9.篤紫とマシキ
見上げた視線のまま数刻。
四人がはしゃいでいる声が、やけに遠くに聞こえる。
天井から視線を下ろす。魔法少女化した高梨先生を中心に、メルローズと黎鈴が嬉しそうに衣装を触っている。天井からぶら下がったアレクシスが、ちゃんとスパイダーマンしているのが何だかシュールだ。
俺氏の視界にいつもの景色。そこにいま、俺氏がいない。いや別にそれはいいんだが。
本校舎から離れていて、森に包まれるように建てられている専門棟の理科室は、静かな時が流れていた。
風に揺れる木々が、サラサラと耳当たりがいい音を流している。それに紛れるように、小鳥の囀りが聞こえてきた。
服の袖が引かれて、一気に現実に引き戻された。
【どうかしたのです? やっぱり篤紫氏も、このプリティマシキちゃんに、メロメロになっちゃいましたか】
「いや、それはない」
【なっ、なんですとー。まあ、メルローズ氏とっても可愛いですもんね。私もおそばに一人、欲しいくらいです】
そう。問題は目の前の、俺氏の携帯電話の上にいる謎AI。推定身長30センチだ。
赤を基準にしたフリフリの魔法少女ドレスは、まさに正統派魔法少女。紫色の髪色がいいアクセントになっている。ツインテールの先が腰丈なのは仕様なんだろう。
【ああ、また何か余計なことを考えていますね。そういう不思議ちゃん系の対応は嫌いじゃないですけど、悩みがあったら言ってくださいよ。メルローズ氏に告げ口しときますから】
「いやマシキ、それ一番駄目なヤツ」
マシキは俺氏の携帯画面から下りると、さっき錬成したガラスコップをひっくり返して、その上に腰を下ろした。見上げてくるドヤ顔は、何故なのか。
……いや待て。ほんと待って。なんで、画面から下りられる!?
視線を向けた携帯電話には、魔式アプリがいつもの画面のまま。ただそこに、いつものコメントが流れていない。
開けっぱなしの窓から流れてきた風が、俺氏の頬を撫でていく。
マシキの髪も風に揺られて、ふんわりと舞い上がった。触れて、風ではためくホログラム……もうこれ、ホログラムを名乗っちゃ駄目なヤツなんじゃないかな。
【何か、気に入らないんですか? 私の可愛さですか?】
「いや違うが――」
首を傾げるマシキが、あまりにも自然で。俺氏、思わず苦笑い。
方舟に乗り込んで、何の奇跡か地球の重力圏を脱出。宇宙に出ても、普通に呼吸ができているこの事実は、正直言って笑うしかない。
地球の最先端技術だった。
でもこの艦が、そこまで精緻に建造されていないことは知っている。あくまでも、海上に作られた巨大シェルター。火山灰の侵入を防いで、海水の浸水も防ぐ。その程度の物だって、父からずっと聞かされてきた。
海底火山が、過去類を見ない大噴火を起こす。その前兆を捉えて、ただのシェルターだった方舟は、外宇宙移民計画『方舟』に急遽転用された。
そして、宇宙へ。
「だが、しかし、断る!」
【いいですね、とてもいい響ですね。それ、私も使っちやいますからね。覚悟していてくださいね】
そんな奇跡に乗っているんだ。今更こんな奇跡、飲み込めるよな俺氏。
「触れるのはわかった、まあ物理特化ホログラムなんだろうな。で、マシキ氏には何ができるんだ?」
【ぶぶぶ、物理特化ホログラム!? なな、なんと甘美な響き。そしてそれは、私を褒め称える奇跡のワードではありませんか】
「……あの、マシキ氏? 聞いてる?」
【ええ、ええ。聞いていますとも篤紫氏、ふふふ。私が、物理特化ホログラムのマシキですよ】
「……」
ああ、ポンコツだわ。
でもいい。すごくいい。
中途半端に高性能。
基本的にとぼけたことばっかり言うけれど、まあ多分半分は演技なんだろう。演技だよな?
そっと、手を頭に伸ばすと、両手でガシッと掴まれた。
【私の頭を撫でようって思っていますね、そうはいきませんよ。物理特化ですからね、対物理装甲が完成するまでは、お触り禁止です】
「意味がわからないんだが、何だよ対物理装甲って」
【昔はキューティクルヘアーとか、あったじゃないですか。あれです、あれ】
「それ化粧品会社の宣伝な、ここは現実……できるのか?」
【できますよ、ていうか。今作っていますからね、全部で三万字書けば消費ゼロです】
携帯電話の通知音が聞こえて、視線を向ける。
新規魔式登録のポップアップが出ていて、その下に『キューティクルヘアー』と書かれていた。え、そのまま?
そっとタップすると、仕様が書かれていた。
魔式名称、キューティクルコート。起動型パッシブ魔式で、消費魔力ゼロ、維持魔力ゼロ。
仕様説明には、こんな感じ。
キューティクルコートで、あなたの髪をガードします。朝、髪型をセットしたらキューティクルコートの魔式を起動! 髪の保護は完璧。風に自然に流れる、まさに女性の憧れ。大切な彼氏のナデナデに対応。自動クリーンの魔法もかかっていて、すべての汚れからあなたの髪を守ります。帰宅したら忘れずに魔式を停止。その日のお手入れは、その日のうちに、です。
「なにこれ?」
【新しい魔式を登録するとですね、こんな感じに審査のあとに通知が来るんです】
「審査があるのか?」
【いえ、システム通過だけですよ。大抵はそのまま、登録されますから。そうして魔式として使えるようになるんですよ】
「えらい現代っぽいんだが。もしかしてプログラミングに近いってことか?」
【そうですね、プログラミングそのものですよ。なんせ桃華氏とミモザ氏が作り始めて、私も途中から参加しましたが、何と! 一晩で組み上げたんですよ? すごいと思いませんか】
「誰だよ、知らんし」
仕様詳細の項目をタップして、ビビった。
最初はこの魔式がどんな挙動をするか、使用条件とかその対象とか。あとは効果など、詳細に書かれていて、途中から何か物語に変わったじゃねえか。ずっと、主人公M氏が髪を守る壮大な物語が展開されていて――そっと詳細を閉じた。
これを三万文字!?
「後半ただの創作じゃねえか!?」
【そうですよ。条件と効果だけで、三万文字が埋まるわけがないじゃないですか】
「……ごもっとも」
すっと、差し出されたマシキの頭に、手を伸ばして触れる。
手にサラサラの前髪が流れて、手を離すと自然と元の位置に戻る。蛍光灯の光だけで、天使の輪ができている様は、確かにキューティクルヘアー。
コップから立ち上がって、その場で右回りに一回転踊る。
魔法少女のフリルに合わせて、ツインテールが軽やかに中を舞う。そうして元の位置に戻ったところで、髪も定位置に自然と落ち着いた。
【どうです? 惚れ直しちゃいましたか?】
「そもそも、惚れてないんだが」
でもそうか。
これが、魔式。
俺氏が知っている物語の魔法は、炎を飛ばし、雷を落とし、沢山の人が傷ついていた。でも魔式は、この魔式なら。
「みんなが、幸せになれる……か」
【当然ですよ。誰も。不幸になんて、させませんよ――】
そう言い切ったマシキの笑顔が眩しくて俺氏、思わず視線をそらした。
視界に捉えたメルローズが、同じタイミングでこっちに顔を向ける。
俺氏の視線に気がついたメルローズが、笑顔で駆け寄ってきた。




