第4話-何もしないほうがよかった?
皆さん、お久しぶりです!
ようやく新しい話を更新できました!
今回は思ったより内容が多めで、新キャラも登場します。
それでは、どうぞお楽しみください!
実験用のクモが突如として巨大化するという事故から、数日後――。
ネクソラ・テクノロジーズ本社ビルの一室には、数人の人間が集まっていた。
デスクを囲んでいるのは、いかにも重役といった雰囲気の、きっちりとスーツを着込んだ面々だった。彼らは手元の資料を難しい顔で眺めながら小声で言葉を交わしたり、腕を組んだりしている。
そして最後には、決して機嫌がいいとは言えない表情で、揃って目の前に立つ一人の職員へと視線を向けた。
「それで……私はいまだに、どうしてクモが突然巨大化したのか理解できないんだが? 説明してもらえるかね、宮川博士?」
「そ、それは……正直、私にも分かりません……。理論上、あんなことが起こるはずはないんです……」
宮川博士はまるで叱られている学生のように直立したまま、緊張で身体を強張らせていた。特に取締役会の面々から浴びせられる重圧のせいで、その表情には明らかな動揺が浮かんでいる。
「君にも分からない? 素晴らしい……じゃあ、私なら分かるとでも?」
「このプロジェクトに我々が何年費やしてきたと思っている? どれだけの金と人員をつぎ込んできたか、君も分かっているだろう? それに私の記憶が正しければ、これは君自身が責任者として引き受けたプロジェクトだったはずだが?」
「は、はい……」
宮川博士はごくりと唾を飲み込み、彼らと目を合わせることすらできなかった。
「しかも何より、今回の事故はあまりにも大事になりすぎた。大勢の負傷者が出て、研究室もビルも甚大な被害を受けた。連日メディアに報道され、今や我が社の評判は地に落ち、株価まで暴落している。……さて、我々はどうすればいいと思う?」
「君はこのプロジェクトの総責任者なんだ。なら当然、責任は取ってもらわないとな。宮川博士?」
「わ、私は……どうすれば……」
「そうだな……君を含めた関係者全員に辞職してもらう。公に謝罪し、然るべき賠償も行う。それが君にとっても我々にとっても、一番手っ取り早い選択だろう」
「そ、そんな……! 私にはまだ進行中のプロジェクトがいくつもあるんです! 今ここで離れることになったら……」
当然ながら、宮川博士にそんな結末を素直に受け入れられるはずもなかった。
「なら、君はどうするべきだと思う?」
「私は……」
宮川博士は拳を強く握り締め、息を呑んだ。
「まあ、こちらも多少の猶予は与えるつもりだ。その間に後始末を済ませてもらって、それから――」
「も、もし……本当に私たちのせいじゃなかったとしたら!?」
突然、宮川博士が声を張り上げた。
その場にいた者たちが驚いたように彼を見る。宮川博士自身も緊張で呼吸をわずかに乱しながら、それでもその場に踏みとどまっていた。
「……どういう意味だ?」
「私も、他の研究員たちも、このプロジェクトをいい加減に扱うような人間ではありません。それに何より、そもそも我々は最初から、クモが巨大化するなんて可能性は一切想定していなかったんです。だ、だから……」
その言葉を聞いた取締役たちは、互いに顔を見合わせ、小声で話し合い始めた。
「つまり……君たちに非はなく、何者か別の人間が原因だった、と言いたいのか? だとしたら誰だ?」
「外部の人間ということか? 確かに研究室には外部からの見学者もよく来る。他企業や他機関の関係者だけじゃない。あの日は学校から来た見学グループもいくつかいたはずだ」
「おいおい、まさか学校や子供たちに責任を押しつけるつもりじゃないだろうな? そんなことをしたら、我々はこの業界で二度とやっていけなくなるぞ!」
「だが……もし超能力者が関わっていたとしたら、話は別じゃないか?」
「仮に本当に超能力者がいたとしても、あの日はあれだけ大勢の人間がいたんだぞ。それに監視カメラも、クモによる被害や研究室の爆発でまともな映像が残っていない。そんな状況で、どうやって犯人を見つけ出す?」
「だが……超能力者といえば……一人、いかにもそれらしい奴がいるじゃないか?」
そのうちの一人がタブレットの画面をスクリーンに映し出した。
そこにはネット上に投稿されたと思われるいくつかの映像が流れている。
爆発したビルから、黒を基調としたサイバー風の機能性ウェアを身にまとった何者かが、クモの糸を使って飛び出してくる姿――一見すれば、まるでスーパーヒーローのようだった。
「ん? ネットの情報によると、先にクモが巨大化して、その後こいつが突然現れてクモと戦い始めたらしいぞ?」
「実際の前後関係がどうだったにせよ……超能力者が関わっている可能性があって、しかもこいつが明らかに超能力者なら……こいつに責任を負わせるという手もあるんじゃないか?」
「正気か? それじゃスーパーヒーロー相手に真っ向から喧嘩を売るようなものだぞ?」
「ところが問題は……こいつ、どうやらスーパーヒーローじゃないらしい」
「何?」
「DSAにはこいつに関する記録が一切ない。今出回っている写真や映像も、全部その場に居合わせた一般人が撮影してネットに投稿したものだ」
「もし本当に、正式なスーパーヒーローじゃないのなら……」
それからしばらく議論を交わした末、取締役会は一つの結論を出した。
「……分かった。宮川博士。もし君が今回の事故について、自分たちには一万パーセント非がないと言い切れるのなら――この……名前すら分からん超能力者を何とかして見つけ出し、責任を取らせろ。そうすれば、少なくとも君たちの職は守ってやる」
「ですが……どうやって彼を見つけろと? 私は顔すら知らないんですよ?」
「そのご自慢の頭で考えろよ、クソが。……話は以上だ。もう下がっていい」
取締役たちは軽く手を振り、宮川博士に退室するよう促した。
宮川博士も仕方なく頷くと、うつむいたまま黙って会議室を後にした。
自分の研究室へ戻ると、プロジェクトに関わる他のスタッフたちが、不安そうな表情で一斉に彼のもとへ集まってきた。
会議の結果はどうだったのか。これからプロジェクトはどうなるのか――皆、気が気でない様子で宮川博士に問いかけてくる。
プロジェクトの行く末を心配し、互いのことを気遣い、中にはあの事故で負った傷さえまだ完全には治っていない者もいる。
そんな仲間たちを前に、宮川博士はただ拳を強く握り締め、大きく息を吐いた。
「……まだ、やるべき仕事がある」
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『数日前、ネクソラ・テクノロジーズの実験棟で大規模な事故が発生し、数十名が重軽傷を負いました。会社側はすでに声明を発表し、現在、事故の原因究明に全力を挙げているとのことです』
『しかし、それ以上に世間の注目を集めているのが――こちらの黒い服を身にまとった謎の人物です』
『現在、彼に該当する人物はDSAの公式データには登録されておらず、現時点ではスーパーヒーローとは呼べないようです』
『しかし、少し前に市街地が多数の武装テロリストによる襲撃を受けた際にも、彼らしき人物の姿が目撃されています。注目度が高まる一方、その正体はいまだ謎に包まれたまま。一体、彼は何者なのでしょうか? 善人なのか、それとも悪人なのか? 続きはCMの後、次のコーナーで――』
「ねえ、あんたたち……なんかどんどん有名になってない?」
テレビから流れるニュースを聞きながら、葵はマックスのほうへ振り返った。
しかし、マックスは彼女のほうを見ていなかった。少し離れたところで電話をしており、その表情もあまり明るくはない。
「……分かりました。ありがとうございます……」
通話を終えると、マックスはまた一つ、ため息をついた。
(……DSAは何て言ってた?)
