第5話-普通の休日
皆さん、お久しぶりです!
ずいぶんお待たせしてしまいましたが、ようやく更新できました!
どうやら俺の超能力は「スーパー腹ペコ」だけじゃなく、「スーパー先延ばし」まであったみたいです(笑)。
まあ、とにかく!
今回は思った以上に内容盛りだくさんになりました。
皆さんに楽しんでもらえたら嬉しいです!
研究室では、宮川博士がパソコンと机の上に山積みになった膨大な研究資料を前に、完全に煮詰まっていた。
その精神状態も、すでにかなり危ういところまで来ている。
周囲には雑多な物が散乱し、食べ終えたデリバリーの容器まで放置されていた。両目は真っ赤に充血し、資料を握る手もかすかに震えている。
「み、宮川博士……だ、大丈夫ですか……? もう三十時間以上、研究室にこもりっぱなしですよね……?」
研究室に入ってきた数人の研究員が、心配そうに声をかける。
しかし宮川博士は返事をしなかった。
ただ黙ったまま資料を見つめ続け――数秒後。
「……あああっ!」
ついに耐えきれなくなったかのように声を上げ、手にしていた資料を勢いよく放り投げた。
突然のことに、他の研究員たちもびくりと肩を震わせる。
「もう何度も実験データを見直した……それでも、どうしてあんな事故が起きたのか分からない……。本当に……本当に君たちも、どこも間違えていないんだな……?」
「全員で何度も確認し合いましたし、それぞれ博士とも答え合わせをしたじゃないですか……」
「そうだ……つまり……」
宮川博士は両手を組み、その上に顎を乗せる。
そして、不安の滲んだ声で呟いた。
「もしかすると……あの蜘蛛が巨大化したことは、本当に俺たちとは何の関係もないのか……?」
「だから、それはもう明らかでしょう!」
一人の研究員が、堪えきれず声を荒らげた。
「どうしてそこまで認めたくないんですか? それとも、そんなに俺たちのことが信用できないんですか?」
「俺たち、ずっと博士のそばで一緒にやってきたじゃないですか! それとも面倒事になるのが怖くて、俺たちの側に原因があったことにしておきたいんですか!?」
宮川博士の煮え切らない態度に、研究員たちの苛立ちも限界に達しつつあるようだった。
ただでさえ、このところチーム全体にかかるプレッシャーは尋常ではない。
過労も重なり、もはや誰もが精神的にギリギリの状態なのだろう。
「ち、違う……そういうわけじゃ……」
「もういいですよ。どうせ今回の件、何がどうなろうと俺たちが無関係でいられるとは思えませんし……。だったら、クビにされる前に自分から辞めたほうがまだマシです。……もう、うんざりなんですよ」
「すみません、宮川博士……」
「ま、待ってくれ……!」
宮川博士は慌てて引き止めようとした。
勢い余って椅子から転げ落ち、それでも手を伸ばす。
だが、数人の研究員たちはもう限界だったのだろう。そのまま研究室を後にしてしまった。
室内の空気が、一瞬にして凍りつく。
残された者たちもどうすればいいのか分からず、互いに顔を見合わせるばかりだった。
やがて、その中からも一人、また一人と研究室を出ていく。
彼らがまた戻ってくるのかどうかは、誰にも分からない。
長い間ずっと共に研究を続けてきた仲間たちが、今回の事件をきっかけに次々と去っていく。
その光景を目の当たりにした宮川博士は、完全に気力を失ったように、散らかった床の上へ力なく座り込んだ。
それでも――
ほんの数人だけは、まだそこに残っていた。
彼らは何も言わず、散らかった研究室を少しずつ片付け始める。
そして、そのうちの一人が宮川博士の前にペットボトルの水を差し出した。
宮川博士はしばらくそれを見つめた後、震える手を伸ばして受け取った。
「宮川博士。博士も分かっているはずです。これが俺たちに残された最後のチャンスです。これ以上、時間を無駄にはできません」
「……」
宮川博士は、残ってくれた者たちの顔を一人ずつ見つめた。
そしてようやく、ゆっくりと床から立ち上がる。
「……俺だって、ずっと時間を無駄にしていたわけじゃない。こっちに来てくれ」
宮川博士は全員を大型モニターの前へ呼び集めると、投影システムを起動し、その内容を研究室内に大きく映し出した。
全員が顔を上げる。
最初に映し出されたのは、とあるウェブサイトだった。
画面いっぱいに広がる都市部の地図。
その上には無数のマーカーや線が表示されており、どうやら例の黒衣の男に関係するものらしい。
「どうやらネット上の連中が勝手に作ったシステムらしい。超人やヒーローの目撃情報を集めて、その動向を追跡するためのものだ」
宮川博士は地図上のいくつかのポイントを指し示した。
「例の黒衣の男も対象になっている。誰かが偶然あいつを目撃して、その情報をこのサイトに投稿すれば……こうして出現地点がマップ上に記録される仕組みだ」
「それだけじゃない。幸いと言うべきか、ネットには暇人や物好きが山ほどいるおかげで、すでにかなりの情報が集められている」
宮川博士が画面を操作すると、黒衣の男についてまとめられた情報が次々と表示された。
「現時点で分かっているのは――男性。中肉中背。年齢は十代後半から二十代前半あたりと推測されている。能力についてもある程度まとめられているな。超高速移動、超人的な筋力と耐久力、そして電磁的性質を持つ超高エネルギーのエネルギー波……」
研究員たちは、画面に表示された情報を食い入るように見つめる。
「さすがにこれだけの情報から本人を特定するのは難しい。だが少なくとも、このシステムを使えば、次にあいつが現れた時に接触を試みることはできるはずだ」
宮川博士が一通り説明を終えると、研究員たちも納得したように頷いた。
「でも……仮に本当に接触できたとして、その後はどうするんです?」
その時、一人の研究員が疑問を口にした。
「見つけたとして……それで、どうするんですか? まさか本人のところまで行って、『今回の件、責任を取ってください』って言うつもりですか?」
「……」
「それで向こうが素直に話を聞いて、『なんてことだ、本当に申し訳ない。すべて私が責任を取ります』とでも言ってくれるんですか?」
あまりにも根本的な問題を突きつけられ、全員が黙り込んだ。
「……じゃあ、どうするんだ?」
「知りませんよ。運が良ければ、そのまま逃げられてせっかくのチャンスを無駄にするだけ。運が悪ければ……俺たちなんてビンタ一発で全員あの世行きでしょうね」
「そ、そこまではしないんじゃないか……? 少なくとも、悪人ではないんだろ……?」
「でも、ヒーローでもないだろ。それにあいつ、ずっと顔を隠してるんだぞ。何者なのかも、どんな顔なのかも、どこに住んでるのかも分からない」
その研究員は少し間を置いて、さらに付け加えた。
「……そもそも、あいつ本当に人間なのか?」
「宮川博士……?」
全員の視線が、それまで黙っていた宮川博士へと集まる。
宮川博士は腕を組み、わずかに俯いたまま考え込んでいた。
やがて顔を上げる。
研究員たちは、彼が何を言うのか黙って待った。
「……まだ、やるべきことはある」
宮川博士はそう言うと、背中をコンピューターのデスクに預けたまま、次々と指示を出し始めた。
「何人かは引き続き、あいつの出現地点と行動パターンを分析してくれ。別の者はネット上にある目撃情報や映像を洗い直せ。そこから性格、能力の詳細、戦闘パターン……推測できるものは何でもいい。できる限り情報を集めるんだ」
研究員たちの表情に、少しずつ仕事の顔が戻っていく。
「どちらにせよ、まずはあいつと接触できなければ何も始まらない……。運が良ければ、互いに一歩ずつ譲るだけで解決できるかもしれない。もし、そう上手くいかなかったら……」
宮川博士はそこで一度、言葉を止めた。
「……その時は、その時に考える」
そして両手を叩き、声を張り上げる。
「よし、仕事に戻れ! さっさと動け! ……ああ、それと君!」
「は、はい?」
「デリバリー頼んでくれ!」
「うわぁ……なんか、ここに入ったばかりの頃を思い出しますね」
全員がそれぞれの仕事に取りかかると、宮川博士はペットボトルに残っていた水をそのまま顔にぶっかけ、無理やり気合を入れ直した。
そして机の上に散らばっていた無関係な資料を片っ端から片付けていく。
今、追うべき研究対象はただ一つ。
――あの黒衣の男だけだ。
だが、その時。
宮川博士はパソコンの中にあるいくつかのフォルダを開き、以前途中まで進めていた別の研究プロジェクトのデータを見つけた。
「……」
機密扱いになっているファイルをいくつか開き、その内容を確認する。
しばらく考え込んだ末――宮川博士はそれらを削除せず、そのまま残すことにした。
さらに、そのデータを一本のUSBメモリへとコピーする。
宮川博士はふと顔を上げた。
これだけのことが起きても、まだ自分のそばに残り、黙々と働き続けてくれている数少ない仲間たち。
そんな彼らの姿をしばらく見つめた後、宮川博士は一人、研究室の外にあるバルコニーへと出た。
いつの間にか、夜は終わりを迎えようとしていた。
深夜の暗闇が薄れ、空が少しずつ白み始めている。
宮川博士は眩しそうに目を細めながら一本の煙草に火をつけた。
深く吸い込み――ゆっくりと煙を吐き出す。
そして白衣のポケットから先ほどのUSBメモリを取り出し、無言のまま見つめた。
「……これは、俺自身と……あいつらのためだ」
