第7話-また今度
皆さん、こんにちは!
ようやく新しい話を更新できました!
今回は思っていた以上にボリュームのある回になってしまいましたが、楽しんでいただけたら嬉しいです!
十数年ほど前――葵がまだ幼稚園児だった頃。
それは、ごくありふれた一日のことだった。
幼稚園は午前中で終わり、昼過ぎにはもう帰れる。そんな楽しい日常の中で、両親が迎えに来てくれた日は、そのままどこかへ遊びに連れていってもらうこともあった。
「パパ~!」
わざわざ車で迎えに来てくれた父親を見つけると、葵は嬉しそうに小走りで駆け寄っていった。
「葵~、今日はどこか遊びに行くか~?」
「わあ~! やったー! どこ行くの?」
遊びに行けると聞いた途端、葵は大喜びする。
「そうだなぁ、今日は……ん? なんだ?」
その時、父親の携帯電話が突然鳴った。
画面を見ると、普段はほとんど連絡を取っていない親戚からだった。不思議に思いながらも、父親は電話に出る。
「もしもし? 中村です。……え? ……本当ですか……?」
父親の表情がみるみるうちに困惑と驚きへと変わっていく。
声色からも、いつもの落ち着きが失われているのが分かった。
「……分かりました。今から向かいます……」
電話を切ると、父親は苦い顔をしながら深くため息をついた。
「パパ、どうしたの?」
何が起きたのか分からない葵が尋ねる。
「ごめんな。親戚の家で、急にちょっと大変なことがあったみたいなんだ。パパ、今から行かないといけなくてな。葵は……」
父親は葵の顔を見つめた。
どうやら、どこかに葵を預けてから一人で向かおうと考えたらしい。
しかし、幼稚園の先生たちもそろそろ帰る時間だ。かといって、幼い葵を一人で家に残しておくわけにもいかない。
父親は片手で顔を覆いながら少し考えた末、仕方なく葵も一緒に車へ乗せることにした。
二人はそのまま目的地へと向かった。
後部座席に座っていた葵は、父親がいつもと違って妙に緊張した表情を浮かべていることに気づいた。
道中ほとんど口を開かず、車のスピードも普段より少し速いように感じる。
しばらくして、二人は目的地へ到着した。
父親と一緒に車を降りた葵は、そこが以前にも何度か来た覚えのある親戚の家だということに気づく。
しかし――今日は、いつもとは明らかに様子が違っていた。
家の周囲には大勢の人が集まっていた。
近所の住民らしき人々だけではない。
消防車や救急車まで停まり、消防隊員や救急隊員たちが慌ただしく行き交っていた。
「お……の……でら……? えっと……おうち……?」
まだ漢字をほとんど読めなかった葵は、壊れかけた表札に書かれている文字を、一文字ずつたどるように読み上げた。
そして顔を上げた瞬間、異常なのは表札だけではないことに気づいた。
家そのものが、まるで何か大規模な災害にでも巻き込まれたかのような有様だった。
あちこちには激しく燃えた跡が残り、建物の一部は大きくえぐれ、崩れ落ちている。
それどころか、庭やその周辺にまで、何かが暴れ回ったかのような被害の痕跡が広がっていた。
「すみません、ここで何があったんですか?」
父親は、近くにいた近所の住民らしき人たちに尋ねた。
「最初は揺れと、何かがぶつかるような音が聞こえてきたんです。地震かと思ったんですけど……どうも、この家の中から聞こえてきたみたいで。それから、雷が一本、家に直接落ちるのが見えて……その直後くらいから火が出たんです。そのあとも、何かが壊れる音とか、人の叫び声とかがずっと聞こえてきて……怖くなって、慌てて119番したんですよ……」
「中村さんでしょうか?」
そこへ、関係者らしき人物が父親のもとへやって来た。
「こちらのご家族が登録されている緊急連絡先の一人が中村さんでしたので、先ほどご連絡させていただきました……」
そう言って、その人物は父親を少し離れた場所へ連れていき、何かを話し始めた。
「……あの子……」
その時、葵は家の玄関近くに座り込んでいる、一人の男の子に気づいた。
自分とほとんど変わらないくらいの年齢に見える。
火事のせいなのか、髪も服もボロボロだった。
それなのに不思議なことに、身体には目立った怪我らしい怪我が見当たらない。
煤で汚れた顔には、生気というものがまるでなかった。
絶望の中に取り残されたかのような表情。
充血して腫れた両目と、頬に残った乾いた涙の跡を見る限り、おそらく彼はつい先ほどまで、あの家の中で起きたすべてを自分自身で体験していたのだろう。
男の子は何も言わず、地面に座ったまま微動だにしない。
腕の中には、どうにか残ったらしい数個のおもちゃだけを抱えていた。
その周りでは、何人かの大人たちが彼の様子を見守っている。
「まあ……なんて可哀想な子……」
「まだこんなに小さいのに……もしかして、施設に行くことになるのかしら……」
「ショックが大きすぎたみたいで……精神的にも、かなり混乱してるらしいぞ……」
周囲の大人たちのひそひそ話が、葵の耳にもかすかに届いていた。
もっとも、幼い葵には何を話しているのか、ほとんど理解できなかった。
だから深く考えることもなく、葵はゆっくりと男の子へ近づき、その目の前に立った。
「ねえ、君は誰?」
葵は無邪気に尋ねた。
男の子はゆっくりと顔を上げ、葵と目を合わせる。
「俺は……俺……誰……? 君……君たちは、誰……? 俺……君……あいつ……え……俺は、誰……? 俺に……話してるの……? ここ……どこ……? なんで……俺と同じ顔してるの……?」
男の子は力の抜けた声で、誰にも意味の分からない言葉をぶつぶつと呟いていた。
その瞳には光がなく、まともに物事を考える力さえ失ってしまったかのようだった。
葵はただ不思議そうに首を傾げている。
当然、彼に何が起きているのかなど分かるはずもない。
その様子を、少し離れた場所から葵の父親が黙って見つめていた。
やがて父親は一度車へ戻ると、トランクから一個のバスケットボールを取り出した。
そして男の子のところまで歩いてくると、そのボールをそっと彼の手の上に置く。
その瞬間――男の子の視線が、初めて何かを捉えた。
「ほら! バスケットボールだぞ! バスケは好きか? よかったら、おじさんが今度から教えてやるぞ!」
父親は男の子の前に軽くしゃがみ込み、優しく笑いかけた。
男の子はしばらく、手の中のバスケットボールを見つめていた。
やがて、その目が少しずつ赤くなり、涙で潤んでいく。
そしてついに、堪えきれなくなったように泣き出した。
ぽたぽたと零れ落ちた涙が、バスケットボールの表面を濡らしていく。
それでも男の子は――小さく、確かに頷いた。
その返事を見た父親も、胸を締めつけられたような表情を浮かべる。
目頭が熱くなるのを堪えきれず、彼はそっと手を伸ばし、その小さな身体を抱きしめた。
「……その頃の私はまだ小さかったし、そのあとも両親は詳しいことを話してくれなかったから。今となっては、私もわざわざ聞こうとはしなかったんだけどね」
時は現在へ戻る。
放課後の校内。
葵とアリスは、人通りの少ない校舎の片隅で二人きりで話していた。
葵から小野寺の過去を聞き終えたアリスは、思わず沈黙してしまう。
「じゃあ……小野寺君の家族は……」
「たぶん……あの時、あいつの超能力が突然目覚めて、それが制御できずに暴走しちゃったんじゃないかな……」
「そんな……お気の毒に……」
アリスは悲しげに目を伏せた。
その表情に浮かんでいたのは、単なる同情だけではなかった。
どこか――彼の苦しみを、自分にも理解できるような。
そんな感情が滲んでいた。
「それで……アリスは一体……?」
今度は葵が尋ねる。
アリスはしばらく黙り込んだあと、ゆっくりと口を開いた。
「ある日突然、自分に何かよく分からない力があることに気づいたの……。でも正直、私自身にも何が起きているのかよく分からなくて……まともにコントロールすることすらできない……」
「そっか……。他にそのことを知ってる人は?」
「今のところ、知っているのはパパだけ。だから、小野寺君も超能力者なんじゃないかって疑い始めた時……もしかしたら、彼なら私を助けてくれるんじゃないかって思ったの……」
アリスはそこで俯いた。
「もう……この力で誰かを傷つけたくないから……」
その表情には、心の底からの悲しみと、どうしようもない無力感が浮かんでいた。
そんなアリスを見て、葵も少し気の毒そうな表情を浮かべる。
「まあ、あのバカに何ができるのかは知らないけど……少なくとも、頑丈さだけなら相当なもんだと思うよ。私から話してみようか? たぶん、あいつなら普通に手伝ってくれると思うし」
「それは……大丈夫。私のことだから、少しずつ自分で彼と話していこうと思う。今日はありがとう、中村さん」
少し考えた末、アリスは葵の申し出を断った。
それでも最後には軽く頭を下げ、礼を伝える。
葵は少し不思議そうにしたものの、それ以上深く考えることはなかった。
もう時間も遅くなってきている。
そろそろ学校を出なければならない頃だった。
「分かった。じゃあ私もそろそろ帰るね」
葵はそう言ってから、冗談っぽく笑う。
「あいつのこと、怪我させないでよ? ……なんてね。まあ、あいつを怪我させる方が難しいだろうけど。あはは。それじゃ、またね、アリス」
「うん。バイバイ、中村さん」
そうして二人は、その場で別れた。
だが――葵が何気なく口にしたその言葉は、思いがけずアリスの胸に突き刺さっていた。
一瞬だけ、その表情が強張る。
それからしばらくして、アリスも帰路についた。
歩きながら、先ほど葵と交わした会話について考え続ける。
(やっぱり、私の予想は間違ってなかった……。小野寺君は超能力者なんだ)
(中村さんははっきりとは言わなかったけど……たぶん、小野寺君がテレビやネットで話題になってる、あの黒い服の超能力者……)
(でも……これでそれは分かったはずなのに、まだ何か足りない気がする……)
(小野寺君の秘密って、本当にそれだけなのかな……?)
(まだ何か……他にもあるような……)
(それって、一体……?)
