第75話 悪意とのんき
オーロイス伯爵領の領都にあたる川の左岸の街のとある場所。
その中のとある建物では、怪しい動きを見せる連中がいた。
「どうだった、今日の様子は」
「仕掛けておいた罠は全部破壊されてましたな」
「川を渡れずに待っている連中が暴動を起こそうとしても、発生前に鎮圧されていたよ」
「……思ったよりも荒れないな。なぜ、ここまで思うようにいかないのだ」
リーダー格と思われる男は、疑問に感じているようだ。
「そもそもアイーデ様が出てきておきながら、この街を落とせなかったことが異常だ。帝国でもトップクラスの将軍相手に撤退をさせるなど、この街にそんな戦力はなかったはずだ」
リーダー格の男は、悔しそうに爪をかんでいる。
そのリーダー格の男を見ながら、先程の報告をしていた別の男が声をかける。
「おそらくは、変な姿のメイドが原因だと思うよ」
「変なメイド?」
普通の労働者風の男が答えると、リーダー格の男は首を傾げている。
話によれば、暴動が起きそうになっている現場に駆けつけては、妙な技で問題の連中を吹き飛ばし説教をしていたらしい。その姿はウサギの頭を持っているとのことだった。
「状況からすると、かなり強力な風魔法の使い手だね」
「そんなの、事前入手の情報では聞いていなかったな。そうか、それがアイーデ様が撤退した原因か……」
リーダー格の男は、爪を再びかんでいる。どうやら癖のようだ。
「橋の破壊も予定の半分だけだったし、このままでは復旧されてしまいますぜ」
「長い時間をかけて仕込んできたリバーファングも役に立っていませんし、混乱に乗じて戻ってきましたのに、これでは再び撤退せざるを得ませんよ。どうしましょうか」
「俺に聞くな」
部下たちが口々にいろいろ言うものだから、リーダー格の男は対処に困っている。
彼らからすれば、戦争の開始前に脱出し、予定通りに街に戻ってきただけである。戻ってきたら、何事もなかったかのような平和な光景が広がって驚かされたものだ。
戻ってくるまでに日数があったこと、変わらぬ街の光景に驚かされたこと、その二点で脱出する前に仕掛けた罠のことなど、しばらく頭から吹き飛んでいた。そのことで、カオルが対処をする時間を与えてしまい、彼らは次の作戦を練らざるを得ない状況になってしまった。
「くそっ、なんだってこんなことになったんだ……」
リーダー格の男は、頭が痛そうである。
なんといっても、自分たちが仕掛けた罠は既に跡形がない。破壊予定だった橋は半分程度しか壊せていないし、修繕を妨害するためのリバーファングがなぜか出現しない。橋の交通制限にいらついたならず者を焚きつけようにも、一瞬で制圧される。すべてが思い通りにいかないのだ。
それ以外で不安を煽ろうにも、オーロイス伯爵の対応が早くてすぐに鎮静化してしまう。もう完全に手詰まりだった。
「はあ……。何年とかけて仕込んできた計画が、こうもまったく意味をなさないとはな。帝国の工作兵として情けなくなってくる」
リーダー格の男は、顔を手で押さえて、首を左右に振っている。
「だが、こうも何の成果もなくおめおめと撤退できるかというもの」
顔を上げたリーダー格の男は、その場にいる手下たちに声をかける。
「その怪しいウサギ面のメイドについて調べるだけ調べておくか。何か弱点になるようなことでもつかんで、帝国への土産とするんだ」
「分かりました」
返事をした手下たちは、街の中へと散り散りになっていく。
あくまでも表向きは、街にやってきた出稼ぎ労働者だ。変に集まっていると、疑われる可能性があるというわけだ。
手下たちが全員去っていくと、リーダー格の男は目を閉じながら大きなため息をつく。
「くそっ! こんなことは俺が諜報の活動をし始めてから初めてってもんだ」
組んだ手を前にして、顔を半分くらい沈めていた男は、閉じていた目を半分くらい開けて、睨みつけるような表情を浮かべる。
「俺の輝かしい経歴に傷をつけてくれた、へんてこなメイドめ。ぜってぇてめえは許さねえ。すべてを暴き出して、弱みを握った上で、必ず始末してやる。せいぜい、いい気分でいることだな」
男はそう吐き捨てると、自分も目的を果たすために動き出す。
オーロイス伯爵は、不穏な動きをする連中をまだしばらく抱え込むことになりそうである。
その頃のオーロイス伯爵邸。
「ううっ!?」
「どうしたんだよ、カオル」
仕事をしていたカオルが、突然の身震いを起こす。
「いや、今なんか寒気を感じたんだよ。俺って、誰かに恨みを買うようなことをしたのかな」
肩を抱えて、怖がっているふりをするカオルである。
「いや、俺からいわせたら、恨みを買って当然だと思うぞ。特に、イダンカ帝国の連中からしたらな」
「そっかぁ? 俺は自分のやることをやっただけなんだがなぁ」
ライツに言われたカオルは、腕を組んで不思議そうに眉をひそめている。
「とりあえず、戦後復興をさっさと済ませてしまわないと、伯爵様の負担を増やすばかりなんだ。お前が言い出したんだから、ちゃんとやってくれよな」
「分かってるよ。お前もきっちりするんだぞ、ライツ」
「へいへい。ちゃんとやるから動いてくれ」
街の中で新たな悪意がうごめいていることも知らず、カオルはイダンカ帝国から寝返ったライツと一緒に、オーロイス伯爵の仕事を手伝っている。
よもや多くの悪意が自分に向けられているなど知らず、今日もせわしなく働いているのであった。




