6-9 女の意地
金山姫神は、天鈿女から吸い出し、口元にくわていえた黒い針状の物体を指でつまみあげた。
目の前に掲げ、あらゆる角度に傾けると、黒くわずかな照明に照らされ時折鈍く光る。それを眺めにやつき、言い放った。
「硬くて黒い……ああ……いい出来ね」
天鈿女は体を動かそうとするが、まるで力が入らない。それどころか、視界はぼやけ、息が荒く、呼吸もままならない。意識も朦朧とししている。
身を隠していた菖蒲が、居てもたってもいられず駆け寄った。金山姫神をにらみつけ、声を荒げる。
「ゔ……うぅ……」
「お姉ちゃんに何をしたの!?」
「ふふ……少し『鉄分』を分けてもらった――ってところかしら」
「鉄分?」
「鉄分を吸い寄せる……それが私の発動技能。そしてこれが私の自慢のコレクションよ」
そう言いながら、金山姫神は天鈿女から取り出し手に取った長針を、黒いマントの空いているスリットに滑り込ませ、ぶら下げた。他の長針とぶつかり、チャラチャラ……と音が鳴り満足そうな笑みを浮かべた。
「まさかそれ全部、誰かの血だった……ってこと!?」
「そうよ。硬さ、形、そして臭い……ふふ、どれ一つとして同じものはないの」
高らかと笑う金山姫神。
「うぐ……気色悪。とんだド変態ババアじゃない」
一方で菖蒲は足下に落ちている針の一本を拾い上げ、嫌そうにみつめる。
「さあ。巫など神なしでは所詮ただの人間よ。もう無駄なあがきはやめたら?」
「まだ…まだよ!」
菖蒲は拾った長針を金山姫神に投げつけたが、これも少し体を反らしただけで簡単にかわされてしまう。
「そんなことで不意をついたつもり? 虚しいわね」
「……」
「お嬢ちゃん、いいことを教えてあげる。人は血液から鉄分を失うと、酸素を体中に送れず呼吸困難に陥るのよ? つまりその女は……放っておけば窒息死する」
「何ですって……」
「菖蒲……逃げて」
息を荒げながら、天鈿女が声をしぼり出す。だが菖蒲はその場を離れようとしない。
「嫌よ。ここで負けたら玲仁は救えない」
「悪いけど、ここでぐずぐずしてる暇はないの。あなたのお仲間さんを追わなきゃいけないから、もうこれで終わりにするわ……本当はもっと弄んであげたかったけど」
そう言うと金山姫神飛び上がり、暗闇に姿を隠した。
丸腰の巫はただの人同然。戦いには到底なりそうもない。攻撃がどこから来るか見当もつかない。菖蒲はきょろきょろと辺りを見回しながら、警戒する他なかった。
背中から気配を感じ、のけぞると脇を針がすり抜け、むかいの壁に突き刺さった。さらに次々と菖蒲のそばに針が飛んできて、慌てて物陰に隠れる。
しかしそもそも、どこから飛んできているか検討もつかない。
「それで時間稼ぎのつもりかしら?」
菖蒲は離れた位置にある、天鈿女が落とした扇に目をつけ、駆け出す。
「!?」
菖蒲の脚を針がかすめ、かすかに傷がついた。それでもなお、菖蒲は走り続ける。さらに針が次々と飛び、菖蒲の腕や頬をかすめる。
「もったいない! ぴちぴちとした肌がどんどん台無し担っていくわよ? キャハハハハ!」
わざと外して狙っているのだろう。相手が菖蒲をもてあそんでいることに菖蒲はとっくに気づいていた。それでも、足をとめるわけにはいかなかった。
もう、何かをあきらめたりはしない。橘との一件以来、菖蒲は誓ったのだから。ましてや、それが玲仁を救うためなら――
菖蒲は天鈿女が落とした鉄扇を拾い上げ、身構えた。すると金山姫神が姿を現し、笑いながら、菖蒲の正面に立った。
「アハハ、面白過ぎるわ。もう負けるとわかっているのに、なぜ抵抗するの?」
「……女の意地よ」
金山姫神が、にんまりとこれまでにないほど嬉しそうな笑みを浮かべる。
「あなたの血がどんな味がするのか……興味がわいてきたわ」
そう言いながら、金山姫神は黒いマントを脱ぎ捨てた。大量の鉄針がガシャリと重い音を立てる。
「あなたにもうこれはいらないわ。あなたも直接……吸ってあげる」
金山姫神は舌なめずりしながら、一歩ずつ、近づいてくる。
菖蒲は扇を握りしめ、構える。引く気はまるでない。しかし、その脚は震えている。
「絶望的なほど、真っすぐで、愚かで若い女の味は……どんなものかしら」
ますます金山姫神が菖蒲と距離を詰める。
すると、なぜか体中の傷口から、血が滲みだしている。
「ふふ……ダメじゃない。傷口から漏れ出てるわよ?」
「これは……」
「口からしか吸い出せないとでも思ったのかしら? 正確に言えば、私の全身が磁石のようにあなたの血、正確には鉄分だけど――を引き寄せる。噛みつくのはそれが一番直接的で強力だから……と言いたいけれど、半分以上は……趣味よ。くふっ」
もはや、その狂いぶりに菖蒲は言葉を返す気すら失せていた。