考えを巡らせているうちに、アリスの意識は自然と数日前の出来事へと遡っていった。
あの日――父親と二人で家にいた時のこと。
二人はリビングで話をしており、その傍らでは、テレビからバスケットボールの試合中継が流れていた。
「ほ、本気で言ってるの……?」
アリスは、たった今父親から聞かされた話が信じられなかった。
あまりの衝撃に、思わずソファから立ち上がる。
父親は事情を説明しようと彼女に近づこうとしたが、アリスは反射的に一歩後ろへ下がり、距離を取った。
「アリス、聞いてくれ。私はただ……できる限りのことをして、お前を治してやりたいだけなんだ……」
「わ、私はそこまでしてほしいなんて頼んでない! それなのに勝手に私やクラスメイトのことまで調べて……! それに、小、小野寺君に何をするつもりなの!?」
「……では、事前にお前に相談していれば、許してくれたのか?」
「…………」
父親の問い返しに、アリスは言葉を失った。
父親はそんな彼女を見たあと、一度その場を離れた。
そしてしばらくすると、ガレージから重そうな大きな袋を抱えて戻ってくる。
その袋を床へ置くと――中に入っていたものを、アリスの目の前へ一気に広げた。
「こ、これ……」
アリスは思わず息を呑んだ。
そこにあったのは、スプーンやフォークをはじめとする、ごく普通の生活用品だった。
いや――正確には、そのすべてがアリス自身の使ったことのある物だった。
父親はその中から一本のスプーンを拾い上げる。
それは激しく捻じ曲げられ、まるで稲妻のような奇妙な形に変形していた。
他にも、いくつにも砕け散った鍋や食器。
まるで何百年もの歳月を経たかのように朽ち果て、今にも灰になりそうな本。
一度も使っていないはずなのに、激しく焼け焦げた電池。
どれも、到底まともな状態とは呼べないものばかりだった。
「こんなものをこっそり捨てていれば、私に気づかれないとでも思ったのか?」
父親はアリスをまっすぐ見つめた。
「アリス。お前はいつまで自分自身から逃げ続けるつもりなんだ? 前にも言っただろう。こんなことから一生逃げ続けるなんて、不可能なんだ!」
「だ、だからって……! 小野寺君に何か実験をすれば私を治せるなんて、そんな根拠がどこにあるの!?」
「確証がなくても、試してみるしかないだろう!」
父親の声も、次第に大きくなっていく。
「だったらお前には他に方法があるのか!? 私はただ、大切な娘がこれ以上苦しみ続ける姿を見たくないだけだ! それの何が悪い!」
「……っ」
突然声を荒らげた父親に、アリスは思わず怯んだ。
部屋の中に、短い沈黙が訪れる。
父親自身も、自分が感情的になりすぎたことに気づいたらしい。
深く息を吐き、少し落ち着きを取り戻してから、もう一度口を開いた。
「……アリス」
「お前は……私に残された、たった一人の家族なんだ」
その声からは、先ほどまでの怒気が消えていた。
「父さんは……お前まで失いたくないんだよ……」
「…………」
その言葉を聞いたアリスも、胸を締めつけられるような表情を浮かべた。
「で、でも……だからって、こういうことはちゃんと私にも話してよ! 私には知る権利があるでしょ!」
「……その通りだ。すまなかった」
父親は素直に謝った。
だが、少し間を置いてから続ける。
「なら、今度はこちらから聞かせてくれ」
「……お前は、どうしたい?」
「私は……」
アリスは答えられなかった。
普段は人付き合いも上手く、自分より遥かに頭が良く、人生経験も豊富な父親でさえ答えを見つけられない問題なのだ。
そんな問いに、アリス自身がすぐ答えを出せるはずもなかった。
「それから……私はもう、自分の秘密をすべてお前に話した」
父親は少し間を置いてから続けた。
「今の私には、お前に隠していることは何一つない。そう断言できる」
そして、まっすぐアリスを見る。
「アリス。お前も同じように……私に何一つ隠し事をしていないと、そう言い切れるか?」
「…………」
どうやら父親が言っているのは、あの袋いっぱいの生活用品のことだけではないらしい。
アリスは無意識のうちに、父親から視線を逸らした。
「だ、だからって……! いきなりこんな話をされて、全部受け入れろなんて無理だよ!」
「……分かった」
父親は静かに答えた。
「なら、私の目を見て――心の底から答えてくれ」
その表情が、真剣なものへと変わる。
「治る可能性があるとしても、もう何一つ試したくない。いつまで続くかも分からない、この制御できない力を抱えたまま生きていくことになっても構わない――そう言ってくれ」
「…………」
「お前が本心からそう言うのなら、私は今すぐすべてを中止する」
父親はアリスから目を逸らさなかった。
「これ以上、何もしない。全部……何もなかったことにする」
「…………」
アリスの喉元まで、言葉は出かかっていた。
あとは口にするだけだった。
――それでいい。
たった、それだけ。
だが、その文字を――アリスはどうしても口にすることができなかった。
張り詰めた表情のまま、唇だけがわずかに震える。
「も、もうパパとは話したくない! 放っておいて! 私、部屋に戻るから!」
ついに耐えきれなくなったように、アリスは怒った声を上げ、リビングから立ち去ろうとした。
「……それを、お前の答えだと思っていいんだな?」
背後から、父親の声が飛んでくる。
アリスの足が止まった。
だが、振り返ることはなかった。
父親に背を向けたまま、その場に立ち尽くす。
「……好きにすれば……」
その声には、迷いと不安が滲んでいた。
それだけを残して、アリスはリビングを出ていった。
父親は去っていく娘の背中を、どうしようもなさそうに見つめていた。
やがて俯き、深いため息をつく。
『おおっと、これは驚きました! 9番の選手、相手チームと揉めていただけではありません! 今度は味方の選手、さらにはコーチ陣とまで言い争いになっているようです!』
静まり返ったリビングには、テレビから流れる試合実況の声だけが残っていた。
父親はふと、テレビへ目を向ける。
しかし、もう試合を見る気分ではなかったのか。
リモコンを手に取ると、録画されていた試合を一気に最後まで早送りした。
そして映し出された試合結果は――案の定、そのチームの敗北だった。
「…………」
父親は何も言わず、その結果をしばらく見つめる。
そして静かに、テレビの電源を切った。
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試験まで、残り一週間を切った頃。
セットしていたアラームが鳴り響き、マックスはようやくぼんやりと目を開けた。
「んん……」
プリントの上に垂れていたよだれを拭き取り、大きく伸びをする。
彼らは今も制服姿で、まだ外にいた。
というのも、三人とも家で自主的に勉強する習慣があまりにもなさすぎたからだ。
かといって、DSAから毎日のように監視されながら勉強させられるのも御免だった。
そこで妥協案として、放課後は図書館や塾などに寄り、ある程度勉強してから帰宅することになっていた。
マックスは市立図書館の時計を見る。
ここに座ってから、すでに一時間以上。
窓の外もすっかり暗くなり始めていた。
(さすがに結構進んだだろ……)
そう思いながら、満足げに手元のプリントへ視線を落とす。
「え……二ページしか進んでない……?」
マックスは息を呑んだ。
よく見れば、課題に至っては大問を一つ解いただけで寝落ちしている。
もっとも、勉強を始める前に三人で大量のお菓子を食べたのだから、食後の眠気に襲われたところで完全に自業自得だった。
幸い、一度目が覚めてしまえば、迫り来る試験への危機感も手伝って一気にペースが上がった。
それからしばらくして、どうにか今日やる予定だった分だけはギリギリ終わらせることができた。
ちなみに、三人の勉強スケジュールは基本的に、科目や曜日ごとの交代制になっている。
ただでさえ少ない脳の容量を無駄遣いしないため、互いの担当内容について必要以上に情報共有することもしない。
まるで工場の生産ラインで、それぞれの作業員が自分の工程だけをひたすら担当しているようなものだった。
「ん?」
ふと見ると、隣に一枚のメモが置かれていた。
おそらく、今日一緒に図書館へ来ていた田中が残していったものだ。
『晩飯の買い物して帰らないといけないから、先に帰るわ。お前が寝てる間に女の子がお前の電話番号聞きに来てたから、代わりにその子の番号書いといた。感謝しろよ』
「おっ? マジで……?」
マックスはすぐさま、メモに書かれていた番号へ電話をかけた。
数回の呼び出し音のあと、すぐに相手が電話に出る。
「あ、あの、もしもし! さっき図書館にいた――」
『はい、XXピザです! ご注文でしょうか? ただいま一定金額以上のご注文で、配送料無料となっております!』
「……え?」
電話の向こうにいたのは、可愛い女子高生などではなかった。
マックスたちも何度か利用したことのあるチェーン店で働く、おっさんだった。
そもそも今時、気になる相手にいきなり電話番号なんて聞くだろうか。
普通ならまず、LINEかインスタでも交換するところだ。
(……やっぱり田中が俺にそんな親切なことするわけねえよな……!)
一瞬、耐衝撃ケースに守られたスマホごと素手で握り潰しかけるマックス。
しかし、その時――ふと妙案が頭に浮かんだ。
「あ、はい。デリバリーお願いします。ラージピザ一枚、ホットドッグ二つ、ビーフロール一つ、シーフードロール一つ、それからチキンサラダとコーラ三つで」
マックスの口元に、悪い笑みが浮かぶ。
「住所は……はい、そこです。支払いは受け取りの時で。よろしくお願いします」
告げたのは――田中の自宅住所だった。
まさか田中の住所を覚えていたことが、こんな形で初めて役に立つとは。
とはいえ、食べ物を無駄にするつもりはない。
一応注文したのは、普段なら三人がかりで一食分としてギリギリ食べ切れる程度の量だった。
田中家が何人家族なのかは知らないが、下手をすれば明日の朝まで一家全員を満腹にできるかもしれない。
もっと理想的なのは――。
(……今から俺も田中ん家に行けば、量が多すぎるからって一緒に食わせてもらえるんじゃね?)
つまり、タダ飯である。
「どういたしまして、田中。今日はもう晩飯の買い物しなくて済むぞ。ははっ」
完璧な仕返しを思いついたことが嬉しくなり、マックスは思わず笑ってしまった。
『シーッ!』
近くの利用者たちから一斉に注意される。
「……すんません」
マックスは笑いを堪えながら、気まずそうに再び試験勉強へ戻った。
ところが――。
「…………?」
プリントを読み進めている途中で、何かがおかしいことに気づいた。
余白のあちこちに――。
ちんこの落書きがされている。
しかも、一個ではない。
「…………」
マックスの顔に、漫画なら間違いなく縦線が三本入っていた。
(あいつ……またやり返してきやがったな……!)
――時系列的には、別にやり返してはいないのだが。
プリントを握る手が、ぷるぷると震え始める。
そしてついに耐えきれなくなり――。
バンッ!
