態しかいないのか?』
「……エロスちゃん。なんでみんな、私の筋肉の話してるの……?」
「きゅるる(……知らん。人間というのは、業が深い)」
プリムが、複雑そうな顔で胸元を見下ろした。
そこへ桃色のラインが増し、青い光と複雑に混ざり合っていく。
「鍛えてるのは事実だけど……そういう見られ方は、ちょっと……」
「きゅるっ(……諦めろ。配信とは、そういうものらしい)」
余は谷間の奥で、流れ込むエネルギーを測った。同接は、すでに600を超えている。煩悩。好奇心。熱狂。そして――応援。
(……人間の感情は、思ったより、種類が多い)
「きゅるる(プリム。今日はここまでにしろ。初日だ。体を慣らせ)」
「……分かった。エロスちゃんがそう言うなら」
「……リスナーのみんな。ここまで応援してくれてありがとうございました。今日はここまでにしてまた明日配信します」
『お疲れ様竜姫バニーちゃん』
『おつでした。また明日も来ます』
『チャンネル登録したし、これは期待の新人だね。お疲れ様』
「ありがとうございました。それでは切断します」
配信を終えてダンジョンを出ると、夕方の空気が出迎えた。プリムはテールドローンを返却しながら、どこか放心したような顔をしていた。
「……エロスちゃん」
「きゅるっ?」
「なんか楽しかった……」
余は、1拍ほど押し黙った。
(楽しかった、か)
「きゅるっ(……そうか)」
「ダンジョン、最初は怖いところだと思ってたけど。エロスちゃんと一緒なら、なんか……頼もしい」
(……余は資源として有用だから傍にいる。それだけだ)
「きゅるっ(……精進せよ)」
「うん! 明日も行くよ!」
プリムはにこっと笑って、商店街の方へ歩き始めた。夕暮れの中、ミルク色のツインテールが、垂れ耳のように揺れていく。
その夜。
ミストチューブのタグ欄に、見慣れないものが並んだ。
【竜姫メイル】【5階層攻略】【谷間に黒いスライム】【初心者女子探索者】
そして、コメント欄には、初日の配信を見終えた者たちの声が、まだ流れ続けていた。
『最初はエロ目的で開いたのに、最後は普通に応援してた』
『アーカイブの再生数が凄い』
『あの子、絶対に伸びる』
『大胸筋の安定感は本物』
『まだ筋肉の話してるw』
谷間に黒いスライムを常駐させた、前代未聞の新人配信者が、こうして1人、産声を上げた。
その名は――竜姫バニーちゃん。




