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第四話:……来ないの?

 四月も終わりを迎えようとする頃。


 月末ということもあり、仕事に追われる慌ただしい日々が続いていた。


「そうですね、私も〇〇さんには△△社の方が合っていると感じます。職務経歴書をもう少しこうしてみましょうか……」


 四月最後の金曜日。

 もう人影もまばらになった静かなオフィスで、私は求職者の相談に電話で乗りながら、PCに向かってキーボードを叩き、面談のログや今後のアクションを次々と入力していた。


 顧客の就職や転職をサポートし、企業と結びつける。

 それが私の仕事だ。


 ピッ。

「ふーっ……」

 長引いた電話がようやく終わり、無機質なオフィスチェアの上で凝り固まった背中を大きく伸ばした。


 壁の時計を見ると、時刻はまもなく二十一時を指そうとしている。


 さっきまで電話で使っていた社用の端末ではなく、自分のスマホの画面をタップすると、十分ほど前に不在着信が入っていた。


 杏奈からだ。


 周りに人がいないことを確認して、すぐにかけ直す。


「もしもし、杏奈? 電話くれてた?」

『あ、澪? まだ仕事中?』


 電話の向こうの杏奈の背後からは、ガヤガヤとした喧騒が聞こえてくる。

 それに、少しふにゃっとした、酔っ払っている時の声だ。

 どこか居酒屋で飲んでいるのだろう。


「んー、ちょうど今、最低限のことは終わったところ!」

『じゃあ飲まないー? 場所送るから!』

 基本的に人の誘いには、特にお酒の誘いとなると異常にフットワークが軽い私は、「うん! いいよー」と二つ返事でOKして通話を切った。


 デスク上の資料を片付け、PCの電源を落としながら、ふと手が止まる。

(ん? 杏奈、誰といるんだ?)

 聞きそびれたことに今更気づいた。

 まあ、頻繁に集まる高校のバレー部のメンバーとかだろう。


 軽く化粧を直すため、バッグを持ってトイレへと向かった。

 廊下を歩きながらスマホを確認すると、さっそく杏奈からメッセージが届いている。

 お店の場所だろうと思いながらトーク画面を開いた。


『実は、芦田くんが呼んでって言ってきたの!!!』


「えっ?」

 画面を見た瞬間、ピタリと足が止まり、思わず間の抜けた声が漏れた。


(あ……芦田くん!?)


 画面を開きっぱなしにして固まっていると、ポンッと次のメッセージが続く。


『藤崎くんから急に誘われてお店に来たら、芦田くんもいて。……芦田くん、澪に会いたがってる気がする』


(…………いやいやいや)

 ドクン、と大きく跳ね上がった心臓を必死に押さえつける。

『あ、お店ここね』

 送られてきたURLを開くと、前回みんなで飲んだあのダイニングバーとかなり近い場所だった。


 頭の中が混乱したまま、いつの間にか着いていたトイレの大きな鏡を覗き込む。

 今日の私は、襟のないオフホワイトのブラウスに、テラコッタオレンジのワイドパンツという、完全に「お仕事モード」の格好だ。


(……この格好で、大丈夫かな)


 鏡の中の自分をまじまじと見つめ、少し崩れた前髪を直そうと手を伸ばしかけて――ハッとして首を横に振った。


(いやいや、変に意識しすぎないで! フェードアウトしようって決めたのに……!)


 パンッ、と両手で自分の頬を軽く叩き、浮き足立つ気持ちを無理やりシャキッとさせる。


 大丈夫。ただの飲み会だ。

 動揺しているのを悟られたらダメだ。


 私は大きく深呼吸をしてから会社を出て、夜の駅へと向かって歩き出した。


 ◇


「いらっしゃいませー!」


 和食系の居酒屋らしい、引き戸タイプのドアをガラガラと開けると、威勢のいい店員さんの声が飛んできた。

 藤崎くんの名前を伝えると、店員さんが奥の個室へと案内してくれた。


「……おー! お疲れ」

 ふすまを開けると、スーツのジャケットを脱いでワイシャツの袖をまくっている藤崎くんが声をかけてくれた。


「お疲れさまー……って、杏奈寝てるし」

 藤崎くんの隣の席では、杏奈がすでに机に突っ伏して、夢の中を彷徨っている。


 そして彼女の向かい側には――。

「…………」

 グラスを手に持ったまま、無言でこちらを見つめて目で挨拶をしてくる芦田くんの姿があった。


 この前よりラフな印象の、ブラウンの柔らかそうな前開きシャツを着ている。


「さっきまで頑張って起きてたんだけどな」

 藤崎くんはすやすや眠る杏奈を見てニコニコと嬉しそうにしている。

 やっぱりこの人、確実に杏奈のこと気に入ってるよね。


(……ていうか、どうしよう)


