十二歩目【前振】
書文が初の白星を挙げてから一週間後の昼。書文、冷人、燃児、飛鳥、刃月の五人は食堂で昼食を摂っていた。
当然だが昼の食堂はとにかく混む。広さとしては十分にあるはずなのだが、注文をつけるまでが混む。生徒数に見合った座席はあっても、カウンターまでがそう大きいわけでもない。
ここでは行儀よく並んで順番待ちなんてする生徒はいない。いたとして、それは不慣れな書文や全くの素人くらいのものだ。冷人は人波を掻き分けて、燃児は槍の穂先に食券を挟んで、飛鳥は前の生徒の肩や腕を巧みに逸らして、刃月はひょいひょいと人波をかい潜って、それぞれが実力行使で昼食を確保していた。
書文も、二週間もいれば流石に慣れる。揉みくちゃにされながらも辛うじてかき揚げ丼を購入出来た。
とにかくここは阿鼻叫喚の地獄も同然。壁を走ってカウンターに着地するという、忍者だか飛賊みたいな生徒までいる。早くこの混雑に慣れないと、ゆっくり食事を摂ることは難しい。
今この場、書文に限っては、落ち着けない理由はもうひとつあった。
「武林ぃ! 勝負!」
食堂の混雑を上塗りするように大きな声が響いた。呼ばれたのはもちろん書文。書文は、ため息かどうか、細く息を吐いて箸を置きゆっくり席を立ち上がる。
声の主は山中太一。書文の初黒星の相手であり、初白星の相手でもある。
つい一週間前に書文が山中を下してから、毎日休みもせずに挑んで来る。書文の攻撃が弱いのか、それとも上手いのか。はたまた山中が頑丈に出来ているのか。あるいは保健医の注意を無視しているのか。毎日だ。
「せめて食前にして欲しいなあ」
書文のぼやき聞こえたのは、同じテーブルで食事を摂っている四人にだけだっただろう。唐揚げを飲み込んだ刃月が微笑んだ。
「まあまあ、せめて麺類じゃなくてよかったじゃない」
「でも冷めたら油がくどくねーか?」
「冷めるより早く決めればいいさ。なあ書文?」
カツ丼の早食いで勝負していた冷人と燃児が、別のイベントに勝負を中断して気軽に言う。ラーメンを啜っていた飛鳥もそれに乗った。
「長くかかるようだったり、お腹やられて食べられなかったりしたらあたしが食べてあげるよ」
「あ、じゃあ私も貰おうかな」
昼食奪取という恐怖の宣告に刃月までが乗り気だった。書文は渇いた笑いを浮かべるしかない。
書文に教導したもの同士、ということで刃月がこの面子に加わったのは、書文の試合後すぐのことだった。白星の喜びを冷人ら三人と分かち合い、しきりに礼を言い、そして刃月を紹介した。
いわゆる"場慣れ"。気迫負けを防ぐ手段を全く考慮していなかった冷人らは、すぐに刃月を加えて今後の書文の育て方などを話し合った。これを書文は複雑な表情で見守っていた。
勝ち負けで確執があるかに思われた刃月と燃児だが、両者、特に燃児には一切蟠りがなかったようだ。「勝敗優劣は常に入れ替わるもの。勝負の結果と感情の好悪は別の話だ」とは燃児の言。
書文には一見わかりづらい裁量は、しかし他の誰も疑問には思っていないらしい。感情の帰結と勝負の帰結は、安易には等号しないらしい。
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教士に立会いを頼まない、血気盛んな者がその場その場で突発的に起こす試合は野試合呼ばれる。
立会いには友人を立てる場合もあるし、そもそも立会人を立てない場合もある。教士に立会いを頼まないのだから、当然評価採点の対象にもなりづらい。偶然見られてでもいれば話は別として。
野試合は両者のノリで始まることが大抵で、観戦している側も盛り上がりやすい。今日食堂で始まったこの試合も、食事中のいい暇つぶしになることだろう。
「今日こそ負けねえぞ武林!」
「ここ最近で聞き飽きた感のある言葉だよね。なぜか」
この一週間。書文は毎日挑まれ、そして毎日勝っていた。ケンカの経験、人を殴る経験においては、中山に一日の長がある。それは間違いない。それでも書文が勝ち続けていられるのは、山中が武術の素人だったからだ。
極端な経験不足である書文にしても、しかし人を殴る練習はし続けた。八年掛けて効率化してきた。