「田中ァァァァァァ!!!」
『シーーーーッ!!!』
その後、図書館から追い出されたマックスだったが――。
幸いにも、田中家へ押しかけて晩飯をご馳走になることには成功した。
夜、家に帰ってくると、マックスは鞄をその辺に適当に放り投げ、そのままおっさんのようにソファへぐったりと倒れ込んだ。
何しろ、さっきまで彼らは自分たち最大の弱点――女……ではなく、炭水化物と高カロリーという強敵にボコボコにされていたのだ。
「うぅ……食いすぎた……」
一方、先に家へ帰っていた葵は、ちょうどコップとスマホを手にリビングを通りかかった。
ソファでだらしなく伸びている彼の姿など、もはや見慣れたものだった。
普段ならそのまま無視して通り過ぎるところだが――。
今日の葵はなぜか足を止め、マックスの方を何度かちらちらと見た。
「ねえ、あんたたちとアリ……」
そこまで言いかけたところで、葵はふと口をつぐんだ。
「ん?」
「……やっぱ何でもない。さっさと風呂入ってきなよ。臭い」
葵は首を横に振ると、いつものように彼らを雑に扱いながら飲み物を注ぎ、そのまま自分の部屋へ戻っていった。
彼らも特に気に留めることはなく、風呂を済ませたあとは、結局また部屋へ戻って勉強を続けるしかなかった。
――そして、また何事もない平凡な一日が始まった。
アリスたちの通う高校は、別に有名な進学校というわけではない。
それでも中間試験が目前に迫っているとなれば、ここ数日の校内には普段よりも少し張り詰めた、重苦しい空気が漂っていた。
授業中、アリスは時折こっそり隣へ視線を向ける。
あの小野寺ですら、今日はほぼ一日中起きていた。
それどころか休み時間になっても、ほとんど誰とも話さず、問題集を取り出してひたすら問題を解いている。
先生たちですら、そんな彼の姿を珍しそうに見ていた。
(……そんなに今回の試験、ヤバいのかな……)
アリスは逆に少し心配になった。
ここ数日の学校生活といえば、問題演習、確認テスト、試験前の総復習――そんな典型的な一夜漬けならぬ直前対策ばかり。
生徒たちも緊張と疲労ですっかり余裕をなくしており、友達同士でゆっくり話したり遊んだりすることもほとんどないまま、気づけば放課後になっていた。
「お前ら、もうすぐ試験なんだから今日は早めに帰れよー」
放課後のチャイムが鳴る。
まだ本番ですらないというのに、教室中の生徒たちはほとんど同時にほっと息を吐いた。
教師から簡単な連絡事項を聞き終えると、それぞれ帰る準備を始める。
隣では、小野寺も鞄に荷物を詰め始めていた。
その姿を見ながら、アリスはふと気づく。
今日は一日、いつもの挨拶程度しか彼と言葉を交わしていなかった。
普段なら、それくらい別に気にもならない。
けれど今日は、なぜか妙に落ち着かなかった。
試験のせいではない。
ここ最近、アリスは以前よりもずっと、小野寺のことを気にしていた。
そして何より――今日は彼に、伝えなければならないことがある。
「お、小野寺君! わ、私……!」
突然呼び止められ、小野寺が振り返る。
「ん?」
アリスは彼の顔をまっすぐ見た。
言わなければならない。
今なら言える。
そう思っていたはずなのに――。
「わ、私は……」
その先の言葉が、どうしても出てこなかった。
「……?」
小野寺は少し待ってから、
「おう。じゃあ、またな」
軽く笑って手を振った。
どうやら、ただ帰りの挨拶をされたのだと思ったらしい。
そのまま鞄を背負い、教室を出ていく。
「…………」
アリスは何も言えないまま、その背中を見送った。
やがて俯き、暗い表情で黙り込む。
「アリス、このあと私たちと図書館で勉強してかない?」
葵を含む何人かの女子生徒が、アリスに声をかけた。
「あ……うん。先に行ってて。私、あとで行くから……」
「分かった。じゃあ先行ってるね」
教室からも、生徒たちが次々といなくなっていった。
アリスは力なく鞄を背負い、重い足取りで教室をあとにする。
一人で校内の図書館へ向かう途中も、何度も俯いてはため息をついた。
人気のなくなった廊下をとぼとぼと歩くその姿は、まるで成仏できずに彷徨っている幽霊のようだった。
「はぁ……」
そして、そんな状態で歩いていたせいだろう。
「――あっ」
足元に気づかず、何かにつまずいた。
身体のバランスが崩れ、そのまま前方へ倒れていく。
「わああっ!!」
アリスは反射的に目を強く閉じた。
――しかし。
いつまで経っても、床に叩きつけられる衝撃が来ない。
「……?」
恐る恐る目を開ける。
「おっ、大丈夫か?」
「え……」
倒れる寸前だったアリスの腕を、誰かの手がしっかりと掴んでいた。
「お、小野寺君……?」
そこにいたのは、ついさっき教室を出ていったはずの小野寺だった。
ほんの少し前まで誰もいなかったはずの廊下に、どうして彼がこんな一瞬で現れたのか。
普通なら疑問に思うところだった。
だが今のアリスには、そんなことを考える余裕などなかった。
「あ……わ、悪い」
小野寺も、自分がずっとアリスの腕を掴んだままだったことに気づいたらしい。
少し気まずそうに手を離すと、半歩ほど距離を取った。
「ううん、大丈夫。ありがとう」
アリスは体勢を整える。
「でも、小野寺君ってもう帰ったんじゃなかったの?」
「あ~、帰るつもりだったんだけどさ。急に先生に呼び出されて職員室行ってたんだよ」
小野寺は苦笑した。
「まあ、いつも通りちょっと説教されたんだけど……今日は珍しく『試験頑張れよ』ってお菓子までくれてさ。ははっ」
そう言って、小野寺は手に持っていた箱を見せる。
コンビニでもよく見かける、ごく普通のチョコ菓子だった。
「へ、へえ……よかったね」
「欲しいならやるぞ? 俺みたいな奴のために先生がわざわざ金使ったと思うと、逆にちょっと申し訳なくなってきたし。ははっ」
「もらっておきなよ。どうせ安いチョコ一箱なんだから」
「そこ否定してくれないのかよ?」
「ふふっ」
「ははっ」
思わず、二人とも小さく笑ってしまった。
「それで……小野寺君は? 中村さんたちと一緒に図書館で勉強するの?」
「ん? いや……」
「……一緒に来る?」
少し間を置いたあと、意外にもアリスの方からそう誘った。
「えっ……」
小野寺は少し驚いたような顔をする。
「まあ、俺も行きたいのは山々なんだけど……学校の図書館、俺は出禁なんだよ」
「出禁?」
「昔、中で他の奴と喧嘩してさ。……喧嘩っていうか、俺が一方的にボコボコにしただけなんだけど。まあ、その辺は話すと長くなるから……」
小野寺は苦笑しながら手を振った。
「とにかく、早く行ってこいよ。俺もそろそろ帰るから。じゃあな」
そう言って、再び背を向ける。
「…………」
遠ざかろうとするその背中を見つめながら、アリスはごくりと唾を飲み込んだ。
そして今度は――。
「……っ!」
自分から一歩踏み出し、小野寺の手を掴んだ。
「え……?」
突然手を掴まれ、小野寺もさすがに驚いた。
振り返る。
そこにいたアリスは、どこか張り詰めた表情を浮かべ、呼吸もわずかに乱れていた。
だが、その瞳に浮かんでいたのは――甘い恋心などではない。
罪悪感。
迷い。
不安。
焦り。
いくつもの感情が複雑に入り混じっていた。
それでもアリスは逃げることなく、必死に小野寺の目をまっすぐ見つめた。
「お、小野寺君……」
唇が、かすかに震える。
「き、気をつけて……」
「ん?」
小野寺は首を傾げた。
「何に?」
「えっ……えっと……」
「…………」
どう説明すればいいのか分からない。
アリスは再び、言葉を失ってしまった。
すると小野寺は少し考え――何かに気づいたように手を叩いた。
「ああ、赤点に気をつけろってこと?」
「え?」
「分かってるって。できるだけ頑張るよ」
小野寺は気楽そうに笑う。
「なんでか知らないけど、みんな俺のことバカだと思ってるんだよなぁ。……まあ、実際バカなんだけど。ははっ」
「…………」
「じゃあな。また今度」
そう言って、小野寺は笑顔で背を向けた。
今度こそ、そのまま歩き去っていく。
アリスは追いかけることも、もう一度呼び止めることもできなかった。
ただ黙って――再び遠ざかっていく彼の背中を見つめていた。
「ま、また……今度……」
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――試験が目前に迫っていても。
このあとまた外で勉強しなければならなくても。
田中や他の連中が今日は用事で、くだらない話に付き合ってくれなくても。
小野寺はいつもと変わらず、気楽な様子で道を歩いていた。
「先生、さようならー」
「おう、小野寺。じゃあな」
校門の前で見回りをしていた教師たちと、ごく普通に挨拶を交わす小野寺。
本人としてはただ礼儀正しく挨拶しているだけなのだが――彼がそこにいるというだけで、周囲の生徒たちの視線を自然と集めてしまっていた。
特に、小野寺のことをまだよく知らない一年生たちからは。
「見て! 小野寺先輩だ!」
「えっ、あの超不良って噂の!?」
「そうそう! なんか一発殴っただけで人の顎を折れるらしいよ!」
「怖っ! 近づかない方がいいって! 顔からしてもう完全にヤンキーじゃん!」
「待って……普通に先生と挨拶してる……」
「まさか、もう学校側と裏で繋がってるのか……?」
「この学校、もう終わりだ……」
もちろん、小野寺本人はそんな好き勝手な噂話など気にも留めていなかった。
そして――彼が気づいていないことが、もう一つあった。
少し離れた場所。
一定の距離を保ちながら、何人かの少女たちが小野寺の様子をじっと観察していた。
年齢は彼とそう変わらないように見える。
小野寺に彼女たちの見覚えはない。
それどころか――彼女たちは、この学校の生徒ですらなかった。
それでも少女たちは何も言わず、密かに彼を監視し続けていた。
その後、ジェットは一人で帰り道を歩いていた。
まだ平日の午後ということもあってか、通りを歩く人の数はそれほど多くない。
そんな中、ジェットは街中にある一軒のゲームセンターの前を通りかかった。
「ん?」
店の入口には、一人の少女が立っていた。
年齢はジェットたちと同じくらい。
可愛らしい顔立ちに、どこかアイドル衣装を思わせる服装をしている。
少女はジェットを見つけると、にこやかな笑顔を浮かべて声をかけてきた。
「こんにちは~! 今ちょうどイベントやってるんですけど、一緒に遊んでいきませんか?」
(は? イベント?)
ジェットは周囲を見回した。
(こんなに人いねえのに、何のイベントだよ……?)
