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不死罰の神楽〜死をも許されぬ地獄で到達者となった男は居場所を求める〜  作者: シマリス


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4/13

神楽仁の過去

血の匂いは嫌いじゃなかった。

むしろ、心を静めてくれるものだった。


俺——神楽仁かぐらじんは、かつて別の世界で生きていた。


暗い路地裏に湿ったコンクリート。煙草の苦い煙と安酒の匂い、そこが俺のすべてだった。


人を始末する代償に報酬を得る。それが仕事で、それが日常。罪だと思ったことは一度もない。社会の闇に蔓延る悪を始末する。俺にとってはそれだけの話であり、そこに個人的な感情など欠片もなかった。


「終わりだな」


その日は妙に静かだった。人気のない廃倉庫に呼び出された時点で、何となく想像はついていた。


これは仕事ではない。

自分という存在の処分なのだと。


背後からの気配に振り返るより早く、背中に激しい衝撃が走る。鋭利な刃が身体を貫き、灼熱の痛みが遅れてやってきた。


「悪いな。これも仕事だ」


聞き慣れた声だ。長年背中を預けてきた仲間の声。男は微かに笑っていた。


「……そうか」


それがかつて、もう一人の人間であった俺の最期の言葉だ。


怒りも、悲しみもない。裏切りなんて、この世界じゃ珍しいことでもない。ただ少しだけ、幕が下りるのが早かったなと。

そう思っただけだった。


視界が黒く塗りつぶされ、意識が底なしの暗闇へと沈んでいく。


そして気づけば、俺はどこでもない場所に立っていた。


上下も左右も、奥行きすらない純白の空間。そこに自分が存在しているという曖昧な感覚だけがあった。


「……俺は死んだはずだが」


自分の声はやけに鮮明に響いた。返答はすぐに来た。


『その通りだ』


どこからともなく重なり合う声。男か女かすら判別できない中性的な響き。感情のないその声に、俺は眉をひそめる。


「誰だ?」


『名乗る必要はない』


その返答を聞くと、俺はすぐに興味を失いかけた。だが、次の言葉で意識が戻る。


『お前は多くの命を奪った』


「だからどうした? 依頼を受けるかは内容次第だ。罪のない奴に手は出さない。誰かの私利私欲だけのために人を殺めたりはしない。それが俺のポリシーでな」


『理由にはならない』


淡々と断じられた言葉に俺は肩をすくめる。


「で? 地獄行きか?」


『似たようなものだ』


その言葉に、わずかに口元が歪む。どうでもよかった。今さら何を言われようと、己が歩んできた生き様が変わるわけでもない。


『お前には罰を与える』


その響きだけが、妙に胸に引っかかった。


「……罰?」


『三十年の不死』


一瞬、思考が停止する。

言葉の意味がすぐには咀嚼できない。


「……どういうことだ?」


『死ぬことはできない』


短く、逃れようのない宣告。


『そして——』


空間が不気味に歪み、何かに引きずり込まれるような絶対的な力が身体を支配する。


『最も過酷な地へ送る』


視界が爆破されたように崩れ、すべての音が消える。身体中の細胞が引き裂かれるような凄まじい感覚。


次に目を覚ました時、俺の眼前に広がっていたのは、太陽の光すら遮る巨木の原生林と、熱気を孕んだ紫色の毒沼、そして遥か彼方でマグマを噴き上げる巨大な活火山だった。鼻をつく強烈な腐臭と硫黄の匂い。


あの女が『アースホール』と呼んでいた、この場所だった。


最初の感想は単純だ。


「……ここは地獄か」


次の瞬間、頭上から巨大な影が襲いかかってきた。


人間としての反応速度では到底追いつかない速さ。凶暴な飛竜のカギ爪と牙が俺の身体に食い込む。


骨が砕け、肉が引きちぎられ、内臓が撒き散らされる。


そしてあっけなく俺は死んだ。


しかし。


「……なんだ?」


目を開けると、身体は元通りになっていた。肉体が破裂した凄絶な痛みだけが、鈍く記憶に残っている。


そして間髪入れずに、再び別の魔物が襲いかかってくる。逃げ場はない。抵抗する武器もない。生きながら肉を喰われ、頭から噛み砕かれる。何度も、何度も、何千回も、何万回も。


俺は死んだ。


死ぬたびに身体は元の場所で再生する。地獄のような激痛だけを残して。それをしばらく繰り返した頃、俺は理解した。


「……罰か」


死体と血の海の中で、俺は思わず嘲笑した。なるほど、よくできている。死ねないというのは、こういうことか。神か悪魔か知らんが、真綿で首を絞めるような悪趣味な拷問を考えたものだ。


そこからの俺の行動はシンプルだった。生き延びるしかない。どうせ死ねないのなら、何度も食い殺されるより、死なない方が確実に楽だからだ。


素手で殴り、喰われ、毒に焼かれ、首を刎ねられる。


死ぬたびに俺は魔物の動きを学習した。死ぬたびに効率的な体の動かし方を身につけていった。痛みで発狂しそうな意識を肉体の制御だけに集中させ、無駄な感情を一切削ぎ落としていった。


一年、五年、十年——。


耐えがたい激痛は徐々に薄れ、死ぬ回数が目に見えて減っていった。

そしてある日、ついに一線を超えた。


気づけば、俺は死ななくなっていた。

傷つかなくなっていた。


どんな魔物の鋭利な爪も俺の皮膚を傷つけられず、痛みすら感じなくなっていた。


かつて自分を何度も食い殺してきた魔獣たちが、今では俺の餌となり果てている。


そして今、俺は崖をくり抜いた静寂な洞窟の中で、ただ木刀を振っている。巨木を削って作った不恰好な一本の木刀。それを何百万回、何千万回と振り下ろす。


理由はない。意味があるかも分からない。

今できることが、それしかなくなったからだ。


思考を極限まで削ぎ落とし、ただ素振りという単純作業に没入する。そうしていなければ、静寂と狂気に飲まれてしまうからか。それとも、以前の自分に戻ることへの恐怖か。


「……あと何年だ」


何万回と唱えた台詞。もちろん返事などない。

だが、それさえどうでもよくなった。


終わりは来る。三十年経てば終わる。

ようやく本当に死ぬことができる。

やっと自由になれる。


それでいい。そのときまでここでひたすら木刀を振る。


(俺ができることは、そのくらいだ)


ブンと木刀が空を切り、静かな洞窟内に風切り音がひとつ響いた。


背後では拾ってきた栗色のポニーテールが小さく震えながらこちらを見つめている。


終わりまで、あとどれくらいなのか分からない。


だが、この静寂に満ちた俺の日常に場違いなノイズが一つ紛れ込んだ。この時は些細な変化だと、まだそう思っていた。


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