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「あなたの作品はストーリーがダメです」
僕の作品をそう言って真っ向から否定してきたのは香月麗という小説家の娘だった。
僕にとっては師匠の娘であるが、この言葉を言われた段階ではまだ師匠ではないため──そもそも出会っていないため──師匠ではなく小説家、香月一の娘である。ちなみに長女だ。
師匠の娘──区別するのが大変なので以後はこちらで統一しよう──が言ったことは実に核心を突いていた。核心を突きすぎていて、もうなにが核心なのかわからない。
まあ、端的に言ってしまえば僕はストーリー作るのが苦手だ。物語るのが苦手なのだ。
僕は師匠の文章に憧れて自分もこんな文章を作りたいと考えていた。
それが完全に裏目に出た形だ。文章に憧れるあまり、師匠の文体に憧れるあまり、小説を単純なるストーリーとして味わえなくなってしまったのだ。
この言い方だと師匠のせいみたいに思われるかもしれないので、言い方を変えよう。
僕はストーリーを読まなくなった。
小説は読んでいた。
しかし、それは文章に酔いしれること以外の意味を持たなくなっていたたったそれだけの理由ではないのだろう。
なにかの事件が起きたとき、その要因が──原因がたった一つだと考えるものが、まったく事件を解決できないのと同じように、ストーリーを読まなかったことだけが僕のダメダメなストーリーの理由ではない。
思い返してみると、僕はもともとストーリーを作るのが苦手だったのかもしれない。
僕にはテーマがないから。
僕には小説を読んだ人の心に響くようなテーマを持たないから。
テーマがすべて人の心に響くものだっていう考えはテーマがない僕の憧憬なのかもしれないけれど、それでもテーマ──伝えたいこと、とも言えるだろう──が小説において、小説を書くことにおいてとても大切で、必要不可欠で、僕には絶対に必要なものだということは、わかっている。
だから、僕のストーリーはつまらない。
そしてテーマがないから小説を書くことに「詰まらない」。
僕の速筆もおそらくそういうところからきているのだろう。テーマがないから迷わない。テーマがないから単調なストーリーになっていることにも気づかない。
彼女が言いたいことはつまりそういうことなのだろう。
僕が推し量れる彼女の思考はその程度でしかない。
そもそも僕と彼女は別々の個体であり、それぞれにおいて違う発想をしているのだから、意見が一致することはあっても彼女の心を完全に読み取るなんてことは俄然できそうもない。
僕がそうだからと言って、みんながそうである保証は一切ない。
それもまた君たちと僕の思考が一致するなどありえないからだ。
素質も才能も僕とは雲泥の差がある者もいるだろう。だから、僕はこう言いたい。
僕本来の感情を覗き見ることができている君たちはとても特別な状況にいると。
いや、もしかしたら特別な状況にいるのは君たちじゃなく僕なのかもしれない。まあ、そこのところは僕にはわからない──いや、本当のところわかっているのだけれど──ので、君たちの判断に任せるとしよう。任せて、判断を委ねてみるとしよう。
「ストーリーがダメ……」
なんとなくつぶやいてみる。しかしながら、そんなことでストーリーを書く技術が上がるわけでもなく、即座にストーリーを考えろ、というようなことを罵倒付きで言われた。
まあ、そのお言葉はもっともなものなのだけれど、そこまで強い口調で言われてしまうと傷ついてしまう。僕はあまり傷つかないように見えて傷つきやすいのだ。これは親友ですらも知らない情報である。
そんなことなど、親友は知らなくていい。知っていても親友は絶対に気遣わないからな。いや、むしろそれを知ってこそ傷つけてくる可能性が高い。
一度考えた可能性はなかなか頭から離れないもので、むしろ高いどころか、その可能性しかないと勝手に脳が思いこもうとしている。
思いこんでしまったらもう二度と思いこむ前には戻れない。
