第10話 ないものねだりです
暗く深い闇と、憤怒の如く盛る炎が二人の少女の間でせめぎ合う。一歩も引かない。そんな両者の心を具現しているようにも見える。
「二度とソの口がきケなイヨう、ブっ殺シてアゲまスッ!!!」
シルヴィアの両眼がカッと見開かれると同時に、彼女の背後から黒いモヤが溢れ出し、辺り一帯を覆う。たった一瞬で、昼は夜を迎えた。
「どウです?この力!実に素晴ラシいと思いまセんカ?!」
普段の落ち着いたシルヴィアからは想像できない上ずった声。絵に描いたような狂人。
「…本当に変わってしまったのね。でも…まだ間に合う。しっかりと罪を償って、そしてハル達に──」
「黙レェッ!!!」
シルヴィアの足元から無数の黒い触手が飛び出す。触手は目にも留まらぬ速さで地を這い、ローズに接近していく。
ローズの左手から橙色の光の粒が散る…!
「薔薇園」
ローズの左手から火種が撒かれる。小さな火種は草木に引火し、彼女を囲むように勢いよく燃え広がった。
「これが本当の焼け野原ってね。まあ一応、世界最強の魔道士の血を引いているからね」
触手は炎に包まれると、小さな爆発を起こしながら次々に消えていく。それでも炎の勢いが弱まる気配は無い。
「くッ…!ンッ!ッ!」
何度も触手をローズに伸ばしても、炎で防がれ消えていく。消える度に触手がシルヴィアの足元から飛び出し、また消える。炎の勢いと範囲はみるみる増していき、シルヴィアは徐々に崖際に追い詰められていく。
ローズは焦るシルヴィアを真剣な表情で見つめていたが、しばらくして妙な違和感を覚えた。ローズはその違和感の正体を探るように、今度は小さな火の玉をシルヴィア目掛けて撃ち出した。
「そんなモノッ!!」
シルヴィアの右手が闇に覆われ、火球に絡みつく。火球は跡形もなく弾けた。手には微かに火傷が残る。
ローズは自分が感じている違和感が一体何なのか、少しわかってきた。明らかにおかしい。
「もしかして…」
ローズがシルヴィアから目を逸らした瞬間──
「きゃッ!」
崖が崩れ、シルヴィアが転落する…!
「はっ…シルヴィア!!そんな…!」
周囲の炎が一瞬で消え、ローズは崖に向かって走り出した。小さなローファーが地面を踏む度に、燃え残った灰が舞う。不安と焦りが募る。
崖下を覗き込み、暗闇の中、シルヴィアを探す。すぐに医者を呼ばなければ。そう思い、ポケットから携帯を取り出した。が、
ボッ
「ひゃッ!」
崖の遥か下で青白く光ったかと思えば、消えたはずの炎が再び燃え上がり、ローズを焼いた。痛みで思わず携帯を崖下に落とす。
「そーユーとコロが甘イんデすヨ」
いつのまにかローズの背後にはナイフを持ったシルヴィアの姿が。声に驚き、後ろを振り向く。
ブシュッ
シルヴィアはローズの胸に勢いよくナイフを突き刺した。ズブズブと、ローズの胸はナイフを飲み込んでいく。傷口から鮮血が湧き出す。
「ぐっ…かはッ!」
ローズは頭を項垂れ、吐血した。ドクドクと、口と胸から真っ赤な血が流れる。
「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!やっと!やっと殺せた!これで私は…私は……」
シルヴィアは狂った笑い声を上げ、涙を流し始めた。しかし、ナイフを持つ手が緩むことは無い。
二人の背後では依然、炎が燃え盛っている。
「…やられ……たわ…。どうやったのか……くッ…わから…ない……けど…。はぁ…最後に…一つだけ教え…て」
ローズは虚ろな目でシルヴィアを見る。焦点が合っていない。シルヴィアは空を見上げたまま、ローズの言葉に耳を貸していないようだ。
「どうして…あなたは…水魔法を使わないの?」
燃え盛る炎がシルヴィアを抱擁する。
「あああああああッ!熱イ!熱イぃぃぃぃッ!」
シルヴィアがナイフから手を離すのと入れ替わるように、ローズの両手が胸に刺さったナイフをしっかりと掴み、引き抜いた。大量の血が吹き出す。
「ああッ!はぁ…はぁ…」
シルヴィアはよろけながら後ろへ退く。
「ねえシルヴィア…さっきからずっと気になっていたの。はぁはぁ…なぜ貴女は水魔法を使わないの?貴女は最初から、水魔法を使えば防げた攻撃を無理矢理闇魔法でガードし、その度に怪我をしていた。…なぜ?」
