第二十話 抜けた頁
刀の峰に、白い光が走っていた。
石造りの実験台には、柄を外された八郎の刀が固定されている。
刃が台へ触れぬよう、峰の二箇所だけを木枠で挟まれていた。露出した茎には銀線が巻かれ、その先をミレアが指で押さえている。
「まだ流しますか」
「そのまま」
アルヴァンは刀身の根元へ顔を寄せた。
ミレアの光は茎から刀身へ移り、切先まで途切れることなく届いている。
八郎は実験台の脇に置かれた柄を見た。
「壊すつもりはありませんな」
「その確認は始める前にした」
「始めた後にも必要です」
「信用がないな」
「刀を分解している者を、無条件に信用するほど鷹揚ではありません」
「黙って見ていろ」
アルヴァンは刀身の根元を囲む土の輪へ手を置いた。
輪からは細い溝が伸び、実験台の端に置かれた灰色の石へつながっている。
「閉じるぞ」
アルヴァンが指を動かした。
土の溝が塞がる。
刀身を走る光が僅かに強まり、切先へ白い点が灯った。
「開ける」
溝が再び割れた。
光が刀身の根元から横へ逸れる。
灰色の石が淡く明滅し、同時に切先の光が消えた。
ミレアが指を離す。
刀身に残った白い筋も、すぐに薄れた。
「止められたのですか」
八郎が訊いた。
「止めたのではない」
アルヴァンは土の輪を指で叩いた。
「外へ逃がした。今の刀は、入ってきた魔力を素直に先まで通す。刀身の途中で堰き止めるより、別の流路を与える方が早い」
「水を脇の水路へ流したようなものですか」
「お前にしては正しい」
「余計な一言が多い」
「君が尋ねるからだ」
昨日の聴取を担当した研究員が、記録板へ数値を書き込んだ。
「流入量の大半が、根元の流路へ逸れています。切先での反応はありません」
「ならば、柄と刀身の間へ同じ仕組みを入れればよい」
アルヴァンが言った。
「魔石を柄へ収めるにしても、直接つないではならん。必要な時だけ刀身へ流し、それ以外は外へ逃がす。逆流した時の抜け道も要る」
「炎の石なら、刀身も熱を持つのでしょうか」
八郎が訊いた。
ミレアが顔を上げる。
「試すつもりですか」
「訊いただけです」
「その顔で言われても信用できません」
「どのような顔です」
「火のついた刀を振り回す顔」
「そんな顔があるとは知りませんでした」
「今見ました」
アルヴァンが二人の間へ手を出した。
「まだ何も入れん。刀身が魔力を通すことと、熱に耐えられることは別だ。使い方を誤れば、敵を斬る前に柄が燃える」
八郎は実験台の刀を見た。
魔力を生み出すわけではない。
蓄えるわけでもない。
ただ、外から与えられたものを、拒まず通す。
箱館から持ってきた鉄は、この世界の力を受け入れる器へ変わっていた。
研究員が記録板を閉じた。
「新規の性質として登録します。少し待ってください」
壁際の棚から、厚い索引帳を取り出す。
「初めて調べる素材は、過去の近似例と照合する決まりです」
研究員は項目を追い、途中で指を止めた。
「一件あります」
アルヴァンが振り返る。
「何がだ」
「魔力を持たない素材へ、外から魔力を通した試験です」
「いつの記録だ」
「三十年ほど前です。ただし、ここにあるのは分類番号だけです」
八郎は腰へ戻されていない刀を見た。
「同じような物が、以前にもあったということですか」
「それを確かめるには、本文を見る必要があります」
「出せ」
アルヴァンが言った。
「閉鎖記録に含まれています。閲覧には許可が要ります」
「ならば取れ」
「賢者の署名があれば早いでしょう」
「最初からそう言え」
アルヴァンは差し出された紙を奪った。
◇
書管庫は研究棟の北側にあった。
窓は細く、石壁の内側へ木の棚が幾重にも並んでいる。
紙と糊、それに乾いた革の匂いがした。
棚には番号と図形の入った札が掛けられている。八郎には文字が読めなかったが、年代と内容によって記録が分けられていることは分かった。
セレナも砦町から運んできた報告書を抱え、書管庫で合流した。
係員はアルヴァンの署名を確かめると、奥の棚へ入っていった。
やがて、両腕で一冊の綴じ本を抱えて戻ってくる。
厚い革表紙には、幾つもの擦り傷があった。
「外部魔力導通試験。該当する年代の記録です」
研究員が表紙を開いた。
前半には、鉱石や木材へ魔力を流した試験が並んでいた。
頁を繰る手が止まる。
百四十二。
次の頁は、百五十一だった。
その間にあるはずの紙がない。
綴じ目の近くには、細い紙の根元だけが残っていた。