(最近ちょっと目立ちすぎてるらしい。しばらくはできるだけ大人しくしてたほうがいいってさ)
(うへぇ……こりゃ面倒なことになったな……)
(もしかしたら……あの時、俺たちは何もしないほうがよかったんじゃないか?)
ビリーが突然、少し重苦しい口調で口を挟んだ。
(はぁ……? あれは仕方ないだろ! あのクモ、俺たちを丸呑みにしようとしてたんだぞ!)
(俺たちがクモ一匹に殺されるわけないだろ。逃げようと思えば、いくらでも逃げられたはずだ)
(俺だって、まさかあんな大事になるなんて思わなかったんだよ! それに、あの時研究室を爆破したのはお前だろ!)
(普通のクモの糸なら電気なんて通さねぇよ! あれが実験用のクモだったのが悪いんだろ!)
(ま、まあまあ……)
険悪になりつつある空気を察して、ジェットは二人の間に入り、どうにか言い争いを収めようとした。
――が、結果的には火に油を注いだだけだった。
(そもそもさ、最初からあそこに行かなきゃ、こんなことにはならなかったんじゃないか? 俺は最初から、やめといたほうがいいって言おうとしてたんだぞ)
(お、お前……俺のせいだって言いたいのか?)
(当たり前だろ。俺たちは別に興味もなかったのに、お前がチンコの疼きを抑えられなかったせいで付き合わされたんだからな)
(だったら、なんであの時言わなかったんだよ! それに、もし俺たちがあそこに行ってなかったら、他の人たちが死んでたかもしれないだろ!)
(まるで自分がみんなを救ったみたいな言い方だな。お前なんて一瞬でやられて、何の役にも立ってなかっただろ!)
(アリスが超能力者かもしれないなんて、俺が知るわけないだろ!)
(よりによって、誰を好きになるかと思えば、正体不明のとんでもない超能力を持ってる女を好きになるとはな。マジで呆れるぜ!)
三人の言い争いはますます激しくなり、誰一人として引こうとしない。
その時だった。
彼らはどこか遠くから、かすかに声が聞こえてくることに気づいた。
「……ねえ、男子たち? これ、どうなってるの……?」
葵は、自分の身体が意思とは関係なく宙へと浮かび上がっていることに気づいた。
それだけではない。まるで目に見えない空気の壁に挟まれているかのように、何か強い力が彼女の身体を圧迫している。
そして小野寺の身体は――いつの間にか両目が真っ黒に染まり、両足まで床から浮かび上がっていた。
その周囲にある物まで、重力を失ったかのように次々と宙へ浮かび始める。
中には激しく震え出す物まであった。
スマホ、テレビ、照明といった電化製品にも異変が起き、故障したかのようにノイズが走り、明滅を繰り返し、異常なエネルギー負荷を受けたかのような挙動を見せ始める。
まるで、何者かが目に見えない力で、それらすべてを遠隔操作しているかのようだった。
小野寺の身体から放たれている謎の力場は、さらに強さを増していく。
やがて彼を中心に、周囲の物が一斉に外側へと押し退けられ始めた。
家具が軋み、壁や床にはうっすらと亀裂まで走っていく。
同時に、葵を押さえつけている見えない壁もますます強くなり、徐々に彼女の身体を締めつけていった。
「ちょ……ちょっと……」
胸を強く圧迫され、息がどんどん苦しくなっていく。
声を出そうとしても、次第に身体に力が入らなくなっていった。
(な……なんだよ、これ……?)
(お前がやってるのか!?)
(んなわけあるか! 俺だって、こんな能力が使えるなんて覚えはねぇぞ!?)
