17 よいしょー!
三週間が過ぎた。土曜日の昼下がり。うちに未来と脩平が来てる。
いま茉莉子と脩平は二階の居間できゃーきゃー言いながらマリオカートで遊んでる。スーファミ版のふっるいやつだ。
「あいつら仲良しだな」
俺は未来と台所のテーブルで冷やしポッキー食いながらタバコ吸ってまったりしてる。未来は前かがみになって野菜ジュースを一口飲み、舌の先でストローを押す。
「妬いてんの?」
「んなわけねーだろ」
未来は細いタバコをくわえて、にやにやしながら俺見てる。俺は横を向いてふーっと煙を吹き出す。で、思い切って一番気にしていることを話題にしてみる。
「晴香ちゃん、最近どう?」
「どうって、元気だよ」
「そっか」
俺は胸を撫で下ろす。実はあの後、何度も電話してみたのだが、着信拒否され、メアドも変えられ、先週ついに番号そのものが変わってしまった。
「俺、店行ってもいいかな?」
未来はタバコを消しながら眉間を狭めた。
「やめなよ。晴香が嫌がるし、それに茉莉子ちゃんだって嫌だと思うよ」
「だよな」
俺はタバコを灰皿に押し込んで、コップに口をつけた。もちろん中身は野菜ジュースだ。
「晴香ちゃんさ、俺のこと、なんか言ってる?」
「自分からは言わないけど、アタシが『あいつちゃんと謝ったぁ?』って聞いたら『ちゃんと謝ってくれたよ』って、言ってた」
あれは謝ったうちに入るのかって思って、久しぶりに胸が痛んだ。
「てか、もう虎太郎のことなんかどうでもいいと思うよ。晴香、彼氏できたし」
「あ、そなの?」
未来はポッキーを一本抜いてぽりぽりかじった。
「うん。年は一個下で、才能溢れる役者の卵なんだって」
あいつかよ。
「一回お店にも来たけど、すーごい礼儀正しくてかっこいい子だったよ。虎太郎なんかよりずっと晴香に似合う。晴香もなんかね、うれしそうだった」
「へえ」
「まあ、積年の呪縛から解き放たれたわけだもんね」
未来はそう言って、俺を指差す。
「ひでえ言い方だな」
うまい言い方かもしれない。未来はクスクスと笑う。未来って、昔はこんな笑い方しなかったよな、とかふと思う。
「でもまあ、アタシ的にはこれでよかったのかなって気がしてるんだけどね」
「まあ、な」
「悔しい?」
「いや、肩の荷が下りた、って言うとかなり傲慢だけど、でもすごくよかったって思うよ。ただ、無責任だなって」
「無責任」
「俺がね」
そう言った俺に未来は何故か少し頬を緩める。
「いいと思うよ。誰も虎太郎に責任取らせようなんて思ってないし、それこそ傲慢だって。もう気にすんな」
「そんなんでいいのかね」
俺は頬杖をついて、冷たいポッキーを口にくわえてぽきんと折る。
「いいんだって。晴香にはもうイケメン俳優がいるんだし、虎太郎にだって茉莉子ちゃんがいるんだから」
未来は天井を見上げた。俺もつられて見る。TVゲームやってるくせに、どすんどすんって音がする。脩平、バナナよけるとき自分も飛ぶからな。そのせいでたまにデータも飛ぶし。どうせ茉莉子も真似してんだろうけど。あいつら意気投合しすぎなんだよ。てか、
「あれ、妹だから」
「てかさ、妹なのはわかったけど、それにしてもあんたらベタベタしすぎじゃない?」
「してねえし」
「特に外。手ぇつないでんじゃないかくらいの距離から絶対に離れないよね?」
「いや、拉致られるといけないからさ」
未来が思いっきり顔をゆがめた。壁をゴキブリでも這ってるのかと思って後ろ見たけど、ゴキブリは俺だった。
