四話 ー手記ー 島民
「おーい、こっちじゃ」
不気味な音に驚き、立ち止まっていた私に祖父が声をかけた。
私は慌てて祖父の元まで走って行った。
「おじいちゃん、さっきの音って……」
そう言いかけたところで、日に焼けた体格のいい男性が、車から降り声をかけてきた。
「祐三さん、おかえりなさい」
「ただいま」
祖父は、斜め後ろに立っていた私のほうを示し、
「孫の裕司じゃ、よろしく頼むよ」
「君が裕司くんか、祐三さんに似て男前だな。
俺は鳴海 晃、祐三さんの家と畑を挟んで向かいに住んでいるんだ。 よろしくな」
晃さんが白い歯をのぞかせて、にかっと笑った。
「は、はじめまして……よろしくおねがいします」
突然話しかけられ、思わず肩に力が入り、ぎこちなく答えた。
「ところで裕司くん、歳はいくつ?」
「えーと、十五です」
歳を聞いた晃さんの顔が、なぜか急に強張ったように見えた。
「……十五歳か、うちの涼子と同い年だな。この六月で十五歳になる」
「そうだ祐三さん、引っ越しの荷物、家に運んでおきましたから」
話題を変えるかのように、晃さんは別の話をした。
「ありがとう。悪かったねぇ」
「いいえ、気にしないでくださいよ。 さぁ、乗ってください」
晃さんが、車の後部座席のドアを開けながら言った。
海沿いの道を抜けると、窓の向こうに何軒かの家と田畑が広がっていた。そこで畑仕事をする人の姿が見えた。
港から二十分ほど走ったところで、車が止まった。
そこには家が二軒だけ建っており、周りには田畑が広がっていた。不思議なことに先程までとは違い、人の姿はどこにも見当たらなかった。
(ここが祖父の暮らす家…)
石垣の切れ目から玄関まで、灰色の石畳が続いていた。その先に、木造の大きな古い平屋が見えた。
「このあと落ち着いたら、夕方うちに寄ってくださいよ。智子が夕飯作って待ってるんで」
車から降りると、晃さんが祖父に声をかけた。
「智子さんが? しかし、悪いよ…」
断ろうとした祖父に、晃さんが更に声をかけた。
「娘たちも裕司くんに会えるのを楽しみにしてますし、裕司くんの歓迎会も兼ねて」
「そうかい。 じゃあ、あとで寄らせてもらうよ」
そのあと、祖父と二人で晃さんの車を見送った。
玄関先まで行くと色褪せた表札に『佐伯』と書かれていた。
祖父は引き戸の鍵を開けると、戸をくぐって靴を脱ぎ、家の中へと入っていった。
手招きされ、私は慌てて戸をくぐった。その瞬間、お線香の香りが漂ってきた。どこか懐かしいその匂いを感じながら、靴を脱いで祖父のあとを追った。
「疲れただろう。 今お茶を淹れてくるから、座ってゆっくりしてなさい」
そう言われて通された畳の部屋の中には、テーブルと座布団、そしてテレビが置かれていた。
しばらくすると、祖父が湯呑みを二つ持って部屋に戻ってきた。
「熱いから気をつけてな」
温かい緑茶を飲むのは久しぶりで、一口飲むと、何だかほっとした。
「そうじゃ。引っ越しの荷物は、奥の部屋に運んでもらっているから、あとで案内するよ」
お茶を飲みながら、祖父が言った。
お茶を飲み少し休憩したあと、祖父は家の中を案内してくれた。
「ここは昔、お前の母さんが使っておった部屋じゃ。机や箪笥はそのままになっておるから、好きに使っていいよ」
積み重なった段ボール箱が置かれた部屋の前で立ち止まり、祖父が説明した。
その日の夕方、二人で晃さんの家へと向かった。
向かいに見える晃さんの家へは、畑をぐるっと回って行く必要があった。私は祖父の後ろをついて歩いた。
晃さんの家の前に着くと、祖父は引き戸を開け、中に声をかけた。
「おーい、邪魔するよー」
「はーい。 祐三さん、お待ちしてましたよ。さぁ、どうぞ中へ」
急ぎ足で、優しそうな笑顔を浮かべた女性がやってきた。
年は、亡くなった母と同じくらいに見えた。
「今日は色々と、すまないねぇ」
そう言いながら祖父は、靴を脱いだ。
「裕司くん、初めまして。智子です。疲れたでしょ、さぁ中へどうぞ」
「は、はじめまして…お邪魔します」
少し緊張気味に答えたあと、靴を脱いで、祖父の後ろに続いて廊下を進んだ。
襖の開いた部屋に入ると、晃さんが座って待っていた。
テーブルの上には、すでにいくつもの料理が並べられてあった。
「祐三さん、裕司くんいらっしゃい。どうぞ、座ってください」
晃さんに勧められて、祖父と私は座布団に座った。
少しして、智子さんと一緒に二人の女の子が入ってきた。
「裕司くん、この子が涼子」
晃さんにそう紹介されたのは、黒髪の長い子で、白い肌に大きな瞳が印象的だった。
「この子が妹の桜、十歳だ」
もう一人は、大きなリボンで髪を結び、頬にえくぼを浮かべていた。
「はじめまして」
涼子が小さくお辞儀をしてから座った。
桜は、涼子にくっつき少し恥ずかしそうに、もじもじとしていた。
「桜は、恥ずかしがり屋でね」
笑いながら晃さんが言った。
「さて、みんな揃ったことだし、乾杯しましょうか。
長旅お疲れさまでした。そして裕司くん、島にようこそ」
「乾杯」
私はオレンジジュースを一口飲むと、智子さんが用意してくれた料理を口に運んだ。
久しぶりに食べる温かい手料理で、どれもとてもおいしかった。
「裕司くんって中三なんだよね?」
「う、うん、そうだけど」
突然、前に座っていた涼子に話しかけられて私は驚いた。
「じゃあ、同じクラスだね。うちの学校、人数が少ないから学年ごとに一クラスずつしかないんだよね」
緊張していたせいか、そのあと何を話したのか、ほとんど思い出せなかった。
部屋には、ずっと大人たちの話し声が響いていた。
夕食を食べ終わってしばらくした頃、祖父が立ち上がった。
「いやー、どれもおいしかったよ。今日は本当にありがとう。そろそろお暇させてもらうよ」
「久しぶりに祐三さんと呑めて楽しかったですよ。また来てくださいね」
「裕司くんもね」
「ありがとう。じゃあ、行こうか裕司」
私も立ち上がると、祖父に続いて廊下に出た。
「また、学校でね」
玄関先で涼子が大きく手を振っていた。
晃さんたちに見送られ、祖父と私は家に帰った。
この日は、祖父の隣に布団を敷き眠った。
夜中、トイレから戻ってくると、
『うぅぅぅ———うぅぅぅ———』
遠くの方から、また何かが唸るような不気味な低い音が聞こえてきた。
(……またあの音だ)
気になって耳を澄ましてみたが、そのあとは何も聞こえてこなかった。
祖父は静かに眠っていた。
「いったい、何の音なんだろう……」




