番外2 凍える獅子です
『魔法都市ジェネシス』の北に位置する世界最大の氷河湖『スプラッシュ湖』。白銀の世界に囲まれたその湖には恐ろしい『凍てつくヌシ』が棲まうと言われている…。その上、スプラッシュ湖周辺の魔物はヌシの影響で凶暴化しており、並大抵の冒険者では湖に近づくことさえ叶わない。スプラッシュ湖はその美しさとは裏腹に世界屈指の魔境でもあるのだ。
そんな極寒の伝説に今まさに挑もうとしている男がいた。つばの広い麦わら帽子を深く被った膨よかな男性。目利きでなくても一目でわかる。この男…只者ではない。
男の名は『ミズシマ』。人は彼を〝伝説の釣師〟と呼ぶ。その餌は万物を魅了し、その釣針は標的が死ぬまで喰らい付き、その竿は大地すら引き摺り出す。当に、伝説。
だからこそ見て見ぬ振りはできなかった。生ける伝説としてのプライド。凍てつくヌシを仕留め、スプラッシュ湖すらテリトリーにしてしまおうと言うのだ。
「旦那ぁ!忘れ物ぉ!財布忘れてるよぉー!」
宿屋の主人が粗末な布袋を掲げて叫んだ。随分と軽そうだ。枯れた果実のように萎んでいる。
「おおーい!旦那ぁ!」
男は控えめに手を振って足早に立ち去った。荒れる吹雪に飛ばされないように、麦わら帽子を押さえつけながら。
「なあお前さん知ってるかぃ?セントラルスカイにモルモットの生き残りがいるって話だぜぇ…ヒック…」
煙草の火を継ぎながら無精髭の男が酒場のマスターに呟いた。かなり酔っ払っているようだ。
「モルモット、ではなく『ベルガモット』では?」
「あぁ?あー…そうかぁ…ヒック。しっかしよぉ。ロクでもねえよ世の中はよぉ。グランの野郎は力と引き換えに心を失くしちまったって話じゃねえか…ヒック。そんなんよぉ…魔物と変わんねぇじゃねぇか…ヒック」
男は机に伏せて大イビキをかきながら寝てしまった。マスターは苦笑いをしながら奥で静かに晩酌をしている客に声をかけた。
「それは釣竿ですね?ここらは一年中冬でね。特にこの時期は気温が低く、池でも何でもカチカチに凍ってしまうんですよ。…あー釣りがなさりたいならここから南にある『ロングライフ』に行ってみてはいかがでしょう?」
男は小綺麗なグラスに半分注いだ「ワイバーンワイン」を飲み干すと、竿を担いで席を立った。
「お客さん今から外に行くつもりですか!?この吹雪の中!」
マスターはカウンターから必死に呼び止めたが、男は気にも留めずに出て行ってしまった。一瞬冷気が酒場に舞い込み、雪のカケラがヒラヒラと落ちていった。
「お客さん…行っちゃったよ…。お代…」
いつのまにか起きていた無精髭の男がポケットから数枚の金貨を取り出し、自分のグラスに突っ込んだ。
「これで払っといてくれ。アイツの分も」
マスターはグラスをひっくり返して金貨を取り出した後、金貨と男を代わる代わるに見た。
「ま、まいど」
男は立ち上がって顎のヒゲを摩ると、白い風に消えていった。
ザク。ザク。
雪を踏み締める音が微かに聞こえる。常人ならまず聞き逃すだろう。この暴風の中、足音を聞き分けるのは至難の業だ。でも、まあできるよな。だってよ…
「俺。だからな。へへっ」
俺の名は『アズール』。ジェネシスじゃ、ちっとは名の知れた賞金稼ぎさ。…魔王のせいで悪さする輩がめっきり減っちまった。そいつらに代わって今は魔物共が各地を荒らし回ってるが、魔物なんかいくら殺ったって何の足しにもなんねえ。
だがな。正直なところ、魔王には感謝してんだ。奴のおかげで武器を持ってたって、「護身用です。」って言やぁそれで通っちまうんだしな。そして何より…一人くらい身ぐるみ剥いで殺したって、魔物のせいにできる。こいつは俺の特権だ。