いまいち状況は分からない。
だが、相手はかなり愛想がいい。
何より――普通に可愛い。
そのせいもあって、ジェットはついつい少女の方へ近づいていった。
すると少女は嬉しそうに笑い、さらに口を開く。
「それじゃあ~、ゲームのルールを説明しますね!」
「おう」
「まずはですね、小野寺君――」
「おう、分かった……」
ジェットはそこで一瞬固まった。
「……って、待て」
少女を見る。
「なんで俺の名前知ってんの?」
「――あなたはもう、私たちに包囲されています」
「…………」
「……は?」
ジェットには、何が起きているのかまるで理解できなかった。
一方、つい先ほどまで人懐っこく笑っていた少女の表情は――。
少しずつ。
少しずつ。
不気味で邪悪な笑みへと変わっていく。
(……俺、こいつと知り合いだったっけ?)
ジェットは頭の中で、他の二人へ問いかけた。
(お前らのどっちかの知り合いか?)
(いや、俺じゃねえぞ?)
(俺も知らないな)
「ここは大人しく、私たちについてきた方がいいですよ?」
「……じゃなきゃ何だよ。まさか俺と喧嘩でもするつもりか?」
「そうですねぇ……」
少女は楽しそうに微笑む。
「じゃないと――学校にいる皆さんがどうなっても、私は知りませんよ?」
「なっ……!?」
ジェットの表情が一変した。
「まさか……葵やアリスたちに、もう何か――」
(待て、ジェット! そいつらの言ってることが本当かどうかも分からないだろ――)
マックスが止めきるよりも早く、ジェットは学校へ引き返そうと地面を蹴った。
だが――。
ゴオオオオオオオッ!!
「っ!?」
突然、凄まじい暴風が正面から襲いかかってきた。
巨大な風の壁。
ジェットの速度をもってしても、その場から一歩も前へ進めない。
「くっ……!」
両腕で頭を庇いながら、吹き飛ばされないよう必死に足を踏ん張る。
その時――。
「……!」
荒れ狂う風の向こうに、人影が見えた。
もう一人の少女。
彼女も先ほどの少女と同じようなアイドル風の衣装を身に纏っている。
そして両手には、特殊な形状をした二本の巨大な扇。
これほどの暴風の中心にいるというのに、少女自身はまるで風の影響など受けていない。
「はあっ!」
少女は疾風のような動きで両手の扇を振るった。
「ぐあっ!!」
完全に不意を突かれたジェットの身体が、風と共に後方へ大きく吹き飛ばされる。
「――じゃないと、私たちがあなたを殴ることになりますけどね」
風圧が徐々に収まっていく。
巨大な扇を手にした少女が、何でもないことのようにそう言った。
「……っ!」
地面に叩きつけられたジェットは、すぐさま起き上がる。
その目には、はっきりと怒りが宿っていた。
ジェットは胸元のネックレスへ手を伸ばす。
(……今度こそ文句ねえよな? ビリー)
(…………)
ビリーは一瞬だけ沈黙した。
(仕方ない。どうやら完全に俺たちが狙われているらしい)
その答えを聞いた瞬間――。
ジェットがネックレスを起動する。
そして次の瞬間には、流星のような勢いで再び前方へ爆発的に加速した。
(待て、ジェット! まだ相手がどんな能力を持ってるのか分かってない!)
(うるせえ!)
ジェットはさらに速度を上げる。
(どんな能力だろうが――俺の速さで解決できないことなんてねえ!)
瞬間的な爆発力なら、お嬢にすら引けを取らない。
ジェットは先ほどの暴風すら置き去りにする速度で、一直線に敵へ迫っていった。
「そうそう、小野寺君。一つ先に教えておきますね――」
再び敵の声が聞こえる。
だが、もう遅い。
ジェットはすでに少女の目の前まで到達していた。
拳を構える。
次の一瞬で――数十、いや、数百発もの連撃を叩き込む。
そのはずだった。
「この子たちは――」
少女の口から、言葉が続く。
「全部、私に操られているだけの人形なんですよ?」
「――何……?」
その瞬間。
目の前にいた少女の瞳から――邪悪な色が消えた。
「……え?」
そこにいたのは、先ほどまでジェットを襲っていた敵ではない。
何が起きているのかも分からず、怯えたような目をした――ただの少女だった。
「っ!!」
ジェットは反射的に拳を止めた。
だが――。
最高速度から強引に攻撃を中断した反動が、凄まじい負荷となって両腕へ襲いかかる。
「ぐっ……ああっ……!」
まるで腕そのものを引き裂かれるかのような激痛。
ジェットは歯を食いしばりながら痛みに耐え、その勢いのまま一気に距離を取った。
そして再び少女を見る。
「…………!」
その瞳は――もう元に戻っていた。
先ほどまでの無垢な少女の面影は消え、再びあの不気味で邪悪な眼差しを浮かべている。
「てめぇ……」
周囲にはそれほど多くの人はいなかった。
それでも、先ほどから続く騒ぎは当然ながら何人かの通行人の注意を引いていた。
悲鳴を上げる者。
慌てて逃げ出す者。
そして――スマートフォンを取り出し、こちらへ向ける者。
ジェットは痛む腕を押さえながら、目の前の少女たちを睨みつけた。
「クソが……てめぇ、一体何なんだよ……?」
「先ほど言った通りですよ。この子たちは皆、ただの私の操り人形です」
そこから一体どれほど離れた場所なのか――。
マネージャーはオフィスチェアに腰掛け、誰もいない空間へ向かって一人で話していた。
だが、その余裕に満ちた表情を見る限り、まるで現場の様子が直接見えているかのようだった。
彼は離れた場所からテレパシーを通じて、少女たちをリアルタイムで操っている。
「私はいつでも一瞬で、この子たちとの精神接続を切ることができます。そうすれば、彼女たちは何も知らない普通の女の子に戻る」
男は楽しそうに笑った。
「小野寺君。聞いたところによると、君はなかなか正義感の強い人間らしいじゃないですか」
「…………」
「そんな君に――何の罪もない女の子を殴れますか?」
「てめぇ……」
ジェットの声に、はっきりと怒気が混じる。
「まあ、正直に言えば、私も少々慎重になりすぎました」
マネージャーは椅子に深く腰掛けたまま話を続ける。
「君がどんな能力を持っているのか分かりませんでしたからね。だから念のため、君を直接洗脳できないほど離れた場所から様子を見ることにしたんです」
そして、少女たちの目を通してジェットの姿を観察する。
「ですが……その全身真っ黒な格好。どうやら君、テレビにも出るような大物だったみたいですね?」
「…………」
「これは予想外でした。思った以上の強者だ」
男は笑みを深める。
「その代わり――これで君の能力についても、だいたい分かりましたけどね」
そして、まるで子供を諭すような口調で言った。
「どうです? ここは大人しく、おじさんの言うことを聞いて投降してくれませんか?」
(……クソ野郎……!)
目の前にいる少女たちの裏で、どこかのおっさんが好き勝手に糸を引いている。
その事実が、ジェットを余計に苛立たせた。
(女に手ぇ出したくないなら俺と代われ!)
マックスがすぐさま口を挟む。
(力加減さえ間違えなきゃいいんだろ!)
「……っ!」
次の瞬間、身体の主導権がマックスへ切り替わった。
「だったら――俺がやる!」
マックスは真正面から突撃する。
巨大な扇を持った少女が、再び両腕を振るった。
ゴオオオオオッ!!
凄まじい風圧。
再び巨大な風の壁がマックスの正面に立ちはだかる。
だが――。
「うおおおおおっ!!」
マックスは止まらない。
ジェットとは違い、圧倒的に頑丈な肉体を持つマックスは、強烈な風圧を真正面から受けながらも一歩ずつ前へ進んでいく。
「このまま――捕まえりゃ終わりだ!」
大きな手を伸ばし、少女を直接掴もうとする。
その時だった。
ヒュンッ!
「っ!?」
風の中から、何かが飛んできた。
一つではない。
無数の――特殊な飛鏢だった。
「何だ!?」
マックスは咄嗟に両腕を上げて防御する。
直後――。
ドドドドドンッ!!
次々と飛鏢が爆発した。
「ぐおっ……!」
予想外の攻撃に足を止められ、マックスの巨体が後方へ押し戻される。
「何だよ、今の……?」
視線を向ける。
少し離れた場所に――また別の少女が立っていた。
「また増えやがった……!」
少女は一定の距離を保ちながら、特殊な飛鏢を次々と投げ放っている。
しかも、その飛鏢は風の壁に乗ることでさらに加速していた。
ヒュヒュヒュヒュンッ!!
ドン! ドドンッ!!
「ぐっ……!」
大量の飛鏢が群れを成し、次々とマックスの身体へ炸裂する。
一発一発なら、大したダメージではない。
だが――鬱陶しい。
無視するにはあまりにも数が多く、明らかにマックスの動きを妨害することに特化した攻撃だった。
何より、接近戦を得意とするマックスにとって、距離を詰められないというだけで戦闘力は大幅に削がれてしまう。
「うるぁぁぁぁぁ!!」
だが、もちろんマックスも黙ってやられている男ではない。
一気に姿勢を低くする。
そして――そのまま突進した。
身体を低くすることで、風を受ける面積と飛鏢の標的になる面積を同時に減らす。
「おおおおおっ!!」
数歩で一気に距離を詰めていく。
そして再び敵へ肉薄しようとした、その瞬間――。
ガキィィン!!
「ぐっ!?」
頭上から飛来した二つの巨大な物体が、マックスへ直撃した。
特殊な――巨大な輪刃。
その威力と硬度は、マックスの巨体すら後方へ押し返すほどだった。
しかも二つの輪刃はそのままブーメランのように弧を描き、再び飛んでいく。
「今度は何だよ!?」
新たな人影が飛び出した。
扇を持った少女が、手にしていた一本を空中へ投げる。
扇は回転しながら宙を漂い――。
「はっ!」
新たな少女が、その上へ飛び乗った。
そこを足場にしてさらに跳躍。
空中で二つの輪刃を同時に受け取ると、そのまま華麗に着地した。
マックスの真正面へ。
「……まだいんのかよ!」
マックスはうんざりしたように吐き捨てた。
だが止まるつもりはない。
再び真正面から突っ込む。
少女も同時に両手の輪刃を投げ放った。
ガンッ! ガキンッ!