よろめきながら立ち上がる。ポタポタと血が地面に落ちる。
「答えは簡単。使えないから。いえ、もし貴女が本当にシルヴィア=レイズなら可能なはず。でも貴女は…」
ローズの顔が怒りの表情に変わる。
「シルヴィアじゃない…!」
「例え、外見や記憶を繋ぎ合わせても、その奥底に眠るモノはまるで違う。時折見せる残酷な表情。あなたが何者かなんて、私にとってはどうでもいい。シルヴィアの体を返してもらうわ…!」
シルヴィアの体から闇が吹き出し、炎がかき消される。
「カカカカカカカカカッ!オミゴトォっオッホッホッホォォォォ!」
吹き出したドス黒いモヤは人の形になり、シルヴィアを担ぎ上げた。血に汚れた銀髪で顔は見えないが、シルヴィアはぐったりと項垂れている。
「ワタシを見破ルとハナァ…そウか…オマエは…アイツの妹カァ…ハハァ!」
現れた傷顔の老人はしわがれた声で笑った。黄色の眼がギョロギョロと忙しなく動き回る。
ローズは老人の言う『アイツ』に心当たりがあった。闇の魔法の使い手を見たのはこれで二度目だったからだ。
「まさか…貴方は…。貴方がお兄様に…!」
ローズの呼吸が荒くなる。地面に落ちる血の間隔が狭くなった。
「ホホォ…オマエも中々、良い闇を抱えテいるナ。魅セておくれ……負の記憶」
ローズの目の前が暗くなり、意識が遠退いていく。
「…い。おーい。寝てるのかな?」
誰かの声が聞こえる。懐かしい、どこか間抜けたような声。まさか…!ローズは飛び起きた。
「あはは。やっぱり狸寝入りだ。母さんに怒られちゃうよ?」
屈託の無い笑顔で自身の顔を覗き込む少年。ボサボサの赤髪。左目の涙ボクロ。
「お兄…様?」
手の下の草の芽がチクチクと痛い。日差しは暖かく、さっきの崖とはまるで違う。
「『お兄様』は父さん達の前だけでいいって、いつも言ってるでしょ?そうだ!いつもみたいにポカポカ体操踊るかい?」
「そんなん初めて聞いたわ…」
そう。お兄様はいつもこんなバカみたいなこと言ってたっけ。精神年齢の高さだけは負けてなかった自信がある。
「うーん。それじゃあ…『魔王ごっこ』でもやるかい?」
なんだそりゃ。言うなら『勇者ごっこ』でしょ。魔王が主役でどうすんのよ。
そんなことを思いながら、自然と涙が零れてきた。これが夢だとわかっていても、この幸せな日々が永遠に続けばいいのにって思った。
「じゃあ私勇者ね」
そう言うと、お兄様は驚いた顔をした。
「ええっ!勇者でいいの?勇者は世界を終わらせる悪者だよ?」
「ああ、そうなのね」
お兄様はいつもこんな調子だ。私は軽くあしらうと立ち上がって、辺りを見回した。
「うおおおおっ!世界を終わらせる勇者め!世界の平和は俺が守る!!やあ!」
主役の魔王は思い切り、剣を振り下ろした。いや、実際に剣は持っていないけど。お兄様はいつも、ごっこ遊びを本気でやった。だだっ広い我が家の庭で必死に剣を振り回している。
いつも…?そうか。私が今見ているこの景色こそが日常なんだ。私は長い悪夢を見ていたらしい。ハル?シルヴィア?よくよく考えれば、そんな人達は知らない。妄想の登場人物に過ぎなかったようだ。
「100万人で来るなんてずるいぞー!えい!やあー!……ってあれれ。お客さんが来たみたいだ。ちょっと待っててね」
そう言って、お兄様は正門に向かって走り出した。靴と草が擦れ合い、スナック菓子を食べているような、心地よい音を奏でている。
その時、ローズの脳裏に『あの日』の光景がフラッシュバックする……!兄が自身の前から消えた『あの日』。
「だめッ!いかないで!!」
お兄様は声に驚き、立ち止まった。私はお兄様に駆け寄り顔を埋めた。
「ど、どうしたの?今日のローズ…なんか変だよ?」
「ごめんなさい。…なんだかこのまま、どこか遠い所へ行ってしまうようで。もう会えなくなるんじゃないかって…。そう考えたら…私…お兄様を守りたい!!」
また涙がこぼれてきた。でもさっきのとは違う。不安で、寂しい涙。お兄様は私をぎゅっと抱きしめた。慰めるように背中をポンポンと軽く叩いた。温かい。お兄様の匂い。お兄様は柔らかな笑みを浮かべて言った。
「お ま え は な に も ま も れ な か っ た」
!!!
