0406 誰が波を抑えるのか
高次元において、沃土区陣営の天羽は、自らのスペースをせっせと運営している。
かつて、ある先輩が流浪の穿越怪に対して超戦争を仕掛けて以来、沃土区が担当する内線エリアは波風一つ立たない平穏な状態となった。このことは、天羽のスペースが自陣の時空傭兵に発行する任務のほとんどが探索任務であることからも見て取れる。
天羽は現在の探索は激しくない。もちろん、穿越システムとして、激しくない生活は安全だが、貧しい。前回の穿越モンスターたちとの戦争では、この貧しさは致命的だった。なぜなら、よく穿越モンスターが防衛線を突破していたからだ。変数を携行している場合、時空傭兵の数や質が足りないと、ある次元に引きずり込まれ、穿越モンスターとの直接対決に陥る可能性が非常に高い。いったん劣勢になると、自分の部分が次元削減されてしまう。
過去には、穿越モンスターがよく防衛線にやってきて破壊活動をするだけでなく、初代の穿越システムも肥沃な土壌区に侵入し、変数を略奪しに来たと言われている。肥沃な土壌区全体の防衛システムの中で、数十の古参の空間連合だけが初代穿越システムに抵抗できた。もちろん、その時代はもう存在しない。今の時期は、自ら防衛線を破壊する穿越モンスターは少ない。
しかし、天羽は突然、浅い廃墟区域の内線に設置された「フェンス」に、明白な破れ目ができているのを発見した。
天羽が周囲に侵入警報を発しようとしたその時、一人の老先輩が自分の目の前に現れた。
元一。「何をするつもりだ?」
天羽。「防衛区に破れ目ができた。穿越怪が侵入したに違いない。しかし、あなたがいるなら問題ない。戦闘に参加しようか?」
|演変《演変》。「情報を送る時は声をひそめろ。俺の獲物を驚かせて逃がしたら、俺は激怒するぞ。」
天羽はそこで初めて、沃土区のトップ富豪もここにいることに気づいた。天羽はすぐに、何か大きなことが起ころうとしていると悟った。
元一。「見ただろ、静かに、静かに!彼女はこの獲物を何度も追ってきたんだ。今は邪魔するな、さもないと彼女は善良という名の皮を剥ぎ取るぞ。」
そして、これは|演変《演変》の目を逃れなかった。|演変《演変》は柔和な高次元言語で元一のシステムに割り込んだ。「何を言ってるんだ?どうやら、俺に文句があるみたいだな。」
元一は即座に否定した。「いやいやいや、ただ考えていただけだ、あの男にメッセージを送って、彼(盧安)に注意喚起すべきかどうかをね。今は『フェンス』が破れている、隠れても無駄だ。『フェンス』が修復されない限り、向こうの空間はいずれあらゆる可能性を試すだろうからな。」
「垣根」が復旧すれば、天雲空間の探索は停止する。そうなれば、数万の時間線に潜伏する盧安は発見されず、無事で済む。しかし、今や二つの高次元存在の黙認の下、「垣根」が修復されることはない。沃土区の防衛線に侵入した天雲による、盧安の所在する位面への探索は際限がないのだ。
盧安は高次元での争いを知らない。もし知っていれば、すべての幻想を断固として捨て去っていただろう。今のように依然として迷いの中にいることはなかったはずだ。
「これこそが、君が貧しい理由だ」と、|演変《演変》は盧安の所在する位面を指し示した。「位置付け者の変数は明らかに十分だ。彼は生き残るために、介入者である天雲との矛盾は不可避であり、衝突は時間の問題に過ぎない。君の余計な横槍は、変数の鋭さを損な宇田けだ」
傍らの天羽は好奇の目を向けて尋ねた。「二人とも、何を話しているんだい?」
