伝説の神器
「なんでそんなデカい虎かついでるのに… 歩く速度がさっきと全然変わらないじゃない」
背後から、肩で息をする琥珀の悲鳴めいた抗議が飛んでくる。
身の丈五メートル、体長十メートルを超えるカラミティタイガーの巨体を肩に乗せているため、確かに視界はあまり良くない。
「いいから、さっさと歩け。置いていくぞ」
「ま、待って! 待ってよ……」
無駄口を叩く余裕すらなくなった琥珀を従え、俺は淡々と山道を足早に歩いた。
ねぐらに到着した瞬間、琥珀は糸が切れた人形のようにドサリと岩肌へ倒れ込む。
「はぁ……はぁ……死ぬ……今度こそ本当に……死ぬ……」
荒い呼吸を繰り返し、胸を大きく上下させている。無謀な長距離の移動に加え、ここはアースホールの最深部だ。酸素濃度は地上より遥かに薄く、大気には毒性の強い瘴気が常時漂っている。ハンターとやらで身体能力が高いとはいえ、よくここまで体力を保たせた方だろう。
(……俺も、この環境で気にせず動けるようになるまで一年はかかったな)
身体が破壊されては再生し、内臓が腐食しては元に戻る作業を何千回と繰り返した記憶が、脳裏を掠める。今の俺にとっては呼吸すら意識しない日常だが、常人にとっては歩くだけで命を削る死界なのかもしれない。
「寝てる場合じゃないぞ。次は解体だ」
黒虎を洞窟の隅へドサりと投げ下ろし、俺は琥珀を見下ろした。
「お、鬼……悪魔……! やっと帰ってきたばかりなのに!?少しは休ませて…」
「肉が痛む。食いたいのなら動け」
「うぐぐ……っ」
琥珀は文句を吐き捨てながらも、腹の虫には逆らえなかったらしい。よろよろと膝を震わせながら、どうにか立ち上がった。
「……こんな巨大な怪物、どうやって解体するの? 普通のナイフじゃ皮すら通らないわよ?」
「奥の岩棚に解体道具がある。持ってきてくれ」
「解体道具?」
琥珀は不信感でいっぱいの顔をしながら、洞窟の奥へと歩いて行った。
直後——洞窟内に、今日一番の甲高い絶叫が響き渡る。
「きゃあぁぁぁっ!?? な、ななな、なにこれぇぇぇっ!?」
あまりの騒ぎように、俺は耳をほじった。
「騒ぐな。どれでもいいから持って来い」
「どれでもいいからって……あなた、これ……これ!!」
琥珀が引きつった顔で抱えてきたのは、古びた麻袋に突っ込まれていた二本の刃物だった。一本は眩いばかりの銀色の光沢を放つ西洋の大剣。もう一本は、禍々しい紫のオーラを纏った漆黒の太刀。
琥珀の手はガクガクと震え、目玉が飛び出んばかりに見開かれている。
「な、なんで……なんで『聖剣アレス』と『妖刀阿修羅』が、こんなゴミみたいに置かれてるのぉぉぉっ!?」
「ん?」
「ん? じゃないわよ! 両方とも歴史上数本しか存在しない、国家級の宝具『神話級アーティファクト』じゃない!!失われた伝説の武器たちが、なんでこんなところで雑に放置されてるの!?」
琥珀は叫びながら、剣の柄や鍔のあたりを必死に指差した。死ぬ死ぬ言ってた割にまだ騒ぐ元気はあるらしい。
「見てよこれ! S級ゲートの最深部からしか出土しない特別アイテムには、共通して独自のレリーフが刻まれてるの! 『ダンジョン七不思議』の一つ。ほら、こっちのアレスには完全武装した戦士のレリーフが描かれてて、こっちの阿修羅には三面六臂の鬼神の姿が刻まれてるでしょ!?」
必死な面持ちでレリーフをアピールしてくる琥珀に対し、俺は関心無さそうに頷いた。
「へえ。柄の模様なんて気にしたこともなかったな」
「世界中の大国やトップハンターが数百億円積んでも手に入らない至高の神器なのに…それを……まさか……」
琥珀の顔が急激に青ざめていく。
「もしかして……包丁替わりに使ってるの……?」
「落ちていたから拾ってきただけだ。刃こぼれもしないし、魔獣の骨も一刀両断できる。切れ味がかなり良くてな、解体用に愛用している」
「頭が痛い……世界中のハンターが泣くわよこんなの……」
琥珀が両手で頭を抱え、天を仰ぐ。
「そんなことはいいから、細い方を使ってまずここから右脇腹まで刃を入れてくれ」
「まさか初の神器でS級モンスターを解体するなんて……いつもは解体班にお任せだから分からないよ」
「早くしろ」
「はい……」
そこからは、琥珀にとってトラウマ級の作業が始まった。
数百億円の価値がある妖刀阿修羅を握らされ、十メートル超えのカラミティタイガーの皮を剥ぎ、肉を切り分ける作業。生温かい血の匂いと内臓の腐臭に、琥珀は何度も吐き気を催し、顔を真っ白にしながら刃を振るった。
「よし、これで終わりだ」
しばらくして洞窟内には綺麗に解体された巨大な肉の山が出来上がっていた。
俺は解体された肉の特定の部位——背ロースの最も脂が乗った綺麗なピンク色の部位を阿修羅で削ぎ落とすと、それを琥珀の目の前に差し出す。
「ほら」
「え……なに……?」
「肉だ。食え」
「……生で!? 生の肉なんて食べて大丈夫なの!? 寄生虫とか、毒とか……さっきまでの光景が…うっ……!」
琥珀が口元を抑え全力で身を引く。
「この部位なら、お前でもおそらくいける。ここらの魔物の肉は、下手に火を通すより生のほうが旨味が逃げん。……食わないなら俺が全部食うが?」
「食べます! 食べますから!」
空腹が限界に達していた琥珀は、覚悟を決めたようにぎゅっと目を瞑った。
そして、震える手で俺の差し出した生の肉片を受け取り、おそるおそる口へと運んだ。
シャク、と瑞々しい刃離れのいい音が響く。
「……っ!?」
噛みしめた瞬間、琥珀の動きが完全に止まる。
口内に広がったのは、臭みなど一切ない、濃厚で極上の脂の甘み。噛めば噛むほど上質な肉汁が溢れ出し、冷たく滑らかな舌触りが疲弊しきった喉を優しく通っていく。
「な……なにこれ……っ!?」
琥珀は目を丸くした。
「美味しい! 信じられない! 高級料亭の極上和牛どころじゃない……今まで食べたどんなお肉より美味しい……っ!」
一口、また一口と肉を噛み締めるうちに、琥珀の表情から恐怖と疲労が綺麗に消え去っていった。涙目に浮かんでいたのは、生き返った歓喜と純粋な感動だった。
「ふふっ……なにこれ、本当に美味しい……!」
あまりの美味しさに、ついには堪えきれず、ぽろぽろと涙を流しながら笑みをこぼし始めた琥珀。
俺はその様子を冷静な目で見つめながら、阿修羅で自分の分の大肉をドッサリと削ぎ落とし、口へと放り込んだ。
肉の旨味が口いっぱいに広がる。
まあ、確かに悪くない味だ。
残りの肉を焼いて平らげると、半分は地面を掘って作った保管庫に放り込み、俺はまた素振りを始めた。




