第18話:『海上保険の創設 ――嵐のリスクは確率論で回避可能か』
「……三、二、一。はい、デモ終了です。解散してください」
軍港の広場。私は懐中時計を閉じ、目の前で泣き叫ぶ水兵の家族たちに冷たく告げた。
広場には数百人の民衆が詰めかけ、新大陸遠征の凍結を求めていた。
「夫を死なせるつもりか!」「魔法のない海に行くなんて自殺行為だ!」「血も涙もないのか!」
投げつけられる罵声。そのすべてが、私の脳内では『ノイズ』として処理される。
「血の成分は鉄分と水分、涙は塩分です。……それらを流して、この遠征の『期待収益率』が〇・〇一%でも改善されますか? されないなら、その行為は完全な無駄、資源の浪費です」
「なんだと……! この魔女め!」
激昂した一人の男が石を投げようとした瞬間、アラリックが私の前に立ち、その鋭い視線だけで男を硬直させた。
彼は不敵に笑い、私を振り返る。
「クロエ、貴様の正論は時に剣よりも人を殺すな。……だが、民の不安は放置すれば暴動になる。どう清算するつもりだ?」
「暴動は、不確実な未来への『恐怖』から生まれます。……なら、恐怖を『確定した利益』に置換すればいい」
私はライラに合図を送った。
彼女は、ドレイク提督の四十年に及ぶ航海日誌から算出した『リスク管理シート』を巨大な掲示板に貼り出した。
【帝国海上保険・第一号モデル】
・出航一回あたりの遭難確率:三・二%(ドレイクの全航海データより算出)
・死亡時の補償金:現給与の二十年分(帝国が全額保証)
・無事帰還時の特別ボーナス:純利益の〇・五%を分配
ざわめきが広がった。
二十年分の給与。それは、魔法が消えて貧困に喘ぐ彼らにとって、一生かかっても手にできない巨額の「資産」だ。
「……提督のデータを解析した結果、嵐の発生率と海域の危険度は統計的に制御可能です。……諸君。貴方たちの夫や息子が海で死ぬ確率は三・二%。ですが、何もしなければ、この不景気で路頭に迷い、餓死する確率は一五%を超えています。……どちらが『マシな投資』か、計算できないほど無能ではありませんね?」
私は、震える手で石を握っていた男に一枚の書類を差し出した。
「【帝国海上保険契約書】。……署名しなさい。貴方の夫が帰れば金貨の山、万が一のことがあっても、貴方の家族は一生食いっぱぐれない。……私は『命』を救うとは言いません。ですが、貴方たちの『生活』を数字で保証します」
男は、そして周りの家族たちは、魔法にかかったように書類を凝視した。
「神の加護」などという不確かなものではなく、クロエ・フォン・アインツベルンが署名した、血も涙もないが「絶対に不渡りを出さない」契約書。
一人、また一人と、罵声が「署名の音」に変わっていく。
恐怖は、今や「合理的な取引」へと昇華された。
「……完璧だ、ボス。志願者が予定の二〇〇%を超えたよ。逆に定員オーバーで、選考コストがかかりそう」
ライラが呆れたように、しかし尊敬の眼差しで計算盤を叩く。
「選考基準は『計算能力』と『規律遵守』を最優先に。……感情で動く人間は、嵐の夜に真っ先にミス(損失)を生みますから」
私はドックの中央に鎮座する、漂着した「無人船」のブラックボックスへと戻った。
解体が進み、その中枢部が露出している。
黄金の印章を近づけると、鉄の表面に流れるような発光パターンが現れた。
【プロトコル:監査】
【受信データ:貴文明ノ『計算速度』ヲ計測中……】
私は目を見開いた。
これは、ただの事故で漂着した船ではない。
新大陸の「主」が、こちらの文明レベル――特に、世界をどれだけ正確に『把握』できているかを測るための、高度な「試金石」だ。
「……面白い。陛下、向こうの経営陣は、私たちが重力消失のパニックで自滅するのを特等席で眺めていたようですよ」
「フン。その眺望の対価は高くつくぞ」
アラリックが私の横で、無人船の金属板を指先でなぞった。
「それで、次のタスクは何だ、財務官」
「……新大陸側の『論理体系』へのハッキングです。……彼らが数字で世界を統治しているなら、私はその帳簿の『隙間』を見つけ出し、全ての権利を買い叩く準備をします」
私は手帳に、今夜の不眠作業リストを書き込んだ。
【項目:新大陸言語の統計的解析。および、対・未知文明用の『敵対的買収スキーム』の策定】
愛やロマンで海を渡る必要はありません。
私が大陸間に一本の「太い帳簿」を引き、そこから流れる全ての利益を帝国へ、そして私の元へと回収する。
不眠症は、ついに星の裏側にある「未知の計算」にまで侵食を始めていました。
クロエ、ついに「命」を金融商品化!
「海上保険」という概念を導入し、人々の不安を「期待収益」で上書きする姿は、まさに実務系令嬢の真骨頂。
「死んでも二十年分の給与」という具体的すぎるメリットで反対派を志願者に変えるシーンは、皮肉でありながら最高の解決策ですね。
そして、無人船が「文明レベルのベンチマーク機」だったという衝撃の事実。
新大陸側は、最初から帝国を「監査」していた。
クロエは、自分と同じ、あるいはそれ以上の「合理主義者」たちと戦わなければなりません。
次回、第19話。
『出航の決算報告 ――さらば不採算な旧大陸』
ついに艦隊が出航。
旧王国の惨めな後始末を終え、クロエは水平線の向こうにある「真の利益」を目指します。
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