第19話 ただ、悔いを残さないことです
『ニャんでこの超絶エリートナイトのミーがお前みたいなクソガキのために!…ボガートの頼みじゃニャきゃ、こんニャこと絶対しニャいからな!!』
『あとはボク一人で大丈夫!…その、送ってくれて……ありがと』
『ニャ……!!ま、まあわかればいいニャ……なんか調子狂うニャン』
10メートルはあるであろう巨大な水晶玉に、息を切らしながら走る少年と騎士が映し出されている。
「やはりブランキャットでしたか。……よかったんですか?ピロー君を行かせて。よりによってこんな危険な時に…」
ピスケスはスベスベした白いハンカチで眼鏡のレンズを片方ずつ丁寧に拭った。手には血の滲んだ包帯を巻いている。
「君もいつか分かるよ。……親の気持ちってやつがね」
ファーゴットは水晶を見上げながら、穏やかな声で言った。ピスケスはファーゴットに背を向けて、左胸に握り拳を当てた。
「私は……騎士です。騎士は常に、正義のために命を捧げる覚悟で居ます。法を犯す者は……そう、例えばピロー君であっても、容赦はできません。…ファーゴット様はそれをお望みでいらっしゃるのですか!?」
ピスケスは語気を強めて詰め寄ったが、ファーゴットは暖かく笑うばかりであった。
「ピローを倒すか。……あの子は手強いぞ。はははっ」
ミチッミチッ
狭い通路いっぱいに広がったわらび餅のような大きな水滴が、今にも壁や天井を弾き飛ばさんと、膨張を続けている。
鏡の性質を持つ水魔法に、私の光魔法では分が悪いな。しかし、それはこちらが後手に回った場合の話。一度「矢」が放たれてしまえば、ゾーハンの反射神経を持ってしても、後出しで水魔法を展開し、防ぎ切ることは不可能。
私の虹霓の纏は、魔力で加速させた粒子の矢を文字通りの光速で対象に施し、細胞を破壊する……!!この忌々しい玉が消えるまで、こいつを逃がしてはならん!!
「大口を叩いた割には随分と苦しそうだな」
「少しくらいピンチがないとね……」
ボガートは残った右腕のジャケットの袖で笑みを浮かべた口元を拭った。サジタリスは目を閉じて、わざとらしくため息を吐いた後、白い弓箭を消して見せた。
「しかし、かと言って私の攻撃も貴様には届かぬようだ。このままでは埒が明かない。そこで、だ。私から一つ提案がある」
サジタリスは手を後ろに回して、話を続けた。
「どうだ。ここは一つ、休戦とするのは。私と貴様では決着が着きそうにない。どうせ消耗して力尽きるならば、互いに利益のある形で終わろうではないか」
「そんな方法があるならね…はァ…」
ボガートは白い歯をギリギリと噛みしめながら痛みに耐えた。
「ピローはくれてやろう。引き換えに、貴様が盗んだ物を返してもらおうか。まだメモリを持っているはずだ」
フフフ……。盗まれた情報なんてどうでもいい。メモリを押収したところで、中身を知っているこいつはどの道、粛正対象だ。
問題は、こいつがグランの思想に感化されているか否かだ。セントラルスカイにグランの潜伏が疑われて以来、騎士の失踪が後を絶たない。現に、騎士の一部には闇との関与が発覚し、粛正された者までいる。グランを始めとした『闇使い』共が、市民のみならず騎士までも籠絡し、食い物にしているに違いない。仮にゾーハンが何らかの形でグランと接触を試みようとしているならば、これは由々しき事態だ。ピローを人質に取られてしまえば、ファーゴット様の権限でグランの捜索そのものが打ち切られる可能性もある。断じて生かしておけん……!!!
「わかった。メモリはここだ」
ボガートはジャケットの内ポケットから黒いプラスチック製のメモリを取り出し、顔の横に持ってきた。
「よし、それをその場に置いてゆっくりと離れろ。どこへでも行くがいい」
ボガートは床にメモリを置いて、左腕を抑えながら退いた。
馬鹿め。私の狙いがメモリの回収だと、まんまと騙されたな。入り組んだ場所でなければ、貴様の水の盾など取るに足らんわ!!貴様と私を結ぶ直線状からこの水の玉が消えた時、貴様は終わりだ!!
