第18話 君じゃなきゃダメなんです
ピピッ
『こちらパイル=マイスター!エリア16で高密度のエネルギー波を確認!ジェットの生命反応が消えました!』
白い大理石の机の上で寝そべっている猫のぬいぐるみがパイルの声で喋った。
「んニャ…次から次へと何なんだニャー!!」
すると今度は椅子に座った猫…猫っぽいコスプレをした男が頭を抱えた。男は向かって座る少年に引きつった笑顔でできるだけ陽気に問い掛けた。
「ねーねー、ミーたちもう友達じゃないかニャー?だからニャ〜………エルドラが持ってた紙のこと教えて欲しいニャ〜」
「知らない」
一瞬、男の額に血管が浮き出たが、またさっきの調子に戻り優しく話しかけた。
「じゃあ知ってることなら何でもいいからニャ〜」
「…」
黙秘。
「エルドラはあの紙をベルガモットに渡すつもりだったんだニャ。でも、ローズ=ベルガモットは入院中であの場にはいなかったニャ。それなのに、ヤツが捕まったとき、紙は持ってニャかった……ってことは別の誰かに渡したってことだニャ!それは誰かニャ〜?」
「…」
しかし、黙秘。
「このクソガ……あ!お菓子食べるかニャ!?そろそろおやつの時間だニャー」
そう言うと男は床に置いてあった大きな紙箱の中からカラフルなパッケージのクッキーを取り出した。
「『また食べたくなるマタタビクッキー』!!ミーの大好物だニャ!今、世界中で大人気の超絶ニャンダフルなお菓子だニャ!」
「そんなの見たことない」
男はビニールを爪で綺麗に切ってクッキーを差し出した。
「でもでも!ユーにあげるニャ!何てったって、ユーとミーはもう親友だからニャ〜。どうニャ!?美味しそうだニャ!?」
「いらない。不味そう」
「テメエ……いやいや落ち着けテリー。キレたらダメだニャ。…あ!これは!10ボックスに1枚しか入ってない超絶ニャンダフルなレアカード!!『光の賢者ゲンマ』ニャ!!惜しいが……仕方ニャい!これもあげるニャ!大事にしてくれニャ!」
男は虹色に光沢するカードを差し出した。カードにはかっこよく技を繰り出すオールバックの老人が描かれている。
「…20枚持ってる」
バァンッ!!!
机を両手で思いっきり叩き、男は立ち上がった。
「さっき見たことないって言っただろうがァァァ!!!」
少年は依然、俯いたまま黙っていた。ポロポロと涙が膝に落ちた。
すると、何の変哲もなかった白い壁が長方形に透け、灰色のスーツを着た大柄な男性が入ってきた。
「尋問すらまともにできんのか…『テリー』。代われ」
いきり立った男は少年を睨みつけると、椅子を蹴飛ばして男性にバトンタッチした。そのまま部屋を出て行こうとしたとき、少年が震える声で喋った。
「ボクの友達は……クッキーもレアカードもくれなかった。それどころか、いつもボクを馬鹿にして…心底目障りな奴らだった…」
「んん?ニャハハハハ!!それのどこが友達なんだニャ?」
男は大口を開けて嘲笑した。それを見て、少年もまた笑った。
「それでも、ボクはほんの少しの間、あいつらを友達だって思えたんだ。…お前らがどんなに卑怯な手を使って、どんなに街の人を殺して、どんなにボクを酷い目に合わせようとも、ボクは何も教えない。お前らなんかに教えるもんか!!!」
ピローは挑戦的な笑いを浮かべ、男を睨み返した。男は小刻みに震えピローに掴みかかろうとしたが、
「むぐッ!」
側にいた男性に頭を掴まれて部屋の外に放り出された。
「ご、ごめん…ちょっと頭に血が上ったニャ…」
「さっさと出てろ」
男性は椅子を几帳面に戻すと座ってため息を吐いた。
「まあ…あれでも一応騎士で、私の友人でな。どうも人を見下す癖があるが、根は良いやつなんだ。あんま恨まないでやってくれ」
男性は落ち着き払った態度で深々と頭を下げた。
「『ボガート=ゾーハン』。階級は四星。賢者オクトマン様直属の護衛騎士で…まあお世話になってるってことだ。勿論、君のお父上にもね」
男性は黒い手袋を取った右手を差し出した。ピローは一瞬躊躇ったが、同じように手を差し出して握手を交わした。そして袖で顔を拭うと、今度は自分から質問をした。
「あの、聞きたいことが…」
「何かな?」
男性は組んだ指をピアノの鍵盤を触るように滑らかに組み替えた。
「さっきの人が言ってたことで…」