三人がようやく異変に気づいた、その瞬間――。
謎の力場は、まるで電源のスイッチを切られたかのように、唐突に消え去った。
宙に浮かんでいた物はすべてその力を失い、葵の身体にも一瞬にして重力が戻る。
「うわわわっ!!!」
突然落下し始めた葵は、思わず悲鳴を上げた。
その瞬間、マックスの意識がすぐさま身体へと戻る。
「危ない!」
彼は咄嗟に葵のほうへ飛び込み、落ちてきた彼女を両腕で受け止めた。
「うわっ……大丈夫か!? どこか怪我してないか!? 俺、何が起きたのか全然……」
「だ、大丈夫、大丈夫だから……」
葵はかなり驚いている様子ではあったものの、幸い怪我はしていないようだった。
それを確認したマックスは、彼女を慎重に床へ下ろした。
そして二人は改めて、すっかり滅茶苦茶になってしまったリビングを見回した。
先ほど宙に浮かび、落下し、激しく震え、位置を変えたことで、あちこちの物が壊れている。
テレビ画面の一部には大きく映像が乱れた跡が残り、壁や家具には、まるで猛獣の牙や爪で引き裂かれたかのような傷が刻まれていた。
木材や布地の一部も剥がれ落ち、辺り一面に散らばっている。
まるでついさっきまで、小野寺の身体を中心に小さな嵐でも吹き荒れていたかのようだった。
「気をつけろ。葵、まだこっちには近づくな」
マックスは葵を制すると、慎重に先ほど自分が浮かんでいた場所へ近づいていった。
そして床に落ちていた一本の金属製のスプーンを拾い上げる。
記憶が正しければ、そのスプーンは先ほど小野寺の身体のすぐ近くにあった物の一つだ。
「……なんだよ、これ……」
拾い上げたスプーンは、あり得ないほど奇妙な角度にねじれ、原形が分からなくなりそうなほど大きく変形していた。
「一体、何が起きたの……? あんたたち、新しい能力にでも目覚めたの?」
葵も心配そうに尋ねる。
「俺にも分からない……。葵、お前は先に学校へ行っててくれ。俺はここを片づけてから行く……」
「う、うん……分かった。じゃあ、先に行ってるね……」
葵はまだ三人のことが少し心配そうだったが、それでも鞄を背負い、一足先に家を出て学校へ向かった。
マックスは手元のスプーンをじっと見つめる。
そして両手に力を込め、無理やり元の形に戻そうとした。
だが当然、一度あれほどまでにねじ曲がってしまった物が、完全に元通りになるはずもない。
何度か力を加えて形を整えたものの、表面には歪みや凹凸が残ったままだった。
マックスは、その歪んだスプーンに映る、ぼやけて不格好な自分の顔を黙って見つめた。
一方、頭の中の世界でも、ジェットとビリーは先ほどの出来事に困惑し、どこか気まずそうにしていた。
(……じゃあ、俺は部屋に戻る。何か手伝いが必要なら呼んでくれ)
そう言い残すと、ビリーは静かに背を向け、その場を離れていった。
途中、一瞬だけジェットと目が合う。
二人とも何か軽く声をかけようとしたようだった。
しかし――結局、どちらも何も言わなかった。
そのまま二人は無言ですれ違う。
ジェットはうつむいたまま小さくため息をつくと、どこか力の抜けた様子で、自分の部屋へと戻っていった。
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学校に着いたジェットは、幸い今日は遅刻せずに済んだ。
ただし教室へ向かう前に、まず職員室へ寄って先生のところへ顔を出すことにした。
「Yo、小野寺。最近どうだ?」
「まあまあっすね」
「いや、ちょっとお前に話しておきたくてな。この前のあの事故……まあ、お前も分かってると思うけど、なんか俺がお前を面倒事に巻き込んじまったような気がしてさ。そもそもあの日、お前を誘ったのは俺だったし。……悪かったな」
「えっ……いや、だ、大丈夫っすよ。俺も別に怪我とかしてないし」
「いや。俺も一応お前らの教師だからな。望む望まないにかかわらず、生徒の安全を守る責任くらいはある」
先生はそう言ってから、少し申し訳なさそうに続けた。
「だからまあ……これが埋め合わせになるかは分からないけど、もしまだ俺の放課後講座に参加したいなら、別に来てもいいぞ。俺もできるだけ大目に見てやるからさ」
「お、おお……えっと……」
そもそも今回の一件は、ジェットが先生の放課後の科学研究講座に参加したいと言い出したことから始まった。
しかも、その理由だって――ただアリスと少しでも距離を縮めたかっただけなのだ。
「あと、これはこっそり教えてやるけどさ。アリス、後から俺のところにお前のことを聞きに来たぞ。怪我してないかとか、無事だったかとか。なんか結構真剣そうだったし……お前、意外とやるじゃん」
先生はそう言ってニヤリと眉を上げ、わざとジェットに期待を持たせるような顔をした。
「俺のことを……聞きに来た?」
以前なら、それだけの話だったかもしれない。
むしろジェットが勝手に勘違いして、余計な期待を膨らませていただけだろう。
だが――あの日の出来事を知ってしまった今となっては、そう単純な話にも思えなかった。
(……お前ら、どう思う?)
ジェットは頭の中で二人に尋ねた。
(俺はまだ、あいつを信用できない)
(俺は分からない。……というか、もうあんまり深く考える気にもならないな)
二人から返ってきたのは、どこか冷めた答えだった。
そんな反応をされれば、ジェットもさすがに迷ってしまう。
「うーん……ありがとうございます。でも、やっぱ今回はいいっす」
また前回のように余計な揉め事を引き起こすのが怖かったのか、ジェットは結局、誘いを断ることにした。
「マジで? アリスと距離を縮める絶好のチャンスかもしれないぞ? もしこの前みたいなことになるのが怖いなら――」
「い、いや、そういうんじゃなくて……しばらくは大人しくしてたほうがいいかなって……うん……」
「そっか……まあ、分かった。じゃあ今度、軽く飯でも奢ってやろうか?」
「マジっすか!? そんなにいいんすか? 高級ホテルのビュッフェとか!?」
「いや、まだ好きなもん頼んでいいとは言ってねぇからな。まあ、その話はまた今度だ。ほら、先に教室戻れ」
ジェットは軽く頷くと、そのまま教室へと戻っていった。
「おはよ、小野寺。なんだ、元気そうじゃん」
「当たり前だろ、田中。俺の命は朝のアレくらいビンビンだからな」
そう軽口を叩きながら自分の席へ向かったジェットだったが――ふと、隣に座るアリスと目が合った。
「……」
「……」
次の瞬間、二人は気まずそうに同時に視線を逸らした。
普段なら交わしていたはずの簡単な挨拶すらない。
考えてみれば、あの日の事故以来、二人が学校で顔を合わせるのはこれが初めてだった。
特に事故直後の数日間は、二人とも堂々と病欠できる状況だったこともあり、当然のように仮病を使って家でダラダラ過ごしていたのである。
そんな二人の様子を、田中は隣から黙って眺めていた。
そして何か面白いものでも見つけたような表情を浮かべると、ジェットの耳元に顔を寄せて小声で囁いた。
「……お前ら、まさか喧嘩でもした?」
「ゲホッ、ゲホッ! だ、誰がそんなこと言ったんだよ!?」
ジェットは慌てて平静を装ったものの、長い付き合いの田中には、その動揺などとっくに見抜かれていた。
「いやいや、その反応どう見ても喧嘩したか、ワンナイトした後みたいな空気じゃん。でもまあ、お前があの子と寝られるわけないしな」
「おい」
「じゃあ俺が当ててやろうか? 告白して振られた? それともナンパしようとして盛大に滑って、もう引くに引けなくなったとか? 経験者の俺から言わせてもらうと、そこまで行ったらほぼ詰みだぞ」
「いや……マジで何もないって……」
「ほ~ん~と~に~?」
田中はわざとらしく疑いの眼差しを向ける。
