十一歩目【一歩】
戦闘描写よりも心理描写が多めです。
書文が同年代の女の子に気絶させられた翌日。その放課後。
位分けの試験を行った体育館で、書文は緊張に体を強張らせていた。
あまりに固い様子に見兼ねた冷人が、苦笑しながら書文の肩を叩いた。
「ガッチガチだなおい。そんなんで大丈夫か?」
「う、うん。大丈夫、大丈夫」
「その大丈夫、自分に言い聞かせてない?」
「見るからに、大丈夫じゃなさそうだぞ」
「あ、あはは・・・・」
実際、大丈夫だと言える体調ではない。心拍も血圧も発汗も、どれをとっても異常。これなら一回目の方がよほど良好だった。
「な、なんかギャラリーもいるし・・・・」
書文の緊張の理由は、一度負けた相手への雪辱戦、だけではない。体育館に集っている、書文たちの試合を観に来た他の生徒の視線によるものも、また大きい。
教士に申請し立ち会ってもらう正式な試合には、学校の掲示板で日時と場所を詳細に告知される。その生徒と直接の面識がなくても、何か得るものがあるかもしれない、と見学することができるようになっている。
「僕、下位だよ? 一番下なのに何を見に来るの?」
「全部さ」
ギャラリーに八つ当たりするかのような書文の言葉に、燃児はこともなげに答えた。
「自分より位が下だからといって、見習うものがなにもないとは限らない。まして珍しいからな、中国武術は。なんでもいいから盗んでやろう、と思う奴はいる。それに、他人のフリして我がフリ晒せ、とも言うだろう」
「なんだその悪質な諺は。他人のフリして我がフリ直せ、だろうが」
「つまり、おおよそを初心者が占める下位、低位の試合を見て、自分はああなってはいないか、疎かになっていないか、っていう確認にもなるってこと」
「へぇ〜・・・・・・」
この三人と知り合ってから、書文は質問と感心を繰り返している。試合はおろかろくに観戦の経験すらない書文には、武林の見方も考え方も、まるで備わっていないのだ。
自分は世話を受けるばかりで、何も還元出来ていない。
書文の胸に去来する微かな劣等感。
鉛よりも重いそれは、内側から書文の心を圧迫した。
「・・・・・・」
書文が緊張とは別の理由で拳を握ったとき、教士の馬場が現れた。馬場は真っ直ぐ試合場へと入り、そこで声を張り上げる。
「これより、下位、山中太一、同、武林書文の試合を開始する。両者、前へ!」
呼ばれた。
行かなくては。
高まる鼓動、引く血の気、固まる手足。
棒立ちになった書文の背中を、三つの手の平がバシンと叩いた。
「頑張れ」
「うん・・・・・」
快活な激励に応じながら、しかし胸の重みは増していく。それが物理的な重みを持ったかのように、書文は猫背になって試合場へ上がった。
●
しかし猫背のまま構えるわけにはいかない。背筋を伸ばし、書文はピシリと構えを取った。
一週間前とはまるで違う安定感を自覚できる。重心は体中央よりやや前に保ち、肩を落とす。
対する山中は一週間前と同じ、用途の判然としない、中途半端な構えだった。
「初めっ!」
馬場の合図と共に、山中が駆け出した。
●
山中太一はほくそ笑んでいた。
一週間前は、せっかく勝ったというのに目の前の腰抜けと同じ扱い。それついてたまっていた鬱憤を、このサンドバッグで晴らしてやろう。何かをする度にビクついていた腰抜けだ。前以上にボコボコにしてやれば、俺の評価も上がるかもしれない。
俺はもっと強いんだ。
肩を回してオリジナルの構えを取り、それにしても、書文を見る。
これなら一週間前の方が強そうだった、と書文を見遣る。
威圧するように上がっていた肩はストンと落ち、今にも跳ね上がってきそうだった手からは力が抜け、鋭く睨むようだった目は緩く、どこか優しげにすら見える。
腰抜けは、一週間経って腑抜けになった。
それが、山中から見た書文の変化だった。
「初めっ!」
馬場の合図と共に山中は書文に向かって走った。
「うおおおおお!!」
