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6-1 夏チャン

 日曜日の朝。それは日本一平和な朝のことを指す。

 全人類が幸福を感じるといっても過言ではない休日の朝。意識の片隅で小鳥のさえずりを聞き、薄っすらと差し込む日差しを避けるように毛布にくるまる、そんな幸せな目覚め――のはずだ。一般的には。


「はあ……はあ……はあ……」


 玲仁は、長い廊下の奥から一歩ずつ、前に進んでいた。それも全てはこの、クソ重い鞄を引きずっているためである。

 昨晩の時点で異様な量の荷物をパッキングしている父文世の姿をみて、あれは全部鞄に入るのかな……などと呑気に思っていた。その余波が自身に降りかかることも知らずに。

 案の定詰め切れなかった荷物は必然的に別の鞄に詰め込まれ、そしてその鞄を運ぶのは必然的に文世の息子である玲仁の仕事、となるわけだ。憂うべき断ち切れぬ血のつながりとはまさにこのことだ、と玲仁は痛感していた。

 玲仁はすぐさま素戔嗚にヤオヨロズで助けを求めたが、想定通り、どこをぶらついているかもわからない素戔嗚がすぐに駆け付けるわけがなく、早々にあきらめ、現在に至る。


「おーい玲仁! 何ぐずぐずしてんだ!」


 文世の底抜けに明るい声が聞こえる。玲仁は長い息を吐く。

 玲仁が疲れを感じる理由はさらにある。

 突然だが、この世を幸せな人と不幸な人の二種類に分けるとしたら、とてもわかりやすい指標がある。


 ――ハワイに行ける人と、ハワイに行けない人だ。


 文世の不在を告げられたのは菖蒲と共に橘と戦った数日後のことだった。突然思い立ったように文世から『あ、そうそう。おれ一週間後にハワイ行くわ』と告げられ、玲仁は心の準備もできぬままただこの日を迎えたのであった。

 今週から学校は夏休みに入っている。夏期の補習をどうすべきか……進路をどうすべきか……などといった世の息子が本来将来の道に悩むこの時期に、ここぞとばかりに一切の留守を任せ全力で旅立つ父に、玲仁は落胆を飛び越えもはや尊敬の念すら抱いていた。


 玄関の扉を体ごと押し開けると、気の早い文世がアロハシャツとレイを身に纏い、こちらを苛立たしく腕を組んで立っている。


「親父、自分の荷物ぐらい自分で運んでくれよ」

「何言ってんだ。遊ぶための体力は温存しないとだめだろう」


 玲仁は再びため息をつくと、タクシーの運転手に声をかけ、巨大な鞄をなんとかトランクに積んでもらう。文世よりもゆうに一回り以上歳上であろうその男性も、額にしわを寄せ、規格外の重さに少々手こずっていた。

 八月の容赦ない日差しも加わり、朝にも関わらず汗だくだ。


「暑さを味わいたいなら、日本にいたっていいじゃないか」

「玲仁、何言ってんだ。ハワイの夏っていうのは、日本のじめーっ……とした夏とは違うのだよ! さわやかな風が首筋を吹き抜ける、それがハワイだ!」

「ハワイとは……日本とは違う場所なのですか?」


天照が無邪気に尋ねる。


「もちろんだよ。南国! 楽園! それがハワイだよ!」

「そうですか、それはうらやましい限りです」


 文世のテンションとは対照的に、天照が落ち着いた口調で返す。しかし文世はそんなことも意に介さないくらい上機嫌だ。


「はっはっは! 天照も今度機会があったら、連れて行ってやるからな」

「はい、ぜひお願いします」

「社員旅行で行くだけなのに偉そうだな」


 玲仁がくぎを刺す。


「何言ってんだ。おれの力で勝ち取った仕事――その職場で行く社員旅行――それはおれが自ら勝ち取ったハワイに他ならないだろう?」

「はいはい、そうですね」


 あしらう玲仁に、文世がするすると近寄り、突然玲仁の耳元に小さな声でささやく。


「それによ……玲仁。お前にとっても『夏チャン』だろ?」

「夏チャン? 何それ」

「おいおい……しらばっくれるなよ息子よ。これから一週間、天照と二人きりで過ごすわけだろうが。それはつまりお前にとって『ひと夏の思い出チャンス』……略して『夏チャン』だろうが」