「エルドラって人は何か大事な物を持っていたから指名手配されてるんですよね?あの人は『紙』って言ってましたけど、紙ってなんですか?」
「ふむ。そうだな……では、少し失礼」
ボガートは左手首に巻かれた腕時計の小さなボタンをカチカチッと二回押した。
秘密の部屋
透明の膜のような物が2人を包み込んだ。
「防音壁を張らせてもらったよ。聞かれるとマズイからね」
「それボクに話しちゃっていいの?」
ボガートは骨張った手を口に当ててクスクス笑った。
「絶対ダメだから壁を張ったのさ」
「そ、そっか…」
ピローは内心、こいつやべーなって思ったし、騎士の守秘義務はどこ行った?って不安になったけど、今回ばかりはスルーせざるを得なかった。
「それで…彼が盗んだ例の『紙』についてだが、残念ながらあれが何なのか、正確には私も知らないんだ。すまないな」
「ただ、あれが決して世のためにならない物だということはわかっている」
ボガートはジャケットの内ポケットから1枚の写真を取り出した。写真には赤い髪の少年が写っている。
「この人は…」
「グラン=ベルガモット。魔王が現れる前は、彼が地上で最も罪深い男だった。名前くらいは聞いたことあると思うが…」
驚いた。この人を見るのは初めてだが、その顔はよく知っている。似ているとかいう次元の話ではない。全く同じ顔だ。
ハルと、瓜二つだ。
「注目して欲しいのは彼の額だ」
そう言ってボガートはグランのこめかみを指さした。そこには燃えるような赤い花が描かれていた。
「タトゥーなのか傷なのかわからんが、こいつと似た紋章がエルドラの左肩にあった。それだけじゃない。エルドラの本名は『エルドラット=ベルガモット』、グランの叔父にあたる男だ」
「エルドラが…ベルガモット!?」
「奇妙な一致だ。偶然だろうか?ローズの体にはこれが無かったらしい。ベルガモットの一族で選ばれし者が生まれつき持っているものなのか。もしくは……」
ボガートはそこまで言ってピローの方をチラリと見た。
「後から…与えられた物、ってことですか?」
「さあな。ただ、これは私が個人的に感じていることだが……賢者共はベルガモットそのものを恐れているというよりも、その紋章の方が気がかりなようだ。今回の騒動でムキになって『紙』を探しているのも、このベルガモットの紋章が関係しているとしか考えられない」
ベルガモット、紋章、そして謎の『紙』。紙には何が書かれているのだろう。あるいは、紙自体に何か意味があるのか。
「いや、ちょっと待ってください。エルドラは『紙』をベルガモット家の人に渡すつもりだったんですよね?でも、ローズはそれを受け取れなかった。それならどうしてローズを狙うんだよ!紙とは無関係みたいなもんだよね!?」
ボガートは頷いて咳払いをした。そしてピローに顔を近づけ、小さな声で話し始めた。
「君の言う通りだ。それについては騎士達からも疑問の声が上がっている。しかし、賢者共が意味のないことをするとは思えない。…つまり彼らが恐れている最悪の事態はその先にある物だと考えられる」
「その先って?」
「エルドラは何も語らなかったが、きっと信頼できる奴に渡したはずだ。ローズに渡すように、ってね。しかし、一晩経ってもローズは紙を受け取ってない。遅すぎないか?人嫌いのエルドラが信用した奴だ。紙を捨てたとも考えにくい。そこから察するに、私は、紙はベルガモットの手に既に渡っているのではないか、と考えている」
ベルガモット?ハルはローズ以外の誰に紙を渡したんだ?
「つまり…そうだな。もうここまで話したなら全て話そう。今、我々は……」
「この情報都市セントラルスカイにグラン=ベルガモットが潜伏していると睨んでいる……!!」
!!?
「あいてて……あんなに思いっきりやる必要ないニャン…」
テリーは猫を模したフードを取って栗色の髪の頭を優しく撫でた。どこまでも続く白い回廊を鼻歌を歌いながら歩く。
「ふーにゃふーにゃふふーん…んニャ?」
テリーは締め切られた扉の前で立ち止まった。普段はここで評議会の会議が行われているが、今日は休みのはず。それなのに中から話声が聞こえた。
明かりもつけずに一体誰ニャン…
テリーは扉に片耳を押しつけた。
「……ゾーハンが………」
ゾーハン?ボガートがどうかしたのかニャン?