二つの輪刃が立て続けにマックスへ直撃し、そのまま跳ね返るように少女の両手へ戻っていく。
そして両者の距離が一気に縮まった。
「捕まえたら終わりだ!」
マックスが豪快に腕を振るい、少女をそのまま地面へ叩き伏せようとする。
だが――。
「っ!」
少女は身体を大きく反らし、そのまま低い姿勢で滑り込むように攻撃を回避した。
「ちっ!」
マックスが振り返り、そのまま接近戦を続ける。
だが少女は小柄な身体を活かした素早い身のこなしと、両手の輪刃を巧みに使い、マックスの攻撃を次々と受け流していく。
決して、その手を自分の身体へ触れさせない。
力と頑丈さで正面から押し潰す戦い方を得意とするマックスにとって、この小柄で柔軟な相手はむしろ非常に戦いづらかった。
「おらぁっ!」
マックスが力任せに拳を振るう。
ガキンッ!
少女は輪刃でその腕を正面から受け止めた。
そして――。
ザシュッ!
「ぐっ!」
もう片方の輪刃が、そのリーチを活かしてマックスの胸元を水平に薙ぐ。
「このっ……!」
怒ったマックスはそのまま前へ出て、少女を抱え込もうとした。
だが少女は身体をくるりと回転させ、するりとマックスの背後へ抜ける。
直後――。
ザシュッ!!
二本の輪刃が、X字を描くようにマックスの背中へ叩き込まれた。
「ぐあっ!」
痛みに耐えながら、マックスはすぐさま振り返りざまに拳を放つ。
しかし――。
「なっ!?」
少女はその腕を避けるどころか、軽やかに跳び上がった。
片脚をマックスの腕へ絡ませ、その動きを封じる。
そしてもう片方の脚を振り抜き――。
バキッ!!
強烈な回し蹴りが、マックスの顔面へ直撃した。
「ぐあっ!! ――捕まえたぞ!!」
蹴りを食らいながらも、マックスのもう片方の手が少女の脚を掴んだ。
「今度こそ――!」
そのまま脚を掴んで、少女の身体を地面へ叩きつけようとする。
だが。
ヒュヒュヒュヒュンッ!!
ゴオオオオオッ!!
飛鏢と暴風は、今も止まっていなかった。
「ぐっ!」
次々と攻撃を受け、マックスの手が離れる。
少女はすぐさま両手の輪刃を投げつけた。
ガンッ! ガキンッ!!
マックスをさらに押し戻しながら、自身は後方へ跳躍して距離を取る。
「逃がすかよ……!」
完全に頭に血が上ったマックスは、今度こそ他の攻撃を無視した。
狙うのは一つ。
少女の着地点。
「うおおおおっ!!」
低い姿勢のまま、そこへ一直線に飛び込む。
少女は咄嗟に二本の輪刃を構えた。
だが――。
ガシッ!!
「……!」
今度はマックスが、その輪刃そのものを両手で掴んだ。
刃が掌へ食い込む。
「ぐっ……!」
痛みなど構わない。
血が滲もうが、離すつもりはなかった。
マックスの表情から、徐々に冷静さが失われていく。
「捕まえたぞ、このアマ!!」
少女が輪刃を手放さない限り、マックスの怪力から逃れることはできない。
だがその時も――。
大量の飛鏢が、暴風に乗ってこちらへ迫っていた。
明らかにマックスへ直撃する軌道。
しかし、目の前の敵に集中しすぎた彼は、それすら無視した。
(――チャンスだ! 俺に代われ!)
「は? 待て、何――」
マックスの返事を待つことなく――。
ビリーが強引に、身体の主導権を奪った。
「――っ!」
両手は今も、敵の輪刃を掴んでいる。
ビリーはそのまま――。
バチバチバチバチッ!!
「きゃあああっ!!」
強烈な電流を一気に放った。
電撃は目の前の少女だけでは終わらない。
飛来してきた飛鏢へ。
そして暴風の流れへ。
まるで経路を辿るかのように、電流が一気に敵側へ逆流していく。
「きゃあっ!!」
「うああっ!!」
三人の少女が、ほぼ同時に電撃を受けて悲鳴を上げた。
「よし……!」
だが、ビリーが攻撃を続けて数秒も経たないうちに――。
♪――――――――
「……?」
どこからか。
奇妙な音楽が聞こえてきた。
次の瞬間。
「――ッ!?」
耳の奥に、凄まじい激痛が走った。
「ぐあああああああっ!!」
ビリーは即座に放電を止め、両耳を強く塞いだ。
だが意味がない。
音は耳を塞いでも頭蓋の内側へ直接入り込み、脳そのものを掻き回しているかのようだった。
「がっ……ああ……!」
耳を中心に、目、鼻、口――。
七孔から、うっすらと血が流れ始める。
そしてようやく音楽が止んだ頃には――。
「はぁ……はぁ……!」
ビリーは激痛に耐えきれず、その場に膝をついていた。
「クソ……何だ……?」
地面に倒れながら視線を向ける。
少し離れた場所に――。
また一人。
特殊な、小型ギターのような楽器を手にした少女が立っていた。
「四人目……?」
ビリーは荒い息を吐きながら悪態をつく。
「クソ……お前ら、本気でアイドルグループでも結成するつもりかよ……」
そして、ふと気づいた。
「……待て」
人数を数える。
「一人……足りなくねえか――」
その時だった。
シュルルルルッ!!
「っ!?」
背後から飛んできた特殊な多節鞭が、ビリーの身体へ巻きついた。
「なっ……!」
先ほどの攻撃で一時的に聴覚を失っていたビリーには、その接近にまったく気づけなかった。
振り返る。
「……!」
そこにいたのは――。
最初にゲームセンターの前で声をかけてきた、あの少女だった。
今になって初めて、その手に隠していた武器を見せている。
身体へ巻きついた、特殊な鞭。
そして少女は――ぞっとするような笑みを浮かべていた。
「ベイビー?」
「…………」
「私のこと、忘れちゃった?」
「くっ……!」
ビリーは拘束から逃れようともがきながら、再び全身から強烈な電流を放った。
バチバチバチバチッ!!
電撃が鞭を伝い、そのまま少女へ流れ込んでいく。
――はずだった。
「……!?」
少女は平然としている。
「な、何……?」
ビリーの表情が初めて明確に揺らいだ。
自分の雷撃が――効いていない。
そんな相手と戦うのは、ビリーにとっても初めてだった。
「ふふっ」
少女は笑う。
そして――。
「よいしょっ!」
鞭を思い切り振り上げた。
「うおっ!?」
ビリーの身体そのものが、軽々と宙高く持ち上げられる。
次の瞬間――。
ドゴォン!!
「ぐあっ!!」
そのまま地面へ叩きつけられた。
少女が鞭を解く。
だが――。
「……?」
ビリーはすぐに異変へ気づいた。
先ほど流し込んだはずの電撃。
そのエネルギーが消えていない。
少女の持つ鞭に――そのまま蓄えられていた。
バチバチバチバチッ!!
鞭全体が、眩しい紫色の光を放っている。
「まさか……」
「ふふっ」
少女は楽しそうに笑った。
そして――。
バシィィィィン!!
「ぐあああああっ!!」
鞭が振り抜かれる。
強烈な打撃と共に――ビリー自身が放った電流まで一気に解放された。
その一撃をまともに受けたビリーの身体は、大きく吹き飛ばされていった。
「ぐっ……マジかよ……」
満身創痍のビリーは、ふらつきながらゆっくりと身体を起こした。
その正面では――。
五人の少女たちが、同じアイドル風の衣装を身に纏い、まるで機械のように同じ表情、同じ姿勢のまま、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
「…………」
三人にとって――もしかすると、これが初めてだったのかもしれない。
ジェット。
マックス。
そしてビリー。
三人全員の能力を使ってなお、倒すことのできない敵。
一歩。
また一歩。
五人の少女たちが距離を詰めてくる。
そして三人の頭の中に、同じ恐怖が浮かんだ。
(……まさか)
(俺たち……)
(ここで負けるのか……?)
「どうですか、小野寺君?」
五人が――同時に口を開いた。
「言ったでしょう?」
まったく同じ声。
まったく同じ口調。
「あなたでは、私たちには勝てないって」
五人全員が、それぞれの武器を構える。
その姿はもはやアイドルなどではない。
これから彼らへ判決を下そうとしている、無機質な機械兵団のようだった。
(クソ……これはマズい……)
ビリーが息を切らしながら言う。
(ジェット……とにかく今は逃げろ。お前の速さで一旦ここから離れるんだ……)
(はぁ!? でもアリスたちがあいつらに捕まってるかもしれねえだろ!)
(こんな状況でまだアリスのこと気にしてんのかよ!!)
再び三人の意見がぶつかる。
その瞬間――。
ドゴォォォン!!
「――ッ!?」
突然。
何かが横から猛烈な勢いで突っ込んできた。
目には見えない。
何が起きたのか理解する暇すらない。
「なっ――!?」
凄まじい力がビリーの身体を捉え、そのまま現場から一気に連れ去っていく。
「何!?」
五人の少女たちも、一斉に動きを止めた。
どうやら今の攻撃は――マネージャー側のものでもないらしい。
「どういうこと……?」
「マネージャー、どうしますか?」
「…………」
離れた場所にいるマネージャーも、一瞬だけ沈黙する。
「……追いなさい!」
すぐに指示を飛ばした。
「ただし、私が次の指示を出すまでは距離を保って待機! 勝手に手を出さないように!」
「「「「「はい! マネージャー!」」」」」
五人は同時に答えると、小野寺が連れ去られていった方向へ一斉に向かっていった。
============================================
「ぐっ……!」
ようやく状況を把握し始めた頃。
ビリーは――何かに抱えられたまま、凄まじい速度で空を飛んでいた。
いや。
正確には、何かではない。
誰かだ。
「何だ……こいつ……!」
だが、少なくとも自分たちを助けに来た人間には思えなかった。
身体を掴む両腕から伝わってくる、異常なほどの力。
そして何より――動きが滅茶苦茶だった。
理性も。
判断力も。
まともな思考そのものも失っているかのような、完全に混乱した飛び方。
道路の上を突っ切り。
走行中の車の間をすり抜け。
ビルとビルの隙間を乱暴に飛び回る。
「お、おい! どこ連れてく気だ――」
次の瞬間。
ドゴォォォォン!!