「過保護。溺愛しすぎ。どこからそういう発想が出てくんの?それでなくても何か怪しい兄妹なんだから、変な噂されるよ?」
何か怪しいってどういう意味だ。
「じゃあ、今度からもうちょっと離れて歩くよ」
もう拉致られる心配もなさそうだしな。未来はテーブルの上に腕を組んで、ため息をついた。
「虎太郎、重度のシスコンだよ」
俺は鼻で笑って、またタバコをくわえた。否定できないってことは、自覚があるんだろうな、とか思う。はは。
「ま、茉莉子ちゃんは極度のブラコンだけどね」
未来は腕時計を見て、腰を上げた。で、階段に顔を向ける。俺は火をつけかけてたタバコを灰皿に置いた。
「脩平ー!帰るよー!」
「やーだー!」
「置いてくぞー!」
「やーだー!」
未来は肩をすぼめて、俺に苦笑い。
「親みたいだな」
「まあね。手がかかるけど、かわいい子だよ」
未来は本当に母親的に微笑んだ。
「明日も八時でいいんだよね?」
「ああ。マジで助かる」
「いいって。明日で最後だしね」
未来は裏口に歩いていく。俺も立ち上がって、見送る。
「仕事がんばってな」
「虎太郎」
サンダルを履いて、未来が振り返る。
「ん?」
「おかえり」
未来はまっすぐ俺を見て、なんか懐かしい顔で笑いかけた。一瞬意味がわからなかったけど、すぐに理解した。
「ただいま、って、別にお前んとこに帰ってきたわけじゃねえけどな」
「いいじゃん。アタシらの虎太郎が帰ってきたってことで」
俺はマジでうれしくなって、たぶん、すげーいい顔で笑った。照れ隠しに鼻をこすってみる。
「サンキュな」
「言ってもまだまだ全盛期には遠く及ばないけどね」
「わかってるって。じゃーな」
「うん。また明日」
未来は小さく手を振って、ドアを開けて出て行った。俺はそのまま、やっぱり未来っていうのは俺にとっていつまでもかけがえのない存在であって、かっこいいし、すげーいい女だなーとか、わかりきったことをしみじみ思いながらゆっくりと閉まる銀色のドアを見ていた。でもその彼氏が階段バタバタ駆け下りてきて、後ろでうるさい。
「あれー?こーたろー、未来はー?」
「帰ったよ」
「まーじーでー?」
「いま行ったばっかだから、追っかけろ」
「わかーったよー」
脩平は走ってきて、俺の肩に手を置きながらスニーカーを履く。
「明日も頼むな」
「わかーってるよー」
脩平はなんでか俺の肩を揉み始めた。やっぱりあほだ。
「早く行けよ。どうせ未来待ってるんだから」
「あ、こーたろー」
「あー?」
「茉莉子たんのキノピオすっげーはえーよー」
「だから、たん付けんじゃねえよ」
「こーたろー、ばいばーい」
脩平はうひゃうひゃ笑いながら走っていった。てか笑い方きめえ。俺は今度はドアを強く引っ張って、とっとと閉めた。それからテーブルに戻って二人分のコップを片付けて、氷とポッキーの入った器を冷凍庫にしまった。あとちょっとしかないけど全部食ったら茉莉子が怒るだろうしな、とか思いながら。
振り返ったら茉莉子がいた。
夏休みに入って髪を少し明るくした。こないだ海で遊んだから日焼けもしてる。黄色のTシャツにハーフパンツ。腕を組んで、なんだその不敵な笑みは。
「店長!マリオカートやろ」
「やんねえよ」
「私のキノピオ、すっげーはえーよ?」
「脩平が遅すぎんだよ」
「店長のヨッシーよりすっげーはえーって、脩平くん言ってたよ」
それは聞き捨てならねえな。
「小中高と最速の称号を守り続けた俺のヨッシーなめんなよ」
「私のキノピオ超最速」
「そこまで言うなら勝負してやんよ」
「かかってこーい!」
茉莉子はきびすを返して階段に向かう。
