第3話 キアの過去、そして封印の影
明るいキアにも、誰にも言えなかった過去があった。 そして、ギルドで語られる「五十年前に封印された何か」という、不穏な単語が存在していたことをケルガは知ることになる。
「東の……『黒鉄の森』ダンジョンに……見たこともない、真っ黒な魔物が……」
声はそこで途切れた。男はそのまま気を失う。
「――息はあります! 誰か、治癒師を呼んでください!」
キアの声に、ギルドの制服を着た職員たちが弾かれたように動き出した。担架が運ばれ、負傷者が次々と広場から運び出されていく。血の匂いと土埃の中、ケルガはただ立ち尽くすことしかできなかった。
「キアさん、状況を」
声をかけてきたのは、片眼鏡の男だった。歳は四十前後だろうか。キアは短く経緯を伝え、男は眉をひそめて頷く。
「詳しい話は中で聞かせてください。そちらの方も、どうぞ」
案内されるまま、ケルガはギルドの建物に足を踏み入れた。掲示板に貼られた依頼書の束、隅の酒場で笑う冒険者たち、壁に飾られた古びた武具――さっきまで死にかけていた自分が、こんな場所に立っているのが不思議だった。
「はい、まずは登録ですね。手をここに」
受付嬢に促され、水晶のような石板に手を触れる。淡い光の粒が指先から広がった。
登録完了
名前:ケルガ 種族:人間 ランク:G
特記:ホブゴブリン討伐、ゴブリン群れの連携討伐を確認
初回査定によりFランクへの昇格を推奨
「初日でF評価、なかなかないですよ」
受付嬢がそう言うと、キアが横から覗き込んできた。
「へえ。私、Gからしばらく上がれなかったのに」
「キアさんでも、そんな時期あったんですね」
「失礼な。今はCランクです、これでも」
むっとした顔がすぐに緩んで、二人で少し笑った。手続きが終わり、隅の椅子に腰を下ろす。ようやく人心地ついたところで、ケルガはずっと引っかかっていたことを聞いた。
「さっき言ってましたよね。前のパーティが解散したって」
キアの表情が、ふっと止まった。
「……聞いてました?」
「聞くつもりはなかったんですけど」
「別にいいですよ」
少し間を置いて、キアは話し始めた。
「半年前、四人でパーティ組んでたんです。盾、回復、魔法、私が前衛。それなりに上手くやってました。でも、ある日のダンジョンで、私が功を焦って先に行きすぎて。回復の子が魔物に囲まれて、大怪我をしてしまいました」
「……」
「命は助かったんですけど、もう冒険者は続けられない怪我で。誰も私を責めなかった。それが、一番きつかったですね」
自嘲するような笑いだったが、目は逸れなかった。
「だから今日も、正直ちょっと怖かったんです。また同じことになったらって」
「――それでも、助けてくれたじゃないですか」
言葉が先に出た。キアが目を丸くする。
「怖いのに助けた。それ、すごいことだと思います。俺は、そのおかげで生きてるので」
キアはしばらく黙って、それからふっと笑った。
「変わったこと言いますね、ケルガ君。……悪くないです、それ」
立ち上がって、ぱんと自分の頬を叩く。
「よし、湿っぽいのはここまで。次に組むなら危なっかしくない後輩、って決めてたんですけど――どうです、私と」
「え、俺で……」
「センスありますし、話もちゃんと聞いてくれるし。悪い人じゃなさそうです」
軽い口調だったが、目は真剣だった。ケルガは頷く前に、少しだけ胸が熱くなるのを感じた。前世では、こんな風に誰かから必要とされたことがあっただろうか。
そこへ、先ほどの片眼鏡の職員が戻ってきた。
「キアさん、ケルガ君。もう少しだけ、いいですか」
名はドルフと言った。机に古い資料を広げる。
「『黒鉄の森』の魔物の特徴ですが……五十年前に封じられたはずの魔物と、記録が一致するそうです」
「封じられた……?」
「五十年前、東部一帯を恐怖に陥れた『災厄』という存在がいました。当時の英雄たちが総力を挙げて封印し、以来この地は平和でした。まだ断定はできません。ただの偶然かもしれない」
ドルフの手が、資料の端を強く握っている。震えているのが分かった。
「もし封印が緩んでいるなら――この町どころでは済まない話になります」
場の空気が重くなる。ケルガはまだ状況の半分も理解できていなかったが、一つだけ分かることがあった。この世界に来て、まだ一日しか経っていない。
「大丈夫」
キアが、ケルガの肩に手を置いた。
「今すぐどうこうなる話じゃありません。まずは目の前の依頼から。ね、相棒」
「相棒……ですか」
「嫌でした?」
「いえ。……悪くないです、それ」
ドルフが少しだけ表情を和らげる。
「頼もしいですね、お二人とも。調査はこちらで進めます。何かあれば、また」
資料を閉じて去っていくドルフを見送りながら、ケルガは自分の手を見つめた。まだ小さくて、頼りない手だ。だが、この手で今日、確かに魔物を倒した。
「さて、と」
キアが伸びをしながら立ち上がった。窓の外はもうすっかり夕暮れで、赤い光がギルドの床に長い影を落としている。
「今日はもう遅いですし、宿を紹介します。お金、持ってないですよね」
「……はい、実は」
「ですよね。今日の討伐報酬が入るまでの分は、私が立て替えます。その代わり」
キアは人差し指を立てて、にやりと笑った。
「明日から、ちゃんと働いてもらいますからね。ここらの町の初級依頼から、コツコツと」
「望むところです」
答えると、キアは満足そうに頷いた。ギルドを出ると、夕方の町は昼とは違う顔をしていた。
屋台の明かりが灯り始め、仕事終わりの冒険者たちが酒場に吸い込まれていく。ケルガはその光景を眺めながら、ふと思った。
(この町の、この空気の中で生きていくのか、俺は)
怖くないと言えば嘘になる。だが同時に、確かな高揚もあった。前世で感じたことのない類の高揚だ。
宿までの道すがら、キアが不意に足を止めた。
「そういえば、ケルガ君。あなたのそのスキル――『無限成長』でしたっけ。あれ、本当に伸び続けるんですか?」
「多分。今日、実際に倍率が上がってるのを見たので」
「へえ……」
キアの目が、少しだけ違う色を帯びた気がした。興味なのか、それとも別の何かなのか。ケルガには読み取れなかった。
「まあ、いいです。明日からよろしくお願いしますね、相棒」
差し出された手を、ケルガは握り返した。この一日で、死んだはずの人生の続きが、確かに動き出していた。
〜to be continued〜