「親父……何言ってんだよ!」

「お前も自らの力で勝ち取れ! 自分だけの楽園をな! アディオス!」


 そこはアロハじゃないのか。

 うまいんだか下手なんだかよくわからない例えに一人満足げな文世は、玲仁の背中をぽん、と叩き颯爽とタクシーに乗り込んで消えていってしまった。


「いってらっしゃいませ、お父様」

「二度と帰ってくんな!」


 結局、文世は言いたいことだけ言い残し、九十九家の門前に残ったのは暑さと、けたたましい蝉の音、そして――立ち尽くす玲仁と天照の二人だけであった。


「さて、ここにずっと立っていても暑いでしょう? 中に入りましょう」

「あ、うん」


 天照の横顔を何気なくちらり、とのぞきこむ。


 夏チャン――か。

 無論女の子と二人きりでお留守番、という点でとらえるならば、文世の言う通り、玲仁の人生史上未知なる体験ゾーンへと足を踏み入れるといっても過言ではない。

 しかしそれ以上何かがどうにかなるなんてことは――万が一にも考えられまい。ましてや人と神の間に何かしらかが起きたりなんかしたら――どうなる?

 それこそ玲仁の人生史上どころか、人類史上初の大事件だ。本当に。

 玲仁は我に返り、首をぶるぶると横に振る。


「何を考えてるんだ僕は……暑さにやられたか」

「どうかされましたか?」

「いや、何でもないよ。そうだ……せっかくの休日だし、買出しに行こう、買出しに!」


 なんとなくこのまま家の中に戻ることに抵抗を抱き、玲仁はごまかすように叫ぶ。無論そんな玲仁の妄想など知る由もない天照は素直に承諾する。実際、家の食料は明らかに不足していたことは事実だった。これから二人で夏休みを乗り越える蓄えは必要だ。



 そうして三十分後、大量の生鮮食品、そして天照に頼りきりにならないよう、簡単に作れる冷凍食品やインスタント食品を袋いっぱいに詰め、それらを両手に抱えながら、帰路についていた。

 まだ癒えぬ鞄をひきずった腕の疲労をぶりかえし、いっぺんに買い込んだことを後悔しつつ、一方で玲仁はこれまでの天照と出会ってからの日々を思い返していた。

 彼女との生活も慣れ、ヤオヨロズという謎アプリの正体はわからぬものの、仕様そのものに対する理解は少しずつだが進んだ。そして他の巫の存在を知り――何度か戦いもした。

 全てがこのわずか2,3ヶ月で起きた出来事だとは思えなかった。これまでの人生で味わった刺激に比べると、濃密すぎる日々。天気で言うならばもう1年分で振るはずの降水量が二、三日で振りました――みたいなものだ。

 だが何より、その状況を前向きにとらえていることが自分でも不思議だった。ここまでは何事もなくやってこれたが、これからはどうだろうか?

 前回の戦いのことが頭をよぎる。田霧姫は本当に強かった。そして橘のような巧みに社会に溶け込んで神を手に入れようとしている奴がいたという事実も、恐ろしく感じる。

 玲仁は所詮、ただの高校生だ。今この瞬間も日本中の大人が本気になってヤオヨロズを攻略しようとしているとしたら、果たしてこの調子で対抗し続けることができるのだろうか?

 いずれにしろヤオヨロズが入り込んできてから、つまらないと決めつけたはずの現実に、変化が入り込んできたことだけは間違いない。


「こんな道端で、何しめっぽい顔してんの?」


 突如甲高い声がし、玲仁は横を向いた。すると、ツインテールの美少女が、見慣れたバンの窓から顔を出している。


「菖蒲ちゃん!?」

「これは。菖蒲さんお久しぶりです」

「顔がみえたから、声をかけただけよ。乗せないわよ」


 プライベートなので口はいつものごとく悪いが、こうしてあらためてみると、整った顔立ちに、アイドルと呼ばれるのも無理はないな、と妙に納得する。そんな子が玲仁のような平凡な高校生に話かけてくれるのだから、本当に人生には何が起きるか本当にわかったものではない。


