第17話:『老提督の引退勧告 ――「勘」を「統計」で書き換える作業』
「……三秒で、その不快な声を止めてください。作業効率が落ちます」
帝都の軍港、特別ドック。
漂着した「無人船」の解体現場には、私の冷徹な声と、老人の怒号が交互に響いていた。
「抜かせ、小娘が! この道四十年の俺の勘が、この船は『呪われている』と言っているんだ! バラすべきじゃねえ、今すぐ海へ叩き返せ!」
目の前で顔を真っ赤にしているのは、帝国海軍の生き残りにして、大陸一の航海士と謳われるドレイク提督だ。
魔法が消え、浮遊船が墜落した今、唯一「帆と風」で海を渡れる老兵として、彼は現場の全権を握っているつもりらしい。
私は、手に持った魔導計算盤を一度も見ずに、彼を査定するように見つめた。
【対象:ドレイク提督】
【現状:典型的な経験則依存。新しいシステムへの拒絶反応。】
【対応:過去のデータの完全否定による、権威の無効化。】
「ドレイク提督。貴方の言う『勘』の正体を教えましょうか。それは不完全な記憶から生じる、ただの『認知バイアス』です」
「なんだと……!?」
「昨夜、貴方の過去四十年の全航海日誌を精査させていただきました。……ライラ、例の集計結果を」
船体の金属を削っていたライラが、煤まみれの手で羊皮紙の束を放り投げた。
「はい、ボス! 集計完了。ドレイク提督の航海における『直感』の的中率、平均すると五一%。……ねえ、コインを投げて決めるのと、ほとんど変わらないよ?」
ライラの淡々とした指摘に、ドレイクの頬が引きつる。
私はさらに一歩踏み込んだ。
「特に、二十年前の『嵐の回廊』での遭難。貴方はあれを『海神の気まぐれ』として日誌に綴っていますが、当時の潮位と気圧、そして近隣の島々の観測データを再計算した結果、あれは単なる『偏西風の計算ミス』に過ぎません。……提督、貴方のせいで死んだ三十二人の水兵は、神に殺されたのではない。貴方の『算術の甘さ』に殺されたのです」
ドックに沈黙が降りた。
周囲の若手航海士たちが、息を呑んで提督の顔色を伺う。
ドレイクは拳を震わせ、今にも私を殴りそうな形相で呻いた。
「……計算だと? 海を、数字で測れると思ってんのか……!」
「測れないのは、貴方が測る努力を怠ったからです。……さて、提督。貴方の時代はこれで終わりです。引退の準備を。これからの航海は、ロマンや勘ではなく、『最適化された物流』として運用されます」
私は解体された無人船の、信じられないほど滑らかな金属の表面を指差した。
「この船の船底を見てください。水の抵抗を数理的に極限まで排除している。帆を張るための支柱すらない。おそらくこの船は、海流のエネルギーを直接『計算』して、推力に変換している……。……提督。貴方が命がけで渡った海を、この船の持ち主は『効率的なベルトコンベア』として扱っているのですよ」
ドレイクは、膝をつくようにして船体に手を触れた。
その目は、もはや怒りではなく、理解不能な存在への「畏怖」に染まっていた。
「……これを、誰が造った……。人間じゃねえ。……こんなもんを造る奴らが、海の向こうにいるのか……」
「それを確かめ、契約を結び、あるいは買収しに行くのが私の仕事です。……提督。貴方の『経験』のうち、海流の癖や島々の位置に関する『事実』のみを、ライラに提出してください。それ以外は、すべて不要なコストです」
私は背後で縮こまっていたジュリアンに視線を送った。
彼は新造船の資材リストを握り、ペンを震わせている。
「ジュリアン。資材の入荷状況は?」
「あ……はい! 鋼材一万トン、石炭五千トン、すべて……すべて誤差なく届いています! ……クロエ、君は本気なのか? 本当に、この鉄の塊を浮かべて、海の果てまで行くつもりか……?」
「鉄が浮くかどうかは、神の奇跡ではなく『排水量』の問題です。……さあ、作業を再開してください。一分遅れるごとに、新大陸での利権が金貨百枚分、他国に流出すると考えなさい」
私は解体現場の奥へ進んだ。
船の中央部、そこには最後まで解読不能だった「ブラックボックス」が残されている。
黄金の印章を近づけると、鉄の表面が微かに明滅した。
【言語:未定義】【論理:非ユークリッド幾何学に基づく会計体系】。
……どうやら、新大陸の住人は、魔法を捨てた私たちよりもはるか先に、「実務」の極致に到達しているようです。
「面白い。……帝国が『蒸気』に辿り着いた瞬間に、これですか」
私は手帳の新しいページに、最も鋭い筆致で書き込んだ。
【次期課題:漂着船の「自律航行システム」の逆コンパイル。および、新大陸側の『通貨概念』の事前予測。】
不眠症は、ついに海を越え、異次元の帳簿へと手を伸ばし始めていました。
クロエ、現場の「老害」……失礼、ベテラン提督をデータで粉砕!
海という不確実性の象徴を「物流ルート」として定義し直す姿は、まさに新時代の幕開けを感じさせます。
ライラの毒舌も、ドレイク提督のプライドを削るのに最高のスパイスでした。
しかし、明らかになった「無人船」の超技術。
帆も魔法も使わず、計算だけで海を渡る存在。
新大陸にいるのは、クロエよりもさらに「冷徹な合理主義者」たちなのか?
次回、第18話。
『海上保険の創設 ――嵐のリスクは確率論で回避可能か』
死すらも「コスト」として計算し、大陸初の「保険制度」を立ち上げるクロエ。
果たして彼女は、海を「安全な投資先」に変えられるのか?
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