第二十四話 封じられた道
兵士の家を出て、二日目の昼。
一行は、旧い巡察詰所へ辿り着いた。
石造りの建物は半ば崩れ、屋根が残っているのは奥の一室だけだった。門柱は外側へ傾き、その間を背丈ほどの草が埋めている。
セレナは古地図を広げ、詰所の裏手へ回った。
「この先です」
指した場所に、道らしいものは見えなかった。
木々の間だけが僅かに低くなり、草の下から平らな石がところどころ覗いている。
「荷車は無理だな」
アルヴァンが言った。
「ここからは馬を使います」
荷車に積んでいた食糧と野営道具を、二頭の馬へ分ける。
護衛の一人を荷車と共に詰所へ残し、もう一人が荷馬を引くことになった。
「明日の夕刻までに戻らなければ、砦町へ連絡してください」
セレナが残る兵士へ告げた。
「それまでは、ここを動かないように」
八郎は荷台から保存食の包みを一つ取った。
「それは二日分だ」
アルヴァンが言った。
「戻れなかった時のためです」
「君が持つと、戻れなくなる前に食う」
「信用がありませんな」
アルヴァンは自分の荷から小さな包みを取り出し、八郎へ押しつけた。
「私の昼だ。先にそれを食え。非常食へ手を出すな」
「賢者の食事をいただいてよいのですか」
「私の食事を守るためだ」
八郎は二日分の包みを荷車へ戻した。
◇
旧巡察路は、北へ進むほど深い森へ入っていった。
ところどころに石積みが残っている。
だが、橋は落ち、道の半分を木の根が持ち上げていた。
セレナが古地図と地形を見比べ、その後ろをアルヴァンとミレアが歩く。
八郎は最後尾で、時折振り返った。
人の足跡はない。
獣のものも少なかった。
「妙です」
ミレアが言った。
「何がです」
「これだけ長く使われていない道なら、もう少し魔獣の痕跡があってもよいはずです」
「通らない理由があると?」
「分かりません」
ミレアは小さな銀盤を取り出した。
浮かんだ光は弱く、色も定まらない。
「黒い魔素の反応はありません。ただ、地脈の流れが乱れています」
「谷の近くと同じですか」
「似ていますが、ここではもっと薄い」
アルヴァンが前から振り返った。
「薄いから安全とは限らん。足元を見ろ」
八郎は左肩へ意識を向けた。
疼きはない。
ただ、森へ入ってから、時折冷たいものが肩の奥を撫でていた。
方角を示すほど、はっきりしたものではなかった。
◇
坂を一つ越えたところで、道は途切れていた。
山肌が広く崩れ、土と岩が谷側まで押し出されている。
その上には若い木が育っていた。
「崩れたのは、かなり前ですね」
セレナが言った。
アルヴァンは斜面の土を手に取り、指先で崩した。
「自然に落ちたものではない」
「術式ですか」
「土の中が固められている。表面だけなら崩れていてもおかしくないが、下はまだ繋がっている」
杖の先で岩を叩く。
鈍い音が返った。
「道を塞いでから、土の魔術で固めたのですか」
ミレアが訊いた。
「そう見える」
八郎の左肩が冷えた。
今度は、先ほどよりも深い。
失った腕の内側を、冷たい指で掴まれたような感覚だった。
八郎が肩へ右手を当てると、ミレアが気づいた。
「疼きますか」
「少し」
銀盤が左肩へ近づけられる。
淡い光が盤面の端に浮かび、黒く濁った。
「微かですが、黒い魔素です」
「この土の中か」
アルヴァンが斜面を見た。
「残滓に近いと思います。石そのものがある反応ではありません」
アルヴァンは道の端へ移り、土を杖で払った。
その足元が沈んだ。
低い音と共に、斜面の一部が崩れる。
荷馬が嘶いた。
後ろ脚が土へ取られ、谷側へ身体が傾く。
兵士が手綱を引いたが、背の荷が斜面へ落ち、馬をさらに引きずった。
「荷を落とせ!」
セレナが手綱を掴む。
八郎は刀を抜いた。
荷鞍へ二重に回された太い革帯へ、刃を走らせる。