「……政府のデータベースに侵入した疑いが……ええ。例の『焔の刻印』についての……」
ボガートが…泥棒猫!?んニャ!そんなはずないニャン!ボガートはいつだってオクトマン様に忠実でミーの憧れの存在ニャのに!
解説しよう。今、テレビ、雑誌で大注目の騎士ボガート=ゾーハンはイケメンランキング、ダンディーランキング、力自慢ランキングの三部門で堂々の一位を獲得した超絶ニャンダフルなエリートなのである!!階級こそ四星(それでもめちゃくちゃ凄いけど)だが、実は何度も五星昇格の交渉を断り続けているのニャ!!理由はデスクワークが退屈で嫌いだからだそうニャン!!
「ミーの永遠のライバルであり、師匠のボガートに限ってそんな……」
「……惜しいが、奴は知りすぎた。早急に粛正するように……」
ニャンですと!?これは大変なことになったニャ……。ニャンとかボガートの無実を証明しニャければ……
「オイィ…こないとこで何やってんだィ?」
「にゃあああ!!」
テリーの背後にはいつの間にか顔に竜の刺青をした厳つい男が立っていた。
「いや、ちょっと…何でもないニャン!」
こいつは三星の『ディゾルブ』!!ミーが新参だからっていつも見下しやがってえええ。ミーはここにスカウトされた時から階級二つ飛ばしていきなり三星の称号もらったクソエリートにゃのに!!同じ三つ星でも、散々苦労して星増やしたユーとは星の重さが違うんだニャァァ!!!
ウィィン…
「ふにゃッ」
「……貴様ら何をしている。死にたいのか?」
扉が開いて中から、「光」と書かれた眼帯をした中年男性が険しい顔をして現れた。奥からは先ほどまで話していた青年が心配そうに覗いている。白衣からして研究員だろうか。
四星の『サジタリス』…!!
「ま、負けたニャン……」
「あ?」
テリーは消沈してその場に倒れ込んだ。
「こいつァ盗み聞きしてやしたぜィ」
「してないニャン!!!」
余計なこと言いやがってえええ!腹いせにユーがトイレ使う前に便座をキンキンに冷やしといてやるニャン!!ざまあ!!
「それよりブランキャット。ファーゴット様のご子息はどうなった?尋問の係は確か貴様ではなかったか?」
「ああ。それなら今、グラ……」
いや、待つニャン。ボガートがあのクソガキと接触したことが知られれば間違いなくボガートは殺されるニャン……!!ニャンとかしてこいつをボガートから遠ざけニャければ!
「なんだ?死んだのか?」
「グラ……サン。『グラサン』に任せたニャン!」
「誰だそれは?死にたいのか?」
サジタリスはその金色の隻眼で、まるで獲物を捕捉するかのように慌てふためく子猫を見つめた。
「し、新米ニャン!!ほら!いつもサングラス掛けてる!」
テリーの目は泳ぎまくってバタフライしている。
「……丁重に扱え。万が一何か粗相があれば、命は無いものと思え」
「りょりょッりょーかいですニャンッ!」
こ、こええええええ!!なんつー目しやがる!目力だけで殺す気かニャン!
テリーは敬礼をして精一杯笑った。
「にゃはははぁ……」
「うむ。どれ、私も一度挨拶をしてこよう」
ニャにをォ!?
「待つニャン!」
「今度はなんだ?死にたいんだな?」
やばいやばいやばいニャンンンン!!尋問室に行かせるわけには行かないニャン…ニャンとかして時間を稼ぐニャン!
