第3話:『帝立銀行の女帝 ――利息は命で払っていただきます』
「……美しい。実に合理的な造りだ」
帝立バレンシア銀行。その巨大な吹き抜けのロビーに立った私は、感嘆の息を漏らした。
大理石の柱、緻密な装飾が施されたカウンター。だが、私の視線が捉えているのはそんな装飾ではない。行員たちの無駄のない動き、絶え間なく響く金貨の計数音、そして空気中に漂う「信用」という名の微かな熱気だ。
私が前の王国で必死に守り、そして最後には解体したあの不採算組織とは、基礎体力が違う。
だが、この美しい「心臓」には、致死性の血栓が詰まっている。
「ど、どちら様でしょうか。ここは一般の窓口ではございませんが」
「本日付で皇帝陛下より『特別監査役』に任命されました。クロエ・フォン・アインツベルンです」
私は、アラリックから預かった金色の委任状を提示した。
受付の男の顔から血の気が引く。帝都に響いた昨夜の「門番処刑(法的抹殺)」の噂は、すでにここにも届いているらしい。
「そ、総裁は奥の執務室におりますが……あいにく、本日は多忙でして」
「結構です。案内は不要。あと、彼の『多忙』は今から五分後に『絶望』に変わりますから、お気になさらず」
私は動揺する職員たちを無視し、重厚な扉を蹴破らんばかりの勢いで……いえ、優雅にノックもせず開け放った。
執務室の中には、丸々と太った男がいた。帝立銀行総裁、ヴァン・ホーセン。
彼は上質なワインを片手に、何枚もの書類に「承認印」を叩きつけていた。
「なんだ、貴様は! 礼儀を知らんのか!」
「礼儀を語る前に、算術を学んではいかがですか、総裁」
私は彼の手元にある書類の一枚を、指先で弾いた。
「この『東部街道整備事業』への融資計画。利率が市場平均より〇・八%も低い。しかも、担保に設定されているのは数年前に廃村になった土地の権利書ですね。……端的に申し上げて、横領の証拠です」
ヴァン・ホーセンの動きが止まった。豚のような目が、私を睨みつける。
「……フン。昨夜、門で騒ぎを起こしたという亡命令嬢か。皇帝陛下の覚えがめでたいからと、銀行の流儀に口を出すな。これは『必要悪』というものだ。軍や貴族との円滑な関係維持のためのな」
「『必要悪』。無能が好んで使う、最も非合理な言葉ですね」
私は彼の机に歩み寄り、空いている椅子に勝手に座った。
「貴方が行っているのは『円滑な関係維持』ではない。将来の金利収益をドブに捨て、身内の懐を肥やす『資産の毀損』です。……総裁、貴方の任期中に発生したこの種の不透明な融資、総額で三千万ゴールドに達します」
「なっ……なぜそれを! 帳簿は厳重に管理されているはずだ!」
「厳重? 笑わせないでください。貴方の提出した表面上の報告書、数字の『一の位』に不自然な偏りがありました。ベンフォードの法則をご存知ですか? 恣意的に捏造された数字は、統計学的な分布から必ず外れる。……貴方の嘘は、計算するまでもなく、紙面から浮き上がって見えたんですよ」
私は手元の魔導計算盤を一度も叩かなかった。
ただ、彼が隠していた「裏帳簿」の所在を、銀行内の魔力フローの澱みから予測し、核心を突いた。
「警備兵! この不届き者を外へ連れ出せ!」
ホーセンが叫ぶ。だが、扉の外に控えていたのは銀行のガードマンではなく、アラリック直属の『黒衣の憲兵団』だった。
「……陛下から言付かっております。クロエ殿の『計算』に従え、と」
憲兵の言葉に、ホーセンが椅子から転げ落ちる。
私は冷たく彼を見下ろした。
「さて、清算の時間です。総裁」
「ま、待て! 私を罷免すれば、この銀行の決済ネットワークが止まるぞ! 貴族たちへの配当も、軍への給与支払いも、私にしか分からぬ『影の鍵』が必要なのだ!」