今、最も役に立つのは殺人のスキル…!弱え奴は淘汰され、強え奴は更にのし上がる!つまり俺が何を言いてえかっつーとよ…。
「こんな夜更けに釣りに行くようなバカはここで死ねってことだよッ!!」
男は奇怪な形状をした大型のナイフを両手に持つと、ミズシマ目掛けて背後から切りかかった。…が。
ズボボッ
「なぁッ!?」
アズールの足元の雪が崩れ沈んでいった。周りの雪もみるみる穴に吸い込まれていく。
「穴ぁ!?落とし穴!アイツが掘ったのか…いや…違ぇ!!!」
穴の下から覗く八つの赤い点。それは白きベールを盾に獲物を待つ、狡猾な捕食者であった。
「ユ、『ユキジゴク』だ…!ああああ!喰われる!助けでぇ!嫌だぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
怪物の口元から伸びる一対の牙がゆっくり開く。牙には無数の棘と返しが付いており、一度捕らえられれば脱出は不可能。アズールは足元から死が近づいてくるのを全身で感じた。死を前にして、息が出来なくなる。
ヒュンヒュンヒュンヒュン…ビュイ!!
何かが風を切り、穴の中へ投げ込まれた。それは穴の中の獲物を捕らえ、穴から文字通り「釣り上げた」。雪の上に放り出される。
ミズシマは自身を殺そうとした男の無事を確認すると、何事も無かったかのように歩き出した。
「はぁはぁ…おい!待ってくれ!」
アズールは立ち上がってミズシマの前に躍り出た。
「なんで俺を助けた…。俺はアンタを殺そうとしたんだぞ!!」
ミズシマは帽子を強く押し付けると、下を向いてアズールの横を素通りした。
「ちょ…待てって…おい!」
横切るミズシマの手を掴んだ。体型の割には細い手だ。筋肉なんて殆ど無いんじゃないか?
ミズシマはアズールの手を振り払って先に進もうとする。
「いや、だから俺はただ礼を言いたいだけで──」
「触らないで!!!」
ミズシマはアズールを殴り飛ばし、後退りした。麦わら帽子が雪の上に落ちる。
「いってぇ…なにも殴るこたぁねぇだろ。…は?お前、それ…」
麦わら帽子の下に隠れていたのは、深い青色の髪を短く切った少女であった。
「フーッフーッ」
少女は顔を真っ赤にしてアズールを睨んだ。目には大粒の涙を浮かべている。
「お前…女だったのか」
巨体に似合わない可愛らしい小顔。誰がどう見てもアンバランス。頭取れちゃった着ぐるみみたい。
「わ、私はただ!魚釣りに来ただけなのに!ただ、静かに釣りがしたかったから!ここまで遥々来ただけなのに!」
涙がポトポトと落ちる。
「いや、悪かったよ。ごめんな。だからもう、そんな泣くなって…な?」
アズールは決まりが悪そうに苦笑いを浮かべながら何度も謝った。
「どうして!みんなそうやって寄ってたかって私を目の敵にするわけ!?冬に釣りしちゃいけないの?余計なお世話だよ!!」
「そりゃお前を心配してんだろうよ…」
少女は悔しそうに地団駄を踏んだ。ザク。ザク。これくらい大きな音なら誰でも聞き分けることができそうだ。
「それと、さ。その…助けてくれてありがとよ。もう終わりだって思ったよ。けどお前が…俺が殺そうとしたお前が助けてくれて…なんて言ったらいいか…」
すると、今度は少女の方が決まりが悪そうに腕組みをして、そっぽを向いた。
「あ、あれは別に…あんたが助けて欲しそうな顔してて…そう!泣き叫んでてうるさかったから!そう!耳障りだったから助けたの!だから別に、優しさとかそーゆーのじゃない!!」
少女はなぜか勝ち誇った顔でアズールを見下ろした。