「ぐああっ!!」
二人は壁を突き破り、そのまま一棟の建物内部へと飛び込んだ。
大量の瓦礫と粉塵が舞い上がる。
しかも先ほどの場所より市街地の中心部に近づいていたため、周囲を歩く人の数も増えていた。
突然の轟音。
崩れ落ちる壁。
逃げ惑う人々。
悲鳴が周囲に響き渡った。
「ぐっ……あ……!」
激しい衝撃と痛みに襲われながら、ビリーは瓦礫の中からゆっくりと身体を起こした。
「……?」
すると――。
瓦礫の向こう側でも、一つの人影が立ち上がる。
「お前……」
そこでようやく、ビリーは相手の姿をはっきりと見ることができた。
全身を覆っているのは、生体機械を思わせる異様な装備。
その装備自体にも、すでに所々に破損した跡が残っている。
これほど激しい衝突を起こしたというのに、本人にはほとんどダメージがないように見えた。
そして――。
ひび割れたマスクの隙間から、わずかに素顔が覗いている。
「…………」
その瞳には――薄い桃色の光が宿っていた。
怒り狂った人間。
そんな生易しいものではない。
まるで理性という枷を完全に失った、狂暴な獣。
「お前……」
男が呟く。
「お前だ……」
獲物を見つけた捕食者のような目で、ビリーをじっと睨みつける。
首を不自然に傾ける。
腕を捻る。
何かをぶつぶつと呟きながら、奇妙な動きで少しずつ近づいてくる。
『警告。装甲損傷率――』
『警告。生体反応に異常――』
『危険。直ちに――』
ヘルメット内部のAIが、何度も緊急警告を発していた。
だが男は――一切耳を貸さない。
「……誰だよ、てめぇ」
ビリーたちには、この男の記憶などなかった。
だが――もうそんなことはどうでもよかった。
名前を聞いて。
事情を聞いて。
話し合えば解決できる。
そんな段階ではない。
目の前にいる男――宮川博士は。
もはや、間違いなく正気を失っていた。
パラパラ……。
天井から、さらに瓦礫が落ちてくる。
そして、それが合図だったかのように――。
「――ッ!!」
宮川博士が地面を蹴った。
「来る……!」
ビリーも即座に両手を前へ突き出す。
バチバチバチバチッ!!
強烈な電流が宮川博士へ直撃した。
「ぐ……!」
だが――止まらない。
「何っ!?」
特殊な装甲のおかげなのか。
あるいは、そもそもの肉体そのものが常人を遥かに超えているのか。
電撃は確かに効いている。
それでも――想定していたほどのダメージを与えられていない。
「う……ああああ……!」
むしろ宮川博士は、電撃を浴びながらさらに狂暴さを増していく。
強引に前進する。
そして手元の装置を向け――。
プシュッ!
「っ!?」
一発の化学煙霧弾を発射した。
直後。
ボンッ!!
特殊な化学物質を含んだ煙が、一気に周囲へ広がっていく。
「ゲホッ……!」
ビリーはわずかに吸い込んでしまった。
すぐに口と鼻を覆い、後ろへ下がる。
だが――もう遅かった。
「な……んだ……これ……」
身体の内側から、強烈な不快感が広がっていく。
力が入らない。
頭が重い。
視界が揺れる。
強烈な眩暈。
「ぐっ……」
そして――。
バチ……バチッ……。
全身を走っていた電流すら、徐々に弱まっていく。
「電気まで……?」
その隙を、宮川博士が逃すはずもなかった。
「うああああああっ!!」
一気に突進する。
「っ!」
気づいた時には――もう目の前。
ブンッ!!
宮川博士が力任せに拳を振るう。
「ぐあっ!」
ビリーの放電を、その一撃だけで強引に中断させた。
そして両手でビリーの身体を掴む。
「なっ――」
そのまま持ち上げ――。
ドゴォン!!
「ぐああっ!!」
豪快な投げ技で、地面へ叩きつけた。
「ぐっ……!」
倒れたビリーへ向かって、宮川博士が脚を大きく振り上げる。
「――ヤバっ!」
ビリーは咄嗟に身体を転がした。
直後。
ドガァァン!!
宮川博士の足が、先ほどまでビリーのいた場所へ叩き込まれる。
砕けたコンクリート。
その表面には――。
はっきりと、靴底の跡が残っていた。
「うおおおおおおおおっ!!!!」
(もういい! この役立たず! 俺に代われ!)
「うおおおおおおおっ!!」
獣のような雄叫びを上げながら、宮川博士が再び突進してくる。
ビリーはもう一度電撃で迎え撃とうとした。
だが――。
「っ!?」
今度はマックスが、苛立ちと焦りに任せて強引に身体の主導権を奪い取った。
(俺がやる!!)
逃げるどころか――真正面から宮川博士へ突っ込んでいく。
「おらぁっ!!」
マックスが渾身の拳を叩き込む。
だが――。
ガシッ!!
「……は?」
宮川博士は。
その拳を――片手だけで受け止めた。
「なっ……」
予想すらしていなかった怪力。
マックスが一瞬、呆気に取られる。
その一瞬で十分だった。
ドゴッ!!
「――ぐっ!?」
宮川博士の拳が、マックスの胸へ深々と突き刺さる。
速い。
マックスですら、一瞬反応が遅れるほどの速度。
そして何より――重い。
あまりの衝撃に、呼吸そのものを強引に止められたかのようだった。
「がっ……!」
息を整える暇すらない。
ドゴォッ!!
続けざまに、強烈な拳が腹部へ叩き込まれる。
「がはっ!!」
一気に全身から力が抜けた。
脚が震える。
口から胃液と血が吐き出される。
そして――。
バキィッ!!
「ぐあっ!!」
三発目。
今度は顔面。
防御すら間に合わず、マックスの巨体がその一撃だけで地面へ倒れ込んだ。
「くっ……!」
起き上がる暇もない。
宮川博士はマックスの身体を掴み――。
「なっ――」
そのまま頭上へ持ち上げる。
「うおおおおおおおっ!!」
ドゴォォン!!
「ぐああっ!!」
マックスの身体が天井へ叩きつけられた。
巨大な亀裂が走る。
だが、それでも終わらない。
宮川博士は落ちてきたマックスを再び捕らえると、その身体を抱えたまま勢いよく跳躍した。
そして――。
「うあああああああああっ!!!!」
ドゴォォォォォォン!!
「があああああああっ!!」
凄まじい勢いで、マックスを地面へ叩き落とした。
一階。
さらに下へ。
その下へ――。
床が次々と破壊される。
二人の身体はそのまま何層もの床を一気に突き破り、ようやく最下部へと叩きつけられた。
崩れ落ちた瓦礫は、もはや小さな山のように積み上がっている。
「ぐ……あ……」
あれほど頑丈さを誇っていたマックスですら、その中心で苦痛の声を漏らしていた。
一方――。
「はぁ……はぁ……」
宮川博士も、決して無傷ではない。
装甲はさらに壊れ。
身体にも確実にダメージが蓄積している。
それなのに――。
痛みも。
疲労も。
まるで最初からそんなものなど存在しないかのように。
すぐさまマックスへ歩み寄り、さらに追撃しようとする。
(逃げろってんだよ!!)
「っ!?」
今度はジェットが、強引に身体の主導権を奪い取った。
シュンッ!!
その瞬間、姿が消える。
「おらっ!」
バキッ!
「こっちだ!」
ドガッ!
「まだまだ!」
ジェットは得意の速度を活かし、宮川博士の周囲を縦横無尽に駆け回りながら、絶え間なく連撃を叩き込んでいく。
右。
左。
背後。
正面。
宮川博士には、その動きをまるで捉えられない。
だが――。
「くっ……!」
ジェットの方が、顔を歪めた。
「硬すぎんだろ……! いてぇ……!」
殴るたびに拳が痛む。
いくら宮川博士がジェットの速度についてこられなくても、その鋼鉄のような装甲を相手にしては――。
ジェットの攻撃など、ほとんど効いていない。
「う……うう……!」
一方的に攻撃され続けた宮川博士が、さらに苛立ったように身体を震わせる。
そして――。
ブゥン……。
「……!?」
その姿が消えた。
「き、消えた……?」
ジェットがその場で急停止する。
右を見る。
左を見る。
背後。
頭上。
どこにもいない。
「どこ行きやがった……?」
その時。
『……私は、お前の能力を研究した……』
「っ!?」
宮川博士の声が響いた。
だが――どこから聞こえているのか分からない。
右から。
左から。
背後から。
まるで周囲の暗闇そのものに潜む悪鬼が囁いているかのように、声だけがジェットを取り囲む。
『お前は……一つどころか、複数の強力な超能力を持っている……』
「…………」
ジェットは周囲を警戒し続ける。
声が。
少しずつ。
近づいてくる。
それと同時に――。
胸を締めつけるような圧迫感と恐怖が、どんどん大きくなっていった。
『だが……お前には、明確な弱点がある……』
「……どこだ」
ジェットは拳を構える。
「出てこいよ……!」
そして――。
『それは――』
声が、すぐ背後から聞こえた。
『すべての能力を、同時には使えないことだ!!』
「――ッ!?」
宮川博士が突然、ジェットの背後に姿を現した。
「しまっ――」
両手で肩と首を固定される。
そしてもう片方の手には――。
化学煙霧弾。
「やめ――」
ボンッ!!
ジェットの顔のすぐ目の前で、宮川博士がそれを直接握り潰すように炸裂させた。
「ぐあっ……!」
触れられた瞬間、ジェットはすぐさま宮川博士を振り払い、一気に距離を取った。
だが――。
「ゲホッ! ゲホッ……!」
もう遅い。
かなりの量を吸い込んでしまっていた。
「くそ……!」
激しく咳き込む。
頭が回る。
視界が歪む。
呼吸ができない。
全身から力が抜けていく。
「はぁ……っ、はぁ……!」
それでもジェットは走ろうとした。
一歩。
二歩。
そして――。
「ぐっ……!」
地面へ倒れ込んだ。
「ゲホッ……くそ……!」
苦しみながら地面でもがくジェット。
その背後から――。
コツ。
コツ。
宮川博士が、ゆっくりと歩いてくる。
そしてジェットのすぐ隣で足を止めた。
「…………」
何も言わない。
まるで瀕死の獲物が最後にもがく姿を眺めている狩人のように。
冷たい目で。
数秒間。
ただ、ジェットを見下ろしていた。
そして――。
ゆっくりと片脚を上げる。
「……?」
ゴキッ!!
「――ッ!?」
ジェットの足首を、思い切り踏み潰した。
「あああああああああああっ!!!!」
耐え難い激痛。
ジェットの絶叫が、崩れかけた建物の中へ響き渡る。
「これで……」
宮川博士が呟く。
「もう、逃げられない……」
「ぐっ……うぅ……!」
そして――。
「死ね……」
宮川博士の目は、先ほどよりもさらに狂気に染まっていた。
ジェットの身体へ馬乗りになる。
その体重で押さえつけ――。
両手を首へ。
「――ッ!!」
力任せに締め上げた。
「ぐっ……! が……!」
ジェットは必死に身体を動かす。
腕を振る。
宮川博士を引き剥がそうとする。
だが――動かない。
圧倒的な力で押さえつけられ、呼吸すらできない。
そして何より。
目の前にある――完全に狂った宮川博士の顔。
その目が。
至近距離から、ずっと自分を見ている。
「ぐ……ぁ……」
ジェットの中に、恐怖が膨れ上がっていく。
(何やってんだ! 俺に代われ!!)