彼の言う「影の鍵」。それこそが、アラリックが懸念していた「影の銀行」のコントロール権だろう。
複雑な魔導暗号で守られた、非正規の決済システム。
だが。
(……ああ、これのことですか)
私のポケットの中で、母の形見である『錆びた印章』が、これまでにないほど激しく熱を帯びた。
まるで、主人の帰還を喜ぶ忠犬のように。
「鍵なら、今この瞬間に再構築しました」
「な、何を馬鹿な……! 数百年かけて築いた暗号だぞ!」
「数百年? 私にとっては三分のパズルに過ぎません。……たった今、貴方の管理下にあった全隠し口座の凍結を完了。さらに、その資金はすべて『皇帝直轄の特別復興基金』へと振替処理を行いました。ついでに言うと、貴方の個人口座にあった裏金一千万も、手数料として全額徴収済みです」
私が指を鳴らすと、背後の魔導モニターに「残高:0」の数字が並んだ。
「ひ……、ひいいいいい!」
「利息は命で払っていただく、という契約書にはなっていませんが……横領罪と国家反逆罪の合算で、残りの人生を強制労働で返済していただくことになります。……ああ、安心してください。貴方の労働力としての価値も、しっかり『減価償却』して使い潰してあげますから」
憲兵たちに引きずられていくホーセンの叫び声を、私は事務的に聞き流した。
嵐が去った後の執務室。
私は深くため息をつき、豪華な椅子に深く身を沈めた。
心地よい沈黙。だが、私の視線は手の中にある『錆びた印章』に釘付けになっていた。
錆が、剥がれている。
先ほどの暗号解読の瞬間、印章の一部が黄金色の輝きを取り戻していた。
そこに刻まれていたのは、今は亡き「伝説のギルド連合」の紋章――ではない。
(これは……中央銀行の、さらに『根源』を示すコード?)
その時、開け放たれたままの扉から、一人の男が入ってきた。
アラリックではない。
白一色の法衣に身を包んだ、優男。
王国で私を追放したあの王子、ジュリアンの側にいたはずの聖教会の使節だ。
「……お見事です、クロエ・フォン・アインツベルン。まさか一夜にしてバレンシアの『闇』を飲み込むとは」
「……聖教会のネズミが、何の御用ですか。ここには貴方たちの欲しがる『祈り』も『奇跡』もありませんよ。あるのは冷酷な数字だけです」
「いいえ、我々も数字は大好きですよ。特に……貴方のその印章が示す、『神の負債』という名の数字がね」
男の目が、蛇のように細められた。
私の脳内で、警報が鳴り響く。
この男の背後には、王国の腐敗や帝国の横領など比較にならない、巨大な「損失」が隠されている。
どうやら、私の新しい職場は、予想以上に「ブラック」な現場だったらしい。
私は手帳を取り出し、新しいタスクを追加した。
【最優先事項:聖教会の資産調査、および不法侵入への損害賠償請求】
受けて立ちましょう。
この世のあらゆる理不尽を、私は帳簿上の「ゴミ」として処理してみせます。
クロエ、帝立銀行を「物理」ではなく「論理」で制圧!
「ベンフォードの法則」を持ち出すあたり、彼女の事務能力はもはや異能の域ですね。
そして、母の形見である「錆びた印章」が、単なるギルドの鍵ではなく、より巨大な「世界のシステム」に関わっていることが示唆されました。
現れた謎の聖教会員。
彼は、クロエが王国を捨てた本当の理由……そして「魔力の枯渇」の真実を知っているのでしょうか?
次回、第4話。
『聖女の祈りは経費で落ちますか? ――宗教法人への強制査察』
「祈り」を「コスト」として斬り捨てる、クロエの真骨頂が炸裂します!
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