「あ、そう。まあ、経緯がどうであれ、助けてもらったのには変わりねえし感謝してんだけどよ」
アズールはパンパンと服を叩いて雪を落とした。
「達者でな。大物釣れるといいな。あばよ」
アズールはポケットから煙草を取り出して、ライターで火を付けた。若干吹雪は弱まり、行きよりは足取りが軽かった。
ヒュンヒュン…ビュンッ
何かがアズールの上着に引っかかり、後ろに引っ張った。不意を突かれ、尻餅をつく。
「何すんだてめえッ!」
少女は釣竿を担ぐと背を向けながら、上ずった声で言った。それはヘンテコな2人の冒険の始まりでもあった。
「伝説の釣師の正体を知ったからには…ちゃんとセキニン取ってよね!!!道案内してもらうから!」
「俺が…お前と?」
どうやら吹雪は止んだようだ。
ザク。ザク。
「まあ…簡単に自己紹介といこうか」
前を歩くアズールが軽い調子でせせら笑った。ミズシマは黙ったまま雪の上の一回り大きい足跡を辿った。
「俺の名はアズール。巷じゃ話題の賞金稼ぎ。ま、よろしくな。お嬢ちゃん」
「お嬢ちゃんって言うな!」
背後から飛んできた釣竿がアズールの脇腹にクリーンヒットした。
「…てか、何が賞金稼ぎなんだよ。私、賞金首じゃないんだけど」
脇腹を抑えて悶えていたアズールの動きがピタっと止まる。それを見て、ミズシマはやれやれとため息をつくと、今度はアズールの前を歩き始めた。アズールも慌ててミズシマの後を追うが、さっきよりも間隔を空けた。
「お、おい…。自分を殺そうとした奴に背ぇ向けていいのかよ。あ、いや別に変な気ぃ起こすわけじゃねえけどよ」
怪訝そうにアズールが問いかけると、ミズシマはさっきとは打って変わって下を俯き、落ち着いた口調で呟いた。
「まあ…うん。そーゆーの慣れてるし」
慣れてる?この歳でか?
「おい」と言いかけたところで、アズールは同じように下を俯いた。
これ以上聞くのは野暮だな。俺達は所詮、道案内する側とされる側。それ以外の繋がりなんて無い。こいつがスプラッシュ湖に着いたら、それで終わりだ。
「…あ、これ聞くの躊躇ってたんだがよ。お前なんでそんなでけぇんだ?顔は小せえし、手足は細いし。お前一体どんな身体の構造してんだよ」
アズールは笑うのを一生懸命堪えながらまた問いかけた。
「これ防寒着。重ね着したらこんなになった」
「あ、そう」
ザク。ザク。静かな雪原に足跡だけが響く。
「私、ミズシマ。好きなことは釣りで、嫌いなことは子供扱いされること」
子供扱い、という部分を強調して自己紹介するのを見て、アズールが苦笑いした。
「ミズシマって可愛げのねえ名前だなオイ。もっとガキにお似合いなぷりちーな名前があっただろよ」
おっさんの揶揄いに対して、可愛げの無い名前の少女は後半を見事にスルーして淡々と答えた。
「うちの家系は代々、ミズシマの名を継ぐことになってんの。伝説の釣師ミズシマに肖ってさ」
500年前、ミズシマと名乗る釣師がいた。伝承によると釣師ってより漁師だったようだが、まあ大体一緒でしょ。魔王討伐の立役者となったミズシマは歴史に名を刻み、ミズシマの名を継いだ者は「海を味方につける」と言われている。
「じゃあ…お前は今日から『ミズキ』だな」
「はあ?」
少女は振り返り、ドヤ顔のアズールを見た。
「どうだ。可愛げあるだろ」
「いや、ダサすぎ。それに…」
少女はまた俯いて答えた。
「ミズシマの名を捨てる事は一族の伝統に泥を塗ることになる。この名前を与えられる事はとっても名誉あることなんだからね。」
「そういうもんなのか…」
「じゃあ」
これまで戯けた拍子だったアズールが急に真剣な顔になった。足音が止んだ。
