第十三話:……あ、好きというわけではないんだ
トイレの前の廊下で芦田くんと二人でいたところを、藤崎くんに見つかってしまった。
芦田くんの目配せに従って慌てて先に会場へ戻ったものの、彼がどうやって誤魔化したのだろうと気が気でなく、入り口をチラチラと気にしていた。
しかし、しばらくして戻ってきた芦田くんは何食わぬ顔で、藤崎くんもさっきと変わらぬ笑顔だったので拍子抜けした。
どう説明したのかはわからないけれど、芦田くんはいつものあの気怠げな調子で、うまくはぐらかしたのかもしれない。
気まずいハプニングはあったものの、同窓会の楽しい時間はあっという間に過ぎていき、ラストオーダーの声がかかる。
「えーっ、早いねえ」
三年の時同じクラスだった女の子と盛り上がっていたので、お互いに残念がる。
「話し足りないし、今度飲みに行こっ!」
「行く行く!」
そう笑顔で約束していたら、ふと入り口の方角に目をやった彼女が目を細めた。
「え……あれ、河合じゃない?」
「……え?」
振り返ると、その言葉のとおり、拓巳が立ってこちらを見ていた。
「……なんでいるの」
近くにいた杏奈が、私の心の声をそのまま代弁した。
最後に会った、五年記念日を祝おうとしていたあの日。
いつも穏やかな時間を過ごしていた彼の部屋。
そこにいた見知らぬ女の子と、尋ねてきた私を見て顔面蒼白になり狼狽する彼の姿が、フラッシュバックする。
固まる私を見つけ、彼が歩み寄ってきた。
「……今さら何の用?」
私の前に立ち塞がるように身を寄せて、杏奈が低い声を出す。
「……ごめん。ずっと返信なかったけど、どうしても話したくて……」
拓巳が、消え入りそうな声で小さく言ってきた。
「……私は、話すことないから」
彼の目をまともには見ず、冷たく返す。
さっきまで楽しくおしゃべりしていた元クラスメイトの友達は、急に空気が重たくなったこの状況に、隣でややオロオロしている。
「……せっかくの場で、こういうことしないでよ」
「それはごめん。でも、こうしないともう会えないと思って……」
すがるように言う彼に、私が何かを言い返すより早く、杏奈が私の手を引いた。
「あんたが帰らないなら、私たちが帰るから」
杏奈は拓巳をキッと睨みつけ、そのまま私を連れて会場を後にしてくれた。
◇
拓巳は一応、追いかけてはこなかった。
「澪、大丈夫? 勝手なことしてごめん」
ビルを出て、私の顔をのぞきこみながら杏奈が心配そうに聞いてくる。
「ううん。あのままいたらキレちゃいそうだったから、助かった」
私は力なく微笑み返した。
「もー、あいつ。どの面下げて来たのよ!?」
隣で杏奈がプンプン怒ってくれているのが、少しだけ救いだった。
結局私たちはそのまま、真夏の午後のアスファルトの熱気の中を駅に向かって歩き、改札で別れてそれぞれ帰路についた。
一人で乗る帰りの電車の中。
スマホが震え、芦田くんからメッセージがきた。
『この後も来る?』
いつもの、短い誘い。
正直、会いたい気持ちはあった。
けれど、それ以上にさっきの出来事の精神的な疲労が勝っていた。
『ごめん、今日は自分の家に帰るね』
そう送って、揺れる車内でそっと目を閉じる。
思えば、彼からの誘いを断ったのは、今日が初めてだった。
◇
――パタン。
自分の家に着き、バッグをベッドの上にポンと放り投げた。
「……ふう」
(疲れた)
息を吐きながら、ゴールドのピアスを外して机の上に置いた。
手を洗った後、フローリングに腰を下ろして、スマホを開く。
芦田くんからの返信が入っていた。
『じゃあ、俺がそっち行く』
「えっ?」
思わず、スマホの画面に向かって声を上げる。
受信時間を見ると、もう三十分以上経っていた。
(今から!? やばい!)