「あ、でもその前にスーパー行くぞ」
「はーい」
くるっと回ってまた戻ってきた。俺は財布とキーホルダーを持って、健康サンダルを履く。
「店長、ニケツね」
「自分の乗れ」
茉莉子はくちびる尖らせて、「ぶー」言って、走って自転車の鍵を取りに行く。俺は茉莉子が戻ってくるのを待ってから、ドアノブに手をかけた。でもちょっと思いついて、茉莉子をじっと見る。
「ん、なになに?」
「そういえばお前の髪型キノピオっぺえな」
「ひどーい」
俺は笑って、ドアを開けた。
俺は古本屋をやめるのをやめた。ぎりぎりまで迷ったんだけど、茉莉子が学校通いやすいところに引っ越そうかとも考えたんだけど、結局はやめた。まあ、店散らかりすぎで本持ってってもらえる状態じゃなかったっていうのもあるんだけど、それよりやっぱりここが永友古書店じゃなくなったら、茉莉子が俺のことなんて呼ぶかわかんないし。あの後、三時ちょうどにトラックで来てくれた立花さんに頭下げて謝って、怒られると思ったけど、立花さん、うれしそうだった。親父と仲良かったし、ここがなくなるのはやっぱり寂しいとか思ってたみたい。それから俺は毎日立花さんのところに通って、古本屋のノウハウをみっちり叩き込んでもらった。勉強っぽいことしたのなんて高校以来で、案外気分良かったりする。店のホームページも作った。ネットに在庫状況アップして、通販も出張買取もバンバンやる。親父のバンでどこでも行く。でもやっぱり漫画は置かない。じいさんの代からのポリシーだからな。もちろんアダルトもお断りだ。そんなレジ茉莉子に打たせたくない。それに、そんなに儲けるつもりはないんだ。別に古本屋王目指すってわけじゃないし。あと俺まだ何にもわかんないからさ。しばらくは親父の真似してやってみようと思ってる。それがいいのかは知らないけど、俺はそれしかやり方知らないし。ま、幸い資金も本も十分あるんだ。ゆっくりじっくりやりますわ。
で、今週から駅前でビラ配り始めた。永友古書店来週月曜リニューアルオープン全品二割引きセールのチラシだ。俺と茉莉子に未来と脩平、他にも高校時代の素晴らしい仲間たちが汗だくになって手伝ってくれてる。なんか本当に、あの頃に戻ったみたいだ。でも、それは単なるノスタルジでしかなくて、戻れないってことは十分承知している。あれ以上がこれからあるとは、やっぱりいまでも思えない。俺はこれから少しずつ確実に、みじめにじわじわ年を重ねていくのだ。とはいえしかし。あの頃は持ってなくて、今ならあるっていうものがいくつもある。まず茉莉子。ものじゃないけど。あとは、えーと、クローズ全巻。親父の位牌……。まあまあ、とにかく茉莉子いるから。だから、それでいいかって思う。俺はね。
自転車並走でスーパー行って買い物して、家に帰って、マリオカートやって、それから茉莉子が飯作った。俺は何もすることなかったからテーブルについて新聞読みながら、三週間前の日曜の朝とは全然違う気持ちで茉莉子の後ろ姿を見てた。
茉莉子が引っ越してくることになって、部屋割りがちょっとした問題になった。俺は親父の部屋を片付ければいいやって思ってたんだけど、茉莉子が、「お父さんの部屋は抵抗があるからやだ」って言うし、あとは物置になってるじいさんの部屋と仏壇のある居間しかなく、物置片付けるのはちょっと無理だし、居間には仏壇があるからやだとか言ってまたごねるから、結局俺が親父の部屋に移ることになった。せっかく部屋譲ってやったのに、茉莉子は毎晩二時間くらい風呂に入って、上がると俺の部屋に来て、ハービー聴きながら漫画読んで、勝手に寝る。で、結局俺は毎日元の部屋で寝てる。なんだろこれ。