金山姫神がゆっくりと近づく。扇を手に持ち構える菖蒲の身体が、少しふらついた。傷口から流れる血の量が明らかに増している。
だが、今さら距離をとったところで、意味をなさない。むしろ遠距離戦で挑まれるよりも、こちらの方が好都合だ。
肉を切らせて、骨を断つ。
「私のコレクションの一部になることを光栄に思いなさい」
そう言い放ち、金山姫神は全身から力を解き放った。出力が上がり、周囲の鉄製の鎖がピンと伸び、重量感のある鉄の箱がズズズと動き出し、あらゆる鉄製の物体が彼女に引き寄せられていく。
例外なく、ますます菖蒲の体からも先ほど以上に、鉄分が吸い出されていく。菖蒲は、めまいを感じていた。呼吸も荒くなる。血の量が減っている影響だろうか。
「まだ……よ」
菖蒲は扇を握りしめる手だけは放すまいと、いっそう力を込める。
だが、皮肉にも待てば待つほど状況は悪化していた。もはや、どんなに空気を吸っても、息を止めているかのように苦しい。
「血中の鉄分が減れば、体に行きわたる酸素も減る。学校で習わなかった? まともに授業を受けていた子のようには見えないから、言っても無理かしら」
「く……」
菖蒲が、小さく呻く。金山姫神が聞き返す。
「く……?」
「……クソババァが」
アイドルである自身のキャラを脱ぎ捨て、憎悪を露わにし、菖蒲は女を睨みつける。その視線は――かなりこたえたようだ。
金山姫神の目つきが変わった。
突然菖蒲の目の前まで詰め寄ったかと思うと、そのまま突き飛ばした。衝撃のあまり菖蒲の手にあった扇は遠くに弾き飛ばされ、すかさず仰向けになった菖蒲の体の上に金山姫神またがった。
抵抗するタイミングすら――みつけられなかった。菖蒲は絶望を感じずにはいられなかった。
菖蒲の全身のあらゆる傷口から、血がさらに噴き出す。痛みに耐え切れず、目を見開きうめいた。
その顎に指をのせ、引き寄せながら金山姫神は微笑む。
「生意気な口も……ここまでかしら」
「あっ……ぁ」
もはや意識があるかもわからないほど、菖蒲の目は見開き、焦点が定まっていない。
「さあ、みせておくれ。あなたの黒くて、硬い……ソレを」
やがて金山姫神が、その紅色の唇に閉ざされた口を大きく開く。腹をすかせた獣のように唾液が糸を引き、菖蒲の顔へと垂れ落ちた。
すると突然、菖蒲はカッと目を見開き、奇声に近い叫び声と共に右手を振りおろした。
「ウラァアアアアア!」
その手の先には、鉄針が握られていた。その切っ先が金山姫神の首筋を目がけ突き刺さる――はずだった。
「そういう執念……嫌いじゃないわ」
残念ながら、その針の先端は、金山姫神の眉間の先端のわずか数センチのところで停止していた。
振り下ろされた彼女の手首を金山姫神が、まるで予期したように掴んでいた。実際には繰り出されるその瞬間まで気づいてなかったのかもしれない。だが、彼女のスピードを前にして、か弱い少女の動きを察知して反応することは、さほど驚きのある結果ではないだろう。
金山姫神がにこりと笑う。対して、絶体絶命の菖蒲――のはずが、彼女はその顔を見てなぜか笑っていた。
「何がおかし――」
ざくっ。固い何かが、刺さる。
「ん?」
金山姫神は違和感を覚え後頭部に手をやる。長細く硬いものが、後頭部から生えていた。
正確には、鉄針が突き刺さっていた。
「これは……私の……」
「防がれる可能性があることは……わかっていた。だから……保険を掛けたの」「保険……だと……」
「こっちよ、吸血おばさん」
その声に、金山姫神がゆっくりと首を回す。
そこに天鈿女が立っていた。
いつの間にか上体を起こし、腕を投げだした状態で、ぐったりしていた。
「彼女が……投げた……? まともに動ける……はずが」
菖蒲がそれに答える。
「ええ。だから腕を動かしたのは私。以心伝身で、私の攻撃に、天鈿女の腕を……シンクロさせたの」
「そん……ナ」
金山姫神はその言葉を終えるまでもなく、力尽き、そして菖蒲に覆いかぶさった。
「これが……女の意地よ」
菖蒲が、金山姫神の身体をどかすと、息も絶え絶えに天鈿女の下に、ゆっくりと歩み寄る。
「ああ、菖蒲。抱きしめたいけど、残念ながら指一本、動かないわ」
「いいのよお姉ちゃん。じっとしてて……」
傷口から失血したダメージは重いが、直接血を吸われた天鈿女に比べればましだ。菖蒲は天鈿女を抱え上げながら、語り掛ける。
「菖蒲……たくましく……なったわね」
「当たり前でしょ。前に進むって、約束したでしょう?」
しかしその言葉を聞き終える前に、天鈿女は意識を失っていた。菖蒲は天鈿女を抱え、自分も座り込む。
「はあ……たださすがにちょっと休憩。後は……頼むわよ、天照……」
菖蒲はそっと天鈿女の肩にもたれ、ゆっくりと目を閉じた。