「ヴィゼフ様、俺に力を下さい。」
私は何も守れなかった…。
「ほう、貴様がベルガモットの長男か…。私はルドゥッシュだ。どうだ?光の賢者に入らんか?貴様なら喜んで歓迎しよう」
私のせいで。お兄様は…ごめんなさい!ごめんなさい…。
「黙れ。俺はこの世界を解放する。この闇の力で……!!」
ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!
「その力をどこで……!や、やめろォ!!」
「ハハハハハァ!みんな俺が守るんだ!!力が無ければ何も守れない…なあそうだろローズ?」
赤い空が私を責める。見渡す限りの死体の山。地面から湧き出した赤い水が私を飲み込んだ。
私のせいだ。私の罪。あの時、お兄様を止められなかった。私がもっと早く、お兄様の気持ちに気付いていたならば。お兄様は私達家族のことを一人で抱え込み、私達のために闇に魂を売った。
人が狂う時。それは、耐えきれない程の苦しみに直面した時。お兄様の苦しみとは、家族を守らなければいけないプレッシャーだった。何も…知らなかった。私はなんて弱いんだろう。こんなことならいっそ…いっそ…!
「いっそ…なんですか?」
声が聞こえた。透き通るような優しい声。沈んでいく私よりも、ずっと深い所から聞こえる。
「シルヴィアなの?」
姿は見えない。だが、確かにそこにいる。そんな気がした。
「シルヴィア!待ってて、今助けるから!!」
私は血のような水を掻き分け、深く深く潜っていった。だが、シルヴィアは見えない。
「ローズさん…お兄様が大好きだったんですね。ハルくんが嫉妬しちゃいますよ?」
息が続かない。苦しい。
「のほほーんとした感じ、ハルくんと似てますね。もしや、ハルくんに告白したのって…」
ドキッとして手が止まる。思い出した。初めてハルに会った日のこと。魔法の才能が無い所以外は、本当にお兄様とそっくりだった。心に空いた穴を埋めるように、私はハルに迫った。最低な女だ。
「いやーチョロいですねー。ま、そーゆーところも尊敬してますけど。…ローズさん。もう私のことはいいです」
シルヴィアの声が小さくなる。
「いいって、それどーゆー意味よ?!馬鹿なこと考えてないで手を伸ばして!」
息が。もう限界だ。でも諦めるわけにはいかない。
「もういいんです。でもその代わり、ローズさんには超ウルトラスーパー幸せな人生を送ってもらいますからね!約束ですよ?」
待って!嫌だ、いかないで!シルヴィア!私まだ、貴女に伝えたいことがいっぱいあるの!一緒に勉強したいし、お買い物だって行きたい!こんな終わり方…嫌だ!
「ローズさんが無くしたモノは多いかもしれない。それはハルくんも同じ。でも…ないものねだりをしていたら、今あるものさえ無くしかねない。…少しの間お別れですね。次会う時は私も世界最強の勇者になって、そんでもってハルくんのハートを射止める程の爆乳美女になってますから!覚悟しておいて下さいよ!ふふふっ」
無い物ねだり…か。待ってて。お兄様も、シルヴィアも。
いつか必ず。
助け出してみせる!!!