「できたよー」
「おー」
俺は立ち上がって台所に行って、テーブルまで料理を運ぶ。今晩のディナーは鶏肉と夏野菜のカレー茉莉子スペシャル。なにがスペシャルかは不明です。
「スペシャルうめーかー!」
だから、意味わかんねえって。
「ふつー」
「ふつーって。それ、一生懸命作った人に対する最大の冒とくだよ?」
「だから、ふつーにすっげーうめー」
茉莉子はニシッと笑って、水飲んだ。てゆうかこいつの日本語が微妙に汚くなってきてるのがすげー気がかりなんだが。たぶん脩平と遊んでばっかいるせいだな。もちょっと距離置かせよう。うん。
そういや茉莉子はあれから一度も泣いてない。いや、厳密に言えば俺がさっきヨッシーで赤亀ぶつけてこてんぱんにしてやったらちょっと涙ぐんでたけど、それだって親父の墓行ったとき以来だ。もし一日一回泣かないと駄目な体質だったらどうしようとかくだらない心配もしたりしたけど、たぶん、あの頃の茉莉子はどうしようもなく不安定だったんだろう。母親なくして、父親みつける手がかりもなくなりそうになって、あとこれは言いたくないんだけど、会ったばっかでまだなんかよくわからん男と二人っきりだったりで、心細くて仕方がなかったんだと思う。で、いまは見るからにのびのびしてる。俺は茉莉子が取り戻した心の平穏が二度と失われることがないようにと心から願う。もう壊れることがないように、しっかり大事に見守ってやろうとか、思い上がったことまで思う。兄として、とか。
「かれー!」
それにしても言葉づかいが悪い。
俺は目を閉じて水を一口飲んで喉をしめらせ、コップをテーブルにカツンと置いた。ちょっと真面目モードで話をしよう。ここらでガツンと言ってやらないと、いつか痛い目見るのは茉莉子なのだ。おお、俺すげー兄貴っぺえぞ。よし。
「お前さぁ、」
「店長さー」
茉莉子がタイミング図ったみたいに被せてくる。俺は無視して説教始めようとしたんだけど、茉莉子がくっとあご引いて、先割れプラスチックスプーンの先っぽ噛みながら、じとっとした目で俺見てくるからやめた。
「なに?」
「店長さ、最近ちっとも『茉莉子』って呼んでくれないね」
「呼んでるし」
「呼んでないよー。一番最近いつ『茉莉子』って呼んだかわかる?」
俺もスプーン噛みながら考えてみた。そういえば今日は言った記憶がないな。
「昨日」
「ちがうー。火曜日の朝の、『茉莉子ー、昨日洗った俺のステューシーのTシャツ知らね…ってお前着てんじゃん!』っていうノリつっこみを最後に私は店長から名前で呼んでもらってません」
そんなに言ってなかったっけか?全然気にしてなかったけど。
「『おい』とか、『お前』とか、そんな呼ばれ方ばっかりしてると、私の名前ってなんなのかなって、すごく悲しくなるんだけど」
茉莉子が倦怠期の嫁みたいなこと言い出した。
「でも一緒に住んでたらそうなってくもんなんじゃねえの?」
「もう前みたいに『茉莉子』って呼んでくれないんなら、私も店長の呼び方考えるよ?」
「それはやめてくれ」
茉莉子はしてやったりな顔になって、上唇の端に付いたカレーをぺろりと舐めた。
「じゃあ店長、もう一回最初からいってみよー」
「茉莉子さー、」
「なーにー?」
で、クリスマスの朝の子どもみたいな顔するんだわこいつ。えっと、何の話するんだっけ?
「茉莉子さー、」
「うんうん」
あれ?なんかマジで思い出せねえ。ひょっとしてこれが茉莉子スペシャルか?