自分に言い聞かせるように、小さく呟く。
「余計なことは考えるな、宮川……。『予備プラン』を使わずに済めば……それでいい……」
――取締役会から与えられた期限まで、残り約一週間。
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窓から差し込む朝日を浴びて、ビリーは自然と目を覚ました。
「んん……」
まだ半分眠ったまま、のそのそとベッドから起き上がる。
部屋の外から何やら人の話し声が聞こえていたような気もするが、まだ脳みそが起動していないせいか、特に気にも留めなかった。
タンクトップにパンツ一枚。
そんな格好のまま、ビリーは平然と部屋を出る。
「おしっこ……おしっこ……」
朝一番の溜まっていたものを思う存分解放した後も、まだ目すらまともに開いていない。
ビリーはふらふらとした足取りで、そのまま一階のリビングへと向かった。
そこでようやく、葵の姿が目に入る。
――残念ながら。
その場にいるのが葵だけではないことには、まだ気づいていなかった。
「葵ぃ……朝飯なに……?」
「……ん?」
言いかけたところで、ビリーの声が止まる。
葵だけではない。
リビングには、他にも何人かいた。
しかも――全員、クラスの女子だった。
「……」
「……」
「…………」
数人の女子生徒が目を見開いたまま、パンツ一枚のビリーを凝視している。
一瞬にして、リビングの空気が凍りついた。
その瞬間、ビリーの脳内にゲームの選択肢のようなものが浮かび上がった。
▶ まだ夢の中にいる。
▶ マックスとジェットがグルになって俺をハメようとしている。
▶ 敵による洗脳・幻覚・精神攻撃の類である。
▶ 大切に取っておいたコンドームが、ついに日の目を見る時が来た。
「…………」
そしてビリーが、どう考えても選んではいけない選択肢を選ぼうとした――その瞬間。
「このバカぁぁぁぁぁぁ!!!」
葵が横から飛び出し、そのまま勢いよくドロップキックをぶちかましてきた。
――が。
「おっと」
ビリーは片手であっさりと葵の足首を掴んだ。
その結果、葵は釣り上げられた大魚のように、上下真っ逆さまの状態で宙吊りになってしまう。
「離せぇぇぇぇ!!! なんであんたたちはそんなにズボンを穿きたがらないのよ! 昨日、今日は人が来るって言ったでしょーが!」
「自分の家なんだから、ズボンくらい穿いてなくてもいいだろ! ……あっ。そういや昨日、珍しく夜更かししてゲームしてたから忘れてたわ。ごめん」
「まず私を下ろせ、この野郎! それからさっさとズボン穿いてこい!」
そこでようやく、ビリーは下半身に妙な涼しさを感じた。
戦場で敵から向けられる悪意でもなければ、背筋を凍らせる殺気でもない。
――ただ単純に、まともに服を着ていないだけだった。
「あー……その……悪い」
ビリーはクラスメイトの女子たちに軽く謝った。
幸い彼女たちもかなり良心的で、悲鳴を上げたり、股間を蹴り上げたり、警察に通報したりする代わりに、黙って顔を逸らしてくれた。
数分後。
きちんと服を着たビリーが、今度はなぜか先ほどよりも気まずそうに、おそるおそるリビングへ戻ってきた。
(なんで服着てからのほうが恥ずかしいんだよ……)
ビリーは一人、ダイニングで朝食を食べる。
女子たちはというと、明らかに微妙な距離を取りながら、リビングで勉強を続けていた。
「なるほどな。もうすぐテストだから、みんなで集まって勉強してんのか」
「たまたま今日はうちが一番都合よかっただけだから。あんたたち変態は、変なこと考えないでよね!」
「考えるわけないだろ! 俺はそんなことしねえよ」
ビリーはそう言ってから、わずかに間を置いた。
「……少なくとも、今はな」
「…………」
ニヤリと悪そうな笑みを浮かべながら、ビリーはサンドイッチを口いっぱいに頬張った。
そのままスマホをいじりながら朝食を続けるビリー。
一方、女子たちはリビングで勉強を続けていた。
「そういえば、私たち何回か葵の家に遊びに来たことあるけど、小野寺くんっていつもタイミング悪くいなかったよね」
女子の一人が、ふと思い出したように小野寺へ話しかけた。
「あー……その時はたぶん、どっかでバイトしてたんじゃねえかな。次来る時は俺にも教えてくれよ。ちゃんと家にいるからさ」
「えぇ……キモ……」
「なんでだよ!」
格好をつけたかったのか、それとも単に素でこういう性格なのか。
どちらにせよ、普通に引かれただけだった。
「ねえ、小野寺くんってアリスさんのこと好きなの?」
「ん?」
突然飛んできた質問に、ビリーは少し考え込んだ。
「うーん……」
そして、至って真面目な顔で答える。
「好きな時もあるし、好きじゃない時もあるし……たまに別の人が好きな時もあるかな」
「は?」
「お前、クズ男なの?」
「ははは!」
ビリーは楽しそうに笑った。
女子たちも冗談半分で笑っている。
――もちろん、残り半分は割と本気で引いていた。
ビリーは冷蔵庫を開け、生卵を一個取り出した。
コンコンと殻を割ると、そのまま片手で口の中へ流し込む。
さらに大きな容器に入ったプロテインを取り出し、バナナと一緒にドリンクを作って一気に飲み干すと、そのまま自分の部屋へ戻っていった。
数分後。
外出用の服に着替えたビリーが再び姿を現した。
どうやら、どこかへ出かけるらしい。
「んじゃ、俺も邪魔しないように出かけるわ。なんかあったら連絡してくれ。俺のインスタは――」
「はいはいはい、さっさと行ってきなさい。使いっ走りが必要になったら呼んであげるから」
「おい、ちょっ――」
最後まで言わせてもらえないまま、ビリーは葵に背中をぐいぐい押され、そのまま玄関の外まで追い出された。
「……葵。私、小野寺くんってわざと格好つけてるのか、それとも天然で変な人なのか、たまに本気で分かんなくなる」
「たぶん両方。もう慣れた」
「ていうか、あの人は勉強しなくていいの? 確か成績って……」
「別に一緒に勉強してもいいんだけどね。まあ、私たちだってそんなに頭いいわけじゃないけど」
「ねえ、誰かこの問題分かる? 今回の数学、難しすぎない?」
「そういえば、お昼どうする? ピザでも頼む?」
「……ねえみんな。私たち、勉強するために集まったんじゃなかったっけ?」
自制心のあまりない友達同士で「みんなで勉強しよう!」などと言って集まったところで――
結局、本当に勉強している時間は、一人でやる時より遥かに短かったりする。
休日だというのに、ビリーがわざわざ学校や図書館なんかへ向かうはずもない。
イヤホンから流れる昔ながらの軽快な名曲を聴きながら、電車に揺られることしばらく。
たどり着いた先は――かなり大きな歴史文化博物館だった。
そう。
今日はついに、考古学研究部の校外活動の日なのだ。
当然、楽しみにしていたのはビリーだけではない。
ジェットもマックスも、朝からかなり機嫌が良かった。
クラスメイトたちと休日に遊びに行ける機会なんて、そうそうあるものではない。
――そして何より。
あの癒やし系女神二人も一緒なのだから。
待ち合わせ場所へ向かうと、すでに部長と清水さんが到着していた。
学校で見る時とは少し違うメイク。
そして見慣れない私服姿。
普段とは違う二人を目にした瞬間、三人の頭にはほとんど同時に同じ疑問が浮かんだ。
(……あれ?)
(この二人って……)
(こんなに可愛かったっけ……?)
こちらに気づいた部長たちが手を振る。
「こんにちは、小野寺くん」
「おー、二人とも。ごめん、待った?」
ビリーは満面の笑みを浮かべながら、まるで餌を見つけたハエのように小走りで二人のもとへ向かった。
おそらく部長たちは知らない。
彼女たちにとってはただの校外活動でも、ビリーたち三人の中ではほとんど『デート』としてカウントされていることを。
しかも、まだ他の男子二人の姿が見当たらない。
ということは――
(これ……もしかして今日、マジでチャンスあるんじゃ……?)
「大丈夫だよ。私たちも今来たところだから。それと佐藤くんは、テスト勉強しないといけないから今日は来ないって」
「おぉ~、最高じゃん!」
「え……?」
「……じゃなくて」
ビリーは咳払いする。
「残念だなぁ~。うん」
そう言いながらも、口元の笑みはまったく隠せていなかった。
(ってことは、田中の野郎ももしかして――)
「YO、小野寺」
「チッ!!!」
背後から聞こえてきた聞き慣れた声に、ビリーは反射的に盛大な舌打ちをした。
「なんでお前も来てんだよ! お前もテスト勉強してろよ!」
「なんでそんな露骨に嫌がるんだよ!? こう見えても俺の成績は中の下くらいはあるからな! お前みたいな下の下と一緒にすんな!」
「誰が下の下だ!」
いつものように顔を合わせた途端に言い合いを始める小野寺と田中。
そんな二人を見て、部長と清水さんも思わず笑っていた。
「よーし! それじゃ、みんな揃ったことだし、さっそく中に入ろう!」
部長の一声で、一行は博物館の入口へと向かった。
天気にも恵まれ、しかも休日ということもあって、博物館にはすでに大勢の一般客が訪れていた。
ビリーたちもさっそくチケットを購入し、そのまま館内へ入ろうとする。
(今やってる特別展、古代生物の化石か。結構面白そうじゃん)
(ほぼ完全な状態の恐竜の化石標本まであるのか? そりゃ人も集まるわけだ。……ん? どうした、マックス?)