「貴様の安全が確保され次第、そいつを回収する。…だが、これで終わりだと思うなよ?貴様は私が絶対に捕らえてみせる」
さあ、逃げろ。そして死ねェ!!!
「せっかくだ。魔法は解いておこう。回り道をしなくて済むだろ?」
ボガートは人差し指と中指を立てて、神経を集中させた。
「なんだと?」
「『解』ッ!!!」
爆発。
玉が破裂し、爆風と共に溢れ出した白い水煙が両者の視界を死角に変えた。
小癪な真似を……!!奴はどこだ!!
「虹霓の纏……」
サジタリスの手に光の粒が集まり、白い弓が現れた。構えた先で、霧が微かに揺らいだ。
「そこか!!」
光の矢は空を切り裂き、一直線に壁に突っ込んだ。爆発を起こして、壁が吹き飛ぶ。
「ぬうッ…!」
左手の時計は壊した。もう音は消せまい。私を前に、音もなく逃げることなど不可能だ。つまり、奴はまだ此処にいる!!爆発音に隠れて、崩れた壁から隣の部屋に移動したか?尋問室か…転送装置か…。ピローの方へ行ったか?まさか転送装置で空城に向かったのか!?賢者を殺すために!!奴はやはりグランと──
ミシッ…ミシミシッ…
!!!
「そこかァ!!」
サジタリスは弦を引き、壁に向かって狙いを定めた……が、
獣神・象
「パウォォォォォンッ!!!」
「馬鹿なァッ!?」
壁をぶち破って、真っ黒い〝象〟がサジタリスに体当たりした。象はサジタリスを頭に乗っけたまま壁を突き破って出口を目指した。
「サジタリス様ァァァァア!!」
駆けつけた騎士達が白目を剥いて気絶しているサジタリスを見て気絶した。
「今日は私の勝ちだな!サジタリス!ピロー君は頂くよ!!」
私が……こんな若僧に……この四星のサジタリスが……
「ぱっおーん!退かないと踏んじゃうよ!!」
『巨大な黒い何かが施設内を荒らしまわってます!!サジタリス様も奴に!!応答せよ!応答せよォォ!!』
ピスケスの左耳の機械から悶絶する騎士の声が流れた。
「今の聴きましたか!!」
ピスケスはいつになく冷静さを失い、ファーゴットに訴えかけた。
「ゾーハンか……流石、私が見込んだだけのことはあるなぁ」
「感心してる場合ですか!?」
ピスケスは悲鳴の鳴り止まない無線機を床に投げ捨て、ファーゴットを睨みつけた。
「こんなことをして、貴方だってタダじゃ済みませんよ……!!粛正の可能性だってある!!」
ファーゴットは顎の髭を摩った後、ピスケスに柔らかな笑みを向けた。
「では、君は…。私と戦うということかな?」
「…脅しのつもりですか」
ファーゴットはまた笑って、床に落ちたピスケスの無線機を拾って差し出した。
「さあ、もう少し見てみよう。彼の覚悟をね」
「……不安でござるか?」
訓練場の武器庫で背中合わせに座る二人はハルの到着を待っていた。レフトはワタのついた綿棒のようなもので鏡のように銀色に輝く刀をポンポンと優しく叩いた。ワタからは白い粉が舞った。
「不安じゃないって言ったら嘘になる。でも、信じてるの。ハルはきっと来てくれるって。あいつは顔も性格も魔法もイマイチだけど、友達は絶対に見捨てないの。あいつがシルヴィアに襲われて、病院で寝てた時…あいつ笑ってたわ。自分が殺されかけたのに、襲われたのが仲間じゃなくて自分でよかったって思ったのよ。どこまで馬鹿なんだか……」
ローズは俯いた。脳裏にボロボロのハルが現れる。
「お主は誠に、ハルを好いているのでござるなあ」
唐草模様の小さな布で刀身を磨きながら、レフトは明るく声をかけた。
「それは…どうかな」
「なんでござるか?」
ローズは擦り傷だらけの膝を抱き寄せ、顔を埋めた。
「私ね、気付いたの。私が本当に好きなのはハルじゃなく、兄の方だって。優しいハルに甘えてばかりで…私、ずるいね」
ローズは震える手をもう片方の手で抑えて、自虐的に笑った。
