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亡国の侍 異世界転移譚  作者: Lambzono
第二章 残されたもの

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第二十一話 旅支度

 エルディンが最後に受け取ったものは、地図だった。


 翌朝、物資管理棟から運ばれてきた支給簿には、退職前の記録が日付順に並んでいる。


 セレナが最後の欄を読み上げた。


「北方旧巡察路図。地脈測定盤。封印杭十二本。銀筒四本」


 指を一行下へ移す。


「それと、長期保存食」


「量は」


 アルヴァンが訊いた。


「一人なら、ひと月ほどです」


「随分と用意がよい」


 八郎は机の上の支給簿を見た。


「返却されたのですか」


「記録にはありません」


 セレナが答えた。


「保存食は返せんだろう」


 アルヴァンが言う。


「地図と測定盤のことです」


「分かっている」


「食べ物の話に聞こえました」


「君は黙っていろ」


 支給簿には、受け取った者の名も残っていた。


 エルディン本人ではない。中央研究棟に所属していた助手だったが、その者も同じ年に職を退いている。


「助手の所在は」


 ミレアが訊いた。


「十年以上前に亡くなっています。遺族がいるかは、これから調べます」


「では、この物資をエルディンが持っていったとは限らんな」


 アルヴァンが言った。


「助手が別の研究へ使った可能性もある」


「ですが、裁可はエルディンです」


 セレナが支給簿を裏返した。


 裏面には、物資の用途が短く記されている。


「北方における長期測定」


 目的地の欄は空白だった。


「また空欄ですか」


 ミレアが言った。


「当時の規定では、北方とだけ書けば通ったのかもしれん」


 アルヴァンは地図の巻物へ手を伸ばした。


「開け」


 セレナが紐を解き、机の上へ広げる。


 王都から西へ延びる街道。


 砦町を越え、そこから北へ分かれる道。


 以前、砦町で見た地図よりも古い。現在は途切れている巡察路が、その先まで記されていた。


 セレナは砦町から持ってきた巡察記録の写しを隣へ置いた。


 薄い青で示された二十五年前の道が、古い地図の線と重なる。


「最初に魔獣の移動が報告された場所は、この辺りです」


 地図の北側へ指を置く。


 エルディンが取り寄せた地図には、そのさらに先まで道が続いていた。


「終点は」


 八郎が訊いた。


「ありません」


「道が続いているように見えますが」


「巡察所と村が幾つか記されています。ただ、どこを目的地にしたかは分かりません」


「全部を調べればよい」


「簡単に言うな」


 アルヴァンが八郎を見た。


「道が残っているとも限らん。二十五年、人が入っていない場所もある」


「残っていなければ、進めないと分かります」


「君は引き返すという言葉を知らんのか」


「知っています。使う機会が少ないだけです」


「同じことだ」


 セレナは地図を折り畳まず、二枚を並べたまま見ていた。


「王都から直接向かうことはできません。街道沿いの軍務所で、当時の通行記録と兵籍を照合します」


「残っているのか」


「王都よりは欠けているでしょう。ただ、北方へ物資を運んだなら、荷車と護衛が必要です」


「途中の記録までは抜けなかったかもしれない」


 ミレアが言った。


 セレナが頷く。


「エルディンだけを探すのではありません。最初の異変がどこから始まったかも、道を遡れば絞れる可能性があります」


 八郎は北へ延びる線を見た。


 その先に箱館があるとは思っていない。


 だが、魔力を持たない人物について調べた記録は、エルディンによって抜き取られている。


 帰還について知っていた可能性もある。


「出発はいつです」


「許可が下りれば、明朝です」


「下りなければ」


「下ろします」


 セレナは地図を巻き直した。


     ◇


 許可は、その日の夕方に下りた。


 名目は、失踪した賢者の捜索ではなかった。


 北方における魔獣の異常移動と、黒い魔素の発生源を調べるための再調査。


 セレナが提出した砦町の被害報告と、王都で行われた検査結果が添えられている。


 黒い石と大角獣の標本は、中央研究棟へ残された。


 持ち出すには危険が大きく、王都で続ける試験もある。


 八郎が研究棟の外へ出ると、左肩の冷たさが僅かに薄れた。


 ミレアが銀盤をかざす。


「距離が開けば、やはり弱くなります」


「北へ近づけば、また強くなるかもしれませんな」


「望むようなことではありません」


「望んではいません。分かりやすいとは思っています」


「痛みを道標にしないでください」


 ミレアは数値を書き留め、銀盤をしまった。


 刀の柄は元へ戻されていた。


 刀身の根元には、実験で使ったものを小さくした銀色の輪が取り付けられている。


「まだ魔石を入れてはいかんぞ」


 アルヴァンが言った。


「持っていません」


「見つけても入れるな」


「信用がありませんな」


「君が炎の石について訊いたからだ」


「訊いただけでしょう」


「だから先に言っている」


 銀の輪は、刀へ流れ込んだ魔力を外へ逃がすための仮の流路だった。


 今のところ、使う機会はない。


 それでも八郎は、輪が鞘へ当たらないことを確かめてから刀を腰へ戻した。


 明朝の出発に備え、荷物はすでに揃えられている。


 あとは食事を取り、眠るだけだった。


「戻る前に寄るところがあります」


 ミレアが言った。


「まだ支度が?」


「夕食です」


     ◇


 ミレアは八郎たちを、大通り沿いの食堂へ連れていった。


 運ばれてきたのは、岩角鹿の肉と根菜を赤酒で煮込んだものだった。


「王都の名物です」


「王都の料理なのですか」


「店は北から移ってきたそうです。魔獣に村を追われて」


 肉は匙を当てるだけで崩れた。


 赤酒の酸味は残っているが、根菜の甘さとよく馴染んでいる。


 八郎がもう一口食べる横で、アルヴァンは黙って二皿目を頼んだ。


「気に入ったのですか」


 ミレアが訊いた。


「明日から保存食だ」


「答えになっていません」


「今日食べる理由にはなる」


 セレナは皿から顔を上げずに言った。


「飲みすぎないでください。出発は日の出前です」


「赤酒は煮汁の中だ」


「別に頼もうとしていたでしょう」


 アルヴァンは卓上の酒札へ伸ばしていた手を戻した。


     ◇


 翌朝、王都の北門には一台の荷車と六頭の馬が揃っていた。


 測定器具と保存食、野営道具が荷台へ積まれている。


 護衛兵は二人。


 セレナが先頭に立ち、アルヴァンとミレアが続く。


 八郎は馬を断り、荷車の右側へ立った。


「今度は先へ出ないでください」


 セレナが馬上から言った。


「まだ何もしていません」


「する前に言っています」


「皆、随分と先回りするようになりましたな」


「学んだのです」


 門兵が通行証を確かめた。


 重い扉が開き、朝の街道が姿を現す。


 八郎は時代遅れの外套の前を合わせた。


 背後には、白い塔の並ぶ王都がある。


 前方には、低い丘の間を抜ける道が延びていた。


 その先で街道は西へ曲がり、やがて北へ分かれる。


 セレナが馬を進めた。


 荷車の車輪が動き出す。


 八郎も歩き始めた。


 目指すのは、二十五年前から誰も辿らなくなった道だった。




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