16.多肉祭カレー
寸胴鍋の中で具材が、ぐつぐつと音を立てて煮えている。
キッチンに立つ2人の背中が、思っていた倍くらい自然で、あの寸胴鍋は何だ? とか、大量に作ったカレーを一体どうするんだ? とか、そんな雑念がどうでもよくなってくる。
「最初はROM専だったんだけど、やっぱり女たる物、参加しないとって。一念発起したのよ」
「それで色々と知っているのですのね」
「ふふふ。篤紫にも、色々と伝授したのよ? あの子、自分のこと『俺氏』って言うでしょ? 枕元で念じ続けたら、ちゃんと使うようになったのよ。私の勝利」
「わたくしも、篤紫氏って呼びますのよ?」
「いいわね、とってもいいわね。私もメルローズ氏って呼ぶわね」
いやいや。待って、何話してんだあの母は!?
止めようとして、手を伸ばしかけて、やめた。
何だか2人が楽しそうで、そこに水を差すのも何だか悪い気がして。
「それで、新居にはいつから住むの? メルティアルさんから連絡が来て、すぐに篤彦さんが家具を作ってたのよ。たぶん、もう全部の家具が設置済みよ?」
「いや待って、何してんだようちの両親!?」
「そりゃ何って、新居ができたら家具は必要だろう。ただいま香帆里、今日はカレーか」
「あら。お帰りなさい、篤彦さん。ご飯にします、それとも。わ、た、し?」
「両方いただこうか。なに、夜は長い」
「だから、何なのうちの両親!?」
「うふふふ、いいですわね。とってもいいですわ」
カートに乗せられて、寸胴鍋にいっぱいのカレーが運ばれてきた。香辛料の香りが、鼻を通り抜けていく。
身を乗り出して覗くと、明らかに野菜よりも肉の方が多い。
母がご飯を盛りだした。
それにしても、この寸胴鍋。いつまでもグツグツと煮えているんだが、何か細工があるのか?
「なあ、母氏。これ、何かした?」
「気づいたわね、さすが篤紫ちゃん。聞いて驚くといいわ、これは――」
「いいわ。とりあえず、食べる」
お腹を抱えて笑っているメルローズのカレー皿に、何となく多めにカレーをかける。そして、自分の分もかけたところで、カートを父の方に移動させた。
そこでは大きなボウルを持った父が、目を爛々と輝かせて待っていた。いつも父は、カレーの時だけ木製の、特製大型ボウル型カレー皿なんだよな。寸胴鍋用のお玉で、一杯、二杯……今日は少なめの、三杯半か。
明らかにご飯よりも、カレーの方が多い。
隣に目を向けると、メルローズが目を大きく見開いている。そうだよな、ビックリするよな。
「さあ、全員にカレーが配られたな? それでは、いただきますだ」
いつもは言わない号令で、食事開始と。
隣で、未だに固まっているメルローズの頭を、そっと撫でる。
「父氏曰く、カレーは飲み物なんだってさ。うちの母氏が作るカレーはさ、塩分を極限まで減らして、香辛料でしっかりと味付けした、本格仕様なんだ」
「お肉は炒めて、しっかりと熱を通してから、カレーの海に投入しておりましたわ。市販のカレールーではないですの?」
「市販の物も入れているわよ。でも篤彦さんがカレー好きだから、ここは手を抜けないのよ」
メルローズの正面に座っている母が、幸せそうに目を細めて父を見る。
たださすがに、足りなかったらしい父。追加のカレーを盛る前に、ちらっとメルローズを見たの、俺氏見えたぞ。
まあ、メルローズは母との会話に夢中で、気づかなかったからセーフ。
「それで篤紫ちゃん、さっきの話の続きよ。『魔式』って言う胸熱技術が、私たちの生活にひっそりと侵入してきたわよね?」
「そこは、普通に魔式が生活の一部になった、とかでよくね?」
「うふふふ、母氏らしいですわ。ふふふ」
「そしてこれ。名付けて、保温熊ちゃんMkⅡよ」
母が手に持っているのは、シール帳に貼る立体シール。絵柄は、熊……?