「まあいいけど。そもそもあのレベルの女なら、実はイケメン金持ちの彼氏がいるとか、どっかの名門貴族の御曹司と婚約してるとか言われても別に驚かないしな。……ドンマイ」
「だから、そんなんじゃねぇって……ったく……」
「そうは言ってもさ。お前に脈があるかどうかは置いといて、あの子に彼氏がいるかどうかくらい気にならないの?」
「そ、それは……まあ、気にならないわけじゃないけど……」
「じゃあ俺が聞いてやろうか? 俺なら別にノーダメだし。――なあ、アリスさん。彼氏いるの?」
「おいおいおい!!! やめろバカ! 何してんだよ!」
ジェットは慌てて田中の口を手で塞いだが、時すでに遅し。
アリスは不思議そうな顔で二人のほうを振り向いた。
しかも彼女だけではない。
田中は別に大声を出したわけでもないのに、教室にいた何人かの生徒まで「何だ何だ?」と言わんばかりに興味津々でこちらを見ていた。
「い、いないけど……」
アリスが少し気まずそうに答えたところで、ちょうど授業開始のチャイムが鳴った。
それを合図に、生徒たちもそれぞれ自分の席へ戻っていく。
「しかもついでに、『この女は小野寺が狙ってます』って周りにアピールできたな。これで他の奴らも迂闊に手を出せないだろ。礼はいらねぇよ。今日の放課後、ラーメン一杯奢ってくれればそれでいいから」
田中は最高にウザいドヤ顔で親指を立てると、そのまま自分の席へ戻っていった。
「なんなんだよ……新手の美人局かよ……?」
ジェットも気まずそうに自分の席へ座る。
するとまたしても、隣のアリスと目が合ってしまった。
「え、えっと……よっ。か、身体はもう大丈夫?」
「う、うん……大丈夫。小野寺君は?」
「俺も別に何ともないよ。はは……」
すでに授業が始まる時間だったこともあり、二人の会話はそこで終わった。
とはいえ、どう見てもぎこちないやり取りだった。
その後、二人が言葉を交わすことはしばらくなかった。
「はい、みんな。授業の進度がだいぶ遅れてるから、ここからちょっとペース上げていくぞー。じゃあ次の問題。『このクラスには30人の生徒がいて、男子が12人、女子が18人います。この中から文化祭の実行委員をランダムに2人選ぶとき、ちょうど男女1人ずつになる確率を求めなさい』……」
今日もまた、学校では何の変哲もない一日が流れていた。
数学教師は教壇に立ち、ロボットのように淡々とした退屈な口調で問題を解説しながら、AI並みの速度で授業を進めていく。
一方、教室にいる生徒たちの大半はすでに死んだような目をしていた。
真面目に話を聞いているのは、アリスのような一部の生徒くらいだろう。
他の連中に至っては、授業についていけるかどうか以前の問題だった。
机に突っ伏さず、最低限の意識を保っているだけでも精一杯である。
教室に響いているのは、ほとんど先生の声だけ。
あとは時折、時計の針が刻むカチ、カチという音が聞こえてくるくらいだった。
もちろんジェットも、大多数の生徒と大して変わらない。
あくびをしながら、たまにこそこそ話している他の生徒たちを眺めたり、ほとんど何も考えずに黒板の内容をノートへ書き写したりしているだけだった。
そんな時間がしばらく続いた後、先生はどうやら一つの区切りまで説明を終えたらしい。
一度話を止め、教室を見回す。
そして、すっかり死にかけている生徒たちの様子を見ると、少しばかり空気を変えることにした。
「みんな、確率ってのを難しく考えすぎたり、つまらないとか役に立たないとか思ったりするなよ。じゃあここで、有名な『モンティ・ホール問題』を一つやってみよう」
先生は教科書から離れ、少し楽しそうに話し始めた。
「君たちは今、あるゲーム番組に参加しているとする。目の前には三つのドアがあって、そのうち一つの後ろには車――つまり当たりの賞品がある。残り二つの後ろにいるのはヤギだ。ハズレってことな」
「まず君たちは、その三つの中から一つドアを選ぶ。そして正解を発表する前に、答えを知っている司会者が、君たちの選んでいないドアの中から、わざとヤギのいるドアを一つ開ける」
先生はそこで一度言葉を切り、生徒たちを見回した。
「残ったドアは二つ。そこで司会者がこう聞いてくる。――『最初に選んだドアのままにしますか? それとも、もう一つのドアに変えますか?』」
「さて問題。君たちなら――ドアを変える? それとも変えない?」
突然始まった、教科書には載っていない問題。
それでも一応、今やっている確率の話にはちゃんと関係している。
それまで死んだような顔をしていた生徒たちも、少しだけ興味を示し始めた。
「ほら、ちょっと考えてみろ。隣の人と相談してもいいぞ」
それを聞いて、何人かの生徒たちは素直に頭を使い始め、周りの人とあれこれ意見を交わし始めた。
先生もいったんマイクを置き、生徒たちがどんな答えを出すのか様子を見るため、教室の中を歩き回り始める。
周りのみんなが話し合っているうえに、先生まで本当に教室を巡回している。
そんな状況では、ジェットもさすがに何もしないわけにはいかなかった。
仕方なく隣へ顔を向けると、アリスもどうやら同じことを考えていたらしい。
「……」
「……」
二人は数秒ほど、お互いの顔を見つめ合う。
そして結局、ジェットのほうから口を開いた。
「えっと……一緒に考える?」
「うん……そうしよっか。小野寺君はどう思う?」
「俺は……うーん……別に変えなくていいんじゃないか? だって景品の場所が変わるわけじゃないし、確率も同じだろ?」
「私は変えたほうがいいと思う。変えれば、当たる確率が3分の2になるから」
「え……は? な、なんで? どっちも3分の1じゃないの?」
「最初に選んだドアを変えない場合、勝てるのは最初から運よく車を選んでいた時だけなの。その確率は3分の1でしょ?」
「う、うん……」
「でもドアを変える場合は逆。最初にハズレを選んでいたら勝てることになる。最初にハズレを選ぶ確率は3分の2。そしてその場合、司会者は残っているハズレのヤギを必ず一つ消してくれるから、最後に残ったもう一つのドアには必ず車がある」
アリスは指を使いながら、順番に説明していく。
「だから、最初のドアをそのまま選べば当たる確率は3分の1。でもドアを変えれば、当たる確率は3分の2になるの」
「えっと……もう一回言ってくれる?」
ジェットは腕を組み、ペンをくわえたまま首を傾げた。
本人なりに必死でアリスの説明を理解しようとはしている。
しかし、普段からほとんど頭を使っていないこいつに、そんな簡単に理解できるはずもなかった。
数学は裏切らない。
――なぜなら、分からないものは分からないからだ。
だが、アリスはジェットを馬鹿にするような顔も、面倒くさそうな顔もしなかった。
むしろ自分の椅子をジェットのほうへ少し近づけると、紙とペンを取り出した。
「じゃあ……もうちょっと分かりやすく説明するね」
そう言って、今度は紙に書きながら、もう一度最初から丁寧に説明し始めた。
ジェットもつられるように、無意識のうちに少しずつアリスのほうへ身体を寄せていった。
本人としては、もちろん真面目に説明を聞くつもりだった。
――そのはずなのだが。
どうしても意識が、目の前にいる少女のほうへと吸い寄せられてしまう。
至近距離で見るアリスの瞳。
整った顔立ち、髪、メイク。
ジェットの超高速の視覚によって一コマ一コマがスローモーションのように映し出され、そのどれもが、まるで一切の欠点もない世界的な名画のように見えた。
かすかに漂ってくる香水の匂い。
そして本来なら退屈でしかない数学を説明しているその声さえ、今のジェットにはまるで優しく歌いかけられているかのように聞こえていた。
(……やっぱ、めちゃくちゃ可愛いな……。どう見たって普通の可愛い女の子なのに……こいつ、本当にこの前俺を一瞬でぶっ倒した奴なのか……?)