「お前は、その名前つけてもらって嬉しかったのか?…ミズシマ」
ミズシマは答えなかった。答えたところで何か変わっただろうか。さっき会ったばかりのならず者に身の上話をして何になる。口元のマフラーを強く噛み、また歩き始めた。
ザク。ザク。
夜通し歩いて雪原を抜けた。寝坊した太陽が二人を祝福した。既に疲労は限界を超えていたが、互いに迷惑をかけぬように黙って歩いた。小さな洞穴を見つけ、アズールが欠伸をしたとこで二人はようやく休憩に入った。
「よっ」
アズールが地面に小さな赤い玉を放り出した。宝玉は砕け散り、丸い炎が宙に灯った。
「なにそれ」
「ブレイズ玉だ。知らねえのか?」
そう言って、アズールは腰の布袋から色とりどりのビー玉のようなものを取り出した。透き通った表面には文字のようなものが刻まれている。
この玉は個人の魔力を一定量蓄積することができ、破壊することで効力を発揮する。
魔力とは、言い換えれば生物が皆多かれ少なかれ持っている生命エネルギーであり、魔法の使用以外にも日々の活力として少しずつ消費されている。寧ろ、それを応用したのが魔法なのだ。寝れば回復するし、尽きれば死ぬ。魔法とは明らかに生命の理を逸脱している。それは紛れも無い事実であり、魔法の使用を拒む者も多いため、魔法社会となった現在も非魔法学校は根強く残っている。
「こいつさえあれば魔法が苦手な奴でも、五属性の魔法がある程度は使える。ジェネシスが世界に誇る大発明なんだぜ」
アズールは胸を張ってドヤ顔した。自分が作ったわけでもないのに。
「科学は魔法への冒涜だよ。いずれ、人は破滅を知ることになる。…ま、便利だから私も使うけどね」
釣り針がアズールの腰の袋を引っ掛けて、ついにはミズシマの右手に収まった。
「な!返せ!」
「返せって言われて返すなら初めから盗らないよ。さーてさて、どんなのが…うん?」
空っぽ。袋を開けた。中を見た。空っぽ。さっき、袋に入れるとこ見たのに。
「…くくくくっ。はーはっはっは!」
アズールが突然腹を抱えて笑い出した。ミズシマは袋の中をもう一度覗いた後、周りを見渡した。隅々まで。でも、無い。
「んだよ、そのマヌケ面は!いーひっひっひー…ちょ、貸してみろや。くくくくっ」
アズールはそう言ってミズシマの手から袋をひったくると、袋をひっくり返した。
ジャララララ…
袋から、当然のようにカラフルなビー玉が。粗末な宝石はパチパチと弾かれて疎らに散った。
「は…?」
ミズシマは散らばった玉を見て開いた口が塞がらない。
「いや、驚きすぎだろぉ。かはははっ!」
キョトンとしていたミズシマだったが、一杯食わされたことにようやく気がつき、釣り竿を構えた。
「おーまーえーはぁ…笑いすぎだァ!!」
特殊な金属で作られた竿がアズールの頭にまたもやクリーンヒットした。…が。
「え」
首が飛んだ。正確には、消えた。竿の直撃と同時に首から上がパッと消えてしまったのだ。
「え、ごめん!え!?ちょ、ど、どーしよぉ!?殺しちゃった…人を殺しちゃった!!」
頭を抱えて慌てふためく。顔は青ざめ、目にはうっすらと涙が。
「まあまあ。落ち着けよ」
「そ、そうだよね。落ち着かなきゃ。すー…はぁ。よし」
「そうそうその調子」
ミズシマは何処からともなく聴こえてくるアズールの声に励まされながら深呼吸をした。…ってアズール?
「は!この声アズール!あんた生きてんの!?」
「まあな」
声と共に、ニヤケ顔のおっさんの頭が首の上に現れた。
「どうだ?俺の魔法は。すげえだろ」
洞穴で一夜を過ごした2人は再び目的地に向かって歩き出した。いや、やましいことは何も無いからね!
