第82話 プレセアと頼み事
(プレセア? 今、この女はプレセアと名乗りませんでしたか?)
女性の名前を聞いたシーディスは、ものすごく目を白黒とさせている。
それもそうだろう。ネンインの弟子であるのなら、因縁のある相手の名前くらいは聞かされているものだ。だが、容姿までは聞いたことがなかったので、驚いているというわけなのだ。
「心配するな。私は別のネンインを恨んでいるわけではない。むしろ、追われる身になったことで隠遁生活ができていたわけだからな。まったく、城にいる間は少々窮屈だったものだよ」
プレセアはあんまりネンインのことを恨んでいるというわけではないと言っている。
「だが、この間のはいただけなかったな。本気で私を殺そうとしてきたのだからな。私の魔力を封じてまでな。よっぽど、お前の師匠は私のことを一方的に恨んでいるようだ」
当時はあまりの手口の汚さに怒りを覚えたものだが、冷静なプレセアはもうどうでもよくなっているようなのだ。
あまりの穏やかな口調に、シーディスはネンインから聞かされていたこととのギャップに驚かされ続けている。
「まあ、今はもうどうでもいい。私はひそかに研究が続けられればいいのだが、ちょっと気がかりなことがあってなぁ」
そんなことを言いながら、プレセアはじっとシーディスの顔を覗き込んでいる。
魔法使いにありがちな研究に没頭するあまり、異性に対する耐性のなさは、シーディスも持ち合わせているようだ。プレセアに顔を覗き込まれてすっかりたじたじである。
あまりにも分かりやすい動揺に、プレセアもつい笑ってしまっている。
「いやぁ、すまんすまん。そういえば、何か情報を求めに来たのではなかったかな?」
ライバルの弟子のあまりにも情けない反応を見て、プレセアは笑いながら謝罪をしている。この態度には、シーディスもかなりイラッときているようだ。
だが、今は秘密裏に情報を集めに来ているところ。いざこざを起こすつもりはまったくない。ここはとにかくぐっとこらえることにする。
「カオルとか名乗るメイド服を着たウサギの魔物について探っています。ネンイン様がかなり気にかけているようでしてね」
「ほう、あのネンインがな」
あまり回りくどい質問が面倒になったのか、シーディスはプレセアに対してストレートに聞いている。
その理由はあんまり期待していないからだ。自分の師匠のライバルとはいえど、さすがにあの奇妙なメイドを知っているとは考えなかったようだ。
ところが、予想に反してプレセアは悩んでいる。
「どうかしましたか?」
「いや、カオルという名にはあまり覚えがないのだが、かつては私の元にロップスと名付けた似たような存在がいたのだが……。すまないが、もっと特徴を教えてもらえんかな」
プレセアはメイド服を着たウサギの魔物というものが気になっている。
だが、カオルとロップスが同一人物というのにはつながらなかったらしい。それもそうだ。カオルが今の名前を名乗り始めたのは、魔女の元を去ってからなのだから。
シーディスは首をひねりながらも、プレセアの要求通りにカオルの詳細を話していく。
すると、プレセアは不思議な表情を浮かべていた。
「なんだ、それはロップスではないか」
ようやくプレセアの中で、カオルとロップスが同一人物とつながったようである。
「ロップスが振るっているのは刀といってな、細身の片刃剣だ。あれは私が作ってプレゼントしてやったものだな。そうかそうか、大切に使ってくれているか」
プレセアは笑っていたかと思うと、シーディスに真剣な表情を向けている。
「イダンカ帝国を相手に、一人で多くを倒すとはなぁ。しかも不殺というのなら、あやつらしいといえよう。根は優しいのだよ、ロップスはな」
「しかし、そのような相手を放っておくのは危険ではないのでしょうか。師匠があなたを殺したと恨んでいると思いますよ」
「十分考えられるな。人化したあやつにとっては、私がすべてだったのだからな。念のために近くの街に行かせておいたのは正解だったな。真っすぐ成長をしてくれておる」
「のんきなことを言わないで下さいよ。万一師匠を殺すようなことがあった場合は、あなたは責任が取れるのですか」
ずいぶんと楽観視しているプレセアを前にして、シーディスはかなり焦っているようである。
その様子を見ていたプレセアは、それもそうだなと思って、どこからともなく紙とペンを取り出して何かをしたため始める。
「これをおぬしに託そう。宛名の入っている方はネンインに、何も書いていない方はオーロイス伯爵の街で適当な役人に渡しておいてくれ。あと、乗合馬車の終点である街で、ゴードンという人物を訪ねるとよい」
「なぜここまでするのですか」
プレセアの行動が解せないシーディスは、思わず真意を確認したくなってしまう。
「なぁに。私の元を離れたロップスに、ただ幸せになってもらいたいだけだ。復讐などというものに駆り立てられずに、自分の思うように生きてくれとな」
プレセアの想いを託されたシーディスは、ただ黙って頷いて手紙を受け取っている。
「さぁ、連れもいるのだろう。ここの代金は私が払っておくから、お前さんは宿に戻るといいぞ」
「すまないですね。師匠のライバルというから警戒してしまいましたが、とんでもない思い違いでした」
「まあ、別に構わんよ。それと私と出会ったとは言わずに、その手紙は渡しておくれ」
しっかりと手紙を懐にしまい込んだシーディスは、プレセアの頼みを快く受け入れていた。
そのままシーディスは店を後にする。
一人となったプレセアは、嬉しそうな顔をしながら、一人で晩酌を楽しんでいたのだった。