「店長、おかわりでしょ?」
それは絶対に違うな。前後合わないし。でもまあ、
「おかわり」
「はーい」
まあ、いいか。楽しいし。
月曜日。
俺は部屋の窓開けて、今日早くも五本目のタバコを吸っていた。空は何もないペキペキのブルーだ。十時の開店まであと十五分。ぶっちゃけかなり緊張してる。茉莉子も落ち着かないみたいで、朝食食べてからずーっと本棚ぱたぱたやってる。今日から俺が名実共に永友古書店の店長だ。まったくの予想外なんだけど、いざとなるとすげー心細いんだよ。親父がいないっていうことが。
「あほくせえな」
俺はタバコをくわえたまま、書き物机の前に立つ。写真立ては二つに増えた。親父と母さんと俺のやつと、親父と大宮美奈子さんのやつだ。俺はその二枚の写真を目を細めてしばらく見てた。なんか親父モテモテみたいで結構むかつく光景だ。本当はここにもう一つ、俺と茉莉子のツーショットを置いてみようかとちょっと前から考えている。そうすると、結構バランスがよくなる気がして。でもなかなか撮る機会がないんだ。今日あたりちょうどいいかもしれない。あとで脩平に撮ってもらおう。あいつが写真撮るとみんなすげーいい顔で写るんだ。
今日は五時で店閉めて、夜はオープニングパーティーだ。さすがにうちじゃできないから、焼肉屋の二階借りた。未来と脩平はもちろん、他にも高校時代のツレが大勢来てくれる。未来を通して晴香ちゃんにも声かけてもらった。演技派の彼氏と愚痴り合う約束もあるし。来てくれたらいいなって、本気で思う。プラダのトートバッグはビニール袋に入れてしまってある。できたらあれだけでももらってほしいんだけど、そういうのって、やっぱり無神経なんだろうな。茉莉子も友達いっぱい呼んでる。俺はその中に男が混じってなければいいなとか、かなり真剣に思っていたりする。だから、兄としてだって。
俺は机の上の灰皿にタバコを擦って、両手の指でピストル作って、二人の親父に突きつけた。ガチガチ顔の親父と、変態スタイルの親父。どれだけ睨み続けても親父は表情を和らげないし、特大サングラスを外したりもしない。そしたらちょっと落ち着いてきた。俺は引き金を引くことなく、ちょっと笑って手を伸ばし、二つの写真をつまみあげた。で、俺なりの決意表明をしようと思ったんだけど、階段がドタドタうるさいから、ため息ついて、写真を机に戻した。あーあ。もうちょっとで俺の自己完結的なナルシズムが完成するとこだったんだけどな。
「やばいよ店長!」
襖がばっと開けられて、折り目の真新しいオリーブグリーンのエプロンをつけた茉莉子がテンパった顔して俺の部屋に飛び込んでくる。
「どうした茉莉子」
「エプロンの紐が結べないよー」
茉莉子は後ろ向いて紐ぴらぴらさせる。俺にやってってか。
「いや、お前そんなに不器用じゃねえじゃん。それ甘えたいだけだろ」
「しかもあと十分しかないよー」
「落ち着け」
茉莉子は俺の手を取って、何故か居間に引っ張り込んだ。
「なんでこっち?」
「お祈りするの」
茉莉子は仏壇チーンて一回鳴らして、手を合わせて目を閉じた。
俺は茉莉子の後ろに立って、背中と腰の紐結んでやった。ええ、過保護ですよ。
「お父さんお母さん店長のお母さんおじいちゃんおばあちゃんペス、どうか茉莉子と店長をお守りください」
最後の犬みたいな名前のやつ知らねえ。
「店長、タバコ」
「あん?」
「火つけて」
俺は言われるままポケットからタバコ出してくわえて火をつけて、茉莉子に渡す。茉莉子はそれを線香立てに突き刺して、「おおー」って言った。
「お前、それがやりたかっただけだろ?」
「よし。ほら、ほんとに時間ないよ」