|演変《演変》ここで気を使っている元一は、サンドバッグを見つけて、すぐに不機嫌に応じた。「私たちは高価値の変数について話しているんだ、貧乏人だけが珍しいものを見て騒ぐんだ!」
沃土区の防御体系内では、貧乏を嫌い富を愛するこの「邪風悪気」がひどく吹き荒れている。もともと穿越怪たちの間の「純朴な」「民風」を誰が悪くしたかは、もう考証できない。
新米穿越システムの天羽は叱られた後、言い返す勇気がなく、「篭り」の近くにいてこっそり観察している。彼は盧安のいる次元のいくつかの隣接次元に変数を派遣し、それらの隣接次元の知性(創作家)の頭の中には盧安のいる次元の情報(文芸作品)が反映されている。
天羽はすぐに複数の次元から『宇宙の影』のストーリーを検索した。全部で数万作品(全て完結している打ち切りのない作品で、さもなければ数万では済まない。同人作品だけでも数億作品ある)。
天羽はストーリーを見終わって思わず尋ねた。「特に変わったところはないよ、君たちは誰を派遣したんだ?」
元一が天羽に大人しくするよう言い続けようとしたその時、|演変《演変》は年長者の姿勢で天羽を撫でながら言った。「しっ、よく見てなさい、口出しは控えて。年長者の能力、お前が万分の一でも学べば、一生役に立つぞ。」
血之壁小隊の介入により、「怠惰」は上海への輸送に成功した。そして今、他の輪廻者チームが流した噂は彼らを狙ったものではないが、彼らの計画を大変な注目の的にしてしまった。
血之壁の隊長である蘇傑は、南京の動画を見た後、チームメイトの前でこの件の背後で暗躍する輪廻者チームに対する怒りを十分に表明した。
「なるほど、そんなに早く宣戦布告してくるとはね…」蘇傑は薄ら笑いを浮かべて言った。
その後、蘇傑はチームメイトに命令した。「彼らが私たちに迷惑をかけるなら、私たちもお返しをしてやろう。」
蘇傑の一言で、輪廻者たちの知恵を競う戦いはますます激しくなった。
輪廻者たちの怒りに比べると、全世界はまるで沸騰したお湯に生石灰を投げ入れたかのように、沸き立ち始めた。
民主主義は良いものだが、民主主義の旗を掲げて、無責任に発言し、世論で無責任な主張をすることは、決して民主主義ではない。民権と民責が相応してこそ、民主主義と呼べるのだ。
情報時代において、事実によって誤りが検証されても、発言を撤回せず、謝罪しなければ、言葉は人を殺すことができる。
世論で人を殺すことは、人類の歴史において珍しくない。魯迅の『祝福』では、祥林嫂はまさに言葉によって殺された。『祝福』はフィックションだが、歴史上、白居易は詩詞で同じことをした。『感故張僕射諸妓』は、白居易の友人が亡くなった後、その友人の妓女出身の寵妾に向けて書いた詩である。彼は「なぜ夫の後を追って死なないのか。そうすれば貞節の美名が立つのに」と嘆いた。すると、關盼盼という名のこの妓女は、結局本当に絶食して死んでしまった。
盧安はすでに経験し、この世界の民主主義を標榜した無責任な感情の発散を、仔細に分析してもいた。
盧安は、普段人々が直接顔を合わせているときは、感情に満ちた考えを隠していることに気づいた。しかし、責任を負う必要のないプラットフォーム上では、人々はそうした感情を吐き出すのだ。
超能力者と非超能力者の間の矛盾は本質的に存在する——なぜ一部の人は生まれつき力を持ち、一部の人は持たないのか、なぜお前にはあって俺にはないのか。孟位がいる次元では、それは貧富の格差の矛盾である——なぜお前は裕福な家庭に生まれ、俺は貧しい家庭に生まれたのか?