(いや、俺だ!)
ビリーが叫ぶ。
(俺が全力で電流をぶち込んで――こいつを殺す!!)
(うるせえ! お前らみたいな役立たずは黙ってろ!)
こんな状況だというのに――。
三人は、またしても争い始めていた。
当然、身体の方はまともに動かなくなる。
宮川博士に首を絞められながら、まるでただの木偶人形のように、一方的にされるがままになっていた。
それでも三人は止まらない。
(いい加減にしろ! もうやめろ!!)
(てめぇ、触んな!!)
(あぁ!? 今俺のこと押しただろ!!)
誰もが思っていた。
――自分が出るべきだ。
――他の二人が邪魔をしている。
危機的な状況になればなるほど。
焦れば焦るほど。
三人の感情と衝突は、さらに激しくなっていった。
最初はただの口喧嘩だった。
だが、やがて肩を掴み。
腕を引っ張り。
押し合い。
小さな小競り合いへと変わっていく。
そして――。
マックスがビリーの胸を突き飛ばした。
(何すんだよ!!)
ビリーはさらに強い力で押し返す。
そのまま二人は互いに掴み合い――。
ドガッ!!
もつれ合ったまま、リビングのテーブルへ倒れ込んだ。
(おい! やめろって!!)
ジェットが二人を引き離そうと近づく。
だが――。
ゴッ!!
(っ!?)
暴れる二人の腕が、ジェットの顔面へまともに当たった。
(…………)
一瞬。
ジェットの動きが止まった。
そして――。
(……クソが!!)
ジェットの理性も、そこで完全に切れた。
ビリーを思い切り突き飛ばす。
そのまま――。
ドゴッ!!
床に倒れていたマックスの顔を殴りつけた。
(てめぇ……!)
マックスがゆっくりと顔を上げる。
(俺を殴りやがったな!!)
完全に頭に血が上がったマックスが、狂ったようにジェットへ飛びかかった。
(うおおおっ!!)
二人が床へ倒れ込む。
マックスが上からジェットを押さえつける。
(この野郎……!)
ジェットは歯を食いしばり――。
ドゴッ!!
(――ッ!?)
そのままマックスの股間を蹴り上げた。
(おっ……まえ……!!)
怯んだ隙に身体を反転させ、マックスを後ろへ投げ飛ばす。
ガシャァン!!
マックスの巨体が家具へ叩きつけられた。
だが――騒ぎは当然、それで終わらない。
(おらぁっ!!)
今度はビリーが突進。
ジェットの胴体へ組みつき、そのまま壁まで一気に押し込んだ。
ドゴォン!!
壁に大きな亀裂が走る。
――そして。
外の世界でも。
「…………」
宮川博士は今も、小野寺の首を全力で締め上げていた。
だが――。
「……?」
奇妙だった。
小野寺が、抵抗しなくなった。
腕も。
脚も。
指一本すら動かさない。
そして――。
その両目が。
ゆっくりと。
真っ黒に染まっていく。
表情も消えた。
「…………」
最初、宮川博士は小野寺が意識を失い始めたのだと思った。
だが。
ゴゴゴゴゴ……。
「……?」
何かが――震えている。
小野寺自身は、まったく動いていない。
それなのに。
彼の身体から、何かの波動のようなものが伝わってくる。
周囲に落ちていた小石が震え始めた。
砂埃が浮かび上がる。
やがて――。
さらに大きな瓦礫まで。
ガタガタガタガタ……!
「な……何だ……?」
そして。
宮川博士の両腕にも、異変が起きた。
「ぐっ……!?」
首を締め上げていた両手が――。
何かに押し返されている。
目には見えない。
だが、確かに存在する。
強烈な力場。
「ぐ……ううう……!」
宮川博士の怪力をもってしても、抑え込めない。
両腕が少しずつ外側へ押し広げられていく。
そして――。
ドォン!!
「ぐあっ!!」
さらに膨張した力場が、宮川博士の身体そのものを一気に弾き飛ばした。
「…………」
小野寺の身体が。
ゆっくりと宙へ浮かび上がる。
倒れていた身体が自然に起き上がり――そのまま直立した姿勢になる。
「う……ううううっ!!」
宮川博士は、それでも止まらなかった。
何が起きているのか理解できなくても。
目の前の存在がどれほど異常でも。
恐れることなく、再び突進する。
ドンッ!!
「…………」
拳を叩き込む。
ドンッ! ドンッ!!
何度も。
何度も。
だが――。
「ぐっ……!?」
届かない。
小野寺の身体を覆う、分厚い透明の力場。
どれほど殴っても。
どれほど力を込めても。
まるでゲームの中にある見えない壁を殴っているかのように、びくともしなかった。
そして――。
「…………」
小野寺の両目は、今も完全な黒。
目の前で宮川博士が狂ったように攻撃を続けているというのに。
何の表情もない。
何の反応もない。
まるで――。
宮川博士など、最初からそこに存在していないかのように。
その頃。
内側では――。
(離せ、クソ野郎!!)
ビリーがジェットを壁際へ押さえつけていた。
片腕をジェットの首元へ押し当て、力任せに圧迫する。
(ぐっ……!)
ジェットは必死にもがきながら、横にある本棚へ手を伸ばした。
指先が、一冊の本へ触れる。
(このっ!!)
バゴッ!!
その本を掴み、ビリーの頭へ思い切り叩きつけた。
(ぐっ!?)
怯んだビリーを突き飛ばす。
だが――。
(おらぁっ!!)
ドゴッ!!
横からマックスの飛び蹴りが直撃した。
ジェットの身体が吹き飛ぶ。
その隙に――。
(てめぇ!!)
ビリーは椅子を掴み、そのままマックスへ叩きつけた。
ガシャァン!!
(ぐっ!)
さらに頭を掴み、テーブルへ叩きつけようとする。
(ふざけんな!!)
マックスも踏ん張る。
二人が力任せに押し合う。
そして――。
(まとめて潰れろ!!)
背後に回ったジェットが、本棚そのものへ手をかけた。
「――!」
力任せに引き倒す。
ドガシャァァァン!!
巨大な本棚が、マックスとビリーの二人まとめて倒れ込んだ。
大量の本。
小物。
飾ってあったコレクション。
すべてが床へ散乱し、一部はその衝撃で壊れていく。
(てめぇぇぇぇ!!)
本の山からマックスが飛び出した。
そのままジェットを掴む。
二人は互いに抱き合うような格好でもつれ――。
ドガァン!!
床へ倒れ込んだ。
巻き込まれたテーブルまで、完全に壊れる。
「…………」
気づけば。
三人のリビングは――見る影もなくなっていた。
家具は壊れ。
本は散乱し。
壁には亀裂。
まるで三人自身の手で、家そのものを解体しているかのようだった。
――そして、外では。
ゴゴゴゴゴゴゴ……!!
小野寺の身体から放たれる力場が、さらに強くなっていた。
もはや敵だけを狙っているわけではない。
周囲にあるものすべてを――無差別に破壊し始めている。
「ぐっ……ああああっ!!」
宮川博士の装甲が軋む。
表面が剥がれ。
砕け。
さらにはその下の肉体組織まで、少しずつ破壊されていく。
『警告――』
『装甲損傷率、危険域――』
『生体損傷を確認――』
『直ちに退避してください――』
ヘルメット内部のAI警告が、次々と増えていく。
「あああああああっ!!」
宮川博士が苦痛の叫びを上げる。
その身体が――。
「……!?」
ゆっくりと浮かび始めた。
重力から解放されたかのように、足が床を離れる。
同時に。
さらに巨大化した透明の力場が、四方八方から宮川博士の身体を圧迫していく。
「ぐっ……息が……!」
呼吸すらできない。
そして力場は――まだ広がる。
壁。
床。
天井。
バキバキバキバキッ!!
建物の一階層そのものが、無差別に破壊され始めた。
やがて――。
ゴゴゴゴゴ……。
建物全体まで、わずかに揺れ始める。
――その頃。
内側では。
(うおおおっ!!)
ビリーが、テレビを両腕で抱え上げていた。
普段なら、三人の記憶や想像を映し出すために使っているテレビ。
それを――。
(くらえ!!)
ジェットとマックスへ向かって思い切り投げつけた。
ガシャァァァン!!
テレビが完全に砕け散る。
(この野郎!!)
マックスがビリーを掴み、そのままテレビ台へ投げ飛ばした。
ドガン!!
テレビ台まで一瞬で壊れる。
そしてマックス自身も、狂ったようにビリーへ飛びかかった。
再び取っ組み合いになる。
そこへ――。
(どけぇっ!!)
ジェットが小さなランプを掴み、よろめきながら近づいてくる。
そして何も考えず――。
ガンッ!!
マックスの頭へ叩きつけた。
(ぐっ……!)
予想外の強烈な一撃。
マックスは頭を押さえながら、ふらふらと動きを止めた。
そのままジェットはランプのコードを掴み――。
(てめぇもだ!!)
ビリーの首へ巻きつける。
(ぐっ……! 離せ!!)
ビリーが激しく暴れる。
そして力任せに身体を反転させ――。
ドンッ!!
今度は逆にジェットを床へ押さえつけた。
コードを引き剥がす。
そのまま――。
ドゴッ!
(ぐっ!)
ドゴッ!!
(がっ……!)
何度も。
何度も。
ジェットの顔面へ拳を叩き込む。
ジェットも必死に両手を伸ばし、ビリーの顔や頭を掴んで抵抗する。
だがビリーは止まらない。
拳だけではない。
周囲に落ちているものを、手当たり次第に掴み始めた。
プラスチック片。
木片。
本。
小物。
瓦礫。
何でもいい。
掴んでは――。
ガンッ!!
叩きつける。
掴んでは。
ゴッ!!
またジェットの顔へ叩きつける。
完全に我を忘れていた。
そして――。
「…………」
ビリーの手が。
何かに触れた。
ひび割れた――ガラス。
だが。
今のビリーには、それが何なのかなどどうでもよかった。
そのまま掴み。
高く振り上げる。
ジェットの顔へ――。
思い切り振り下ろそうとした。
(待て!!!)