視線を寸胴鍋に向けると確かに、横面に貼り付けてある。熊が。でも熊のシール貼り付けて、なんで保温になるんだ?
「そういうことですのね。魔式名『保温熊ちゃんMkⅡ』、公開魔式リストにありましたわ。効果は、シールに書かれた時間だけ、貼り付けた対象を保温する。そういう、使い方もあるのですの?」
「ああ、付与系ってこと?」
「正解よ。この世に魔式がある限り、私。付与術士香帆里は永遠に不滅よ」
お玉を振り上げる母に、そのお玉の下にボウルを滑り込ませる父。垂れ落ちたカレーが、ボウルに落ちる光景がシュール過ぎなんだが。
窓から差し込んでいた夕日が、いつの間にか色を失い藍色に変わっていく。
しかし、なるほどな。
魔式って使う人によって、色々と姿を変えるのか。
「ちなみにだが、母氏。何文字ぐらい説明文で書いたんだ?」
「ふふふ、聞いて驚くがいいわ――」
パタパタとキッチンまで駆けていく母。
もう気にするのをやめた父が、寸胴鍋からカレーをすくっている。
そんな、我が家の日常を眺めながら、俺氏とメルローズはゆっくりとスプーンを運ぶ。口の中でお肉がとろける。遅れて広がる香辛料は、どこか和風に寄せられていて、ああカレーは日本の文化か、なんて意味不明な感想が脳裏をよぎった。
「美味しいですわね」
「ああ、美味い」
ちなみに母。しばらく経ってから携帯電話が無いと涙目で戻ってきた。
携帯電話なら、さっきから腰元に浮いているんだが。気づかなかったんだろうか?
「ではな、しっかりと寝るんだぞ」
「明日の朝。朝飯を作って待っているわね」
手を振る両親に手を振りながら、二件隣の新居に――。
「なあ、本当に2人で暮らすのか? 俺氏は、一向にかまわないんだが、いいのかメルローズ氏?」
「どんとコイですわよ。女は愛嬌、男は度胸なのですのよ?」
「それ、意味違くね!?」
二件隣だからあっという間に着く。
そうして玄関先でちょっとたたらを踏んでいる隙に、メルローズが扉の鍵を開けてこっちに振り返った。
夕闇の微かな光を受けて、プラチナブロンドの綺麗な髪が、フワッと広がった。
改めて、現実離れした美貌に見とれていると、首を傾げたメルローズがそっと手を差しのばす。
「ほら、篤紫氏。中に入りますわよ?」
「うん俺氏、マジ見とれていた」
「ふふふ。美女なんて、三日で慣れますわよ?」
「絶対に、そんな勿体ないことしないと誓う」
メルローズの手を取って、玄関に入って。
ふと思い出した。普通に帰ってきたけれど、忘れていたぞ――
「そういえば、マシキはどうしてんだ?」
「……あ、学校に置いてきたままですわね。どうしましょう」
「うーん――」
後ろ手で玄関扉を閉めつつ、腰元の携帯電話を掴む。そうして二人して、玄関に座り込んだ。
「マイに聞いてみようか」
「ああ、そうですわね。確かに、分かるかも知れませんわ」
そうして画面の中の、マちゃんねる式アプリをタップ。
『!』
アプリが開くと、画面に文字一つ。
しばらく見ていたら、一気に文字が躍り出した。
『ももも、申し訳ありません。ちょ、ちょっとぼっーとしていまして、まさかこんなに早くアプリが開かれるなんて――』
ものすごい早さで、文字が流れていく。
何だか新鮮で、2人でしばらく読んでいたら、反応がないことに気づいたんだろう。だんだんとゆっくりになっていって、止まった。
『えっと、私。何かやっちゃいました?』
「すごくいいですのよ、やっぱりマイはマイでしたわ」
『ふぇ!?』
何とも、反応が面白い。
まあ、先に本題か。
「なあ、マイ。マシキ知らないか?」
『マシキパイセンですか? それでしたら、今日は学校でお泊まり会だって、言っていましたよ』
……マジすか。