何度見たところで、アリスが完全にジェットの好みど真ん中であることだけは変わらなかった。
「……だから、ドアを変えると当たる確率は3分の2になるの」
アリスは紙に書き込みながら、さらに説明を続ける。
「じゃあ、ドアが100個ある場合で考えてみて。最初に選んだドアを変えないなら、一発で車を当ててる確率は100分の1しかないよね?」
「うん……」
「つまり、残り99個のドアのどこかに車がある確率は100分の99。そこで答えを知ってる司会者が、その99個の中からヤギがいるドアを98個開けてくれたら――」
アリスは紙に描いた最後の一つを、ペン先で軽く指した。
「残ったこのドアに車がある確率は100分の99になる。だから、やっぱりドアは変えたほうがいいってこと。……今度は少し分かった?」
「う、うん……まあ……なんとなく……」
本当に理解しているのか怪しい顔をしながら、ジェットはとりあえず頷いた。
その時――。
ふと顔を上げたアリスと、真正面から目が合った。
一秒。
二秒。
三秒――。
それでも、二人の視線はまだ離れない。
ジェットの心臓は、いろんな意味でどんどん速くなっていった。
だが今回は――何も起こらなかった。
アリスは不思議そうに少し首を傾げる。
そしてなぜか、さらにジェットの顔へと近づいてきた。
(えっ、えっ、えっ!!! な、何!? これ……俺……まさか……キ、キス……? それとも殺される……!?)
ジェットの脳内CPUがフル稼働する。
そんな彼の期待と恐怖をよそに、アリスはジェットが口にくわえているペンをじっと見つめ――ごく普通の疑問を口にした。
「……そのペン、私のじゃない……?」
「え……? そういえば……」
言われてみれば、以前マックスがアリスからペンを一本借りていたような気がする。
ジェットにも、なんとなくその記憶が残っていた。
「あ……あぁ……」
ジェットは気まずそうに、無意識のうちに口を開いた。
すると、彼の唾液が少しついたペンが、ぽとりと落ちる。
「えっと……だ、大丈夫。それ、もうあげるよ。元々もらい物だったし……」
アリスは表面上、特に何とも思っていないような顔をしていた。
――だが。
超高速の世界を見ることができるジェットの目は、見逃さなかった。
ほんの一瞬。
本当に一瞬だけ。
アリスの顔に、
(……うわ……)
と言わんばかりの、明らかにドン引きした表情が浮かんだことを。
(……見ちゃった)
しかも、その一瞬を見たのが自分だけで、当の本人は見られたことにすら気づいていない。
その妙なギャップがなんだかおかしくて、ジェットは思わずクスッと笑ってしまった。
「……?」
アリスは不思議そうに首を傾げる。
当然、彼が何を笑っているのか分かるはずもない。
ジェットは「何でもない」と言うように、軽く手を振った。
「じゃあ……結局、ドアは変えたほうがいいってことだよな? でもこれ、結構直感に反するよな」
「うん。私たちは『ドアを変えても何も変わらない』って考えちゃうけど、実際には司会者が追加で有益な情報を与えてくれてるから」
「ふーん……なんとなく分かった気がする。ありがと」
ジェットは考えるように、無意識にペンで自分の頭を軽くトントンと叩いた。
そして――すぐにそのペンが何なのかを思い出す。
「……あ。じゃあさ、今度新しいペン買って返すよ」
そう言ってアリスを見ると、二人の視線がまた重なった。
すると意外にも、アリスが小さく笑った。
「ふふっ……」
ジェットは一瞬、目を丸くする。
考えてみれば、アリスをこうして笑わせたのは初めてかもしれない。
――もっとも、本人には笑わせるつもりなど全くなかったのだが。
それでもジェットもつられるように、少しだけ笑った。
「OK、いいよ。でも……そのペン、もしかしたらイギリスじゃないと買えないかも?」
「えっ、マジで!? Shit……送料のほうがペン本体より高くなるじゃん……」
「ははっ。まあ、いつかイギリスに行く機会があったら、その時でいいよ」
「そうするよ。……あ、そうだ。ちょっと気になってたことがあるんだけどさ。お、怒らないでくれよ?」
「うん? 何?」
「イギリスの飯って……本当にそんなにマズいの?」
ジェットは少し言いづらそうに、恐る恐るそんな冗談を口にした。
人によっては普通に失礼だと言われそうな質問だったが、アリスは特に怒った様子もない。
むしろ「そんなこと聞く?」と言わんばかりに、少し呆れたような、それでいて笑いを堪えているような表情を浮かべた。
「まあ……美味しいものだってちゃんとあるよ。少なくとも……納豆よりはマシかな?」
今度はアリスのほうが、冗談っぽく言い返す。
「あー……それは確かに。俺も納豆は好きじゃないな」
(俺は別に食えるけどな)
(俺もあんまり好きじゃない。まさかこんなところでアリスと共通点が見つかるとはな)
(っていうか、お前ら二人ともまだ起きてたのかよ?)