書文の方が速いし、鋭いし、重い。隙も少なく避け方も知っている。
だから書文は勝てている。
山中は書文を見定めて構えを取った。ここ一週間で少しずつ変わってきた構えを。
両の拳は顔の前で淡く握り、体は右前の真半身。脇と肩はギチギチに力んでいるが、足首は柔らかく、微かにステップを踏んでいるようにも見える。
山中も、一週間武術家と闘い続けて、少しずつ自分の構えを最適化しつつあった。誰かに師事すれば、構えを見る限り、ボクシングの教士にでも師事すれば、もっと手っ取り早いだろうに、山中はそれをしていないという。
構えを直すのももちろんいいけど、服装の方が簡単に変えられるのに。と書文は心中で言う。未だズボンはずり落ちているし、靴の踵を踏んでいる。何か強いこだわりがあるのだろうか。
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山中は闘い方も変わっていた。以前のような大振り一辺倒ではなく、ジャブやショートキックで牽制を入れるようにもなっていた。
「山中さぁ、ちょっと強くなったよな」
書文の試合中に、他のみんなは食事を終えていた。今は書文の食事待ち。その最中に燃児が言った。
「書文も、細かいの貰うようになったろ?」
「うん。顔をチクチクやられると、つい怯んじゃうね。目をつぶるようなことはないんだけど・・・・」
「素手で顔を打つ山中くんは、度胸があるってことなのかな?」
「いやぁ無知なんじゃねーの? 歯で拳切ったことがないんだろ」
本日も書文の勝ち。一週間前の初勝利のように無傷無被弾とはいかないが、運足と立ち回りを覚えた書文は、ただの素人に遅れをとくことはないだろう。
「支給されたグローブ付ければいいのにね」
「ファッション性重視なんじゃない?」
「だとしたら、まだ武術家じゃねーな。服飾意識し過ぎて不利になるんじゃ」
「服装といえば、刃月さんっていつも長いスカート履いてるけど動きづらくないの?」
「そうでもないよ。高くにせよ低くにせよ、蹴ったりすれば邪魔だろうけどね。擦り足の分には、長いスカートも袴も大差ないかな」
ドロワーズとかペチコートは例外だけど。どうやら冗談の類らしい刃月の注釈だが、書文冷人燃児、三人ともそのカタカナがどういう意味なのかわからなかった。なにやら衣類であるらしいことと、どうやらスカートの下に履くものであることはわかったが、詳しく聞くことは憚られた。思春期だし。
カタカナの意味がわかった飛鳥が刃月と華やかに話し出した。どこそこの服が可愛い。アクセサリーがどうこう。シャンプーやらコンディショナーの云々。野郎三人は置いてきぼりだ。書文は黙々と、モグモグと食事を再開した。
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今日は体育の授業もなく、午後は数学と古文をノートに写して終わった。一般教科における生徒の睡眠率はとても高い。冷人はもちろん燃児も飛鳥も寝ていた。クラスで起きていたのは書文と刃月、他数名。教士もさぞややり甲斐のないことだろう。
廊下が騒がしかったから、どこかで野試合があったのかもしれない。授業間に始まった野試合は、授業時間に縺れ込むことも珍しくない。受けたくない授業をそれで潰そうと画策する輩もいる。それはそれで、武校としての役割を果たせるから教士も何も言わない。
とはいえ、そんなことをするのは一部の"不真面目"な生徒だけではあるが。
本日一日の学校課程とホームルームが終わり、教士が退室してみんな帰宅の準備を始めた。小さな開放感に、あちこちで賑やかしい雑談が始まる。バイト決まったー? 決まった決まった。
書文も帰り仕度を進める。そこへ冷人と飛鳥がやってきた。後ろからは燃児と刃月も。そのみんなを代表するように、冷人が言った。
「なあ書文。武活、やってみないか?」
「部活? ここ、部活動なんてあったっけ?」
「んん? ああ、多分、字が違うな」
冷人はもったいつけるようにニヤついた。刃月が微笑みながら続けた。
「"武術を活かす"と書いて、"武活"」
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