「…拙者にも以前、心を寄せる女子が居たでござる。日々の修行に支障をきたす程でござったが、ある日……いなくなってしまわれた」
背中越しでレフトの表情は見えない。
「それで……その子とはどうなったの?」
「どうも何も。今はどこで何をしているのやら………。然れど、良い事もあったでござる」
レフトはローズの方をくるりと向いて、優しく目を細めた。いつもは鉄面皮の彼がこんな顔をするとは珍しい。
「良いこと?」
「うむ。彼女は拙者に、手紙を残してくれたのでござる」
『剣は裏切らない』
「剣は裏切らない?」
レフトは大きく頷いて、懐かしい思い出に浸るように煤だらけの黒ずんだ天井を見上げた。
「左様。弱々しく……震える字でそう書かれていたでござる。その時より、拙者は『姫』の言葉を信じ、剣の腕を磨いて来たのでござる。剣は……姫の形見でもあり、拙者の全てでござるからなあ………」
ローズはしみじみと語るレフトの思い出話を黙って聞いていた。
「……本音を申せば、悔いているのでござる。物心ついた日より共に過ごし、何故想いを伝えぬか……。何故、別れの言葉が文であるか……。少し。あと少し、早く目覚めていれば……。嘆いたところで後の祭りよ」
これまで陽気に振る舞っていたレフトの声が細くなっていくのを感じた。喉の奥からするすると空気が漏れる音が聞こえた。
「ローズ。お主は遅すぎると言うこともあるまい。目と目を合わせ、言葉を交わすことができる。肝心なのは、悔いを残さぬことでござるよ」
レフトは磨き終えた刀を鞘に戻した。
悔いを残さないこと……。
「…そっか。うん!そうよね!!私、頑張ってみる……!!!」
「うむ!その意気でござる!」
ローズは自信に満ち溢れた表情でVサインをした。それを見て、レフトも同じように人差し指と中指を立て、豪快にはにかんだ。倉庫の鉄扉がゆっくりと開いて、光が差し込んだ。
「僕も頑張ります!」
パイルも満面の笑みでピースをした。
「とりま、知ってること全部話してくんね?」
「クソッ……お前のどこにそんな力が……」
人の姿に戻ったアーヴィンが憎しみのこもった暗い目つきで睨んだ。ライトに組み伏せられ、喉元のレイピアが冷たく光る。
「おめーとパイルは騎士か?」
「どうして、俺とあいつがスパイだってわかった……」
「質問に答えな」
ライトはアーヴィンの喉にレイピアを押し付けた。
「……俺は違う。雇われただけだ。あいつは知らん。本当だ!!」
アーヴィンは額をコンクリートにつけたまま声を張り上げた。
まあ、嘘ついてるって感じじゃなさそーだな。こいつどーすっかなー。ホントなら警察に突き出してーとこだが、まともに取り合ってくれねーだろーな。光の賢者に丸め込まれてるだろうし。かと言って、ずっと捕らえておくのも無理だしよ。ハルが来るまで待つか?パイルはレフ兄がなんとかするとして、リクさんとルナの安否も確かめなきゃだしなー……
「あぁッ!どうしたらいいかわっかんねー!!」
「俺を見逃して、俺からパイルに交渉するってのはどうスカ。ははは……」
「おめーは黙ってろ」
ピーンポーンパーンポーン
「あ?」
突然チャイムが鳴り、校内放送が始まった。
「今日休校だよな。てか、住民は避難したはずだよな」
『ライト=ライダース君、理事長先生がお呼びです。至急、理事長室に来て下さい』
「罠だな」
機械的な女性の声に被せて断言した。
だけど、こいつは返って好都合だな。理事長室に来いってことは、そこに待ち受けている敵がいるってことだろ。なら、そいつもブッ倒さねーと後々面倒になるな。
「おい。おめーら二人の任務はハルとローズを殺すことだよな。それ以外に頼まれてることあるか?」
ライトはアーヴィンのボサボサ髪を荒々しく掴んで尋ねた。
「か、紙を……回収しろと言われた…。それだけだ……くッ…」