「ミ、ミーの故郷では『盆踊り』という情熱的なダンスがあるニャン!!それを見てからでも遅くないニャン!!」
凍りついた空気に、テリーの上擦った声だけがこだました。
時を同じくして、尋問室。
「…じゃあ、とどのつまり。ローズはグランを誘き寄せるための囮ってこと?」
ボガートはゆっくりと二回頷いた。
「罪のない人たちを傷つけて……それのどこが正義なんだよ!?」
「正義は時に非情だよ。我々は守るべきものを守るため、取捨を選択する必要がある」
ピローはギリギリと歯軋りをしてボガートに詰め寄った。
「情のない正義なんて正義じゃない!他人のことなんかまるで考えないで、自分達のエゴを無理強いしているだけじゃないか!!そんなの……魔王と何も変わらないよ」
「…」
ピローは項垂れるように椅子に座り直すと、一つ一つ記憶を辿りながら話し始めた。
「…シルヴィアはボクなんかよりずっとバカでさ。城門の前で『ローズさんに会わせてくださいー!』って喚くもんだから、ボクは渋々、パパに頼んで面会させてあげたんだ」
ピローは力無く笑ってみせた。ボガートはそれに反応することなくただ黙って耳を傾けた。
「あいつが内心、ボクの事をどう思ってたかはわからないけど、少なくともボクはシルヴィアが好きだったよ。騎士にチヤホヤされながら、不自由とは程遠い暮らしをしていたボクに初めて反抗してきたんだ。本当に鬱陶しくて、邪魔で……」
顔を上げてボガートをまっすぐ見た。目からは大粒の涙が溢れていた。
「シルヴィアは…ボクに大切なものをくれたんだ……!!いつだって優しくて、友達思いで…。闇に与するような奴じゃないんだ!!グランもシルヴィアも、お前ら光の騎士とどっちが悪だ!?」
シルヴィアが失踪してからというもの、誰も彼女の話はしなくなった。例の通り魔事件は報道されることもなく、世間は光の意思の下に彼女の存在を記憶から消した。誰も疑問なんて抱けなかった。
7年前。光の賢者本部である無敵の要塞──浮かぶ城、空城が陥落した。たった一人の少年の手によって。あれ以来、城は一度たりとも攻撃なんて受けていない。武力と権威の象徴であるそれは、賢者すら差し置いて神格化されるほどであった。太陽の化身だとか、賢者の産みの親だとか。市民にとって絶対的なものであった。にもかかわらず!神は一夜で白旗を上げた!グランは城を尽く破壊した挙句、賢者を三人葬った。最期は会長ゲンマに敗れ、消息を絶った。
シルヴィアが起こした事件は7年前の襲撃と共通点がある。まず、闇の魔法が絡んでいる点。そして、もう一つ。光の賢者が正義とやらのために、一般市民に武力を行使した点だ。シルヴィアにはグランのような光を憎む意思はなかった(それでも少なからずあったとは思うが、殺人に手を染めるほどではない)。ならば、シルヴィアの背後にある存在。…ヴィゼフは光の賢者に強い憎しみを抱いているに違いない。だから7年前、グランを使って賢者を殺した。ならば、シルヴィアもきっと……。
「…君を誤解していたよ。ピロー君」
ボガートはネクタイを直すと身を乗り出して囁いた。
「私から提案がある」
「提案?」
その時、机上の猫が再び喉を鳴らした。
『ボガート!応答するニャン!!』
「い、いきなり何!?」
「どうした?」
ボガートは猫を撫でながら落ち着いた調子で応えた。
『そ、そっそれが!お偉いさんがゾーハンが情報を盗んだとかで!今すぐ粛正とか言い出して…ミーもよくわかんニャくて!!』
猫は目をまん丸にして忙しなく口をパクパクと動かした。首輪の青い鈴がチリンチリンと揺れる。
「ふむ。サジタリスか。もう少し時間をくれないか?」
『そうニャン!早くそこから離れるニャン!!……って、ミーはサジタリスだなんて一言も…。ま、まさか!知ってたニャン!?』
ボガートは口に拳骨を当てて笑った。
「まあな。お前には悪いがそいつらの言ってることは本当だ。何、もう出て行くよ。この部屋から。…この城からもね」
ピローは状況が掴めずに、疑心たっぷりで尋ねようとしたが、ボガートがそれを遮った。
「思っていたより時間が無いようだ。…なあ、ピロー君。君は友達を助けたいかい?」
「当たり前だ!!」
ピローは間髪入れずに応えた。それを見たボガートは一瞬嬉しそうな顔をして、一度頷いた。
「私と組まないか?」
「え?」
ピローはボガートの言葉を理解するのに瞬き4回分の時間を必要とした。いや、そんな時間を正確に計っていられるほど冷静にはなれなかった。
「私にも…助けたい男がいる。私一人では無理だ。だが、君となら。あるいは望みがあるかもしれない」
その時、外から近づいてきた足音が部屋の前で止まった。
「決断は急いでくれると嬉しいよ。騎士は血の気が多くてせっかちなんだ」
ピローは迷った。ローズ達は助けたい。しかし、こいつはその元凶である騎士の一員だ。自分を貶めるために甘言に乗せようとしているだけかもしれない。
「…ボクは──」
爆発。
閃光が走り、白い壁が粉々に吹き飛んだ。モクモクと土煙が立っている。
「げほッげほッ」
「あらら。せっかくの壁が台無しだ」
「呑気なこと言ってる場合かよ!!」
再び閃光。
しかし、今度は爆発を起こすことはせず、ピローの鼻先スレスレで光の〝矢〟が止まった。土煙が晴れると、左手で矢を掴んで止めているボガートが現れた。左肩から下のスーツが焼けてなくなっている。
「子供にこんなもの撃つなんて世知辛いなあ…サジッタおじさん?」
「貴様は重罪人だ。ボガート=ゾーハンが冷酷にもファーゴット様のご子息を人質に取り、殺した、とでも上には報告しておいてやる」
サジタリスが両手を重ね合わせると指と指の隙間から柔らかな光が溢れ出した。
「随分と花道を歩いてきたようだが、貴様のような男には菊の花がよく似合う」
「ブーケトスなら薔薇がいいかな」
右手を大きく後ろに引いた。光の粒が体の前で弧を描き、白い弓箭に変わった。
「余程、死にたいようだな。その望み、この〝天弓の〟サジタリスが叶えてやろう……!!」
あれって……光魔法!!