全然聞いてねえし。茉莉子は一人で居間出て走って階段を下りていった。俺は危ないからタバコ逆向きにして消して、遺影の親父と目を合わせた。そういえばこっちにも親父がいたんだ。俺は姿勢を正して手を合わせ、もう一度、俺なりの決意表明ってやつを始めようかと思ったんだけど、「ま、がんばってみますわ」みたいなことを言おうかと思ったんだけど、やっぱりやめた。そんなことをしたら親父に笑われそうだとか、別にそんなセンチメンタルなことを思ったわけじゃない。墓ならまだしも、家の中で遺影に語りかけるなんて行為は俺と親父の間にふさわしくないっていうか、要するにそういうキャラじゃないんだ。俺も、親父も。それに下で茉莉子が店長店長うっさいしさ。
店舗に下りると、茉莉子はまたしてもハタキで本を叩いてた。もう昨日からずっとやってる。俺は突っ込むのもめんどくさかったから、カウンターの上に用意しといた茉莉子のとおんなじ色とデザインの新品エプロンをつけ始めた。後ろの紐結んでたら、視界の下っ端がいやに鮮やか。
「なにこれ?」
親父椅子の上に目が痛くなりそうな林家ピンクの丸い物体が乗っかってる。
茉莉子が笑って走ってきて、カウンターに飛び乗るみたいに手をついた。
「店長クッション。その椅子すっげー硬いから、ずっと座ってるとおしり痛くなっちゃうでしょ?」
見たら端のほうにモコモコの刺繍で『店長』って入ってる。漢字かよ。って、
「え、なに、おま…、茉莉子これ作ったの?」
「だーかーらー、母子家庭甘く見ないでって。すっげーいい綿使ったから、すっげーやわらかいよ?」
俺はクッションを持ち上げて、ぽんぽんぽんと叩いてみた。ふっかふかで、いいにおいがした。
「……ありがとう」
俺は息を止めた。
「ん?」
茉莉子が怪訝な顔して俺を見てくる。
「なにその店長史上最も素直な反応?」
首傾げられても俺いま話せませんから、ってしてたらさすがに茉莉子も俺の異変に気づきやがった。
「えー、店長、もしかして泣くの?」
「泣かねえって」
声を出せたことがもはや奇跡。
「なんで?私があまりにも優しすぎるから?」
「泣かねえって」
でも違うこと言えないし。
「えー、どうしよ、ひさしぶりにイイコイイコしてあげよっか?」
「うぜえ」
「うざくないし。てゆうかすぐ泣く店長きめー」
ひでえ。茉莉子は腕を組んで、にやにやする。
「リニューアルオープン前に泣いちゃう店長なんて、店長失格だよ」
店長失格したらお兄ちゃんになっちまう。
「だから、こんなんで泣くわけねーだろが」
「はいはい、もう時間だよー」
茉莉子は壁のカレンダーを立て続けに四枚めくった。で、シャッターの方に駆けていく。
俺はまだふわふわしてる目をこすって、四枚のカレンダーを細く丸めて、ゴミ箱に突っ込んだ。
八月。
「よいしょー!」
茉莉子がバンザイするみたいに、一気にシャッターを押し上げた。薄暗かった店内にまぶしい光が満ちていく。俺はカウンターの下にあるコンポのスイッチを入れた。
二分早いけど始めるか。
BGMはハービー・ハンコック。またはゲッツ/ジルベルト。
妹に時給七百円。
永友古書店、五十一年目の夏だ
こんにちは。松本由樹彦です。
『永友古書店』を最後までお読みいただきありがとうございます。
あとがきっていうのもなんかえらそうですし、今回は書くと長くなりそうだし、言いたいことは本編に全部書いたから論点ずれるだろうし、いいわけがましくなるだけだろうから書くのやめようかなとか思ってたんですけど、完結しないと書けないものなんでやっぱり書きます。読みたい方だけ読んでください。