「……紙?なんだそれ」
髪を引っ張って顔を持ち上げ、自分の顔を近づけた。
「知らねえよ…そんなの…。俺もさっき言われたんだよ……」
「どこにあんだ?」
「騎士はそれを探してんだよ!!だが多分、ハルが持っている。エルドラと接触した奴は全員調べろと言われている……俺の任務はローズの抹殺だから、それは他の奴の仕事だがな…」
なるほどな。ハルはそのエルドラって奴と会ったから追われてんのか。厄介な事に首突っ込みやがってまったく……。
「じゃあ今、ハルの抹殺任務とやらに就いてる騎士が街中ウロチョロしてるってことだな?」
「…いや、それは……」
アーヴィンの声が曇った。
「ハルの件は上には報告していない…。奴の抹殺は……俺たち二人の独断だ」
「は?」
「紙の回収は確かに他の騎士の任務だ。だが、紙を見つければ……その…報酬が弾むって言っていたから…。エルドラをマークしていた騎士は市内の病院で待ち伏せしていたらしいが、さっきから通信が途絶えたままだ。だが、ローズのいた病院にわざわざハルが来たってことは、紙を持っているに違いない。紙はローズの手に渡る前に回収しろとのことだったからな。だからパイルは、どうせならハルも殺しておこうって……俺はそんなこと思ってねえぞ!?あくまでも、あいつの独断だ……」
ライトはため息をついてアーヴィンを離した。
「呆れた奴だなマジで。その紙ってのは相当やべーもんなんだろ?なら、事が済んだらおめーも始末されるに決まってんだろ。そんなこと俺にだってわかるぜ」
「くッ……」
ライトは腰を下ろして、アーヴィンに目線を合わせた。
「いいか?おめーらがツーマンセルなのは、何かあった時にパイルがおめーを殺せるようにだ。このままローズ殺して任務達成すれば、パイルの次の目標は誰になる?」
ライトは手で拳銃を作り、アーヴィンのこめかみに突き付けた。
「そこで、だ。俺に協力しろよ。おめーはどっちにしろ光の賢者側にはいられねー。残された選択肢は、こっちに寝返って、パイルをブッ倒すこと。だろ?」
アーヴィンは一瞬考え込み、頷いた。しかし、その目には依然、疑念がこもっていた。
「……で、俺は何をすればいいんスカ?」
理事長室。
「これほんとに来るんですかねー。こんな見え透いた罠なのに」
魔法陣のようなものが描かれた、高そうな赤い絨毯。ガラス瓶に生けられた花の油絵。それを囲む金の装飾の額縁。両開きの扉の死角には白い鎧に身を包んだ騎士が二人立っていた。
「絶対来るってパイルさんに言われたろ?言う通りにしとけばいいんだよ」
「ですねー」
コンコンッ
「ほら来やがった!」
扉の向こうで誰かが軽く二回ノックした。騎士は腰の剣に手をかけながら、扉を勢いよく開けた。
「あの、伝言が……あー、どうかしましたか?」
白い兜を前後逆に被った騎士が両手を顔の高さまで挙げて苦笑いした。
「…なんだお前かよ、『ホメロン』。てか、どう見たってその兜逆だろ!何度言ったらわかんだよ!」
「あわわ!す、すいません!」
ホメロンは兜を回して格子状のプレートから前が見えるように調節した。淡いソーダブルーの瞳が奥に覗く。
「それで、伝言ってなんだ?」
騎士の一人が腰の剣の位置を直しながら、面倒くさそうに尋ねた。
「あー、警戒してください!だそうです。パイルさんが。それでは俺はこれで!失礼します!」
ホメロンはキレ良く礼をしたあと、扉とは反対の方向に向かって歩いていき、壁をノックした。
「扉はこっちだろアホんだらァ!何度言ったらわかんだ!」
「あわわ!すいませんッ!!!」
ホメロンが頭を深く下げた瞬間──
「あ?」
壁に正三角形の亀裂が入り、黒い何かが壁を吹き飛ばして突っ込んだ。
「ちょっと派手過ぎたな」
「俺は責任取らないっスよ」
ハル到着まで、残り1時間。




