第8話 ガルマの過去
いつも明るいガルマが、初めて見せた硬い表情。
黒鉄の森の近くで、彼が背負ってきたものが、少しだけ明らかになっていく。
「今日の依頼、ちょっと厄介そうですね」
ギルドの受付で依頼書を受け取ったキアが、眉根を寄せた。「黒鉄の森の外れ、リンデン近郊の放牧地で家畜が襲われる被害が続発。原因の調査と討伐」と書かれている。
「森の外れ、か……」
ガルマの声が、いつもよりわずかに低かった。ケルガはその変化に気づいたが、あえて何も言わなかった。
「森に入るわけじゃないですよね?」
「はい、あくまで外れの放牧地までです。森の奥には立ち入らない、という条件付きの依頼ですね」
キアの説明に、ガルマは小さく息を吐いてから、いつもの調子で肩をすくめた。
「なら問題ねえ。行くか」
「ガルマさん、本当に大丈夫ですか? さっきから、ちょっと様子が」
「気のせいだ気のせい。腹が減ってるだけだな」
軽く笑ってはぐらかすガルマに、キアはそれ以上追及しなかった。だが、ケルガにはその笑顔が、いつもより少しだけ硬く見えた。
三人は街道を外れ、森に近い放牧地へと向かった。近づくにつれ、空気が少しずつ変わっていくのが分かる。木々の緑は濃く、鳥の声はまばらで、どこか張り詰めた静けさがあった。
放牧地に着くと、柵が大きく破られ、羊が数頭、無残な姿で倒れていた。ケルガは思わず顔をしかめる。周囲には血の匂いが立ち込め、遠くで牧場主らしき人影が、放心したように立ち尽くしていた。
「これは……」
「爪の跡だな。それも、かなりでかい個体の」
ガルマが地面に残された痕跡を確かめながら言った。その表情は、これまで見たことのないほど硬い。指でなぞった土の跡は、大人の手のひらよりも一回り大きかった。
「ガルマさん、知ってるんですか、これ」
「――昔、似たようなのを見たことがある」
それだけ言うと、ガルマは口を閉ざした。キアと顔を見合わせたケルガが何か言おうとした瞬間、森の奥から重い足音が響いてきた。
「来るぞ!」
茂みを割って現れたのは、体長三メートルはあろうかという、黒みがかった毛並みの大狼だった。目は赤く濁り、口からは絶えずよだれが垂れている。全身から立ち上る威圧感は、これまで戦ってきたどの魔物とも違っていた。
【スキル発動】
『無限成長』EXP倍率:×1.78 → 戦闘継続中
「キア、ケルガ、俺が前に出る! お前らは隙を見て攻撃しろ!」
ガルマが『不落の盾』を構え、大狼の突進を真正面から受け止めた。地面が抉れるほどの衝撃だったが、ガルマは一歩も引かなかった。
「ぐっ……こいつ、力が普通じゃねえ……!」
「今です、キア!」
ケルガとキアが左右から斬りかかる。だが、大狼の反応は速く、キアの一撃はかろうじて掠っただけだった。大狼はすぐに向きを変え、鋭い爪でキアの剣を弾き飛ばそうとする。
「くっ、思ったより速い……!」
大狼が体を捻り、キアに向けて前足を振るう。避けきれないと判断したケルガは、迷わず飛び込んだ。
「――クイックスラッシュ!」
間に割り込むように放った一閃が、大狼の前足を浅く裂く。怯んだ隙に、キアが距離を取った。
「ありがとうございます、ケルガ!」
「いえ、それより――」
大狼の意識が、完全にケルガへと向いた。赤い目がこちらを捉え、大きく口を開く。
「かわせ、ケルガ!」
ガルマの声と同時に、巨体が突っ込んできた。とっさに身をよじったが、完全には避けきれず、肩を強かに打たれて吹き飛ばされる。
「――うっ!」
「ケルガ!」
地面に転がったケルガの視界に、大狼が追撃しようと迫るのが映った。だが、その進路に、ガルマの大きな背中が滑り込む。
「舐めるなよ、こっちが本命だ」
盾を斜めに構え、大狼の顎を真下から突き上げるように弾く。体勢を崩した大狼に、すかさずキアが斬りかかった。
「――クリムゾンスラッシュ!」
剣が深々と首筋を捉え、大狼はひと際大きな咆哮を上げてから、どさりと地に沈んだ。
【レベルアップ】
レベル:14 → 18
『無限成長』EXP倍率:×2.05 → 上昇
荒い息を吐きながら、三人はしばらく無言だった。ケルガが立ち上がろうとすると、ガルマがすぐに駆け寄ってきた。
「大丈夫か、無茶しやがって」
「すみません、つい」
「つい、じゃねえよ。お前が潰れたら、元も子もねえだろうが」
「もっと、自分の命を大事にしろ!」
ガルマの声には、いつもの豪快さとは違う、切実な響きがあった。ケルガは思わず、その顔を見上げた。
「――ガルマさん」
「……悪い、大声出して」
ガルマはばつが悪そうに視線を逸らすと、少し離れた場所に腰を下ろした。キアがそっとケルガに耳打ちする。
「聞いてあげましょう。話す気になったみたいですから」
ケルガも隣に座ると、ガルマは倒れた大狼を見つめながら、ぽつりと話し始めた。
「――昔、俺が育った村も、こういう獣にやられたんだ。あの森の近くだった。俺は運良く生き残ったが、仲間だった連中は、誰も帰ってこなかった」
「……そうだったんですか」
「だから、今日の依頼を受けた時、正直嫌な予感がしてた。まさか、また同じような跡を見ることになるとはな」
ガルマは自嘲するように笑ったが、その目は真剣だった。
「盾を持つようになったのも、それがきっかけだ。あの時、俺には誰かを守る力がなかった。だから、仲間を守れなかったんだ。二度と、あんな思いはしたくねえ」
「俺の仲間は誰ひとり失いたくないんだ」
「……」
「今のお前らになら、話してもいいかと思ってな。柄にもなく、湿っぽい話をして悪かった」
「湿っぽくないです。聞かせてくれて、ありがとうございます」
ケルガが素直に言うと、ガルマは少し驚いたように目を丸くしてから、いつもの豪快な笑みを浮かべた。
「――お前、本当に変わった奴だな」
隣で黙って聞いていたキアも、静かに口を開いた。
「私も、似たようなところがあります。だから、ガルマさんの気持ち、少しだけ分かる気がします」
「そうか。……お互い、色々背負ってるってことだな」
ガルマは立ち上がり、二人の頭を順番に軽く撫でた。いつもより優しい手つきだった。
「まあいい、行くぞ。報告して、飯にしよう」
三人は立ち上がり、夕暮れの放牧地を後にした。歩きながら、ケルガはふと空を見上げる。橙色に染まった空の下、二人の背中を見つめながら、これまでとは違う種類の――静かで、確かな決意が胸に芽生えていた。
(強くなる。今度は、絶対に守り抜く)
いつか自分の正体を明かす日が来るとしたら、きっとこんな夜なのかもしれない。そんなことを思いながら、ケルガは二人の後を追った。