部屋を見渡して血の気が引く。
慌ただしい平日の一週間のあと、芦田くんの家に向かい、そのまま同窓会に行ったわけで。
片付けるタイミングが全くなかった私の部屋は、見事に荒れ果てていた。
大慌てで腰を下ろしたばかりの床から立ち上がり、部屋の窓を開けて空気を入れ替えながら、優先順位を考えつつ猛スピードで片付けと掃除を進めていった。
◇
――ピンポーン。
チャイムが鳴り、モニターを見ると芦田くんの姿が映っていた。
オートロックを開けると、まもなく再び玄関のチャイムが鳴り、ドアを開ける。
「……よ」
さっきまで同窓会で知らん顔をし合っていた彼が、そこに立っていた。
「あ……いらっしゃい」
彼を部屋に招き入れ、パタン、とドアが閉まる。
(……なんとか間に合ったかな)
最低限片付いた部屋をチラッと確認して安堵する。
彼がここに来るのはまだ三度目なのだが、部屋の空気にスッと馴染むように、ごく自然にベッドの端に腰掛けた。
この暑さの中でのお酒の後なので、グラスに冷たい麦茶を二つ注ぎ、一つを彼に手渡す。
受け取りながら、彼は私の方を見ずに、グラスを見つめたまま口を開いた。
「……元彼だよな? さっきの」
その言葉で、先ほどの修羅場を思い出して苦笑いする。
「あ、うん。まさか来るとは……」
「顔、初めて認識したわ」
「高校の時から、結構見た目変わったしね」
大学生以降にかなり垢抜けた彼を思い出す。
美容院や服装のことを相談されて、一緒に考えたりしてたっけ。
「…………」
芦田くんが前を見つめながら、黙って麦茶を飲み干した。
「おかわりいる?」
空のグラスを見て尋ねると、「いや、大丈夫」と返ってきたので、グラスを受け取った。
「……連絡きたりしてんの?」
探るような、低い声で聞かれる。
「あー、うん。でも、返してない。私は話すことないし」
拓巳の残像を振り切るように、私も麦茶を一気に飲み干した。
二つの空のグラスをテーブルに置き、彼のほうに向き直った瞬間。
「っ」
ぐっと腕を引かれた。
そのままベッドの上に倒れ込み、彼が覆い被さるように私を見下ろしている。
あっという間に身動きがとれなくなった。
「……家に来たりはしてない?」
至近距離で、質問を続けられる。
「あ……うん、それは今のところ、ないかな。家は知られてるわけだし、来ようと思えば来られちゃうけど……」
そこまでしたらやばいやつだと、さすがの拓巳も弁えているのだろうか。
いや……今日のも私的には、ありえないけど。
そんなことを考えていると、芦田くんが顔を寄せ、唇が触れるか触れないか、一ミリくらいまでの距離まで近づいて言った。
「危ないし、俺の家住めば?」
「…………へ?」
唐突すぎる提案に、意味がわからなくて変な声が出る。
何その冗談。
「いやいや、何言ってるの」
私が慌てて言うと、彼は至極当然のような顔をする。
「どうせ週末、ほとんど俺の家いるじゃん」
「いや……そうだけどさ」
(そういうことじゃなくて)
彼の声のトーンは別に真剣な感じでもなく、いつもと変わらない様子で話しているような感じだ。
適当な冗談なのだろうか。
私は思い切って、踏み込んだことを言ってみることにした。
「……付き合ってるわけでもないし」
「じゃあ、付き合う?」
即座に返ってきた言葉に、また「えっ?」と驚いて彼を見る。
(え……『付き合う』って……)
「俺は、どっちでもいいけど」
いつも通り落ち着いて、気怠げにそんなことを言う彼。
「……芦田くん、私を好きなの?」
「…………」
黙ったまま私を見下ろしている彼。
待っていても、答えは返ってこなかった。
(……あ、好きというわけではないんだ)
少しだけ浮かれそうになった自分を、冷静に制する。
やっぱり、そうだよね。
身体の相性が良くて、一緒にいて都合がいいから、『どっちでもいい』っていう感じだよね。
「……まあ、元彼のことは気にしないで」
虚勢を張って、平静を装って言った。
彼は、「……ふーん」とだけ呟いて、そのまま有無を言わさずいつもの熱に私を沈めていった。