(いや……)
マックスだけが、少し離れた場所へ意識を向けていた。
(さっき、妙にコソコソしてる奴がいたような気がして……それに、どこかで見たことがあるような……)
(マジかよ? まさかヴィランか?)
その時だった。
ポケットの中でスマホが振動し、DSAから一件の通知が届く。
『注意:最近、女性アイドルグループ風のヴィラン集団が出没しているとの情報があります。各職員は十分に警戒してください――』
(……アイドルグループ?)
(じゃあ、さっきの奴とは違うか)
(ああ……たぶん俺の気にしすぎだ。悪い)
マックスがもう一度先ほどの場所を確認した時には、怪しい人影はすでに消えていた。
気のせいだったのかもしれない。
そう思い、マックスもそれ以上深く考えず、軽く首を振った。
そのまま考古学研究部の一行は館内へ入り、展示を見て回ることにした。
博物館の中はかなり広く、展示物の数もなかなか多い。
ビリーたち三人はというと、正直なところ大半の展示をざっくり眺めて通り過ぎているだけだった。
一方、部長と清水さんはかなり興味があるらしく、展示の前で足を止めては楽しそうに色々と話している。
そんな二人のそばで話を聞きながら――
「おぉ~」
「なるほどな~」
「マジで?」
「へぇ~、どう思う?」
「分かる。俺もそう思うわ」
適度に頷き、時々それっぽいリアクションを返しておけばいい。
別に詳しいふりができているわけではない。
だが、相手の話を楽しそうに聞いているという『リアクション』を返すだけなら、それで十分だった。
もちろん、女子二人との距離を縮めたいという下心がないわけではない。
――とはいえ。
それを抜きにしても、三人とも普通にこの時間を楽しんでいた。
「そういえば小野寺くん、もうすぐテストだけど大丈夫?」
「えーっと……」
ビリーは少し考えてから、苦笑した。
「正直、ちょっとヤバいかも」
あまりにも素直な返事だったせいか、部長たちも思わず笑ってしまう。
「私たち、過去問いくつか持ってるから、今度そっちの分も印刷してあげようか?」
「よかったら私も、文系科目のノートくらいなら貸せるよ」
「マジで? いいの? めっちゃ助かる~」
そんな調子で談笑しながら見学ルートを進んでいくと、一行はやがて特別展示エリアへとたどり着いた。
本物の恐竜化石を使用した骨格標本を売りにしているだけあって、広々とした吹き抜けの展示スペースは大勢の来館者で賑わっている。
展示されている恐竜は、大きく分けて三種類。
定番中の定番であるティラノサウルス。
巨大な角を持つトリケラトプス。
そして、複数体のラプトル。
もちろん、すべての骨が百パーセント完全な状態で発掘されたわけではない。
それでも復元された骨格標本は十分すぎるほど壮観で、それぞれ強化ガラスで密閉された展示区画の中に収められていた。
特に間近で見る恐竜の巨大さは圧倒的だった。
その骨格のそばに立つ人間など、まるで小さな玩具にしか見えない。
多くの来館者が展示の周囲に集まり、スマホを向けて写真を撮っていた。
さらに展示エリアの上空では、何機ものドローンが飛び回り、警備や展示運営の補助を行っているらしい。
(うわぁ……これ、絶対めちゃくちゃ金かかってるだろ)
ビリーは周囲を見回した後、ふと部長たちへ声をかけた。
「部長、写真撮ろうか?」
「いいの? ありがとう! これでついでに部活の活動記録のKPIも稼げるね」
「ちゃんと可愛く撮ってよ?」
「任せろって」
ビリーは自信満々に胸を張った。
「葵の映え写真、普段誰が撮ってると思ってんだ?」
その言葉と同時に――三人の脳裏に、これまで葵に散々写真撮影をやらされてきた記憶が蘇る。
(……もうちょっと右!)
(違う! 下から撮らないで!)
(脚長く見える角度で!)
(今の顔微妙! もう一枚!)
(百枚くらい撮っといて! あとで私が選ぶから!)
「…………」
三人の脳裏に、軽いPTSDが蘇った。
ともあれ、その地獄の特訓が今ここで役に立つ。
ビリーは部長からスマホを受け取ると、慣れた手つきでカメラを構えた。
(もうちょい上からの角度がいいな。そのほうが脚も長く見える)
(ここ、ちょっと暗いな。露出も少し調整したほうがいい)
(よし、それならこの位置だ)
三人であれこれ意見を出し合いながら、ようやくベストな撮影位置を見つける。
「よーし、いくぞ。三、二、一――」
パシャッ。
「OK! いいねぇ~。もう一枚いこう」
「どれどれ……おお、いいじゃん! ありがとう、小野寺くん!」
部長は嬉しそうに撮れた写真を確認する。
「せっかくだし、撮った写真はグループに全部送って、活動記録に残しておこうよ」
「いいね。あっ、向こうにも撮れそうな場所あるぞ。部長たち、次あっち行こうぜ」
部長と清水さんが人の流れに沿ってラプトルの展示エリアへ移動しようとした、その時だった。
突然、館内放送が流れ始めた。
『あー……あー……これ、入ってる? 聞こえてる?』
ザザッ、とノイズの混じった掠れた声が、途切れ途切れに館内へ響き渡る。
どう聞いても館内放送に慣れている人間の喋り方ではない。
その不自然さが逆に、周囲の来館者たちの注意を引いた。
『ゴホン、ゴホン! 皆さんこんにちは! みんな大好き、混沌邪悪・時間リモコンセールスマンです!』
「……は?」
『本日皆さんにご紹介するのは、私の最新商品――時間巻き戻しリモコン3.0! 最近、過去に戻りたいな~なんて思ったことはありませんか? そんなあなたにオススメなのが――』
正体不明の『セールスマン』は、そのまま勝手に博物館の館内放送を使って商品紹介を続けている。
「なんだこれ……? 誰だよ?」
ビリーだけではない。
周囲の来館者たちも、何が起きているのか分からず困惑していた。
放送事故なのか。
何かの広告なのか。
それとも、博物館側が仕掛けたドッキリ企画なのか。
そんな中――マックスだけが、何かに気づいたようだった。
(……待て)
(時間なんとかのセールスマンって……俺たち、以前にもそんな奴と戦ったことなかったか?)
(ほら、あの半分ゾンビみたいになったスパルタ兵の軍団が出てきた時)
(あー……!)
ビリーもようやく思い出した。
(言われてみればいたな! 昔のものを勝手に復活させたり召喚したりして、『世界を過去の黄金時代へ戻すのだ!』とか言ってた変人だろ?)
少し間を置いて、ビリーはさらに付け加える。
(……あいつ、まだ捕まってなかったの? ヴィランのくせに存在感なさすぎだろ)
(確か、あいつのリモコンは『素材』になるものがないと能力を発動できなかったはずだ)
マックスは周囲を見回しながら考える。
(だったら、あいつがここにいたところで大したことは――)
「…………」
三人の思考が、一瞬止まった。
(ま、待て……俺たち今、何に囲まれてる……?)
「…………」
三人の背中に、一斉に冷たい汗が流れた。
この空間にいるのは、大勢の人間だけではない。
それよりも遥かに大きな『素材』が――すぐ目の前にいくつも展示されている。
「shit……嘘だろ……」
ビリーたちの視線が、部長たちの背後にあるラプトルの展示区画へと向けられた。
そして――
骨格標本に、異変が起き始めていた。
白く乾いた骨が、徐々に色を変えていく。
骨の表面を覆うように組織が形成され、筋肉が生まれ、その上を皮膚が覆っていく。
まるで映像を逆再生しているかのように。
何千万年という時間そのものを巻き戻しているかのように。
ただの化石だったものが、一体、また一体と――
本来の姿を取り戻していく。
『……まあいいでしょう』
館内放送から、セールスマンの声が響いた。
『皆さん購入する気がないのでしたら……』
わずかな間を置き――
『死んでください』
ドクン――。
心臓が、脈打った。
先ほどまで微動だにしなかったラプトルが、ゆっくりと瞬きをする。
肺が空気を吸い込み、全身へ血液が巡り始める。
そして、意識が戻った。
「…………」
突如として何千万年も未来の世界へ放り込まれたその小さな脳に、一瞬でどれほどの情報が押し寄せたのか。
当然、理解などできるはずもない。
そこにあったのは、混乱と――
生存本能だけだった。
「ギャアアアアアアアッ!!!」
ラプトルが大きく口を開き、鋭い牙を剥き出しにして咆哮する。
そして次の瞬間――
ドガァン!!
凄まじい勢いで強化ガラスへと飛びかかった。
「え……?」
異変に気づいた部長たちが、ゆっくりと後ろを振り返る。
だが、もう遅い。
目の前には――
鋭い牙。
巨大な爪。
そして咆哮を上げながら、自分たちへ飛びかかってくる一頭の恐竜。
「――っ!?」
強化ガラスでさえ、その原始的な力を受け止めることはできなかった。
ガシャアアアン!!