「ねーこれあとどれくらいかかるんですかぁ。アズールさぁーん」
ミズシマはなるべくアズールの神経を逆撫でしてやろうと精一杯ウザい口調で話しかけた。
「あと2時間ってとこだな。あと、さん付けやめろ」
「いやいやぁ。とぉんでもございませんよぉ。私を騙せるほど聡明なお方を呼び捨てだなんてぇ。でぇきましぇんよぉ」
ミズシマは変顔して答えた。アズールも負けじと変顔をした。それから沈黙が続いた。
ザク、ザク。
変顔の2人が雪の上を歩く。
「そういや、よ。別に否定するわけじゃなくてよ。単純にわかんねえから聞くんだけどよ」
「なんですかぁ」
アズールは頰をポリポリと掻きながら申し訳なさそうに口を開いた。
「いや、釣りってさ。何が面白いの?」
ミズシマはその言葉を聞いて、まるで石になったかのように急に立ち止まった。アズールも苦笑いをしながらその場で止まった。
「あんた…それ本気で言ってんの?」
「あ、これ禁句だった?ごめんな?」
アズールが疑問を抱くのは、至極真っ当なことである。一年中雪が降るジェネシスの周辺では魚類など滅多に見かけない。てか、川とか一切合切凍ってるし。故に、アズールにとっての魚は皿の上で天命を待つ美味しい食材でしかなかった。
「釣りとは…即ち己との戦い。静寂に反響する水の音。自然の声。そしてなんと言っても…」
ザク。ザク。
「…あー話終わった?ま、まあ釣りの魅力は伝わったぜ…うん」
釣りへの愛を語り尽くしたミズシマは満足気にまた歩き出した。これには流石のアズールも言葉を失った。
「ってことはアレだな。今から、その…己との戦いってのが始まんだな?クソ寒い中ご苦労様です」
「え?あ、うん。そうだね」
ミズシマはぎこちなく笑うと歩くペースを上げた。
「なんだよ。違えのか?」
明らかに反応がおかしい。スプラッシュ湖のヌシを釣りに行くんだからもっとウキウキなのかと思ったよ。
「あんたには…関係無いから。二度と湖の話はしないで」
ザク。ザク。
今度はアズールが立ち止まった。ミズシマはアズールの神妙な顔を覗き込んだ。
「なに?トイレ?」
アズールは答えるそぶりもなく鼻をヒクつかせた。
「…お前、ちょっとそこの岩んとこ隠れてろ。いいって言うまで出てくんな」
「は?なに言ってんの?」
「いいから。さっさと言う通りにしろ」
アズールが冷たくそう言うと、ミズシマは渋々岩陰に身を潜めた。
「…血の匂いだ。人だ。人が死んでる。それも大勢。マズイな」
アズールはマフラーで口元を覆うと、地面に手をついて魔力を込めた。
使うしかねえか…これ、結構魔力消費するからあんまやりたくねえんだがよ。
無法者。
そうアズールが心の中で呟くと、音も無く足が、体が、そして頭まで綺麗さっぱり消えてしまった。
「や、やっぱりいつ見てもギョッとするね…魚だけに」
幼い頃に両親を亡くし、以来孤独に生きてきた。信じられるのは己だけ。アズールは独学で魔法を学び、ジェネシスで負け無しの賞金稼ぎになった。
しかし、これは違う。意識して習得したものではない。非力な自分ではこの世界を生き抜くことができない、と。絶望したあの夜。アズールは闇に紛れる力を得た。魔法とは決定的に違う何か。それは徐々に進化していき、アズールは無敵の無法者になった。
俺が最強たる所以…全てを覆す神の力!俺や俺の触れたモノを「見えなくする」。見えねえってことはつまり、負けねえってことだ!!
さて。どこだ。あんなに沢山殺した馬鹿は。
アズールは音を消し、ゆっくりと進む。血の匂いが濃くなる。アズールが幾度と無く嗅いできた匂いだ。
グルルルル…
唸り声!近い!
アズールは声の方向を見た。
「な…!」
そこに居たのは、口元を真っ赤に染めた巨大な白き獅子だった。背のあたりが異常に肥大している。
「ガルルルル…」
…!!あの服…喰われたのはジェネシスの兵士だ!全員か!?アイツに全員やられたのか!?