そんなことなどよくわかっている。しかし、これは僕に問題があるのではなく、常々そんなようなことを思われる行動をしている勇気にあると思う。
まあ、僕にもないとは言えないけれど、その多くが勇気のせいであるのは、勇気が原因になっているのは確かなことであり、絶対に変えられないことでもある。
「ストーリーなんて早々思いつくものでもないんだ」
「今まで何作品も書いてきたのにですか?」
相変わらず丁寧すぎる言葉遣いに自然に敬語で対応してしまう口を心で抑えつけて、麗の疑問を解消すべく、言葉を紡ぐ。
麗は周りにいる人のしゃべり方を変えてしまうほどの影響力を持つ言葉で話すため、他人の干渉を受け付けない者や、従うことへの反感を覚えている者以外、全員を敬語にしてしまう。勝手に麗を敬ってしまう。
ちなみに前者が勇気で、後者が僕だ。
まあ、勇気の場合は干渉を受け付けないのではなく、しっかりとした自分自身を持っているということなのだろうけれど。僕の場合は……うん、反社会的な人間ということだ。
「今まで何作も書いていても、ストーリーには詰まるんだよ。それに、さっき君も言っていたように、僕のはストーリーじゃない」
「ストーリーはダメだとは言いましたけれど、そこまでは言っていないです」
僕としてはそれは十分に同じだと思う。
まあ、いつまでもこんな話をしてもつまらない。この二章は二節で終わっているのだ。今話しているのは余談であり、三章への接続話以上の意味を持たない。
僕と麗による最後の打ち合わせ。
十月三十日深夜に行われている最後の打ち合わせなのだ。
なんの打ち合わせなのか、それは三章にて紹介するので今は気にしないでただそんなことがあったというだけ理解してほしい。考察もしないで。あと数ページもしないうちにそんな謎は謎でもなんでもなくなる。しかも今まで話していた内容は大して明日のことには関係がない。
関係ないなら書かなければいいじゃないかって?
残念ながらそんな考えは間違っている。
いや、間違ってはいないのだけれど僕たちの物語を読む点においてはそれはまったくもって間違っているということになる。間違って、間違いまくっているのだ。
僕たちの物語は無駄で構成されている。必要なシーンなど少量しかないのだ。
僕は必要なシーンこそ書かないタイプであるのでもしかしたら、僕の思っている以上に絶対必要なシーンが削られているかもしれない。
無駄こそ一番すばらしい。決してそんなことなどはなけれど、無駄が時間を潰す上で一番相応しいことには変わりない。無駄であるからこそ、時間は過ぎていく。退屈な時間よりも無駄な時間をおくるべきだと僕は思う。
退屈と無駄。
この二つにどんな違いがあるのかは僕としてもそう簡単に決められることではないのだけれど、それでも、なにかをするのは悪いことじゃあない。
もしかしたら、無駄じゃなかった、なんてそう思えるようなことがあるかもしれない。
ゼロより一を。
ゼロと一には、一と二よりも絶対で絶大な究極的な差が、差異があるように、退屈と無駄にも大きな差がある。
言うなれば、退屈よりも無駄を。停滞よりも行動を、である。
「ところで、明日は大丈夫かい?」
唐突に訊いてみる。
まったくもって無駄な行動だ。大丈夫に決まっている。大丈夫じゃなかったら彼女は僕と電話で──そう言えば、言い忘れていた。僕と麗は今、電話している。携帯電話越しに話しているのだ。例え近所だと言っても深夜に押しかけるとか失礼にもほどがある──話していられるわけがない。
「もちろん大丈夫です」
この声の調子からして、本当に大丈夫なのだろう。僕は心のなかでこっそりと安堵する。僕が安堵というのも珍しいことだが、それも無理ないことが明日起こるのだ。
さてさて、もう、待ちきれないだろう。
僕の話なんて聞いていられる心境ではないだろう。
だったら、僕もこんな思考はもうやめよう。最後にたった一言だけ、言葉を伝えて、思いを伝えて、この二章に終わりを告げるとしよう。
「明日、頑張ってね」
僕の心は知れたかな?
二章終了です