今作では、『なくした過去』とか『失われた青春』みたいなことがテーマとして一応ありまして、普通なら恥ずかしいんでそんなこと考えたくもないんですけど、僕自身が永友虎太郎以上に過去に囚われてますし、青春って言葉も血ヘドが出そうなくらい嫌いなんで、一回そういう自分の恥部みたいなものと向き合いつつしかも晒してみようというふうに思いいたり書き始めました。ある意味自虐です。
かつて高校生だったり、十代だったりした方たちは、いくらか虎太郎的な思いを抱えているんじゃないかなと思うんです。冒頭に引用したアンドレ・ジイトの格言なんてすごくて、それを言ったらおしまいだろって気もするんですけど、でも少なくとも、僕にとってはそのとおりなんですよね。スパーンときました。
本編中でも虎太郎は高校が楽しすぎて、でもその時間からはこれからどんどん遠ざかっていくだけで、自分も高校生的な要素を失っていくばかりで、周りが順調に変化を受け入れていくのを受け入れがたくて、余計に過去にしがみついて、しかも親父死ぬし、どうでもいいやじゃいけないんだけどどうでもいいやって感じでダラダラしていて、でもいろいろあって「かつての俺を取り戻したぜ!」ってなってうおー!ってなったものの、虎太郎にとっての過去の象徴でもある晴香と親父のそれぞれと対峙した時に虎太郎がしたことは生の感情むき出しのみっともないカラ回りでした。そんな都合よくことが運ぶわけないですし、過去はだいたいが裏切り者です。
でも、虎太郎とか、もっと言うと僕とか僕たちが高校の頃にしてたことってほとんどがみっともないカラ回りだったはずなんで、そういう意味では虎太郎ナイスでした。あの頃毎日寝る前とかに今日学校でやったことを思い返して、布団に包まって叫びたくなるくらい恥ずかしくなってた気がします。叫んでましたね。でもそういうことってもう全然ないんですよね。ずっと。恥ずかしいこととかしなくなりました。そしたらつまんないんですよね、やっぱり。あの恥ずかしさっていうのは、清々しさとか誇らしさとかとセットになってたものなんで、当然そっちも感じられないわけです。つまんないわけです。なので今回『永友古書店』をたっぷり時間かけて照れ隠ししながら書いていて、無理してわーわー叫んでみました。バカみたいでした。
青春をひきずったロストチルドレンな皆様に対して『過去を踏みしめて今を生きよう』とか、いま高校生だったりこれから十代後半を迎える皆様に対して『一秒一秒が特別だから大切に』だとか、そんなラリッた猿みたいなことを言うつもりはさらさらないです。楽しい青春でも苦い青春でも、過ぎてしまえば等しくなんか悲しいものですし、過去に囚われようが未来を見据えようが、結局のところ生きられるのは現在だけなわけで、だったらそれでいいんじゃないかなって思います。
やっぱりぐだぐだ書いてますけど、要は一人のシスコンが生まれるまでの話です。今回は主人公の性格的に使える言葉の種類が豊富で、楽しかったです。そういえば僕は最初虎太郎のことが全然好きになれなくて、茉莉子もなんか無邪気ぶってるけどさりげに腹黒いし、これ客観的に見てちゃんとかわいいって思ってもらえるのかなむかつくだけなんじゃないかなとか思ってたんですけど、なんだかんだ言ってみんなを好きになりましたし、この作品も僕にとって特別なものになりました。
ただ、どっちかっていうと僕は『寝顔かわいい』って言う主人公よりも、『血管可愛い』とか言っちゃう主人公のほうが好きなので、ダークな世界に帰ります。とっとと岡部/吉川3を、『ディナー』の続きを書きます。
余計なことばかり書きました。このあとがきが本編を台無しにしてないことをひたすら祈ります。
最後にもう一度、ありがとうございました。
★ホームページをつくりました★
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