「嘘だろ…」
「グゥ!」
しまった!!
アズールの声に反応して、獅子は喉を低く唸らせた。目を細め、目前の虚空を見つめている。
そこでアズールは漸く気がついた。この明らかに異常な光景に。バラバラに引き裂かれた兵士達の死体。…おかしい。まさか。
コイツ…。喰ってねぇ!!
獅子の足元には亡骸が転がるばかりで、捕食された形跡が一切無いのだ。そもそも腹を満たすだけならこんなに細かく切り刻む必要はない。こんなに…沢山殺す必要も。
殺しを楽しんでやがる。クソサイコ野郎が…!
アズールは双刃を手に取ると殺気に満ちた目で獅子を睨み返した。すると、獅子はアズールの殺気に応えるように、血に染まった大口を開いた。
「オレハ…ダレダ…」
!!!
「ココハ…ドコダ…ボガート…テリー…アーヴィン…バコール…ナゼシンダァァァァァァァア!!!」
「オレハツクシタ!!ナゼダ!!ナゼウラギッタァァァァァァァァア!!!」
獅子は天に向かって吠えると身体中から血を吹き出しながら膨張し、ますます巨大になった。
「訳分からねえよ!ミズキ!こんなとこさっさと離れるぞ!!」
「だからその名前で呼ぶなって!!」
二人は今にも破裂しそうな獅子を横目に一目散に逃げ出した。
「なんなのアイツ!なんで喋ったの!?」
「知るか!!てか、アイツ相当ヤベエぞ!そこらの魔物とは段違いに強え!!」
「ヤバイのは見たら分かるわ!」
二人はチラチラと後方を確認しながら、木々の隙間から僅かに見える化け物の様子を伺った。もう見えなくなるとこまで来ると、二人はその場に倒れ込み、息を整えた。
「ハァハァ…クソ…。んだよありゃぁ」
「ヌシの影響で魔物が凶暴化してるのは知ってたけどさ…あんなヤバイのがいるとはき聞いてないんだけど!」
ミズシマはリュックから金属の容器を取り出すと、仰向けになって倒れているアズールに差し出した。
「なんだよこれ」
「魚介のスープ」
「あ?」
アズールは容器のフタを取ろうとしたが上手くいかない。
「引っ張るんじゃない。左に捻るの」
「あ、こうか」
フタを取ると白い湯気がアズールの冷たい顔を抱擁した。優しい温もりがじわじわと肌を伝う。その後は、スープの芳ばしい良い香りが遅れて嗅覚を刺激した。舌が熱くなり、唾液が溢れる。アズールは実に無意識的に、生唾を飲み込んだ。
「フタ取ったけど、どうすりゃいいんだ?」
アズールは我に帰り、ミズシマに尋ねた。
「どうって…飲むに決まってるでしょ。スープなんだから。まさか飲んだことないの?」
ミズシマはニヤニヤしながらアズールを見つめた。
「飲む…そ、そうか。これ……飲んでいいのか?」
「…いいって言ってるでしょ。言っとくけど、それ私が作ったからあんま味は期待しないでよね。」
アズールはミズシマを数秒見つめたあと背を向けてスープを一口飲んだ。また一口。ふぅー、と深いため息を吐いて、スープの容器をミズシマに戻した。
「あー、まあ味は置いといて。体は温まったでしょ?一応これ、一緒に来てくれたお礼…的な。」
「…かった」
「ん?」
アズールは向き直って目線を横に逸らしながら決まりが悪そうに言った。
「クソ美味かった。……ありがとよ」
ミズシマは一瞬、言葉の意味が理解できないという様子で固まった後、同じように目線を逸らしてスープを再度差し出した。
「…そんなちょっとじゃ、味なんかわかんないでしょ」
アズールは驚いた顔をして、一度、ぎごちなく頷いた。静寂に。スープを飲む美味しそうな音だけがこだました。
夏終わった…。