巨大な音とともにガラスが砕け散り、無数の破片が宙を舞う。
もちろん、そのラプトル自身も何が起きているのかなど分かっていない。
目の前にいる人間を『獲物』と判断したのか。
それとも『脅威』と判断したのか。
そんなことすら定かではない。
ただ一つ確かなのは――
この生物が、自分の生きていた時代において唯一と言っていいほど単純な生存手段を選んだこと。
――戦う。
「……うおおおおおっ!!」
幸い、蘇ったばかりのラプトルも突然の状況に混乱し、まだ自分の身体の感覚すら完全には取り戻せていなかったらしい。
その一瞬の隙を、ビリーは逃さなかった。
「――っ!」
一気に前へ飛び出す。
片腕で部長たちを庇いながら、その前へ身体を滑り込ませ――
もう片方の拳に、凄まじい量の電撃が集中する。
バチバチバチバチッ!!
青白い閃光が弾けた。
そしてそのまま――
「らぁっ!!」
ドゴォッ!!
雷を纏った拳を、ラプトルの頭部へ真正面から叩き込んだ。
あまりにも切迫した状況だったため、ビリーには放出するエネルギーを細かく調整している余裕などなかった。
結果――明らかに出力過剰。
強烈な一撃をまともに受けたラプトルは、その場で一発で倒れた。
「え……?」
部長たちには、今の一瞬に何が起こったのかすら理解できなかった。
ただ気づけば――
自分たちを庇うように、小野寺が目の前に立っている。
そして、その姿はいつもの彼とは明らかに違っていた。
普段以上に逆立った髪。
瞳の奥では、微かに電光が瞬いている。
さらに放電の影響なのか、服の繊維の一部まで焼け焦げていた。
「小野寺……くん……?」
だが、その異変について考えている暇などなかった。
ビリーが先ほど一瞬で放出した電気エネルギーは、あまりにも強すぎた。
その影響が、一気に館内全体へと広がっていく。
ブツンッ!!
まず、周囲の人々が持っていたスマホをはじめとする電子機器が次々と故障した。
直後――館内の照明が一斉に消える。
代わりに暗い非常灯が点灯したものの、その薄暗い光は安心感を与えるどころか、むしろ場内の不安をさらに煽るだけだった。
『――警告。警告――』
けたたましい警報音が鳴り響く。
セキュリティシステムまで異常を起こし、一部の防火シャッターや鉄扉が突然降り始めた。
さらに火災報知設備まで誤作動し、天井から霧状の消火剤や粉塵が噴き出してくる。
それだけではない。
「うわっ!?」
上空を飛んでいたドローンまで、まとめて制御を失った。
何機ものドローンが狂ったように館内を飛び回り、壁や展示物へ次々と激突する。
中にはそのまま天井を突き破り、外へ飛び出していく機体まであった。
そして一機のドローンが、ふらつきながらビリーたち目がけて突っ込んでくる。
「伏せろ!」
ビリーはすぐさま周囲の仲間を引き寄せ、その場に伏せさせた。
同時に片手を伸ばし――
バチッ!!
指先から一筋の電撃を放つ。
ドガンッ!!
直撃を受けたドローンが空中で爆発し、破片を撒き散らしながら床へ墜落した。
「…………!」
田中たちにも、今の光景は見えていたかもしれない。
小野寺が明らかに普通ではない力を使ったことも。
だが――今は、それどころではなかった。
照明の消失。
鳴り響く警報。
降りるシャッター。
噴き出す消火剤。
暴走するドローン。
あまりにも多くの異常が一瞬で押し寄せたせいで、誰もがまともに考える余裕を失っていた。
頭に残っているのは、ただ一つ。
――逃げろ。
それだけだった。
そして当然。
厄介なのは、これだけではない。
「グオオオオオオオオオオッ!!!!」
巨大な恐竜たちの鼓膜をつんざくような咆哮が、立て続けに館内へ響き渡った。
現代の陸上動物など遥かに凌駕する巨体。
かつて、本当にこの大地を支配していた王者たち。
中でもティラノサウルスとトリケラトプスは、蘇るや否や強化ガラスをまるでプチプチでも破るかのように、いとも簡単に突き破った。
当然、彼ら自身も今いったい何が起きているのかなど理解していないのだろう。
そして――互いの存在に気づいた瞬間。
「グルルルルル……!」
「ブオオオオオッ!!」
両者はほとんど本能のままに、真正面からぶつかり合った。
ドゴォォォン!!!
巨体と巨体が激突し、凄まじい衝撃が館内を揺らす。
だが、来館者たちにこの『ジュラシック・パークの奇跡』をのんびり鑑賞している余裕などあるはずもない。
噛み殺される。
踏み潰される。
角で身体を貫かれる。
もちろん、それだけが危険なのではない。
あの巨体では、四肢や尻尾にほんの少し巻き込まれただけでも、人間にとっては洒落にならない致命傷になりかねない。
さらに、残ったラプトルたちまで混乱した館内を駆け回り、逃げ惑う人々を追い始めていた。
「こっちだ! 早く!」
ビリーにも、今この場にいる全員を助ける余裕などない。
ひとまず部長、清水さん、田中たちを自分のそばから離さないようにしながら、最初の混乱に巻き込まれないよう遮蔽物を探して移動する。
「うわああああっ!!」
「押すな! 押すなって!」
「早く逃げろ!」
だが――
正直、状況は最悪だった。
館内にはあまりにも人が多い。
その上、恐竜たちがどこへ動くのかまるで予測できないせいで、避難経路もまともに機能していなかった。
出口には一斉に逃げようとする人々が殺到し、完全にすし詰め状態になっている。
このままでは、いくら時間が経ってもまともに避難できない。
「ど、どうしよう……?」
女子たちは完全に動揺し、不安そうにビリーへ問いかけた。
「…………」
ビリーの心臓も、激しく脈打っていた。
ドクン、ドクン、と耳の奥にまで聞こえてきそうなほどに。
それでも必死に呼吸を整え、パニックに呑まれないよう理性を保つ。
右を見る。
左を見る。
逃げ惑う人々。
暴れ回る恐竜。
塞がった出口。
そして――怯えている仲間たち。
「……っ」
ビリーは覚悟を決めたように、ゴクリと唾を飲み込んだ。
(……これ、もう無理じゃねえか?)
(この状況じゃ、俺が全員まとめて素早く逃がすのも難しい……)
(ああ。このままじゃ本当に死人が出る)
ジェットも、珍しく迷いのない声で同意する。
(それに今は館内も暗い。近くにいるのも部長たちくらいだし……)
わずかな沈黙。
(……やるか?)
「クソ……もう、こうするしかねえか……」
ビリーはもう細かいことなど気にしていられなかった。両手にエネルギーを集中させると、そのまま近くの壁へ向けて立て続けに放ち、いくつもの大穴をぶち開けた。
光の差し込む脱出口ができたのを見れば、他の人たちだって細かいことなど気にしてはいられない。人々はすぐさまその穴から外へと逃げ出し、出口付近に集中していた人の流れも一気に減っていった。
これなら、自分たちも脱出できる。
ただ――
「お、小野寺……お前……」
目撃したのは彼ら数人だけだった。
だが、真っ暗な館内で、小野寺の指先には紫色の稲妻がはっきりと輝いていた。
もはや言い逃れのしようがない。
一同は驚愕した様子で彼を見つめていたが、小野寺は否定することも、何かを説明することもしなかった。
「とにかく逃げるぞ! 早く! 目と口、閉じてろ!」
ジェットに交代すると、彼は全員をまとめて抱え込み、一瞬にして安全な距離まで屋外へと連れ出した。
初めて超高速移動を体験したせいか、田中は目を回してその場で吐いてしまった。一方、女子たちは比較的平気そうだったが、半分は驚き、もう半分はせっかく整えた髪がぐちゃぐちゃになったことに腹を立てているようだった。
「みんな無事か? なら、ここで待っててくれ」
ひとまず彼女たちを安全な場所に残すと、ジェットは再び猛スピードで博物館の中へと戻った。
大半の人々はすでに外へ避難していたものの、一連の破壊によって館内の状況はさらに危険になっている。特に、まだ逃げ遅れた老人や子供、負傷者が残っている可能性もあった。
ジェットはすぐさま館内を高速で駆け回り、まだ中に残っていた人々を一人ずつ外へと運び出していった。
「これで……全員逃げられたよな……」
ジェットもそろそろ外へ出ようとした、その時だった。
すぐ近くから、何度も唸り声が響いてきた。
直後、いくつもの素早い黒い影が彼目掛けて飛びかかってくる。
もちろん、ジェットにとっては完全にスローモーションだ。
彼はその攻撃をいとも簡単にかわしていく。
数頭のヴェロキラプトルがまるで小隊を組むようにジェットを取り囲み、激しい敵意を剥き出しにしていた。
攻撃をかわされるたび、諦めるどころか、むしろますます苛立ち、興奮しているようだった。
「お前らも一応、片づけとくか……」
そう呟きながら、ジェットはネックレスを起動して変身しようとする。
戦闘時の安全を考えてのことでもあったが、それだけではない。先ほどから何度も超高速で走り回ったせいで、摩擦熱によって普段着はすでにボロボロになっていたのだ。
だが、その時――
ビリーが突然、彼を引き止めた。
(ど、どうした?)
