第2話:『帝国財務官の初出勤 ――まずは不備のある契約書から』
「……それで。この馬車の維持費は、どこの名目で落としているのですか?」
揺れる黒い馬車の中、私は対面に座るバレンシア帝国の皇帝、アラリックに問いかけた。
彼は組んだ足の上に肘を置き、面白そうに目を細めている。
「いきなりそれか。普通は、助けてくれたことへの礼や、これからの待遇について訊くものではないのか」
「礼なら契約書の『年俸一割引き下げ期間(三ヶ月)』で支払い済みです。待遇については、今まさに確認しているところですよ。馬車一台の減価償却費も把握できていない組織に、私の身の安全を預けるのはリスクですから」
私は手元の魔導計算盤を叩く。
帝国の馬車は、元の王国とは比較にならないほど高性能だ。振動を打ち消すサスペンション、気密性の高い魔導障壁。だが、それらはすべて「コスト」として跳ね返ってくる。
「この馬車、魔石の消費効率が最適化されていませんね。進行方向への重力分散が甘い。今の経路なら、あと四パーセントは燃費を改善できます」
「……ほう。見て数分でそこまで断じるか」
「数字は嘘をつきませんから」
アラリックは短く笑い、背もたれに体を預けた。
彼の瞳には、女を見る情欲ではなく、極上の『道具』を手に入れた職人のような、冷徹な光が宿っている。
それでいい。
熱烈な求愛など、計算外のノイズでしかない。
私が彼を選んだのは、彼がこの大陸で最も「数字の価値」を理解している男だと踏んだからだ。
「クロエ。貴様の初仕事は、帝都に着く前に始まっている」
「ほう、サービス残業ですか?」
「報酬は出す。俺の帝国は今、表面上は空前の好景気だ。だが、内実は腐った果実と同じでな。膨れ上がった軍事費と、肥大化した官僚機構が、国家予算という名の栄養を食い潰している」
アラリックが差し出してきたのは、一冊の分厚い報告書だった。
表紙には『帝国財務中間報告』とある。
私はそれをめくり、数秒で眉をひそめた。
「……酷いですね、これは」
「感想を訊こう」
「報告書としての体を成していません。この三項目の支出、計算が合いませんし、使途不明金が全体の十二パーセント。これを書いた人間は、算術の基礎を忘れたか、あるいは――」
「あるいは?」
「帝国そのものを、横領の舞台にしているか。どちらにせよ、私の基準では『即刻クビ』です」
アラリックの口角が吊り上がった。
その時、馬車が大きく揺れて停止した。
窓の外からは、威圧的な叫び声が聞こえてくる。
「止まれ! ここは帝国第一騎士団の管理区域だ。いかなる馬車であっても、通行証のないものは――」
どうやら帝都の検問所に到着したらしい。
だが、この馬車には皇帝の紋章が刻まれている。本来、止めることなど不可能なはずだ。
アラリックは動かない。私を試している。
『この程度の障害、貴様の数字でどうにかしてみせろ』というわけだ。
私は溜息をつき、馬車の扉を開けて外に出た。
そこには、重装備の騎士たちが十数人、槍を構えて立っていた。
「……夜分に失礼。第一騎士団の皆様。通行を妨げる法的根拠を提示していただけますか?」
「なんだ、この女は? ここは軍の直轄地だ! 女子供の通る道ではない!」
私は無視して、騎士団長らしき男の胸元にある紋章を指差した。
「その鎧、最新型の『バルカ式』ですね。先月の予算案では、一領地につき一〇〇組の配備が承認されていたはずです。ですが、今ここで私が見る限り、貴方たちの装備は型落ちの『セスタ式』の改造品。……差額の八〇〇〇ゴールドは、一体どこへ消えたのでしょうか?」
騎士たちの動きが、ピタリと止まった。
団長の顔が、見る間に青ざめていく。
「な、何を……出鱈目を……!」
「出鱈目かどうか、今ここで貴方たちの備品台帳と私の暗算を照合しましょうか? 三〇秒で終わりますが、その結果次第では、貴方たちの明日の朝食はパンではなく鉄格子になりますよ」
私は懐から、先ほどアラリックから渡された『中間報告書』をひらつかせた。
「私は本日付で帝国財務官に就任した、クロエ・フォン・アインツベルンです。私の仕事は『不採算部門の切り捨て』。……さて、貴方たちは帝国にとって『必要な資産』ですか? それとも『処理すべきゴミ』ですか?」
静寂が支配する。
騎士たちが顔を見合わせ、震える手で槍を下ろした。
彼らは理解したのだ。目の前の女が、剣よりも鋭く、魔法よりも確実に自分たちを殺せる『数字』という武器を持っていることを。
「……通れ。……通して差し上げろ!」
団長の絞り出すような声と共に、重いゲートが開いた。
私は馬車に戻り、扉を閉める。
アラリックは、満足げに喉を鳴らした。
「見事な手際だ。騎士のプライドを、一瞬で『帳簿上の損失』に変換したな」
「プライドなど、腹の足しにもなりませんから。それより陛下、一つ確認が」
「なんだ」
私は、座席に置いていた『錆びた印章』に指を触れた。
先ほどの検問を通る際、この印章が微かに熱を帯びたような気がしたのだ。
「この国には、公式の帳簿には載っていない『隠し口座』が存在しますね?」
「……ほう。なぜそう思う?」
「騎士たちの横領、あれは彼らの独断ではありません。もっと巨大な、システム的な『吸い上げ』が行われている。……陛下、貴方が私を呼んだ本当の理由は、帝国を黒字にすることではなく――」
私は皇帝の目を真っ直ぐに見据えた。
「――帝国を食い潰している『影の銀行』を、私に潰させること。違いますか?」
アラリックの瞳に、この日初めて、獲物を狙う猛獣のような愉悦が宿った。
彼は私の顎を軽く持ち上げ、囁いた。
「正解だ。ようこそ、地獄の会計局へ。……報酬は、望むだけくれてやる」
どうやら、ソファで眠れるのは、まだ先のことになりそうだ。
私は冷え切った思考をフル稼働させ、帝都の灯りを窓越しに見つめた。
クロエ、帝国に上陸。
助けてもらった「お姫様」になるつもりは毛頭なく、初日から騎士団の不正を暴いていくスタイルです。
皇帝アラリックも、彼女を「守るべき対象」ではなく「最も鋭い刃」として扱うあたり、二人の関係は普通の恋愛とは一線を画しています。
そして、クロエが気づいた帝国の闇。
「影の銀行」とは一体何なのか?
彼女の持つ「錆びた印章」がなぜ反応したのか?
次回、第3話。
『帝立銀行の女帝 ――利息は命で払っていただきます』
クロエの「実務無双」がさらに加速します。
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