「――ッ!?」
突然。
マックスがビリーの手首を掴んだ。
三人の動きが――同時に止まった。
(…………)
(…………)
(…………)
まるで今になってようやく呼吸することを思い出したかのように。
三人とも、その場で荒い息を吐き始める。
ビリーは苛立ちと困惑の残った表情で、マックスを見る。
マックスも息を切らしていた。
もう話す力すらほとんど残っていない。
ただ――。
ビリーの手首をゆっくりと下ろした。
その手から。
掴んでいたものが落ちる。
カタン……。
(これ……)
誰かが、弱々しく呟いた。
そこでようやく。
三人とも――それが何なのかに気づいた。
「…………」
三人が子供だった頃。
一緒に撮った――写真。
その写真が入った、フォトフレームだった。
ガラスには無数の亀裂が走っている。
だが幸いにも――。
中の写真そのものは、まだ壊れていなかった。
「…………」
三人は。
誰からともなく、手を止めた。
複雑な表情のまま。
ただ、その写真を見つめる。
数秒後。
ビリーがジェットの上から退いた。
そのまま力なく転がり、床へ仰向けになる。
ジェットも起き上がろうとはしなかった。
ただ床に寝転んだまま、荒い息を吐いている。
マックスも。
その場へどさりと腰を下ろした。
そこで三人はようやく――。
周囲を見る。
「…………」
リビングは、完全に見る影もなくなっていた。
家具は壊れ。
物は散乱し。
壁も床もボロボロ。
家そのものすら、今にも崩れ落ちそうだった。
なのに。
皮肉なことに――。
あれほど激しく殴り合った三人自身には、ほとんど傷がない。
当然だった。
ここは――彼ら自身の世界。
この世界において三人は、ゲームで言うならば決して破壊されることのない、最上位の存在なのだから。
三人はそのまま。
誰も何も言わず、ただ休んでいた。
長い沈黙のあと。
ようやく一人が口を開く。
(……そういや)
ジェットがぼそりと呟いた。
(外……今どうなってんだ?)
「…………」
ジェットが一時的に身体の主導権を取り戻す。
そして――。
三人はようやく気づいた。
「……は?」
外の世界は。
いつの間にか――さらに酷い有様になっていた。
「な……んだよ、これ……」
宮川博士の装甲は、大部分が破壊されている。
本人も重傷を負ったらしく、少し離れた場所で意識を失って倒れていた。
そして。
小野寺の身体を中心に――。
まるでブラックホールでも発生したかのように。
周囲にあったものが、何もかも薙ぎ払われている。
それどころか。
「……建物は?」
自分たちがいたはずの建物そのものが――。
すでに崩壊していた。
ジェットたちは、倒壊したビルの巨大な瓦礫の山の中にいた。
空は、少し前よりも暗くなっている。
遠くから。
近くから。
救急車。
消防車。
パトカー。
無数のサイレンが鳴り響いていた。
「助けて!!」
「誰か!!」
「うわああああっ!!」
悲鳴。
助けを求める声。
苦痛の叫び。
それらが、街中を狂ったように飛び交っている。
「……嘘だろ」
ジェットは呆然と周囲を見渡した。
「一体……何が起きたんだよ……」
(…………)
誰かが。
恐る恐る、頭の中で呟いた。
(まさか……俺たちが……?)
「ハハハハハッ!」
「――ッ!」
聞き覚えのある声。
その瞬間。
三人の神経が、再び一気に張り詰めた。
「いやぁ、驚きましたよ、小野寺君!」
マネージャーの声。
「まさか君が、ここまで強かったとは!」
瓦礫の向こうから――。
五人の少女たちが、再び姿を現した。
同じアイドル衣装。
同じ表情。
だが――。
「……!」
彼女たちも無傷ではなかった。
衣装は破れ。
身体には傷。
それぞれが持つ武器にも、明らかな損傷が残っている。
どうやら先ほど小野寺から放たれた謎の力に――彼女たちまで巻き込まれていたらしい。
「私の可愛い女の子たちに、ここまで傷を負わせるなんて!」
「ぐっ……!」
ジェットは身体を起こそうとする。
だが――。
力が入らない。
超能力どころではない。
元々すでに満身創痍だった。
その上。
宮川博士との戦闘。
そして――三人自身による、あの激しい争い。
もう。
身体を起こす力すら、ほとんど残っていなかった。
「くそ……!」
硬く。
汚れた瓦礫の上に倒れたまま。
ジェットはただ――。
五人の少女たちが少しずつ近づいてくる姿を見ていることしかできない。
「さて……」
マネージャーの声が、再び響く。
「今度こそ――もう他に隠している能力はありませんよね?」
「…………」
ジェットは苦しそうに息を吐く。
そして。
五人を睨みながら――。
掠れた声で尋ねた。
「お、お前ら……」
「アリスたちを……どうした……?」
「アリス……?」
マネージャーの声が、わずかに反応した。
「もしかして――ウィットモア博士の娘さんのことですか?」
「……え?」
ジェットの表情が固まる。
「何……?」
「その反応……」
五人の少女たちが、同時に邪悪な笑みを浮かべた。
「正直、ちょっと可哀想ですねぇ」
「…………」
「やっぱり――何も知らなかったんだ」
「な……何の話だよ……」
「別に、わざわざ君に教えてあげる必要なんてないんですけどね」
マネージャーは楽しそうに続ける。
「でも私――人が苦しむ顔を見るのが好きなんですよ」
「…………」
そして。
五人が同時に、ジェットを見下ろした。
「小野寺君」
「君を始末するよう私に指示したのは――」
一拍。
「君のクラスメイトのアリスたちなんですよ?」
「…………え?」
理解が追いつかなかった。
その瞬間――。
バシィィィン!!
「――ッ!!」
鞭が凄まじい勢いで振り抜かれた。
避ける力など、もう残っていない。
強烈な一撃を受け――。
ジェット。
マックス。
ビリー。
三人の意識は、そのまま闇へと落ちていった。
=============================================
その日の放課後。
学校の図書館では――。
葵とアリスたちが、試験に向けて一緒に勉強していた。
「…………」
ページをめくる音。
ペンが紙の上を走る音。
何人かはかなり集中しており、勉強も順調に進んでいた。
そんな中――。
ブッ。
「……?」
アリスのスマホに、一件の通知が届いた。
何気なくスマホを取り出す。
画面を確認する。
「――ッ」
その瞬間。
アリスの目が、大きく見開かれた。
思わず息を呑む。
画面に表示されていたのは――。
たった一通。
短いメッセージだった。
『戻ってこい。標的は確保した』
「…………」
たったそれだけの文字。
なのに。
心臓を直接、強く掴まれたような感覚がした。
「アリス?」
「……!」
隣から声をかけられる。
葵だった。
「どうしたの?」
「…………」
アリスはゆっくりと葵の方を見る。
だが――。
その目を、まともに見ることができなかった。
「…………」
何も言えない。
口を開こうとしても、言葉が出てこない。
そんなアリスの様子に、葵だけでなく周囲の皆も不思議そうな顔をする。
「アリス? 本当にどうしたの?」
「わ、私……」
ようやく声を絞り出す。
「ちょ、ちょっと用事ができて……」
「……た、多分、先に帰らないと……」
「そっか」
葵は特に疑うこともなく答えた。
「じゃあ、またね」
「…………」
少しの沈黙。
「う、うん……」
他の皆も、特に気にしている様子はない。
いつも通り。
普通にアリスへ別れを告げるだけだった。
アリスは慌てるように、自分の荷物を片づけ始める。
「あっ……!」
ガタンッ!
途中で手を滑らせ、持っていた物を床へ落としてしまった。
静かな図書館に、その音が思った以上に大きく響く。
「…………!」
慌てて拾おうとするアリス。
だが、その前に葵が屈んだ。
「あ、はい」
落とした物を拾い上げ、アリスへ差し出す。
「ご、ごめん……ありがとう……」
「ははっ、大丈夫?」
「だ、大丈夫……」
そう答えようとした。
だが――。
「…………」
“大丈夫”。
その言葉が。
どうしても最後まで口から出てこなかった。
アリスはただ小さく頷く。
そして鞄を背負い、慌ただしい足取りで図書館を出ようとした。
ちょうど勉強も一区切りついたところだったのか。
残った女子たちは、静かな図書館の中で小声の雑談を始める。
「そういえば葵、今日の晩ご飯どうするの?」
「今日は小野寺君と一緒に帰って食べるの?」
「分かんない。さっきあいつにメッセージ送ったんだけど、全然返事来ないんだよね。ったく……」
「…………」
図書館を出ようとしていたアリスの足が、ほんの一瞬だけ止まった。
その時――。
「アリス?」
「――ッ!」
突然、背後から葵たちに呼び止められた。
アリスの背筋が、一瞬で凍りつく。
「…………」
ゆっくりと。
恐る恐る振り返る。
すると――。
「また今度ね~」
「…………」
葵たちは。
ただ笑顔で、いつも通りに別れを告げているだけだった。
「う……うん……」
アリスは不自然に何度か頷いた。
そして再び前を向く。
「…………」
一歩。
また一歩。
先ほどまでとはまるで違う、重い足取りで。
アリスは図書館を後にした。
そして――。
自分が向かわなければならない、その場所へと歩いていった。
ここまで読んでくださった皆さんも、お疲れ様でした!
そして、ご覧いただきありがとうございます!
今回の話は、ほぼあらゆる方面のキャラクターたちが一気に大爆発したような回になりましたね。
事態もどんどん制御不能になって暴走していって……。
ここまで来ると、俺ってちょっとキャラクターを虐めすぎなんじゃないかと、自分でも疑い始めています。
(今さら?)
ちなみに余談ですが、今回登場したアイドルグループのデザインや武器は、実は『真・三國無双』シリーズの女性キャラクターたちを参考にしています。
子供の頃は俺も結構遊んでいたので、なんだか懐かしいですね。
そしてマネージャーについては、スーパーヒーローものに詳しい方なら気づいたかもしれませんが――。
完全にMARVELの『X-MEN』に登場するプロフェッサーXのパロディです。
ただし、変態悪役バージョンですが(笑)。
宮川博士が超能力血清を投与して暴走し、さらに機械装備まで身につけるという設定については、特に何かを参考にしたわけではないのですが、こうして見ると『スパイダーマン』のヴィランであるグリーン・ゴブリンにちょっと似ている気もしますね。
皆さんは今回の話、どう感じましたか?
さて、物語に戻りますが――。
予定では、おそらく次回――あるいは話の長さ次第では次々回が、今回の物語の最終話になると思います。
ここまでずっと付き合ってくださって、本当にありがとうございます。
最後までぜひ一緒に、小野寺たちが迎える結末を見届けてください。
あ、そういえば。
最近、ようやくいくつか仕事のチャンスをもらうことができました!
もしかしたら、もうしばらくしたら本当に働き始めることになるかもしれません。
……泣。
というわけで!
ここまで読んでくださったあなた、本当にありがとうございました!
Noah Novaでした。
皆さん、どうか素敵な一日を!