手応えが来ると思った時には、刃はすでに抜けていた。
帯が落ち、荷が斜面を滑っていく。
軽くなった馬の身体をセレナと兵士が引いた。
アルヴァンが杖を地面へ突く。
崩れかけた土が持ち上がり、馬の蹄の下で固まった。
馬は前脚を掛け、地面へ這い上がった。
「怪我は」
ミレアが馬の脚へ手を当てる。
「擦り傷だけです」
八郎は刀を納めなかった。
刃を目の高さへ上げ、僅かに傾ける。
銀灰色の筋が、森の薄明かりの中に浮かんだ。
革を断った感触が、右手にほとんど残っていない。
刃先にも、何一つ変わったところはなかった。
「八郎」
ミレアの声で、八郎は刃から目を上げた。
「そこを離れてください。まだ崩れます」
八郎は一度だけ刀を振り、鞘へ戻した。
崩れた土の中から、細長い石が覗いていた。
アルヴァンが周囲の土を慎重に払う。
人の腕ほどの太さをした石柱だった。
上部には銀色の輪が嵌められ、その下を黒い染みが筋のように走っている。
「封印杭です」
ミレアが言った。
セレナが表面の泥を布で拭う。
石柱には、中央研究所の印が刻まれていた。
その下に、もう一つ小さな印がある。
アルヴァンの顔から、僅かに表情が消えた。
「読めるのですか」
八郎が訊いた。
「エルディンの管理印だ」
王都の支給簿にあった十二本の封印杭。
そのうちの一本が、二十五年前に塞がれた道から現れた。
「では、ここを塞いだのはエルディンですか」
「杭を管理していたのは、そうだろう」
アルヴァンは黒い染みへ触れず、石柱を見下ろした。
「だが、封じた者と、封じられたものを作った者が同じとは限らん」
「抜いて調べますか」
セレナが訊いた。
「抜くな」
アルヴァンは即座に答えた。
「何を支えているか分からん。残りの杭がどこにあるかも不明だ」
周囲を見回す。
崩れた山肌は、道の先を隠すように広がっていた。
「ここを通るのは諦める。上を回るぞ」
「馬は」
「無理だ」
アルヴァンは護衛の兵士へ向き直った。
「二頭とも詰所へ戻せ。明日の夕刻まで我々が戻らなければ、待機している者と共に砦町へ報告しろ」
「四人だけで進むのですか」
「馬が落ちる道へ、君まで連れていく方が危険だ」
斜面へ落ちた荷から、必要な水と食糧だけを拾い上げる。
それぞれが背負える分へ分け、兵士と荷馬を見送った。
◇
塞がれた道の上には、獣一頭が通れるほどの細い間があった。
四人は木の根を掴みながら斜面を越えた。
その先で、旧巡察路は再び現れた。
道幅は狭くなっていたが、下りへ続いている。
陽が傾くにつれ、八郎の左肩は重くなった。
強く疼くわけではない。
冷たさが肩の内側へ広がり、失ったはずの腕まで重く感じられる。
「先ほどの杭からは離れています」
ミレアが銀盤を見た。
「ですが、反応は消えていません」
「別の杭があるのですか」
「それなら、近づいた時に強くなるはずです」
「では」
ミレアは道の先を見た。
「もっと広い範囲に、薄く残っているのかもしれません」
森が途切れた。
西へ傾いた陽の下に、崩れた石垣が並んでいる。
その向こうには、屋根を失った家々があった。
戸口は暗く、窓板は外れ、草が室内まで入り込んでいる。
村の入口には、魔獣除けの標柱が二本。
片方は根元から折れ、もう片方も刻まれた文字の大半を失っていた。
八郎は足を止めた。
「知っているのか」
アルヴァンが訊いた。
「以前、ここで夜を明かしました」
村の中央に、屋根が半分だけ残った石造りの家が見える。
八郎はその竈を思い出した。
『ここ、パン屋だった』
焦げたパンをもらったと、シュミは言っていた。
「村の名は」
セレナが訊いた。
「ベズラスです」
探していた異邦人の村は、八郎たちが一度、何も知らずに夜を明かした場所だった。