(待てよ。前にDSAから「しばらくは目立つ行動を控えろ」ってキツく言われたの、忘れたのか? こんな人の多い場所でまた変身して、誰かに見られでもしたら面倒なことになるぞ!)
(じゃ、じゃあどうすんだよ?)
(もう人は全員助けたんだ。これ以上事態がデカくなる前に、さっさと逃げようぜ。これ以上、余計な厄介事を背負い込むのはやめたほうがいい!)
(待て! でも、まだ博物館の中に恐竜が残ってるんだぞ! クソッタレな本物の、生きた恐竜が! このまま放っておいたら、どれだけ被害が出ると思ってるんだ? 俺たちがすぐそばにいるのに、何もしないで逃げるのかよ?)
マックスもすぐさま反論した。
(そうだよ! だからこそ言ってんだろ! クソッタレな本物の恐竜なんだぞ! お前だって、あんな重量級を相手に何ができるってんだよ! 俺たちはもう十分すぎるくらい被害を出してる。あとは他の奴らに任せりゃいい! これ以上の責任まで背負える余裕なんて、俺たちにはねえんだよ!)
(……『俺たち』?)
マックスは冷たい目でビリーを見た。
(『お前』の間違いだろ……)
(お、おい……)
ジェットはヴェロキラプトルたちの攻撃をかわしながら、二人の間に流れる空気が明らかに変わったことに気づいた。
ビリーは拳を強く握りしめ、苛立ちを隠そうともせずマックスを睨みつけている。
また衝突が起きる――そう思われた。
だが、おそらく前回のことが頭をよぎったのだろう。
ビリーは歯を食いしばるだけで何も言い返さず、そのまま黙って背を向けた。
(……勝手にしろよ。もう俺に構うな……)
(ま、待てよ、俺……)
マックスも、自分が少し言いすぎたことには気づいたようだった。
気まずそうにしながらも、今さら素直に謝ることもできない。
結局、ビリーが自分の部屋へ戻っていくのを、ただ黙って見送ることしかできなかった。
マックスは深くため息をつく。
さっきまで強く握りしめられていた両手から、力が抜けるようにだらりと下がった。
(それで……どうする……?)
マックスとジェットだって、このまま逃げるという選択肢をまったく考えていなかったわけではない。
だが、巨大な恐竜たちの咆哮は今も館内に響き渡り、まるで建物全体がその声に共鳴して震えているかのようだった。
ズシン――ズシン――と、激しく、そして途方もなく重い足音が近づいてくる。
数秒後。
先ほどから死闘を繰り広げていたティラノサウルスとトリケラトプスが、そのままもつれ合うようにこの展示ホールへとなだれ込んできた。
双方とも明らかに傷を負っている。
それでも疲れた様子などまるで見せず、今なお相手を殺すまでやめる気などないと言わんばかりに激しくぶつかり合っていた。
その光景を目にしたヴェロキラプトルの群れでさえ、自ら距離を取ってその場から離れようとする。
ジェットはその隙を逃さず、残っていた小型の連中を高速で次々と片づけていった。
そして――
残るのは、最も厄介な二頭。
ティラノサウルスとトリケラトプス。
二頭は未だ互いとの戦いに夢中で、周囲などまるで目に入っていなかった。
(さて……俺じゃあの二頭はどうにもならねえ。ここはお前に任せるしかないな)
ジェットは目の前の二頭を見上げる。
(マックス……本当にいけるか……?)
これは動物園でゴリラ同士が喧嘩するのとはワケが違う。
十トンを超える巨体は、ただ動くだけでも周囲に甚大な被害をもたらす。
一度ぶつかれば頑丈な鉄筋コンクリートすら砕き、太く強靭な四肢は大理石の床を踏み割る。尻尾をひと振りすれば風圧と共に交通事故さながらの衝撃が襲いかかり、その分厚く頑丈な肉体には、あらゆるものを噛み砕く鋭い牙や爪、そして巨大な角まで備わっている。
二頭がそれらを互いに振るうたび、周囲は次々と破壊されていく。
近くで暴れ回るだけでも、足元にははっきりと感じ取れるほどの揺れが走っていた。
このままでは、博物館を丸ごとぶっ壊してもなお戦い続け、そのまま人の多い外へ飛び出していく可能性すらある。
確かに、もうしばらく二頭を戦わせておけば、互いに体力を消耗し、傷も増えていくだろう。
だが、その間にどれだけの二次被害が出るか分かったものではない。
これまで力比べでは敵なしだったマックスでさえ、その光景を前に心臓が激しく脈打ち、額には冷や汗が滲んでいた。
「俺も……やるしかねえんだよな……クソッ……」
衝動。
恐怖。
後悔。
責任。
そして、意地。
いくつもの感情とプレッシャーが、次々と胸の奥に積み重なっていく。
マックスは自分自身を奮い立たせるように雄叫びを上げると、ネックレスを起動してヒーローの姿へと変身し、そのまま勢いよく駆け出した。
ちょうどその時、ティラノサウルスが横からトリケラトプスへ体当たりを食らわせ、その巨体を地面へと転がした。
「今だ!」
マックスはその隙を逃さず、地面を強く蹴って跳び上がる。
人間サイズという小さな体格を逆に利用し、ティラノサウルスの死角へと潜り込むと――
勢いそのままに、強烈な回し蹴りを頭部へ叩き込んだ。
ドゴォッ!!
まるで砲弾をまともに食らったかのような衝撃。
不意を突かれたティラノサウルスの頭が、大きく横へと弾かれる。
だが、マックスにとっても、これほどの重量と頑丈な肉体を持つ生物と戦うのは初めてだった。
冷たい鋼鉄の戦車とは違う。
こいつには理性などない。
あるのはただ、純粋な野生と、生き残るための本能だけだ。
マックスはそのままティラノサウルスの頭部の下へと潜り込み、真上へ向かって全力で跳び上がった。
「おらぁっ!!」
突き上げるようなアッパーカット――まるで昇龍拳のような一撃が、その下顎をまともに捉える。
衝撃で数本の牙が吹き飛び、ティラノサウルスの巨体がぐらりと揺れた。
「チャンスだ! このまま一気にぶっ倒す!」
着地したマックスは、すぐさまクラウチングスタートの姿勢を取り、そのまま再び突進する。
その姿は、もはや人間というより一台の戦車だった。
狙うのは――ティラノサウルスの片脚。
そこへ組みつき、一気に重心を崩して地面へ叩き倒すつもりだった。
だが――
ティラノサウルスも、ようやくマックスの存在を明確に認識した。
「――ッ!?」
まるでサッカーボールでも蹴り飛ばすかのように、強靭な後肢が真正面からマックスへと振り抜かれる。
「なっ……!?」
一瞬、マックスの視界いっぱいを埋め尽くしたのは、ティラノサウルスの巨大な脚だった。
次の瞬間――
ドゴォォォン!!!
マックスの身体は、文字通り蹴り飛ばされた。
凄まじい勢いで吹き飛んだ身体は途中にあった柱を一本ぶち抜き、そのまま壁に激突して大穴を開ける。
「ぐっ……!」
背中と脚を、激痛が埋め尽くした。
真正面からの力比べで――負けた。
おそらく、マックスにとって初めての経験だった。
その事実に、全身の毛が逆立つ。
冷たい汗が流れ落ちた。
「くっ……」
マックスは瓦礫の中から起き上がろうとする。
だが、その瞬間――
全身から急激に力が抜けた。
視界がぼやける。
激しい眩暈に襲われ――
「ゴホッ……!」
口から血が吐き出された。
しかも今はマスクを着けている。
吐き出した血の生臭い匂いがマスクの内側にこもり、否応なしに鼻を突く。
「……クソ……」
本来なら、これほど強烈な衝撃を受けたところで、マックスの肉体がここまで深刻なダメージを負うことはない。
だが、先ほどは真正面から激突したうえ、相手との体格差があまりにも大きすぎた。
胴体だけではない。
肩、首、さらには頭部まで、ほとんど無防備のまま凄まじい衝撃に晒されていたのだ。
そのせいで、普段以上にひどい内出血や脳震盪を起こしているらしい。
「グオオオオオオオッ!!!!!」
ティラノサウルスが再び怒りの咆哮を上げ、マックス目掛けて猛然と突進してきた。
耳をつんざくような足音。
一歩ごとに激しく揺れる地面。
鋭い牙がびっしりと並んだ巨大な口が開かれ、どんどんマックスへと迫ってくる。
「ぐっ……!」
マックスは歯を食いしばって立ち上がる。
もはや身体の状態などお構いなしに、意志の力だけで両脚を無理やり動かし、全力で地面を蹴った。
その直後――
ガチンッ!!
