脱出手段
翌朝、薄暗い洞窟の中に立ち込める肉の匂いと、微かな冷気の中で琥珀が目を覚ました。
昨日までの死にそうな顔つきからは一転し、極上の肉と水分を補給したおかげか、彼女の肌には多少のツヤが戻っている。
「ねえ……仁さん」
琥珀が真剣な面持ちで俺に声をかけてきた。いつの間にか「あなた」ではなく、名前を呼ぶようになっている。
「私、いつまでもここにいるわけにはいかない。外の世界に帰らなきゃ。……このアースホールから脱出する方法、何か知らない?」
俺は岩棚から木刀を取り出しながら、特に思案することもなく淡々と答える。
「脱出か。方法は単純だ。あの飛竜に乗って、上空の黒雲を超えていけばいい」
「……え?」
琥珀は呆然と声を漏らした。
「飛竜に乗る……? ちょっと待って、それって空を飛んでるあの凶暴なドラゴンたちのことよね? どうやって乗るの!?」
俺は木刀を腰に差し、静かに洞窟の外へと歩み出た。琥珀が不審そうな顔で後ろをついてくる。
岩場の上に立った俺は空を見上げる。渦巻く黒雲の合間を、何頭もの巨大な影が旋回している。俺はおもむろに息を吸い込み、親指と人差し指を口に当てて、鋭く指笛を鳴らした。
ピューっと高音の振動が絶壁の谷間に木霊する。
次の瞬間、遥か上空で旋回していた影のうち、一際巨大な一頭が翼を翻した。暴風を巻き起こしながら、一直線にこちらへと降下してくる。身の丈数十メートル、黒銀の鱗に覆われた巨体。地上を壊滅させるレベルの超大型ドラゴンだった。
「きゃあああああっ!?」
琥珀が頭を抱えてしゃがみ込む。
だが、ドラゴンは俺たちの数メートル手前で音もなく着地すると、凄まじい風圧とともにその巨大な頭を低く下げ俺の前に静かに跪いた。
「……」
琥珀は怯えて目を丸くしたまま、その光景を凝視している。呆れたような驚くのも疲れたといった様子で、やがて「ハハハ……」と壊れたおもちゃのように引きつった笑いを浮かべている。
「……ドラゴンが……懐いてる……もう何があっても驚かないって思ってたのに……」
「認められればこうなる」
俺はドラゴンの鼻先に軽く手を触れながら言った。
「乗る方法は単純だ。力を示して従わせればいい」
「力を示すって……あんな化け物にどうやって勝てっていうの。私、一撃で消し飛ぶ自信がある!」
「このサイズを狙う必要はない。お前一人を乗せて飛ばすだけなら、小型のワイバーンでも十分だ」
俺は琥珀の方へ振り向き、その華奢な体躯を一瞥した。
「体重は何キロだ?」
「……は?」
琥珀は一瞬フリーズし、次の瞬間には顔を少し赤くして抗議の声を上げた。
「ちょっと! 女性に向かって体重聞くなんて、デリカシーなさすぎだよ!? セクハラ、セクハラ!」
「くだらんことを言ってないで答えろ。積載量の計算だ」
「もう……よ、四十代半ば……45キロくらい! でもここに来て食欲あんまりなかったし、減ってそうだから44キロくらいにはなってるかもなぁ、きっと……」
「身につけている武装や衣服も含めてだぞ?」
うんうんと自分に言い聞かせるように頷く琥珀に俺が冷静に指摘すると、琥珀は自分の胸当てや腰の装備、頑丈なブーツを見下ろした。
「え? あー……それも含めるなら、+10キロくらいじゃないかな……」
「ふむ。なら合わせて55キロ程度か。問題ないな。100キロ程度までなら、小さなワイバーンでも十分に上空まで飛べるだろう」
俺が納得したように頷くと、琥珀は眉をひそめて突っ込んできた。
「……ねえ、体重聞く意味あった!? 100キロまでいけるなら、絶対大丈夫でしょうに!」
「正確な数値を知りたかっただけだ」
俺は琥珀の喚き声を右から左へ受け流す。
「で、でも……小型って言ったって、ワイバーンでしょ? 私一人で勝てるかな……」
不安そうに小刻みに震える琥珀の手。
「さあな。お前がどれほどの腕前か知らん」
「……穴の中に置いてあった、あの神器使っていい?」
琥珀が洞窟の奥——あの聖剣アレスや妖刀阿修羅が転がっている場所を指差す。
「別に構わんぞ。好きにしろ。ただし、狙う個体は選べ」
俺は上空を指差した。
「狙うなら、グレーの毛並みで尾が細い奴だ。体色のあるやつは純粋なドラゴンで、グレーのやつがワイバーン。俺が勝手にそう呼んでいるだけだがな。ドラゴンはやたら強いからお前には無理だ。それと、尾の太さでおおよその年齢が分かる。細いほうがまだ幼く、力も弱い」
「……なるほど。グレーで、尾が細い飛竜ね……」
琥珀はゴクリと生唾を飲み込んだ。
地上へ帰るための、唯一の切符。
自分の力でその切符を掴み取る覚悟を決めたのか、琥珀の瞳に力強い光が宿り始めた。
「よし……やってやるわ! いつまでも仁さんに甘えてられないし!」
琥珀は洞窟へ戻ると、あの粗末に保管されていた聖剣アレスを抱えて戻ってきた。伝説の神器を手に彼女は呼吸を整える。
こうして、A級ハンター・白木琥珀の生き残りをかけた小型ワイバーン討伐への挑戦が始まったのだった。