「これが『神童』の力。噂は本当だったのか…」
「ゾーハンさん!!なんでこの人、光魔法使えんの!?」
ピローは目を疑った。太陽すら焦がす伝説の魔法。光魔法の使い手は父、ファーゴットだけのはずだ、と。
「ちょっと離れていてね。ピロー君」
ボガートは右手の親指を立ててニッと笑った。その瞬間、一筋の光が音もなくボガートの胸目掛けて差し込んだ。ゴムの弾けるような音と共に後方の壁に叩きつけられる。
「上手く防いだようだが、次はそうはいかない」
再び白い矢がサジタリスの弓に番えられる。
「ゾーハンさん!!…やめろよ!パパに言いつけるぞ!」
「ファーゴット様から君は傷つけるなと言われている。そう、このことは既にファーゴット様から承諾を得ているのだよ、何も知らない可哀想なお坊ちゃん?」
「パパが、ゾーハンさんを殺せって言ったの?」
サジタリスはシワの刻まれた口元を歪ませ静かに笑った。
そんなはずは…パパがそんなこと言うわけ…。パパは誰にだって優しくて、命を何より大切にしていたのに。そんなことあるか!
「それじゃあ、ファーゴット様に謝っとかないとな」
!!
ボガートは壁に寄りかかったまま、その場に座り込んだ。右手を挙げ、手を開くと、空気中の水分が集まり大きな水の玉ができた。
「生憎、まだ死ぬつもりはない」
透き通った水の玉はフワフワと浮かびながらゆっくりと前方に進んでいった。
「子供騙しか?」
二発目の光が撃ち込まれる。光の矢は玉に直撃したが…
ボヨ〜ン
人を馬鹿にしたような音と共に光は接触と同時に弾き返された。光の刃が消える。
「ほう」
いや、消えたのではない。先程の何倍もの威力と速度でサジタリスの頬を掠めた!
サジタリスの後方で凄まじい爆発が起きる。
「水鞠の術。子供を騙すのは容易いな」
ボガートは立ち上がり、顔の前で指を組んで忍者のようなポーズをした。
「ピロー君!」
口をあんぐりと開けていたピローは、突然呼ばれて反応が遅れた。ボガートはピローの応答を待たずに続けた。
「私の故郷は光の賢者に滅ぼされた!」
「!?」
「しかし。手を下したのは、紛れもない……この私だ!!恐怖故だ!敵う訳ないと思った。だから私は降伏し、村をこの手で…。だが!君は違う!君には勇気がある!優しさも!友を思う心も!それらは全て、私があの日、手にしなければならなかった物だ。一次試験、君は友の命を救った。自分の命を投げ出してだ!」
水の玉が膨張していく。膨れ上がった玉が視界を遮り、ピローからはもう、サジタリスの姿を直に確認することはできない。
「でも…ボクは、全然強くないし。怖がりだし…それに魔法だって一つも使えないんだ!!だから、ボクは守りたいものを、誰かに託すことしかできない。そうやって…パパを頼ってきた。それくらいしか、ボクには……」
ピローは自分の二倍もあるであろうボガートの大きな背中を見上げながら声を張り上げた。自分だけ助かろうとすれば、逃げることなんて簡単なはず。なぜ自分なんかのためにこんなに必死になってくれるのだろう。完璧な父とは違う、出来損ないの息子のために。ピローは悔やんだ。自身の無力さを。これまでの、腐りきった人生を。
「その通りだ。君には力も信念も未来もない。ファーゴット様に縋り付くだけの木偶の坊だ」
水の玉の向こうから冷たい声だけが聞こえる。ピローは歯を食いしばって俯いた。
「一次試験。君一人で、ヴィゼフを倒したのか?二次試験はどうだ。対戦相手を買収して、よくのうのうと生きていられるな。皆、命を賭して魔王に立ち向かおうとしていると言うのに」
全て、言う通りだ。ボクは結局、何もしていない。守られる意味なんて、生きる意味なんて──
「黒歴史ってのは、やっぱ消えてくれないもんだな」
??