ほんの一瞬前までマックスがいた場所で、ティラノサウルスの巨大な顎が勢いよく閉じた。
凄まじい風圧が全身を撫でていく。
あと少し遅れていれば、今頃はあの牙の間で肉片にされていただろう。
だが、死に物狂いで跳んだ代償は大きかった。
「ぐあっ……!」
両脚に、焼けつくような激痛が走る。
まるで全身の細胞が悲鳴を上げているかのようだった。
それでもマックスは空中で体勢を整え、そのままティラノサウルスの巨体へ着地する。
「うおっ……!」
激しく暴れるその背中を、よろめきながら駆け抜けていく。
その感覚はまるで――
今にも爆発して崩れ落ちそうなビルの上で、一本の綱を渡っているかのようだった。
そしてマックスは再び大きく跳び上がる。
狙いを定めたのは、ティラノサウルスの背骨と思しき場所。
「おらぁぁぁっ!!」
全体重と落下の勢いを乗せ、プロレスのダイビング・エルボー・ドロップさながらの一撃を叩き込んだ。
「グオオオッ!!」
これは効いた。
ティラノサウルスは苦痛の咆哮を上げ、巨体を大きく揺らしてバランスを崩す。
だが、すぐさま激しく身体を捻り、背中に乗っていたマックスを振り落とした。
「くっ!」
地面へ叩き落とされたマックスは、すぐに立ち上がって体勢を整えようとする。
しかし――
ブォンッ!!
「――ッ!?」
間髪入れずに振るわれた巨大な尾が、マックスの胴体をまともに捉えた。
ドゴォン!!
「ぐぅっ……!!」
再び吹き飛ばされた身体が、建物の壁際へと激しく叩きつけられる。
不意を突かれた腹部への強烈な一撃。
胃の中身と胃酸が一気に喉元まで逆流してきた。
そこへ口の中に残っていた血まで混ざる。
「うっ……おぇっ……!」
あまりの不快感に耐えきれず、マックスはその場で再び吐き出した。
「ハァ……ハァ……」
壁にもたれかかるように座り込み、荒い息を繰り返す。
身体の外も、中も。
時間が経つほど、どんどん苦しくなっていく。
(おい! マックス! 大丈夫か!?)
見ているだけでも痛みが伝わってくるような光景に、ジェットが心配そうに声を上げる。
(……)
一方、ビリーは何も言わなかった。
黙ったまま、ただその光景を見つめている。
何かしたいと思っているのかもしれない。
それでも動こうとはしない。
その目には、苛立ちと、呆れと――
そして隠しきれない心配が入り混じっていた。
「グオオオオオオオッ!!!!!」
ティラノサウルスが再び咆哮し、マックスへ向かって突進する。
「くっ……クソ……!」
マックスは歯を食いしばり、必死に立ち上がろうとする。
だが、身体が思うように動かない。
まるで制御を失った列車が、自分を轢き潰そうと真正面から突っ込んでくるようだった。
マックスは生死の瀬戸際で湧き上がる意志だけを頼りに、よろめきながら逃げようとする。
だが、その時――
「グオオオオオッ!!」
横から、別の恐竜の咆哮が響いた。
「――ッ!?」
次の瞬間。
死角からトリケラトプスが猛然と突っ込み、そのままティラノサウルスの巨体へ激突した。
ドゴォォォン!!
不意を突かれたティラノサウルスは、そのまま横へと吹き飛ばされる。
「た、助かった……のか……?」
マックスはようやく小さく息を吐いた。
ひとまず危機は去った。
そう判断した彼は、壁に手をついたまま、その場でもう少し身体を休ませようとする。
だが――
トリケラトプスが、ゆっくりとこちらを向いた。
「……ん?」
前脚で何度も地面を掻く。
身体を低く落とす。
まるで闘牛の牛が、今まさに突進を仕掛けようとしているかのような構えだった。
「おい……待て待て……嘘だろ……?」
マックスの顔が引きつる。
「お前はもうちょっと大人しい奴だと思ってたんだけど……」
「グオオオオオオオッ!!!!!」
今度はトリケラトプスが、凄まじい勢いでマックス目掛けて突進してきた。
頭から伸びる二本の太く鋭い角。
その圧迫感は、ティラノサウルスの牙や爪にもまったく引けを取らない。
トリケラトプスはまるで装甲車のように、進路上にあるものを片っ端から弾き飛ばしながら、一直線にマックスへと迫ってくる。
だが、いくら満身創痍とはいえ、マックスにはまだ小柄な体格と機動力というアドバンテージが残されている。
マックスは逃げずに、その場でトリケラトプスと真正面から向き合った。
「……来いよ」
拳を強く握りしめる。
全身の神経を研ぎ澄まし、押し寄せる恐怖と危機感を必死に押さえ込む。
そして腰を低く落とし――
ギリギリまで引きつける。
「――今だ!」
激突寸前。
マックスは横方向へ飛び込むように転がった。
まるで闘牛士が突進してくる猛牛を紙一重でかわすように、トリケラトプスの攻撃を寸前で回避する。
ドゴォォォン!!!
そのままトリケラトプスの巨大な角が、分厚い壁へ深々と突き刺さった。
「グオッ……!?」
かなり深く食い込んだらしく、すぐには抜けない。
トリケラトプスは必死に頭を振るが、完全に身動きを封じられていた。
「くたばれぇぇぇ!!! このクソがぁぁぁ!!!」
マックスは転がった勢いからすぐさま地面を蹴り、振り返りざまに跳び上がる。
そして雄叫びと共に――
ドゴォッ!!
強烈なフックをトリケラトプスの頭部へ叩き込んだ。
「おらっ! おらぁっ! おらぁぁぁっ!!」
そこからは、もはや生きたサンドバッグ扱いだった。
左右の拳を休むことなく叩き込み、ひたすら猛打を浴びせ続ける。
「グオオオッ!!」
トリケラトプスも苦痛の声を上げる。
確実にダメージは入っている。
だが――
「ぐっ……!」
殴るたびに、マックスの拳にも激痛が走った。
まるで分厚い鉄壁を素手で殴り続けているかのような反動が、逆に両手を蝕んでいく。
「グオオオオッ!!」
トリケラトプスが渾身の力で頭を引く。
バキバキバキッ!!
ついに二本の角が壁から引き抜かれた。
その凄まじい力によって周囲は再び大地震のように揺れ、天井からいくつもの装飾物が落下する。
角が刺さっていた壁も大きく崩れ、さらに大量の瓦礫が床へと散らばった。
「チッ……!」
マックスは素早く後退し、距離を取る。
しかし、周囲はすでに徹底的に破壊されていた。
広々とした空間には、身を隠したり利用したりできそうな遮蔽物すらほとんど残っていない。
しかも、それまでに蓄積したダメージが確実にマックスの身体を蝕んでいる。
体力も、もう限界に近づきつつあった。
「グオオオオオッ!!!!!」
トリケラトプスが再び突進する。
「……だったら、これで最後だ!」
マックスも腹を括った。
真正面から走り出す。
だが、ただ真っ直ぐ向かうわけではない。
右へ。
左へ。
また右へ――
Z字を描くように、何度も激しく進行方向を切り替えていく。
トリケラトプスはその動きを追おうとするたびに進路を修正させられ、突進のリズムも、四本の脚のバランスも徐々に崩れていく。
そして――
両者の距離が一気に縮まった、その瞬間。
「こっちだ!」
マックスは急停止。
直後、鋭く横へ切り返した。
「グオッ!?」
ドォォン!!!
完全に足並みを乱されたトリケラトプスは、四本の脚をもつれさせ、そのまま派手に地面へ転倒した。
(うおおおおお!!! Ankle breaker! Bro、お前マジで恐竜をアンクルブレイクしたぞ!!!)
ジェットが大興奮で叫ぶ。
一方のビリーは――
(……)
無言のまま、ただ小さく頷いた。
「このまま一気に決める!」
マックスはチャンスを逃すまいと、倒れたトリケラトプスの背後へ回り込もうとする。
だが、その時――
「グオオオオオッ!!!!!」
「――ッ!」
先ほど倒されたティラノサウルスが、再び起き上がったらしい。
すぐそばから響いた咆哮に、マックスはほんの一瞬だけ意識を奪われた。
そして――
その一瞬が命取りになった。
ブォンッ!!
「しまっ――」
トリケラトプスの巨大な尾が横から振り抜かれ、マックスの下半身をまともに薙ぎ払った。
「うおっ!?」
足元を完全にすくわれ、マックスは盛大に仰向けにひっくり返る。
ドンッ!!
「ぐぅっ……!」
特に腰と尻を強く打ちつけ、激痛が走った。
すぐに起き上がろうとする。
だが、これまでに蓄積したダメージのせいで身体が言うことを聞かない。
「くっ……!」
――マズい。
トリケラトプスが、ゆっくりと起き上がっていた。
そして身体の向きを変え――
倒れたままのマックスへ、今度こそ致命的な一撃を叩き込もうと構える。
「う、うおおおおっ!!!」
防げるかどうかなんて分からない。
それでもマックスにできることは、両腕を上げて最後の防御を固めることだけだった。
「グオオオオオッ!!!!!」
トリケラトプスが咆哮し、マックスへと襲いかかる。
その向こうでは――
ティラノサウルスもまた、次の攻撃を仕掛けようと身構えていた。
ドゴォォォン!!!