走りながら体を大きく捻り、渾身の右ストレートを肩で押し出すように放つ。声で萎縮した書文がそれをくらう。それが山中が描いた思惑だった。
しかしその思惑は、パンチと同様空振りに終わる。それどころか、今まで目前にいた書文を、山中は見失ってしまった。
「え・・・・・・?」
間の抜けたような声は、山中のすぐ近く、真横から聞こえた。
「うおっ!?」
驚いた山中が距離を取る。書文は、山中の右ストレートに合わせるように、山中の体側右に抜けていたのだ。
「この野郎っ・・・・!」
殴る、蹴る。手も足もブンブン振り回し書文を狙う。一週間前は面白いように当たったそれらだが、今の書文にはことごとく避けられる。当たらない。
「くっ、・・・・おらあああああ!!」
当たらない。
●
自分が繰り広げる回避劇に、誰よりも書文が驚いていた。避けられる。当たらない。山中の攻撃が分かる。
山中の攻撃は、その全てがテレフォンだ。ジャブやなんかの刻みを意識しない、馬鹿のひとつ覚え。
落ち着いていれば見逃すはずがないし、だから書文は見逃さなかった。
ここ一週間、書文が避けてきたのはこれよりずっと早く鋭い突きだった。徹底的に復習した足運びも活きている。スムーズな体移動は連続での回避行動によく効く。
そして何より、怖くない。
声が、攻撃が、山中が、怖くない。
今回の書文の緊張は、山中に対する恐怖に由来していた。だから実際に向かい合ったとき、感じない恐怖に拍子抜けして、とてもリラックスできた。
ガチガチだった前回とは比べものにならない。
書文にできたゆとりの原因。それは観客として書文に声援を送る少女、東郷刃月である。
昨日の一件、刃月の剣幕を全身に浴びた書文は、本当に死ぬかと思った。殺されるかと思った。手にしていた木の棒が白刃にすら見えた。
死の恐怖に比べれば、チンピラの迫力など無いも同然。
みっともなく気絶した経験が、大きな一歩に繋がっている。
その"気付き"は、連鎖的に別のものも、書文に気付かせた。
なにをみっともなく落ち込むことがある。
飛鳥は勝ち、冷人は引き分け、燃児は負けた。
飛鳥は喜び、冷人は満足げだった。負けた燃児にしても、決して腐らずにすぐ奮起した。
今みんなの役に立てないからなんだろいう。幼い頃から武林に触れてきた飛鳥らと、武術にしか触れてこなかった自分とを混同しているんじゃないのか。
書文は、武術家としての武歴は八年でも、武侠としての武歴は、今が一年目だ。ひよっこもひよっこ、辛うじてヨチヨチ歩きでないだけの新参者にすぎない。
これからもどんどん世話になろう。新参と古参では、当然だが新参の方がのびしろがある。世話になって、追い付こう。早く強くなって、みんなの練習に付き合えるようになろう。
「こんの・・・・いい加減に・・・・・・!」
スタミナもないらしい山中は早くも息が上がってきた。それしか能のなかった大振りも、一段と遅く鈍くなっている。
恐怖を克服しえた書文はそれを目前でかわした。もちろん目をつぶるような愚は犯さない。
心理的に余裕を持ちつつ立ち位置を調整する。足運びのおかげで自分に有利、相手に不利な位置取りもよりスムーズになっている。振り回した腕の側、死角に立ち、大きく一歩踏み込んだ。
「はぁぁっ!」
八極拳の基本の突き。衝捶。万全でもって打ち放たれた右拳が、山中の伸びきった脇腹に深々と減り込んだ。
「・・・・が、はぁ・・・!」
体を崩した山中は、打ち込みの勢いで派手に転がった。脇腹を抑えて呻きのたうつ。防御の疎かな素人だ、すぐには立てないだろう。馬場が手を上げて、試合の終了を告げた。勝者、武林書文。
「武林。明日から低位に昇段だ」
「ありがとうございます!」
鉛よりも重い劣等感は、純金よりも輝かしい向上心に代わった。胸のつかえから腹に落ち、胆に座った今は、もう背も曲がらない。
今この時こそ、武林書文、武侠としての、第一歩。
.




