二十歩目【見学】
どちらを見学するか、書文は迷った末に刃月の見学をすることにした。
冷人の言葉も気になったし、もっと言えば刃月の試合を間近でみたかったからだ。
刃月に試合を申し込む剣士は多かったが、大半は刃月の脇構えからの一刀で竹刀を叩き落とされている。類いまれなる実力を持っていて、かつその実力を出すべき相手と戦っていない。それが故の隠された実力。それを見たかった。
この学校で最強の剣士が刃月なわけではない。論理的には必ず『学校最強の剣士』はいるはすだが、刃月はそうではなく、刃月に挑む剣士たちもその域にまで達していなかった。
だが今回刃月と向かい合って立つのは刃月と同じ特上位の剣士。塚原薫。
短めの黒髪は肩口で艶やかに揺れ、大きな目は本人の活発さを物語る。背は刃月よりやや低めだろうか。
試合場の開始線に立つ両雄は放つ雰囲気からして書文と違う。書文を怯えさせた剣幕が、竹刀に先んじて鎬を削り合っているかのようだ。
「よろしく、刃月」
「よろしく、薫」
挨拶は一言ずつ。すぐに二人は竹刀を構えた。刃月はいつもの脇構え。薫は右足を前に出した右上段構え。一般に、目上の相手に上段構えを取るのは失礼だと言われている。名人達人にして初めて把握し得る構えで、これは道具に慣れて三、四十年の者がとるべき構えではない、と、さる達人も言葉を残している。
二十年も生きていない薫がこの構えを取ったのは、何も刃月を見下しているからではない。挑発の意図もない。この構えを取ったのは一重に刃月のことを警戒してのものだった。中下段に構えては刃月の神速にすら思える初太刀で竹刀を弾かれかねない。しかし上段構えなら竹刀の刀身は己の頭上。弾かれるはずもない。
加えて上段構えは攻撃への移行が最も早い構えと言われている。降り下ろせばそのまま攻撃になるからだ。
書文は知らぬことだが、刃月と薫とは初対面ではない。過去に開かれた剣士の大会で幾度も相手をしている。故に互いの初手は知られている。
まして刃月は脇構え。その初太刀は右脇から左肩への袈裟斬りかしかない。
そして薫は上段構え。その初太刀は上から下への唐竹割りしかない。
剣士の試合にも関わらず、両者の間には刀身が存在しない。その一種異様な様相は、この二人の試合では毎度の事だった。
じりじりと摺り足で互いの立ち位置を調整し、目線や切っ先を揺らしてフェイントを掛け合い、最後には太刀の速さで勝敗が決する。その様子は、さながら西部のガンマンのようでもあった。
「……」
「……」
緊迫した空気が試合場を渦巻いている。両者の距離は変わらず、竹刀が届くや届かぬやのギリギリの距離。どちらかが踏み込めばどちらかがかわせる。互いに探るのは攻め時。外的要因でも内的要因でもいい、かわされず、反撃されずに一撃で決められる好機。隙を探りながらその時を待つ。
ごくり、と、我知らず書文の喉が鳴った。拳は固く握りしめられ、目に力がこもる。どちらが勝つにせよ、書文はその挙動を、その投足、一切を見逃すまいと瞬きすら惜しんだ。
そして初撃の時が来る。決着の時が来る。
一体何をもって攻め時と断じたのか、少なくとも書文にはわからなかった。だが何かを感じたのだ。感じたからこそ攻撃に転じた。
動いたのは刃月。後ろに配した右足を巻くように跳ね上げ、腰を切りなら左足で踏み込み、薫を間合いに取り込む。
応じて薫。刃月の動き出しを見るや掲げた竹刀を迷いなく降り下ろす。
刃月の竹刀は薫の脇腹を目掛けて、薫の竹刀は刃月の脳天を目掛けて、空気を裂いて肉薄する
――バシィィィィン…………
一体どちらが先だったろうか、竹刀が目標を激しく打ち据えた轟音が鳴り響く。試合場に立っている者はなく、脇腹を押さえて寝転がる薫と頭を押さえてうずくまる刃月がいた。二人とも小声で「ふぉぉぉぉ……」と呻いている。
書文の目には僅かに刃月が先んじていたように見えたが、教士にはどうだろうか。書文が見やると、教士は呆れたような目線を試合場の二人に向けていた。
「そこまで。引き分けとする」
審判の言葉はため息とともに吐き出された。
「試合は真剣をもっての本番と思え。出鼻から早かったとはいえ上段構えに先んじた東郷は評価するが、自分も頭を割られてどうする」
「………返す言葉もありません」
「塚原もだ。斬ることに意識を向けすぎで重心が前に出たな。斬るなら先に斬る。後を取るならきちんと取れ」
「………ごもっともです」
「姿勢は未熟であれ、二人とも技術は評価できる。精神修養は武術の目的でなく一旦だ。もっと精進しなさい」
打たれた箇所をそれぞれ押さえながら、微かに目を潤ませて二人は試合場を降りた。
結局今回も初撃決着。書文は一太刀しか見ることは出来なかった。
●
試合場から降りて、刃月と薫は笑いながら言葉を交わしていた。
「ね、今戦績はどれくらいだったっけ?」
「よく覚えてない。ウチのが勝ってた気がするけど」
「え? 私が勝ち越してたでしょ?」
「いやウチだよ」
「まあどっちでもいいや。そういえば引き分けは初めてじゃない? 大会では先に打てば後は無効だったし」
「竹刀前提の戦い方が染み着いてて、しかも引き分けで、さらに打ち負けてたなんてバレたら父さんに殺される……」
「私も危ないかも。初撃の後に攻撃を許したなんて知られたら首の骨折られる……」
「寮生活でよかった……」
「うん……」
少女二人が怯えるように肩を震わせた。親が恐い師匠が恐ろしいは、若き武術家のあるあるネタである。どちらの師匠がより恐いかで小学生などは無意味に競う。
「やー初めまして。あたし植芝飛鳥」
「ウチは塚原薫。刃月のライバル!」
「見てたよ、強いねー。あ、薫って呼んでいい?」
「え、ウチもう飛鳥って呼ぶ気だったんだけど」
「全然いいよー、あたしも薫って呼ぶね!」
「うん。ウチは飛鳥って呼ぶね!」
「飛鳥は太極拳と合気道を使うんだよ」
「ええー! 混ぜるな危険じゃん!」
驚く薫に、飛鳥がは苦笑しながら「なにそれ、洗剤みたい」と返している。一応書文も近くにいるのだが、集まった女子の圧力じみた活力に気圧されて何も言えない。三人寄らばなんとやら、だ。
あの中に自分が巻き込まれる前にどこか他のところへ行く口実はないか、書文が首を巡らせるまでもなく冷人の試合がある。刃月の試合は、最初の拮抗が長かったとはいえ決着は一瞬。冷人と剛三の試合はまだ始まったばかりだ。
敵前逃亡のための逃げ道とばかりに冷人たちの試合場を見ると、先程まで隣にいた燃児がすでにそこにいた。我関せずと言わんばかりの変わり身に、書文はむしろ感心してしまった。
ああいう切り替えの速さが、武術にも必要なのかもしれない。