その時だった。
突如、一つの人影が天井をぶち破った。
そのまま凄まじい速度で急降下し――
まるで隕石のように、トリケラトプスの巨体へと叩きつけられる。
「――ッ!?」
爆発的な衝撃。
凄まじい風圧と共に煙と埃が巻き上がり、マックスは反射的に目を閉じた。
やがて煙が晴れていく。
マックスは恐る恐る腕を下ろし、ゆっくりと目を開いた。
「……え?」
目の前では――
あれほど暴れ回っていたトリケラトプスが、地面へ完全に押さえつけられていた。
身動き一つ取れない。
その巨大な角の先端は、あとわずかでマックスの身体に届くところまで迫っている。
近すぎる。
マックスには、目の前に横たわるこの太古の巨獣の荒い息遣いさえ感じ取れた。
そして――
ゆっくりと視線を上げる。
トリケラトプスの上に、一人の人間が立っていた。
颯爽とした金髪。
暗い紫を基調とした戦闘服。
身体そのものはマックスたちよりも一回り小柄に見える。
それなのに――
十トンを超える巨獣を、たった一人の力で完全に押さえ込んでいる。
これほどの危機を前にしても、恐怖など微塵も感じさせない人物。
そんな奴は、この世界に一人しか思い浮かばない。
「お、お嬢……」
ようやく状況を理解したマックスは、それでもまだ地面に尻もちをついたままだった。
まるで救世主が舞い降りてきたかのようだった。
お嬢がそこにいる。
ただそれだけで、先ほどまでマックスの胸を支配していた恐怖が一瞬で消え去り、代わりに強烈な安心感が広がっていく。
十トン級の恐竜を、純粋な力だけで完全に押さえつけている。
「グオオオオオオッ!!!!!」
その時、すぐそばにいたティラノサウルスがお嬢へ向かって咆哮した。
だが――
お嬢はただ、そちらへ顔を向けただけだった。
両目に、赤い光が灯る。
今にもレーザーが放たれそうなその眼差しで、何も言わずティラノサウルスを睨みつける。
「……」
つい先ほどまであれほど獰猛に暴れ回っていたティラノサウルスが――
止まった。
何かを本能的に察したのか。
それ以上近づこうとはせず、警戒するように距離を取る。
「こんにちは」
お嬢はマックスに向かって、ただ一言。
簡潔で、どこかクールな挨拶をした。
そして次の瞬間――
トリケラトプスの巨体を軽々と持ち上げる。
「えっ……」
そのまま巨大な恐竜を抱えたまま飛び上がり、博物館の上方から一気に外へ飛び去っていった。
どうやら、人のいない場所まで運んでから処理するつもりらしい。
「……」
残されたティラノサウルスは、トリケラトプスがたった一人の人間に持ち上げられ、そのまま空へ連れ去られていく光景を見つめていた。
心なしか、恐竜まで呆然としているように見える。
もっとも、その小さな脳で何が起きたのか理解できているはずもない。
お嬢の姿が見えなくなると――
「グオオオオオオッ!!!!!」
再び咆哮を上げた。
だが、その時だった。
ザワザワザワザワ――
博物館の四方から、大量の植物が一斉に侵入してくる。
茂み。
枝。
そして無数の蔓。
「グオッ!?」
植物の群れは瞬く間にティラノサウルスを取り囲み、足元から這い上がるようにその巨体へ絡みついていった。
脚を縛る。
胴体を包む。
さらに次々と蔓が巻きついていく。
おそらく、ティラノサウルスが生きていた時代にも、こんな目に遭ったことなど一度もなかっただろう。
明らかに混乱し、激しく暴れ始めた。
「グオオオオオッ!!」
「おー、いいねぇ」
その声の主は――
少し離れた場所に立っていた、一人の大柄な男だった。
背が高く、恰幅もいい。
その姿はどこか、RPGに出てくる樹人をそのまま人間っぽくしたようにも見える。
そして、この惨状の中だというのに妙に落ち着いていた。
「2026年へようこそ、先史時代のお客さん」
おじさんは、のんびりとした調子でそう言いながら能力を操っていた。
ティラノサウルスはその巨体を激しく揺らし、鋭い爪や牙で蔓を引き裂き、噛み千切ろうとする。
だが――
植物たちは異常なまでの生命力を見せていた。
引き千切られても。
噛み切られても。
次から次へと伸びてくる。
太い根がさらに肥大化し、強靭な蔓が幾重にも巻きつき、ティラノサウルスの動きを徹底的に封じ込めていった。
さらに、その中には毒性を持つ植物も混ざっているらしい。
植物から放たれた毒性物質が、少しずつティラノサウルスの身体を蝕んでいく。
「グ……オオ……」
やがて、その巨体は植物に覆われ、外から輪郭すら見えなくなった。
抵抗する力も徐々に弱まっていき――
ズズンッ……
ついに、その場へ倒れ込んだ。
それから間もなく。
お嬢が再び空から戻ってきた。
「……」
彼女はおじさんへ軽く頷く。
おじさんも微笑みながら、片手を上げて軽く敬礼を返した。
するとお嬢は、植物によって完全に梱包されたティラノサウルスを受け取り――
そのまま再び空高くへと飛び去っていった。
「さて、と……」
おじさんは続いて、博物館の内部全体へ植物を広げていく。
生命力の強い植物を崩れかけた柱や壁、天井などに絡ませ、破壊された建物を各所から補強していった。
これ以上の崩落や二次被害を防ぐための、応急処置らしい。
ひとまず建物の状態が安定したのを確認すると――
おじさんはすぐさま、負傷したマックスのもとへ駆け寄った。
「おい、坊主。大丈夫か?」
おじさんはマックスのそばまで駆け寄ると、心配そうに声をかけた。
「あなたは……ジャングル? 確か、初代ポリス様とほとんど同じ時期から活動してる、最古参のヒーローの一人……いてて……」
「そうだよ。初めましてだね。まさか今時の若い子が、まだ私のことを知ってるとは思わなかったよ。ほら、気をつけて。ゆっくりね」
ジャングルはそう言うと、マックスの身体を気遣いながら慎重に支え、ゆっくりと立ち上がらせた。
「すみません……結局、あなたたちにまで手間かけさせちゃって……」
「そんなこと言うもんじゃないよ。一人でここまで戦えたんだ。十分すごいさ。ほら、これ飲んで」
ジャングルはそう言って、薬のようなものが入った一本の瓶を取り出し、マックスに手渡した。
「……これを?」
「うん」
マックスは言われるがまま、それを口に含む。
「――んぐっ!?」
苦い。
それだけではない。
何とも形容しがたい様々な妙な味が混ざり合っていて、とにかく凄まじくマズい。
思わず顔をしかめ、その場で噴き出しそうになった。
だが、目の前にいるのは自分を助けてくれた、物腰の柔らかな大先輩だ。
さすがに吐き出すわけにもいかず、マックスは必死に堪えて無理やり飲み込んだ。
「……っ、ぐ……」
しかし、味はともかく効果は本物だった。
不思議な薬が効いたのか、全身を襲っていた痛みが少しずつ和らぎ、ひとまず傷の状態も安定してきたように感じる。
「それと、この塗り薬も持っていきな」
ジャングルはさらに一本、薬を差し出した。
「一応、私のスポンサーの商品なんだけどね。まあ、それなりに効くよ」
「宣伝商品なんだ……」
「おっ、ちょうど連絡が来た。ポリス様が、なんかリモコン持ってた奴を捕まえたらしい」
ジャングルは連絡を確認すると、周囲を軽く見渡した。
「よし。ここは私に任せて、君は先に行きな、若者」
ジャングルも、小野寺たちが抱えている身分上の事情については知っていた。
彼は植物を操って人目につかず外へ出られる道を作り、マックスをこっそり博物館から逃がしてくれた。
自分はそのまま現場に残り、後処理を引き受けるつもりらしい。
「……本当にありがとうございました」
マックスは立ち止まり、深々と頭を下げた。
「助けに来てくれて……それに、俺の命まで助けてくれて……」
そう礼を告げると、マックスも急いでその場を後にした。
博物館を離れてから変身を解除し、小野寺の姿に戻る。
外にはちょうど救急車をはじめとした救助隊も到着していた。
そこで彼も一般の避難者を装い、そのまま手当てを受けることにした。
薬を塗ってもらい、身体のあちこちに包帯を巻かれる。
しばらく休んでいるうちに、ようやく体力も少しずつ戻ってきた。
「――あっ! 小野寺! いた!」
しばらくすると、考古学研究部の面々が彼を見つけ、心配そうに一斉に駆け寄ってきた。
「小野寺、大丈夫!?」
「怪我、ひどくない?」
「だ、大丈夫……たぶん……」
皆が無事だったことには、ひとまず安心した。
ただし――
もちろん、まだ説明しなければならないことが残っている。
博物館の中で皆を助けるためとはいえ、あの時はどうしようもなかった。
彼らには――
小野寺が超能力を持っていることを、完全に見られてしまっている。
「えっと……その……」
マックスは気まずそうに視線を泳がせた。
「俺……なんて言えばいいのか分かんねえけど……別に、わざと隠してたわけじゃ……」
「……」
「……」
向こうもどう反応すればいいのか分からないらしく、互いの顔を見合わせる。
なんとも言えない、重苦しい沈黙。
その時――
パシャッ。
「……は?」
田中が突然スマホを構え、全身のあちこちを包帯で巻かれた小野寺の写真を撮った。
「悪い。今のお前、あまりにも面白すぎるから記念に一枚」
「……何してんだよ、てめえ」
「三井が見たら、またお前のファンになるかもしれないぞ」
「うちのクラスの、あの中二病女のことか? 勘弁してくれよ……」
小野寺は呆れたように顔をしかめた。
「あいつ、前に俺が怪我して包帯巻いてるの見てから、自分まで包帯巻き始めたんだぞ。こっちはマジで怪我してんのに、毎回中二病仲間みたいな扱いされるし……」
