003
「わたしは、今までずっとお父さんの──香月一の娘として扱われてきました。
「父がベストセラー作家というのもあるのでしょう。
「わたしはずっと甘やかされて、ちやほやされて、期待されて生きてきました。
「でも、わたしはそれが嫌だったのです。
「持つ者だけが言えること。
「恵まれた者だけが言える愚痴。
「そう言われるかもしれないから、そんな本音も言えません。
「実さん。あなただから本音を言います。
「本当のことを言います。
「わたしは──小説を書きたくありません。
「小説家にはなりたくありません。
「小説家志望の実さんを前にして言うのは少し失礼かもしれませんが、しかしながら言わせてもらいます。
「わたしは小説と小説家が嫌いです。
「わたしがあなたの書いた小説に──すべての小説にもですが──ことあるごとに文句を言うのはそんな背景もあるのです。
「かと言って、あなたの小説が少なからずともいいものとは言えませんでしたけれど。
「勘違いされると困るのですが、わたしは小説のことが嫌いですが、小説を見極める『審美眼』だけはあるつもりです。
「話が逸れました。話を戻しましょう。
「小説を書きたくない。
「以前わたしもあなたと同じように小説を書こうとしたことがありました。
「書こうとはしました。
「実際、書けると思っていたのです。
「小説家の娘ですから。
「ベストセラー作家の娘ですから。
「そんな楽観など一瞬でなくなりましたけれど。
「わたしに小説を書く才能はなかったのです。
「面白い話はいくらでも思いつくのです。
「それだけでもすごいことだとは思います。
「実際あなたにはなかったのですから。
「しかしながら、わたしが持っていないものもあなたは持っているんですよ。
「わたしにはあった才能。
「あなたにはなかった才能。
「わたしにはなかった才能。
「あなたにはあった才能。
「前者はもちろん、ストーリを作り出す才能です。
「後者は小説家が、小説家志望が持っていて当たり前のものなのです。
「文章力。
「わたしになく、あなたにはあった才能です。
「小説家が小説家たる、最も原始的で、最もわかりやすい、ゆえん。
「わたしには文章力がありませんでした。
「学生らしく言えば、国語が、作文が非常に苦手だったのです。
「あなたは以前、自分が速筆だという話をしていました。
「しかしわたしは驚くほど遅筆でなのです。
「関係ないような話をしているように見えるかもしれませんけれど、これは重要なことです。
「小説家として、大切なことなのです。
「実さん。
「わたしはあなたの作品をストーリーがダメだと貶しました。
「その意見は撤回できるものではありませんが、それでもあなたの作品に、作品たちに褒めるところがなかったわけではないのです。
「あなたの文章力は決して劣ることがありませんでした。
「今まで何作も作品を読んできましたが、少なくとも一部分は文章力が落ちるところがありました。
「それは父にも共通していることです。
「香月一にも共通していることです。
「あなたの師匠にもあったのです。
「文章力が著しく低下した部分が、明らかに落ちていた部分があったのです。
「しかしながら、あなたにはそれがありませんでした。
「万人が持っているはずの病をあなただけが克服した。
「いえ、わたしが確認していないだけでもっといるのかもしれません。
「そうだとしてもです。
「あなたはわたしにとって初めて文章力が低下していなかった小説家志望だったのです。
「だから、あなたは小説家になれます。
「わたしがなれなかった、いえ、なろうとしていなかった小説家にあなたならばなれるかもしれません。
「期待外れだったわたしではなく、才能があると思いこんでいたわたしではなく、必死に努力してきたあなたが、小説家になって大成せしめてください。
「目的を持つものと、目的を持たずにただ、期待に押し潰されていた人間との差をしっかりつけてください。
「それがわたしがあなたに頼む相談事のうちの一つです。
「申しわけありません。
「もう一つあるのです。
「なにも相談するのが、わたしが願うのが一つだけとは言っていません。
「そんなことを言ってもしょうがありませんが、わたしにはもう一つ相談事があるのです。
「相談事。
「こちらが本当の相談事と言ったほうがいいでしょう。
「勇気さんについてのことです。
「わたしが恋する勇気さんのことで相談事があるのです。願い事と言ってしまってもいいかもしれません。
「わたしにとって──失礼とは思いますが言わせていただきます──先ほどの相談内容など前座、前菜でした。