「はいはい、みんなー。そろそろ時間だから答え合わせするぞ」
先生の声が教室に響き、生徒たちの意識が再び前へと向けられた。
「正解は――ドアを変える、だ!」
その後、先生は動画などの資料も使いながら、モンティ・ホール問題の仕組みを先ほどよりさらに分かりやすく説明していった。
説明を聞き終えた生徒たちからは、
「おぉ~、なるほど……」
と、ようやく納得したような声がちらほら上がった。
「どうだ? 意外と面白いだろ?」
先生は少し得意げに笑う。
「だから確率なんてつまらないとか、役に立たないとか決めつけるなよ。少なくとも将来、麻雀とかポーカーとか……まあ、ギャンブルする時には役に立つかもしれないからな」
そこで先生は少し間を置いた。
「ただし、それで捕まっても『先生に教わりました』とか言うなよ?」
「ははははは!」
その冗談には、教室のあちこちから笑い声が上がった。
そして、それから間もなく――授業終了を告げるチャイムが鳴り響いた。
「はぁ……結局また授業の進度が遅れちまったな。次回も引き続きハイペースで進めるから、そのつもりでな! あと宿題忘れるなよ! はい、終わり!」
授業が終わった途端、それまで死んだような顔をしていた生徒たちは、まるで充電が完了したかのように一斉に元気を取り戻した。
小野寺もアリスに軽く手を振ってから席を立ち、他の生徒たちと一緒に購買へ何か食べ物を買いに行った。
アリスはジェットのほうへ寄せていた椅子を少し元の位置へ戻す。
すると入れ替わるように、何人かの女子生徒が彼女の席へ集まってきた。
「あ゛~、やっと数学終わった~!」
「ね~。もうお腹ペコペコなんだけど」
「ていうかさ、アリス。小野寺君って、アリスのこと好きなんじゃない?」
「ぶっ……!」
アリスはちょうど一息つこうと水を飲みかけていたところだった。
それなのに女子たちのあまりにも急すぎる話題転換を食らい、危うく盛大に吹き出しかける。
「えっ、やっぱりそう見えるよね? アリスが転校してきたばっかりの頃から、ちょっとそんな感じあったもん」
「そ、そうなの……? でも私、小野寺君のことまだそんなに詳しく知らないし……」
アリスは少し気まずそうに答えた。
「あー、そっか。アリスは転校してきたばっかりだから知らないか。小野寺君って、『学園七大神人』の一人なんだよ」
「えっ? そんな噂あったんですか? ていうか、あと六人は誰なんです?」
「そこ気になる?」
女子生徒は笑いながら、指を一本立てた。
「まず一つ目。見た目は別にムキムキってわけでもないのに、身体能力が異常に高い。めちゃくちゃ足が速いし、力もすごく強いし、ほとんどの運動部が一度は勧誘しようとしたくらい」
そして、今度は二本目の指を立てる。
「二つ目。よーく観察してると分かるんだけど……あの人、日によって髪型が違うんだよね」
「髪型?」
「うん。しかも気分で適当に変えてる感じじゃなくて、少なくとも三種類くらいの髪型をローテーションしてるっぽいの」
「しかも、それだけじゃないんだよ。髪型が変わると、喋り方とか性格まで急に変わるって噂もあるの」
「性格まで……?」
「うん。たとえば前に誰かが言ってたんだけど、小野寺君がツンツンした髪型の時だけはその子とめちゃくちゃ喋るのに、他の髪型の時は普通のクラスメイトみたいな感じになるんだって」
「えっ……本当に……?」
さすがのアリスも少し驚き、だんだん興味を惹かれ始めていた。
「で、三つ目。遅刻とか早退が多いし、とにかく神出鬼没。授業中に『トイレ行ってきます』って出ていったと思ったら、いつ戻ってくるのか全然分からないの」
「しかも、そのまま帰ってこない時すらあるよね」
「あ、それ私も知ってる。何回か教室に戻ってきた時、身体に怪我してたこともなかった?」
「そうそう。しかも結構ヤバそうな怪我なのに、本人は全然気にしてない感じでさ。気づいたらいつの間にか治ってるんだよね」
「…………」
そして女子生徒は、さらに四本目の指を立てた。
「でも、小野寺君が本格的に有名になったのは四つ目かな」
「去年、私たちが一年生として入学してまだ数日くらいの頃だったと思うんだけど……三年の先輩たちが中村さんに下品な冗談を言ったらしいの」
「そしたら小野寺君、一人でその先輩たちのクラスに殴り込みに行ったんだって」
「一人で……?」
「うん。それで全員ボコボコにして、最後は中村さんの前で全員土下座させて謝らせたらしいよ」
「えぇ……?」
「たぶんそれが原因じゃない? 今でも中村さんに迂闊にナンパする男子が全然いないのって」
「しかもそれだけじゃなくて、校内で起きてたイジメも一人でほとんど全部解決したらしいよ」
「学校の近くにいた不良とかチンピラも、何人かまとめてかかってきたのに、あっという間に全員ぶっ飛ばしたとか」
「たぶん先生たちも、そういうところがあるから小野寺君の普段の行動をある程度は見て見ぬふりしてるんじゃない? なんというか……扱いに困るけど嫌いにもなれない、みたいな」
「そ、そこまで……? さすがに話盛ってない……?」
アリスは半信半疑といった様子だった。
いくらなんでも、噂話にしては大げさすぎる。
――しかし。
ふと、あの日の出来事が頭をよぎった。
「…………」
アリスは何かに引っかかったように、静かに考え始めた。
「まあ、とにかく……悪い人ではないと思うんだけど、めちゃくちゃ変な人なのは間違いないかな」
「ぶっちゃけ、ちょっと面白半分で付き合ってみるのもアリじゃない? もし別れたとしても、将来『昔こんなヤバい元カレがいたんだよ』って一生ネタにできそうだし」
「でもさ、前に他の男子と合コンに行った時、一度に三人の女の子を口説こうとしてたって聞いたことあるよ?」
「えっ、マジで!? それはダメじゃん! クズ男じゃん! アリス、そんな男に近づいちゃダメだよ!」
「いや、さっきまで付き合ってみろって言ってなかった……?」
女子たちが好き勝手に盛り上がる中、アリスは少し考え込んだ後、ふと別のことを尋ねた。
「……そういえば、小野寺君って……スーパーヒーローについて何か話してたことある?」
「スーパーヒーロー?」
「うーん……まあ、他の人と同じように『このヒーローが好き』とか、『この前あのヒーローを見かけた』とか、たまにそんな話はしてた気がするけど?」
(……たまに?)
アリスの表情がわずかに変わった。
(いくら運がいいからって……スーパーヒーローって、そんなに何度も偶然会えるものなの……?)
アリスはそのまま考え込む。
するとちょうどその時、少し離れたところから、別の生徒たちがアニメの話をしている声が聞こえてきた。
「なあ、昨日のアニメの最終回見た?」
「見た見た! めちゃくちゃ酷い終わり方だったよな!」
「マジでクソだったわ! 脚本家がネタ切れしたのか知らないけど、最後になって急に『実は邪悪な別人格がいました』とか出してきてさ。それまでの不自然な行動とか矛盾とか、全部そいつのせいにして終わりとか雑すぎだろ!」
「…………」
アリスは最初、その会話を特に気にも留めていなかった。
ただのアニメの話だ。
自分には何の関係もない。
――そのはずだった。
それから数分後。
購買から戻ってきた小野寺の姿を何気なく見たアリスは、ふと違和感を覚えた。
「……?」
さっきの数学の授業中とは――
髪型が変わっている。
(……え?)