こんな状況でも、いつも通りくだらないことを言い合っている田中と小野寺。
その様子を見て、部長と清水もようやく肩の力が抜けたようだった。
「わ、私、この博物館に星一つの低評価つけてやる! 私と部員たちに怪我までさせるなんて!」
「でも春香、前に来た時もう星五つつけてなかった?」
「お、おいおい……」
女子二人までいつもの調子でふざけ始めたのを見て、男子たちも思わず笑い出した。
「でも……ちゃんと無事なうちに写真撮っておいてよかったね」
清水は先ほど皆で撮った写真をグループチャットへ送った。
今日一日のあまりにも滅茶苦茶な出来事を思い返しながら、一同は揃って苦笑する。
「よし、ご飯食べに行かない? 私もうお腹空いた」
「賛成~」
「この近くに何軒か美味しそうなお店あるみたいだよ。小野寺君は大丈夫?」
「厳密に言えば、大丈夫じゃない。まだちょっと痛い」
マックスはそう答えながらも、ゆっくりと立ち上がった。
「でも飯は食う! 喧嘩の後は腹減るんだよ! ほら、行こうぜ!」
そうして一行も、食事へ向かうため歩き出す。
「そういや部長、本物の恐竜見られて嬉しかった?」
「私を食べようとしてこなかったら、もっと嬉しかったと思う」
「やべ。財布見たら千円札一枚しかない。誰か俺に飯奢ってくれない?」
「貧乏人かよ」
どうやら、考古学研究部の今日の校外活動も――
なんだかんだで、一応は幕を閉じたらしい。
皆で笑いながらその場を離れていた、その時。
ピコン。
小野寺のスマホに通知が届いた。
「ん?」
マックスがスマホを取り出して確認すると、すでに今回の事件について、いくつものニュース記事やネット掲示板の書き込みが上がっていた。
「はやっ……もうニュースになってんのかよ」
まあ、考えてみれば当然かもしれない。
あれだけ大規模な騒ぎを起こしたうえに――
何しろ、本物の生きた恐竜まで現れたのだから。
だが――
「shit……」
今度こそ十分慎重に行動したつもりだった。
しかし、どうやら電撃の影響が及ばなかった場所にいた何人かのスマホには――、変身した彼らの姿がしっかり撮られてしまっていたらしい。
距離も遠く、現場も大混乱だったため、写真はかなりぼやけているうえ、まともに全身が写っているものすらほとんどない。
それなのに――
暇を持て余したネット民たちが複数の写真を照合し、さらにはAIで補正までかけた結果、以前目撃された黒衣の人物と同一人物だと特定されてしまった。
(マジかよ……)
ジェットは思わず息を呑んだ。
腕を組み、口を尖らせながら、不満そうにその画面を見つめる。
そしてふと――
すでに一人で自分の部屋へ戻っているビリーへと目を向けた。
こうなることを警告していたのは、他でもないビリーだった。
(……)
ジェットも小さくため息をつく。
どこか落ち込んだような、何とも言えない複雑な表情を浮かべながら――
そのまま自分の部屋へと戻っていった。
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一方、その日の夕方。
父親は出かけているらしく、アリスは一人で家にいた。
リビングのソファに寝転がりながら、ぼんやりとテレビを眺めている。
特に見たい番組があるわけではない。
ただ何となくリモコンを操作して、意味もなくチャンネルを変え続けていた。
それでも――
まだ自分の部屋へ戻る気にはなれなかった。
そんな時。
偶然、今日の博物館で起きた事件のニュースが目に入った。
あれほどの大事件だ。
しかも本物の恐竜まで出現したとなれば、どのテレビ局もこぞって報道するのは当然だった。
「またこれか……」
少しうんざりしながらチャンネルを変えようとした、その時。
テレビから聞こえてきたある言葉に、アリスの指が止まった。
『今回の事件では、お嬢、ジャングル、ポリス様をはじめとする複数のスーパーヒーローが事態の収拾にあたりましたが――』
「……?」
『最近、世間の注目を集めている謎の黒衣の人物も、現場に居合わせていたとみられています。ネット上では複数の写真を比較した結果――』
アリスは小さく首を傾げながら、そのニュースを最後まで見た。
「……」
そして、スマホを手に取る。
クラスメイトたちの繋がりを辿っていくと、ほどなくして小野寺のSNSアカウントを見つけることができた。
「これ……小野寺君の?」
プロフィールを開いてみる。
特に変わったものはない。
今日の事件について触れている投稿も見当たらなかった。
だが――
プロフィール欄に書かれていた一文が、アリスの目に留まった。
『考古学研究部所属』
そして、その下には考古学研究部のSNSアカウントへのリンク。
「考古学……」
アリスは興味を引かれ、そのリンクをタップした。
開いてみれば、ほとんど更新もされていない、ごく普通の部活動用アカウントだった。
「……」
ただ、そのプロフィールにはさらに二つのアカウントが記載されている。
どうやら――
部長と副部長、それぞれの個人アカウントらしい。
アリスはそのままリンクを辿り、副部長らしい「清水真由」という人物の個人アカウントを開いた。
そして――
「……っ」
思わず目を見開き、息を呑んだ。
今日投稿されたばかりの写真がある。
博物館を訪れた部員たちの集合写真。
そこには――
小野寺も、はっきりと写っていた。
「……」
アリスはスマホの画面を見る。
そしてテレビへ視線を移す。
テレビでは今も、謎の黒衣の人物について報道されている。
もう一度、スマホを見る。
写真の中にいる小野寺。
テレビに映し出されている、ぼやけた黒衣の人物。
「…………」
その二つを交互に見ているうちに――
ふと、以前の出来事が脳裏をよぎった。
巨大な蜘蛛が現れた、あの事件。
あの時も――
小野寺は、あの場にいた。
そして。
あの黒衣の人物も、いた。
「……」
一つ。
また一つ。
過去の出来事を思い返していく。
思い返せば返すほど――
何かがおかしい。
偶然で片づけるには、不自然なことが多すぎる。
そして、頭の中でそれらが一本の線として繋がった瞬間――
「……Fuck」
アリスはスマホをソファへ放り投げた。
両目を強く閉じ、片手で頭を押さえる。
「はぁぁぁぁ…………」
深いため息。
そして――
「もうっ……! なんなのよ!」
突然立ち上がると、抑えきれなくなったように苛立ちを爆発させた。
しばらくして。
ようやく少し気持ちが落ち着いたアリスは、再びソファに置かれたスマホを手に取った。
そして黙ったまま、小野寺のSNSアカウントへ戻る。
「……」
画面をじっと見つめる。
指先が、フォローリクエストのボタンの上で止まった。
少しだけ迷ってから――
タップする。
『このアカウントをフォローしますか?』
『@3JMB_onodera1218 にフォローリクエストを送信します。』
「…………」
表示された確認画面を前に、アリスはもう一度だけ躊躇した。
そして――
『確認』
タップ。
フォローリクエストが送信された。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
楽しんでもらえたでしょうか?
……まさか、タイトル詐欺に遭ったと思ってる人はいませんよね?(笑)
一見すると平和そうなのに、相変わらず次から次へと色んなことが起きていますね。
果たして最後には、いったいどうなってしまうのでしょうか?
物語も、そろそろ少しずつ後半へと入っていきます。
このまま一気に、皆さんにいい結末を届けられるよう頑張りたいと思います!
(毎回そんなこと言ってるくせに、結局更新を先延ばしにしてるんですけどね。まるでクズ男みたいだ……笑)
それと今回は、久しぶりにお嬢にもゲスト出演してもらって、ちょっとだけその実力を見せてもらいました!
そして、これまで名前だけちらっと出ていた新ヒーロー、ジャングルも今回が本格的な初登場です。
この世界もどんどん広がってきましたね。
嬉しい!
ちなみに、ちょっと余談なんですが――
ジャングルの性格を考えていた時、昔仕事をしていた頃に出会った先輩たちのことを少し思い出しました。
自分よりずっと年上なのに、なぜかすごく面倒を見てくれて、普通に話も合って。
あの頃は本当にお世話になりましたし、今でも感謝しています。
それから――
「化石の時間を巻き戻して、先史時代の生物を復活させる」
実はこのネタ、かなり昔から思いついていたんです。
ただ、ずっと使える場面が見つからなくて、そのまま眠らせていました。
まさか今回、ようやく使うことになるとは……!
さて、話を本編に戻しましょう。
宮川博士は、これからいったい何をするつもりなのか?
今回の事件は、小野寺たちのヒーローとしての身分にどんな影響を与えるのか?
三つの人格の関係は、これからどうなっていくのか?
そして――彼らとアリスの関係は?
その答えが気になる方は、ぜひこの先も続きを読んでいただけると嬉しいです!
……最後に、こっそりネタバレしておきましょう。
次回はもしかすると――
**新キャラ+以前、別の作品に登場したことのあるキャラクター**
が同時に登場するかもしれません。
ヒント:スーパーヒーローではありません。
誰なのか、よかったら予想してみてください!
……まあ、忘れてても別に何の問題もないんですけどね(笑)。
それでは、Noah Novaでした!
皆さん、今日も素敵な一日を!