「あくまでもわたしにとってです。
「話が逸れました。
「いえ、わたしが逸らしたのです。あなたの文章を読んでいるからでしょうか。わたしにも少しばかり変化が訪れたのです。
「この通り、話をしていると余計な方向にも注意が言ってしまい、なかなか本題に入れないのです。
「いえ、あなたが責任を感じる必要はありません。
「それに気づいたこともあります。
「あなたの文章がなぜ、何度も何度も横道に逸れ続けるのか。逸れ続けて脱線するのか。
「おそらく、あなたは自分の発言をほぼ全部回収しているのだと思います。回収と言いますか、フォローと言いますか。
「そう、フォローです。
「あなたは自分の発言や思考が誤解されないように、間違って解釈されないようにフォローしているのだと思います。
「あなたがこのことをどう思っているかでわたしの予想は間違いとなるので、それこそ誤解だったということになるので、今はなんとも言えませんが、相談事が終わったら答え合わせをしましょう。
「答えがあるのかは定かではありませんけれど。
「本当に脱線してしまいました。
「今回は必要な脱線だったとは思いますが、これ以上は脱線しないように気をつけなければなりません。
「本題です。
「わたしが鬼頭勇気さんを好きな理由から話しましょうか。
「勇気さんはわたしを香月一の娘ではなく、ただの麗として見てくれたのです。
「ベストセラー作家の娘ではなく、なにもない無印のわたしとして。
「わたしにとってそれが一番の幸せだったのです。知らかなったのでもない、知っていて、わたしを、わたしをわたし自身として見てくれたのです。
「わたしは惹かれました、彼の心に。
「ライバルが大勢いることもわかっています。
「しかし、わたしは勇気さんと一生を終えたい。
「だから、実さん。
「わたしに協力して頂けませんか?
「わたしの告白の手伝いをして頂けませんか?
「勇気さんの親友だから協力をお願いしているわけじゃあありません。
「あなただから。
「誰よりも思考を巡らし、言葉にするあなただから頼むのです。
「いえ、こんな頼み方ではダメですね。
「ダメダメです。
「もっと深く突っこんで説明しなければ、承諾のしようもないでしょう。
「これはもともと承諾を頂いてから話すつもりのことでしたが……。
「わたしは勇気さんへの告白方法に直接、告白する。という方法を取りたいと思っています。
「意外ですか?
「そもそも、わたしが勇気さんを好きなことが意外でしょう。
「わたしとしては、勇気さんの親友であるあなたに気づかれなかったのであれば、満足です。
「だって、それは勇気さんに気づかれていないのと同じですから。
「もちろん、あなたが異常なまでに鈍感だという最悪の可能性も残っていますが、さすがにそこまではないと思っています。
「そこまではないですよね?
「わたしも意外なのです。
「小心者のはずのわたしが直接面と向かって告白するという大胆な行動に出ようと思うなんて。
「絶対にありえない。
「絶対には言いすぎだったかもしれません。
「でも、意外だったことだけは確かです。
「わたしはわたしが人を好きになるなんてありえないと思っていたんですから。
「わたしは今まで人を好きになったことがないのです。
「つまるところ、これが初恋です。
「だから、どうしたらいいのかわかりません。
「恋愛小説は読みました。
「この際、内容のよさは一切考えず、ただの参考資料として読んでみました。
「実際に参考にはなりました。
「これを参考と言っていいのかどうかは、わたしにはわかりません。
「しかしながら、少なくとも告白の後押しにはなりました。
「それは逆説的に後押しにしかならなかったとも言えますけれど。
「それでも後押しはされました。
「告白することさえ不確かだったわたしの恋をここまで──あなたに相談しようと思うまで、昇華させてくれたのですから、参考資料は参考になったと言えます。
「上から目線すぎますね。
「…………。
「これにて前提条件──この言い方は正しいかどうかはわかりませんが、おそらくこの表現でいいのだと思います。かっこ、あなたの真似です、かっことじ──はすべて話し終えました。
「すみませんが、これから少し無茶を言います。
「いえ、そこまでの無茶をさせる気はありません。
「これは相談事ですから、あなたに途方もない無茶な要求をするつもりはないのです。
「お願い事ですね。
「これ以上引っ張ってもなにも始まりませんし、なにも伝わりません。
「あなたふうに言えば、『端的に言おう』といったところでしょうか。
「端的に言います。
「わたしに小説の書き方を教えてください」