この生まれつきの不公平への恨みは、成長とともに忘れ去る者もいる。例えば盧安だ。貧しくもなく裕福でもない家庭に生まれた者は、貧しさを知りながら裕福さも見て育つ。孟位は裕福とは言えない家庭に生まれた。だから、そういう者は、裕福すぎる家庭には裕福の悩みがあり、貧しすぎる家庭には貧しさの悩みがあることを理解し、ひいては人生を理解する。人生を理解した盧安は、ただ平和であればそれでいいと考える。
しかし、人によって違う。他人が持っているものをいつまでも気にかけ、自分が持っているものをないがしろにするため、こういう人々はとても疲れた生き方をしている。しかも、多くの人は他人の努力を無視し、一方的に心の中で自分の努力を誇張するため、不満でいっぱいになる。
今、社会のその不満が爆発した。
南京事件が発生するにつれて、政府がネット上で大規模に関連情報を削除したにもかかわらず、依然として大量の動画がネット上で流布している。多くのコメントが各フォーラムで吐露されている——一様に超能力者の社会への貢献が少なすぎると不満を漏らしている。
「納税者の金を使っているのに、十分な義務を果たしておらず、完全に権力者たちのために奉仕している。」
ほぼ60パーセントの人々がこのように不満を抱いてコメントを発表している。しかし、誰一人として、超能力者の生産力向上への貢献について擁護する者はいない。
残りの40パーセントの中でも、超能力者のために話すのではなく、批判の性質をさらに強めている。
そのため、次のような発言が現れた。「超能力者の強大な破壊力を考慮すると、すべての超能力者に監視装置の首輪を取り付け、犯罪を犯した者は遠隔操作で首輪の中の爆弾を起爆させるべきだ。」
これは非常に過激な発言だが、それでも誰も反対の声を上げなかった。
続いて、さらに過激な発言が現れた。
「超能力者を解剖し、彼らの超能力の原理を可能な限り解明し、人類の進化に貢献すべきだ」
この発言には、当然一部の人が間違っていると感じた。この世界の現在の人権理論に照らせば、絶対に批判されるべきだ。これはまさに第二次世界大戦中の親衛隊の非難されていた行為である。しかし、この世界では第二次世界大戦のドイツ軍国主義は清算されていない。処刑台に吊るされたのは、ウクライナ大飢饉を引き起こした赤露の戦犯、瓦西里·朱加什維利だけだった。インターネットでの発言には一切責任が問われないため、人々は感情に任せてこの暴力を称賛し、言葉の上で暴力を発散しても何の罰も受けず、自分が強者であるかのように振る舞う。少数の心優しい人々は、このような同類を解剖する考え方は不適切だとコメントしましたが、大量の暴力的なコメントに罵倒されて口を閉ざしてしまいました。
世論がこれほど極端である理由は、もちろんこれらの発言者たちが超能力を持っていないからです。超能力者はこうすべきだなどと語る時、彼らは感情をぶちまけているだけで、まるでトイレで大便をするように、出し終えれば立ち去ることができるのです。
数日のうちに、ネット上では魑魅魍魎が跳梁跋扈し、誰一人として言論の規範を打ち立てなかった。もちろん、言論の規範を再び打ち立て、世論の極端化を防ぐことができるのは政府だけだ。
そしてまさにこの出来事の時に、盧安は、前世の自分の政府と今生の自分の政府がもともと異なるタイプの政府であることに気づいた。
孟位がいる中国では、反日反米の波が日増しに高まる中、政府は法律を厳格に適用して人気取りで他者を傷つける者を厳罰に処し、同時に理性的な愛国心と職務への専念を繰り返し強調している。祖国が強くなるためには実践的な努力が必要であり、空虚な叫びではない。盧安は前世の政府が社会世論に設けた規範に慣れきっていたため、こうしたことが政府の役目だとは全く気づかなかった。今、盧安はこれこそが本当に政府が行うべきことだと気づいた。
盧安はじっくり考えた末に、ようやく理解した。これこそブルジョア政府の本質だ——態度表明が自らの利益を損なう場合、正誤にかかわらず、非常に煮え切らない態度を取る。ブルジョア政府はこの点において、生まれながらにして弱腰なのである。それはまるで、地球の二十一世紀における台湾の芸能人たちが、自分が統一を支持しているのか独立を支持しているのかを明確に表明できず、どちらかを選べば自らの人気が急落するのと同じだ。ブルジョア政府も同様で、自らの利益に関わる不利な状況では、非常に責任感に欠けるのだ。
四日後、海上演習が終了し、盧安は上海に戻った。そして、事態がさらに深刻化していることを知った。