「そういえばこのバンって、事務所の車だったよね? まだあの事務所に残ってるの?」

「……事務所はもうないわよ。この車はどさくさに紛れて頂いたわ」

「車ってどさくさに紛れて手に入るものなんだ……」


 その肝の座り方には相変わらず感心してしまう。


「頂いたのは、車だけじゃないわよ」


 菖蒲がコンコン、と窓を叩くと、ゆっくりと運転席の窓が降りた。その奥から見覚えのある、ギロリと光る眼の大男が顔をのぞかせた。


「あ……天目一箇神あめのまひとつのかみ!?」

「橘に勝ったときに、奪ったのよ。ヤオヨロズバトルの勝者は相手から従神したがみを一体奪えるでしょう?」

「確かに……」

 

 この前の橘との一戦は、厳密には菖蒲と橘のバトルであり、玲仁はあくまで手伝っただけである。それにしても、田霧姫神たぎりひめのかみではなく天目一箇神あめのまひとつのかみを選んだあたりに、少々意外性を感じた。


「運転手が欲しかったのよ。力仕事にも使えるしね。暑苦しい女はいらないわ」

「さすが、選び方が菖蒲ちゃんらしいね」

「菖蒲さん。今もまだあのマンションに住んでいらっしゃるのですか」

「さすがにもうあの家賃は払えないわよ。元々事務所に出してもらっていたものだったから。実は今、新居を探し中なの。それで動き回っていたのよ」

「そうなんですか? 菖蒲さん、行き場所がなければ九十九家にいらしたらどうでしょう」


 どうして天照は九十九家に関してだけは、すっかり自分の家のように言い切れるのだろうか。玲仁は苦笑いしながら、でもリアクションが気になったのであえて口を挟まず、菖蒲の返答を待ってみた。

 すると意外な言葉が返ってきた。


「あら、天照は本当にそれでいいの? ライバルが増えるわよ?」

「えっ」


 声を上げたのは玲仁の方だった。含みのある言い方だ。天照は『ライバル』の意味がわからないらしく、首をかしげている。


「ライバルとは何でしょう」


 天照は本当に言葉の意味がわからず聞いたのだろうが、菖蒲は違うニュアンスとして解釈したようだった。


「冗談よ。ネット配信は続けるから、どこか踊って歌えそうな場所をちゃんとお姉ちゃんと一緒に探す予定よ。壁薄くても困るし、最近じゃ放火魔だなんだって巷でも騒いでるし……売れっ子アイドルが安心して住める場所なんてそんなに簡単にないのよねえ。だから玲仁が土下座しても行く気はないわ。残念だったわね」

「そ、そう。そうだよね」

「良いお住まいがみつかるよう、祈っております」

「……他人の従神に応援されるような日がくるなんて思いもしなかったわ。ほんと……人生って突然何が起こるかわからないわね」


 まるで玲仁の頭の中を読んでいたかのように、菖蒲が言葉を吐く。そういえば、自分だけの悩みではなかったな、と思い出し玲仁は少しだけ気が楽になった。


「菖蒲さんは、仲間ですから。応援して当然です」

「ふうん……そう。じゃあね、私の愛しい彼氏♡」


 突然玲仁に目配せをし、アイドルモードにスイッチした菖蒲に玲仁は戸惑ってしまった。だが彼女はさっさと首をひっこめて、バンは走り去っていった。


 固まったままの玲仁の顔を、天照がのぞきこむ。


「どうされました?」

「え? いやいや、彼氏ってのは、あくまで設定だっただけで何も――」

「彼氏? ああ、恋人同士のふりをしていたときのことですか。それが何か」

「あ――いや。何でもないよ……」


 玲仁は長い息をはいた。早とちりして一人慌てていた自分自身が恥ずかしくなってしまう。別に誤解されとしても天照との関係があるわけでも、何が困るということもないはずなのだ。


「玲仁様も変わった方ですね」


 天照が、くすりと笑った。なぜか玲仁は慌てて視線をそらし、再び帰途についた。

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