アルヴァンが指先で触れる。
「破れたのではないな」
「刃物で切られています」
係員の顔が強張った。
「虫や傷みなら、周囲の頁にも跡が残ります。これは人の手です」
研究員は索引帳へ戻った。
欠けている頁の番号を照合していく。
「魔力を保持しない携行品の検査」
次の項目を読む。
「外部付与に対する導通反応。保護対象の身体測定。それから、携行品の製法について」
「保護対象とは」
八郎が訊いた。
「身元の確かでない者や、災害地から救出された者にも使われます」
セレナが答えた。
「この記載だけでは、何者かは分かりません」
「名は」
「索引にはありません」
「どこから来た者です」
「それも本文に記されていたのでしょう」
研究員は、切り残された紙へ目を向けた。
八郎も綴じ目を見た。
記録が失われたのではない。
必要な部分だけが選ばれ、取り除かれている。
「誰が抜いたか分かりますか」
ミレアが訊いた。
「通常なら、移管記録が残ります」
係員は机の下から細長い帳面を取り出した。
頁番号を照合し、過去の記載を追っていく。
何度か指を戻した後、一行を見つけた。
「ありました。該当頁は危険指定記録として別置されています」
「別置先は」
研究員が覗き込む。
係員は答えなかった。
帳面を机の上へ置く。
別置先を記す欄には、何も書かれていない。
その隣に、裁可した者の名だけが残っていた。
「エルディン」
アルヴァンが低い声で言った。
「ご存じですか」
八郎が訊いた。
「先代の賢者だ」
ミレアが父を見る。
「先代?」
「賢者は役職ではない。だが、私より前にそう呼ばれていた者がいる」
アルヴァンは帳面の名から目を離さなかった。
「私が王都の研究へ関わるようになった頃には、すでに退いていた。顔を合わせたことはない」
「中央研究棟の元責任者です」
研究員が続けた。
「術式理論と封印研究で名を残しています。晩年は、危険研究の停止と記録管理を任されていました。現在の閉鎖規定も、元はエルディンが整えたものです」
セレナが空欄を指した。
「その規定では、別置先を書かなくてもよいのですか」
「いいえ」
係員は首を振った。
「危険度にかかわらず、保管場所と閲覧条件を残す決まりです」
「決まりを作った本人が、保管場所を記さなかった」
研究員が呟いた。
「あるいは、記録できない場所へ持ち出した」
セレナが言った。
「決めつけるな」
アルヴァンはそう言ったが、空欄を見たままだった。
八郎は裁可の日付を指した。
「これは、いつのものです」
「およそ二十五年前です」
係員が答えた。
「エルディンは、その後もここに?」
「長くは」
係員は別の帳面を取り出した。
職員の任免を記した人事簿だった。
「この年に職を退いています」
「今はどこにいる」
「分かりません」
書管庫が静かになった。
「退職後は王都の外で暮らしていました。ですが、その年の終わり頃、住居を残したまま姿を消しています」
「亡くなったのか」
「死亡の記録はありません。捜索も行われましたが、見つかっていません」
アルヴァンが腕を組んだ。
「頁を抜き、職を退き、そのまま消えたか」
「隠すつもりなら、自分の名も消すのではありませんか」
ミレアが言った。
「責任者の裁可なしには、頁を動かせなかったのかもしれません」
セレナが答える。
「名が残っていることが、潔白の証明にはなりません」
八郎は抜けた頁へ目を戻した。
魔力を持たない携行品。
身元の記されていない保護対象。
行き先を残さず持ち出された研究記録。
「エルディンは、何を研究していたのです」
「術式の封印と、魔力の循環」
研究員が答えた。
「流れを閉じた時、内部で何が起きるかについても、幾つか論文を残しています」
アルヴァンの目が細くなった。
「閉じた流れか」
黒い石は、周囲の魔力を引き寄せる。
アルヴァンの術で作られた左腕を引き、八郎の肩に残った流れを内側へ巻き込もうとした。
直接結びつく証拠はない。
だが、無関係と言い切れる材料もなかった。
アルヴァンは抜けた頁の根元と、裁可者の名を見比べた。
「だが、先に調べるべきものは決まった」
「黒い石ではなく?」
「石を調べるためだ」
アルヴァンは人事簿に残された名を指した。
「この男が、消える前に何をしていたのか。それを洗い直す」
八郎は、その名を聞き流さなかった。
エルディン。
記録を抜き、行き先を空欄にしたまま消えた、先代の賢者。