突然、何かに引っ張られるように体が浮き始めた。凄いスピードで水面に向かって浮上していく。これまでの光景が走馬灯のように水の流れに逆らって闇に吸い込まれていく。この『悪夢』にエンディングが訪れたように。
「グゥゥゥゥゥッ…ナゼナゼナゼナゼナゼェ!!ノゾミを叶えタノにィ、ナンの不満ガァアルのダァァぁァ…!」
気づけばそこには、シルヴィアと老人…ヴィゼフが倒れていた。ヴィゼフの喉元には銀色のナイフが突き刺さっている。シルヴィアの最後の抵抗だろう。
「オマエもワタシの下僕にしテやロウ!他者ノ『負の感情』ヲ暴走さセ洗脳スル…我ガ闇の力…負の解放!!」
ヴィゼフの口から黒い手が吐き出され、ローズの頭を掴む。ドロドロとした黒い粘液がローズを包み込む。
「グラン=ベルガモットの『責任感』!騎士達の『恐怖心』!ハル=ウォーリアの『孤独感』!シルヴィア=レイズの『劣等感』!実ニ素晴ラシイ!!さァ魅セてクレェェェッ!偉大ナル闇をォォォォオッ!!!」
ローズを金色の炎が包み込む…!炎は翼に変わり、その羽ばたきは闇夜を焼き尽くした。陽光が差し込む。
「人は誰しも心に闇を持っている…。私もそう。それでも人は前を向いて生きていく。自らの罪を背負い、償うために、今日を精一杯生きるの!」
血に汚れた銀色のナイフが分裂し、ローズ目掛けて撃ち出される。
「皆の闇につけ込み、私欲の為に利用した貴方を…絶対に許さない!!!」
ローズに近づくにつれ、ナイフは熱で溶けていく。
「償いの時よ…!満開の薔薇!!!」
ヴィゼフの足元の地面に亀裂が走る。大地は唸りを上げ、膨張していく…!
「バカナバカナバカナバカナバカナァァァァァァァアッ!」
爆発音と共に、地面が破裂し、周囲のあらゆる物が消し飛ぶ。ヴィゼフは業火の中で地団駄を踏み、灰となった。
「はぁはぁ…。やっと…終わった…。シルヴィア!」
ローズはシルヴィアに駆け寄り胸に耳を近づける。…まだ生きている!
爆発音を聞き、近隣の住民や学校関係者、光の賢者職員が集まる。野次馬が爆発音の正体を知ろうと、ローズとシルヴィアを囲んだ。
「誰か!回復魔法が使える方はいらっしゃいますか?!この子…まだ生きています!」
ローズは必死に助けを求めた。しかし、名乗り出る者はいなかった。それどころか聞こえてきた声は、
「あれ、例の通り魔じゃねえか?おっかねえ…血だらけだ」
「警察はいないの?さっさとどっか連れて行ってよ。危なっかしいったらありゃしない!」
「そうだそうだ!早く殺せよ!犯罪者なんだろ?!」
無慈悲な民衆の声。シルヴィアはヴィゼフに操られていただけ。だが、それを信じる者はいなかった。シルヴィアの鼓動が遅くなる。今にも消え入りそうな弱々しい音。
「はぁはぁ…誰か。お願い…!」
ローズの涙がシルヴィアの頬を伝う。その瞬間、シルヴィアの体が青白い光に包まれた。光はどんどん強くなり、光が消える頃には、シルヴィアの姿も消えていた。
「何が起こったの…。シルヴィアはどこ…。って、これ一体どういうこと。」
ローズが顔を上げると、さっきまで罵声を浴びせていた野次馬達がカチカチに固まっていた。まるで…時が止まっているような。あの青白い光…さっきも。
「コ…コレガ…『レイズの力』。時ヲ操リ、万物ヲ輪廻ニ誘ウ力……!!」
振り向くと、宙に浮いた黒いボロボロの布切れが喋っていた。ヴィゼフ…こいつは不死身なの?!
立ち上がろうにも力が入らない。先程の戦いで全魔力を使い果たしてしまった。殺される…!
ローズが目を瞑り、死を覚悟した瞬間──
チュンッ
白い光が布切れを貫く。それに続くように次々と光が布を串刺しにし、ついに跡形も無くなった。
「時を操る力か…なるほどな。合点が行く」
光が放たれた方向を見ると、腕組みをしたリクが立っていた。半裸で、下半身には白い布…おそらく病衣を纏っている。
リクは若干漂っている黒いモヤを左腕の機械で採集すると、ローズを担ぎ上げた。
「は?ちょ、何してんのよ?!」
ローズは声を張り上げるが、体は疲労で動かない。リクは全く動揺せず、落ち着いた、冷たい声で言った。
「病院に行く」
依然固まったままの野次馬達を押し倒しながら、山道を下って行く。
「そ、そうなの?…ありがとう。でもせめて、別の運び方にしてくれない?パンツ見えちゃうわよ…」
「問題無い。俺の視界には入っていない」
それぞれの決意を胸に、今日を懸命に生きる小さな勇者達。そんな中、遠征隊選抜試験、第三次試験が始まろうとしていた。彼等に待ち受けるのはハッピーエンドか、それとも…。
やっと10話です。
短いようで長かった。