「私もエリートだなんて言われているが、実のところ失敗ばかりだ。今回も、ほんとはこんなはずじゃなかった」
ボガートは大口を開けて笑った。顔の傷が返って、痛々しく目立った。
「…いつだってそうさ。失敗とか、悲劇とかって、いつまでも頭のどっかに残ってるもんなのさ」
宙に浮いた水の玉が、壁や天井スレスレのところまで大きくなっていた。
「でも、それだけじゃないんじゃないかな」
ギギギギギ…
壊れて上手く動かなくなった扉が、金属の擦れる不快音を立てながらぎこちなく開いている。
「う、後ろからも騎士!?…ってお前は──」
つっかえていたものが外れて扉が勢いよく吹き飛んだ。
「お前って言うニャ!!ミーを誰だと思っている!?」
地団駄を踏んでピローにメンチを切る男は、何故かサングラスをかけている。他にも、猫を模したパーカーを脱いで研究員の白衣を着ている。
「その声……貴様ブランキャットか?」
水の玉で隔てられた向こう側から重く押し殺した声が聞こえた。顔はよく見えないが、怒りに震えていることは容易に想像できた。
「テリー!!助けに来てくれたの!」
「あああああああああ!!!」
言い終わると同時にピローを思いっきり平手打ちした。
「馬鹿ニャのか!?ミーがお前らに加担していることがバレたらミーまで殺されてしまうニャ!!」
蹲っているピローを睨みつけながら、テリーは怒鳴り散らした。
「何をしている、ブランキャット。さっさとファーゴット様の子息を連れて行け」
「…ミーは違うニャン」
「なんだと?」
テリーはサングラスをかけ直すと胸を張って敬礼をした。
「ミーの名は!サングラスの騎士、グラサン!!ボガートを傷つけるくそったれジジイの言うことなんか聞かないニャ!!」
いや、バレバレ!!喋り方とかもうちょっと何とかならなかったの!?そんな変装で一体誰が騙されるんだ…
「貴様がグラサンか。あとで死をもって非礼を償わせてやる」
「いや、成功してるぅ!!!」
ピローは思わずツッコミを入れてしまった。このおっさん、見た目に反してどんだけ天然なんだよ!!!
「テリー!ピロー君を連れて城門まで逃げろ!こいつは私が食い止める!!」
「だからテリーじゃねえ!!ほら、行くニャン!!」
グラサン…テリーはピローの腕を掴んで引っ張った。ピローはよろけながらテリーの後についていく。
「ゾーハンさん!!ボク……みんなを助けたい!でも、ボク一人じゃ無理だから。もし、ボクなんかがついて行っていいなら…」
ボガートは黙って聞いていたが、振り向いてまた眩しく笑った。
「君なんか、じゃなくて。ピロー君じゃなきゃダメなんだ。ピロー君とじゃなきゃ、魔王は倒せない。ピロー君とじゃなきゃ、世界は救えない。本当の意味で世界が平和を手に入れるためには、ピロー君の力が必要なんだ!!」
それだけで十分だった。初めて、誰かに認められた気がした。ボクの価値なんてパパにしかないと思っていた。近づいてくる大人なんて、みんなパパと仲良くなりたいからボクを甘やかす。ボクなんか眼中にないんだ。でも、この人はボクを見てくれる。ただ、それだけで十分だった。ボクは少しだけ、ボクを好きになれた気がした。
それからボクはテリーと走って、最下層の城門まで辿り着いた。見上げると空に浮かぶ空城の天守閣が見えた。ほんとはパパのような賢者になって、あそこに行くはずだったんだけどな。とんだお尋ね者になっちゃったよ。でも、いいんだ。
「ボクは勇者だ」
ローズ。今、行くよ。
長くなってしまった。