 四人用の掘りごたつ席。

 空いているのは、芦田くんの隣だけだ。


 いや、仕方ない。

 ここで躊躇したら逆におかしい。

 一瞬頭の中でパニックを起こしたものの、私はなんとも思っていない風を一生懸命に装いながら、彼の隣に腰を下ろした。


「……仕事、忙しかったの?」

 すぐ隣から、低くよく通る声が鼓膜に響いた。


 ついこの間、何度も耳元で聞いたそのトーンに、心臓がバクバクと音を立てて鳴り出した。


「あっ、いや! そうでもないんだけど。やっぱり月末はバタバタするっていうか……」

 彼の顔をまともに見られないまま、宙を泳ぐ視線でしどろもどろに答える。

「だよなー、俺も。高梨さん、何飲む?」

 藤崎くんが激しく同調しながら、向かいの席からメニューを差し出してくれる。

「えっと……ビールで!」と答えると、藤崎くんが少しふすまを開け、外を通りがかった店員さんに大声で注文を伝えてくれた。


「てか、君たち仲良くなったの? さっき史人が『高梨さんも呼んだら』とか言うからさ。こいつがそんなこと言うの珍しいなと思って」

 半分ほど減ったハイボールのグラスを揺らしながら、藤崎くんが何気ないトーンで爆弾を投下してきた。


 藤崎くんが超演技派でもない限り、この屈託のない様子を見るに、私たちが一線を越えたことなど微塵も察していなさそうだ。

 だからこそ、私は焦って挙動不審になってしまう。

「あ、うん! 前回、隣の席で話して……ね!?」

 必死の思いで同意を求めようと隣を向く。


 すると彼は、テーブルに頬杖をつきながら、無言でこちらを見ていた。

 少し目を細め、私の慌てふためく様をひどく面白そうに眺めている。


(いや……そこはフォローしてよ!!)


 心の中で激しくツッコミを入れながら、ちょうど運ばれてきたビールを店員さんから受け取り、乾杯もそこそこにゴクゴクと喉に流し込んで強引に誤魔化した。


 ◇


「……でさ、その時史人に呆れた目で見られてー」

「あはは、そりゃそうだ」

 高校三年の時の藤崎くんと芦田くんの面白い昔話を聞きながら、私は笑っていた。


 芦田くんは時々、的確で短いツッコミを入れるくらいで、基本的にあまり喋らない。


 杏奈はずっと机に突っ伏して寝たままだった。

「そろそろ行く? 坂本さん起こさないとな」

 腕時計を見た藤崎くんが切り出す。

「たぶん、三杯も飲み切ってないと思うんだけど……」と苦笑しながら、藤崎くんは優しく「おーい」と杏奈の肩を揺すった。


 私も、自分のグラスに残っていたハイボールを飲み干そうと持ち上げた。

 その、瞬間だった。


「…………!」


 テーブルの下に下ろしていた私の右手に、上からそっと被せられるようにして、大きくて温かい手が重なった。

 息を呑んで隣を盗み見る。

 その手の主である芦田くんは、頬杖をついたまま、こちらを一切見ずに黙って前を向いていた。


(ちょ、ちょっと……!!)


 他の二人に見えないテーブルの下での出来事に、私は心の中で静かに制止の声を上げる。

 しかし、彼は素知らぬ顔で私の抗議を無視した。


 それなのに。

 戸惑う心とは裏腹に、彼に包み込まれた私の手のひらは、まるで最初からそこが居場所だったみたいにぴったりと収まってしまっている。


 あの夜のいろんな感触がフラッシュバックして、全身の熱が一気に上がりそうになる、その時――。


「……やばい。また寝てた。あ、澪来てた」


 ようやく杏奈が目を覚まし、今日初めて私の存在を認知した。

 ビクッとして、私は慌ててテーブルの下の芦田くんの手を振り払うようにパッと離した。

「ははっ、じゃあ出るか〜」

 何も気づいていない藤崎くんの明るい声に促され、私たちは個室を後にした。


 ◇


「じゃあ俺、坂本さんと方向一緒だから途中まで送ってくね!」

「ごめん、ずっと寝てて……!」

 駅の改札前。

 なんだかんだ嬉しそうな藤崎くんと、まだ少し眠そうな目で謝る杏奈を見送る。


「バイバーイ」

「……あっ、おやすみー!」


 二人の背中に向かって手を振り、見えなくなったところで、ふと無言の空間が落ちた。

「…………えっと……」

 目の前に立つ芦田くんにも別れの言葉を告げようとして、口ごもっていると。


「…………っ」


 不意に、再び手を握られた。

 今度は、さっきの個室の時みたいにただ上から包み込むような触れ方じゃない。

 私の指の間を縫うように、しっかりと指を絡ませて握り込まれた。


 芦田くんは、その繋いだ手をグッと引っ張り、私の身体を自分のすぐそばへと引き寄せる。

「え、ちょっ……」

 突然の至近距離に戸惑って彼を見上げると、駅構内の電灯に照らされた彼の深い瞳が、真っ直ぐに私を射抜いていた。


「……来ないの?」


 頭上から降ってきた、短くも甘い響きを持った声。


(ああ……もう……)


「フェードアウトする」なんて決意は、いとも簡単に崩れ去っていく。

 指を絡め合って繋いだ手が、まるで「ここから離れたくない」と私自身の代わりに叫んでいるように感じた。


「…………」

 私は、彼の引く手に逆らうことなく。


 そのまま引き寄せられるようにして、再び彼の部屋へと向かってしまうのだった。

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