アリスは小野寺をじっと見つめる。
そして先ほど聞いた噂と、これまで自分が目にしてきた彼の不可解な言動が、頭の中で少しずつ繋がり始めた。
(……まさか……)
(そんなこと……あり得るの……?)
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それから時間は流れ、気づけば放課後になっていた。
生徒たちはそれぞれ、部活へ向かったり、バイトへ行ったり、友達同士でどこかへ遊びに行く約束をしたりと、思い思いに教室を後にしていく。
小野寺と田中たちは、今日は特に部活の予定もないようだった。
「あ~、疲れた。なあ小野寺、ラーメン食いに行こうぜ。朝、奢ってくれるって約束しただろ?」
「はぁ? あれマジだったのかよ? くそ……」
「悪いようにはしねぇって。ショッピングモールのフードコート行こうぜ。なんか今日、もうちょい遅い時間から最近人気出てるアイドルグループがライブやるらしいぞ。食い終わったら見に行こうぜ」
「はぁ? なんで俺がお前と一緒にアイドル見なきゃなんねぇんだよ?」
教室を出る前、小野寺はアリスと簡単に「じゃあな」と挨拶を交わした。
アイドルのライブには露骨に嫌そうな顔をしていたものの、結局は渋々――あるいは単に他にやることがなかっただけかもしれないが――田中についていった。
一方、アリスは一人で放課後の科学研究講座へと向かった。
それから一、二時間ほど。
密度が高く、充実してはいるものの、少々退屈でもある講座を終える頃には、時刻も次第に夕方へと近づいていた。
アリスは何人かのクラスメイトと一緒に電車へ乗り、家路についた。
最初のうちは仲のいい子たちと他愛もない話をしていたが、電車が路線を進んでいくにつれ、一人、また一人とそれぞれの駅で降りていく。
そして気づけば、アリスだけが一人残っていた。
外も少しずつ暗くなっていく。
窓から差し込む夕焼けの光が車内を染め、その柔らかな橙色の光が、無表情なアリスの横顔を半分だけ照らしていた。
それからしばらく電車に揺られた後、アリスは少し郊外にある駅で降りた。
そこからさらにしばらく歩き、ようやく自宅へとたどり着く。
郊外にあるからなのか、アリスの家は意外と大きかった。
特に家の横に併設されたガレージは、一般家庭のものにしてはかなり広い。
アリスは玄関のドアを開け、中へ入った。
「ただいま……」
しかし、そこそこ広い家の中から返事が返ってくることはなかった。
人気のない廊下に響くのは、アリス自身の足音だけ。
その音が、空っぽの空間にわずかに反響していた。
アリスはそのままリビングへ向かうと、鞄を適当に放り投げ、そのまま全身の力を抜くようにソファへ倒れ込んだ。
「はぁ……」
テレビをつける。
特に見たい番組があるわけでもなく、リモコンを片手にぼんやりとチャンネルを変えていく。
すると偶然、何かのホラー番組らしきものが映った。
画面の中では、見るからに何か出そうな不気味な家の前に数人の人間が立っている。
彼らは怯えながらゆっくりと玄関の扉を開け、中へ足を踏み入れていった。
その暗闇の奥には――何やら人影のようなものが見える。
『…………』
「帰ったか」
「うわっ!?」
突然背後から聞こえてきた声に、アリスはビクッと身体を跳ねさせ、そのままソファから転げ落ちた。
「Shit……パパ……」
「いてて……」と尻を押さえながら、アリスは背後を振り返る。
そこに立っていたのは、一人の中年男性だった。
身にまとっているのは、長年使い込まれたのか、すでに少し黄ばんでいる白衣。
髪と瞳の色はアリスと同じだった。
ただし、その髪も髭も少し伸びてボサボサになっている。
目の下には濃い隈が浮かび、疲れ切ったような無気力な表情からも、まともに休息を取れていないことが一目で分かった。
「悪かった。驚かせるつもりはなかったんだ。アリス、大丈夫か?」
父親はそう言ったものの、特に手を差し伸べるでもなく、その場に立ったまま話しかけている。
「私は大丈夫……。どうしたの?」
「……前からずっと話していることなんだが」
その一言を聞いた途端、アリスの表情に露骨な不機嫌さが浮かんだ。
彼女は床に座り込んだまま、父親を見上げる。
「やはり、私と一緒にイギリスへ帰ろう、アリス。向こうなら私にも勝手が分かるし、十分な設備や研究環境も整っている。研究に集中できれば……お前をもっと早く治せるかもしれない」
「わ、私は……まだイギリスに帰りたくないよ、パパ……」
「だが、いつかは現実と向き合わなければならない」
父親の声は淡々としていた。
「この前のクモの事故……あれはお前がやったんだろう?」
「…………」
「予備の薬が十分に残っているか、常に確認しておけと何度も言ったはずだ。今のところ、お前の症状を一時的に抑えられるのはあの薬しかない」
父親は疲れたように小さく息を吐いた。
「それなのに、お前の能力は数年前よりさらに強くなっているように見える。この数か月だけでも十数種類の方法を試した。……だが、全部失敗した」
「もしまた同じようなことが起きたら、今度もこんな簡単に誤魔化せるとは限らないぞ」
「でも……パパ……」
「またお前自身や、他の誰かを傷つけたらどうする?」
アリスは何も答えられなかった。
「今みたいな、一見何事もない生活が……このままずっと順調に続くと本気で思っているのか?」
「もし誰かに疑われたら、また引っ越すしかない。また学校も変えなければならない」
父親の口調には、次第に疲労と苛立ちが滲み始めた。
「正直に言えば、お前だってうんざりしてるだろうが、私だってうんざりしてる。この一、二年だけで、お前は何回転校した?」
「そんな生活を続けていても、お前はちっとも幸せじゃないだろう。まともに友達だって作れない」
「…………」
父親はゆっくりとアリスのほうへ歩み寄った。
アリスは少し身構えたものの、父親は別に何かするわけではなかった。
ただ床に座っていた娘の腕を取って立たせ、そのままソファへ座らせる。
「床は汚いぞ。しばらく掃除してないからな」
「…………」
「とにかく、お前だって頭の悪い子じゃない。私が言ったことを、ちゃんと考えてみてくれ」
父親は少し間を置いてから、静かに続けた。
「もしまたお前の能力が暴走したら……次は何が起きるか分からない」
そして、その疲れ切った目でアリスを見つめる。
「……今のお前を、本気で止められる人間なんて誰もいないんだ」
立ち去ろうと背を向ける父親を、アリスは黙って見つめていた。
そして――意を決したように、ふと頭に浮かんだ言葉を、深く考えるよりも先に口にしてしまった。
「も、もし……私の能力を受けても、何ともなかった人がいたとしたら……?」
父親の足が止まった。
数秒間、沈黙が流れる。
やがて彼はゆっくりと振り返り、先ほどまでとは少し違う、真剣な眼差しをアリスへ向けた。
その反応を見て、アリスは言ってしまったことを少し後悔した。
それでも、もう後には引けない。
迷いながらも、覚悟を決めて話を続ける。
「……それは本当か?」
「う、うん……。あの時、確かに私と目が合った人がいたの。でも、その後も特に何ともなかったみたいで……たぶん……」
「超能力者か?」
「分からない……でも、もしかしたら……」
「……興味深いな」
父親は数秒ほど考え込んだ。
そして何かを思いついたように、再び口を開く。
「その人を……何とかここへ連れて来られないか? 一度、私に調べさせてほしい」
「調べるって……どういう意味……?」
「アリス」
父親は静かに娘の名前を呼んだ。
「私は本気でお前を治したいと思っている。そのためなら……多少強引な手段を使うことになったとしてもだ」
「…………」
「スーパーヒーローが実在する世界だからといって、すべての超能力者が無条件に受け入れてもらえるとでも思っているのか?」
「お前だって、そんな単純な話じゃないことくらい分かっているだろう? お前だって自分を治して、普通の生活を送りたいんじゃないのか?」
「わ、私だって……誰よりも治したいよ! でも……じゃあ、どうすればいいの……?」
「こんなことは言いたくないが……それはお前次第だ」
父親は少し間を置いてから続けた。
「もうしばらく経っても何の進展もなければ、その時は私と一緒にイギリスへ帰ってくれ。……お前の母さんにも、もう随分長いこと会っていないしな」
「…………」
「…………」
二人はそれ以上何も言わず、揃って静かに俯いた。
「それじゃ……冷蔵庫に食べ物がある。温めて食べなさい。何かあったら、私はガレージで作業しているから」
そう言い残すと、父親は背を向け、そのままガレージへと戻っていった。
アリスは一人、ソファに座ったまま動かなかった。
隣ではテレビのホラー映画が流れ続けている。
画面いっぱいに恐ろしい何かが突然飛び出し、大きな効果音とともに登場人物が悲鳴を上げても――今のアリスは、まるで何も見えていないかのように無反応だった。
「…………」
しばらくして、アリスはゆっくりとソファから立ち上がり、ダイニングへ向かった。
冷蔵庫を開け、何日か前から残っていた料理を取り出すと、そのまま電子レンジへ放り込む。
温め終わった料理を取り出してみる。
「…………」
どう見ても、あまり食欲をそそる見た目ではなかった。
アリスはスプーンで何度か料理をつついてみた。
もちろん、そんなことをしたところで急に美味しくなる魔法など起こるはずもない。
「はぁ……」
小さくため息をつき、仕方なく一口、口へ運ぶ。
そして何とも言えない顔をしながら、手にしたスプーンへ視線を落とした。
歪んだ銀色の表面には、自分の顔がぼんやりと映っている。
「……イギリス料理って、やっぱり美味しくない……」
食事を終え、簡単に片づけを済ませたアリスは、自分の部屋へと戻った。
ドアを開ける。
一見すれば――ごく普通の少女の部屋だった。
だが、よく見ればすぐに気づく。
何かがおかしい。
ベッド。
クローゼット。
机。
そこにある家具はどれも、互いの大きさの比率が明らかに狂っていた。
床はどこまでも無限に伸びているように見えたかと思えば、同時に果てしなく縮んでいくようにも見える。
エアコンの表示と時計の数字は何の規則性もなく激しく飛び回り、照明は絶えず明滅を繰り返していた。
腕時計に目を落とせば、複数の針がそれぞれまったく異なる速度で回転している。
部屋のカーテンは、いつも固く閉ざされたままだった。
アリスには――その向こうに何が見えるのか、確かめる勇気がなかった。
机の上にあるライトを消そうと、アリスは手を伸ばす。
すぐ目の前にある。
あとほんの少し。
――なのに、届かない。
どれだけ腕を伸ばしても、距離そのものが狂ってしまったかのように、指先はいつまで経ってもライトに触れることができなかった。
「…………」
やがて――。
カチッ。
アリスが触れてすらいないのに、ライトは勝手に消えた。
「はぁ…………」
自分の部屋を見回し、アリスはまた深いため息をつく。
そして背負っていた鞄を、適当に放り投げた。
――はずだった。
鞄はあり得ない軌道を描いて空中を進み、まるで最初からそこに置かれることが決まっていたかのように、机の横の床へと収まった。
アリスはもう驚きもしなかった。
ただ目を閉じ、そのまま後ろへ身体を倒す。
そこにベッドはない。
本来なら、そのまま床へ倒れるはずだった。
だが――。
「…………」
次の瞬間、彼女の身体を受け止めたのは、硬い床ではなく柔らかなベッドだった。
やがて部屋に、暗闇と静寂が訪れる。
異常な空間の中に、アリスはたった一人。
ベッドに横たわったまま目を開けると、頭上では天井の一部が今もなお、ゆっくりと歪み、伸び縮みし、形を変え続けていた。
アリスはしばらくそれを見つめていた。
そして――片腕を持ち上げ、自分の両目を完全に覆い隠す。
「……私、どうしたらいいの……?」
小さな声だけが、奇妙に歪んだ部屋の中へ溶けていく。
「……誰か……助けてよ……」
ご覧いただきありがとうございました!
楽しんでいただけたなら嬉しいです!
まず最初に、数学が苦手な方がいたらすみません。今回はちょっと頭が焼けそうになったかもしれませんね(笑)。
あと、アリスとお父さんの会話は設定上、本来なら全部英語で話しているはずなんですが……正直、僕もちょっと面倒くさくなってしまったので、謎の自動翻訳超能力を発動させました(笑)。
まあ、とにかく今回は、一気にいろんなキャラクターが抱えている問題が少しずつ表に出てきた回だったと思います。
読んでいるだけでも、なんとなく「これ、ちょっとヤバくない……?」って感じがしてきませんか?
……うん、僕もそう思います。
ちゃんと最後までまとめられるか怖いです(笑)。
それと最近、ずっと就活をしているんですが、どうにもあまり順調じゃないんですよね……。
(悲しいことに、それでも更新ペースが速くなっているわけではありません。ごめんなさい……)
まあ、そんな感じですが、次回もぜひ楽しみにしていてください!
それでは、Noah Novaでした。
皆さん、良い一日を!




