29.味方で良かった者同士
首謀者が領主夫人、伝説の聖火が魔物を呼ぶという大事件。
元は魔物素材の密輸事件を追っていたのに、俺の任務がこんな形で着地するとは一体誰が想像できただろう。
幸いにも、怪我人は多くとも死者はいなかった。あれだけ多くの魔物の侵入を許した結果としては奇跡に近い。
数日経った今では建物の被害状況も調べがついて、住民達のほとんどは自宅に帰る事ができていた。
俺はといえば、未だレオンとして騎士団に残っている。
会議室に行く途中、仮眠室前の廊下では数人の騎士が小声でひそひそと話していた。
「ううっ…棘蜘蛛の棘が一本、棘蜘蛛の棘が二本…」
「へへ…解体し足りない気がしてきた…仕事…仕事ねぇか…」
「お前達は休憩中だろう、いいから寝ていなさい。中に戻れ」
「先輩…僕、もう眠れないんですよ……!寝ると棘が責めるんです、何でボク達を回収してくれナイのって…!」
「いいから寝ろ、睡眠薬持ってきてやるから!」
解体業務にあたっていた騎士達が病んでいるようだ。
連日連夜とはいえ交替で業務を行っているはずだが、討伐した魔物が多過ぎたのだろう。たまに魔物の群同士が近い距離で巣を作ると大型任務も起きるが、今回はその比ではない。
「っと…エーヴェ隊長!お疲れ様です。すみません、こいつらがぶつぶつと。」
「構わない。ゆっくり休ませてやってくれ」
「はい!」
三人の横を通り過ぎ、角を曲がる。
此度の事件の首謀者は領主夫人ヘンドリカ・メルテンスだったとはいえ、騎士団の中には協力者になってしまった人がいる。
イェルン・テイセン隊長だ。
彼は聖火が何を引き起こすかを知らなかったので、騙された側だ。
しかし手ずから聖火の材料を投下し、事件を引き起こしてしまったのもまた事実だった。
本人は辞職を望んだが騎士団はこれを引き止め、降格処分とした。
ちょうど通りかかった窓の外に旧テイセン隊の姿を認め、足を止める。
窓から吹き込む風の向こう、隊員の前に立っているのはアルテナのようだ。愛用のハンマーと低い背丈ですぐに彼女とわかる。
事件が起きた時、アルテナはパニックに陥りかけた市民を一喝した。
言葉こそ乱暴だったが、あれが迅速な避難とそれによる被害の軽減に繋がったのは間違いない。テイセン隊はアルテナ隊に変わる。
「いいか、これからはアタシが隊長だ。全員心しろ」
「「「はい!アルテナ隊長!」」」
険しい表情で頷くアルテナの姿は既に風格があった。
テイセン卿も小隊長として残っているし、問題なくやっていけるだろう。
「んじゃあまず、毎朝の筋肉賛美活動を廃止する。」
「「「えええええっ!!?」」」
「なぜだ、アルテナ!!」
「どうしてですか副隊…隊長!」
「あれがなきゃ一日が始まりません、隊長!」
「俺達の筋肉が悲しみます!隊長!」
「うるせぇーっ!隊長命令だ!!」
横暴だ非道だと追いすがる隊員達がハンマーで追い払われている。
…あれはあれで、いい訓練になりそうだな。全て避けるテイセン卿をアルテナが追い始めたのを横目に、俺は歩みを再開した。
筋肉賛美活動……毎朝というと、もしや以前テイセン卿に誘われて参加したあれか?
準備運動から鍛錬、時に姿勢維持を混ぜたものだったが…思い返せば確かに、アルテナは不機嫌そうだったな。
一部の騎士は筋肉に感情が宿っているかのような冗談を言って、場を和ませていた。アルテナはまったく笑っていなかったが。
会議室の扉をノックして中に入ると、ヒルベルト・デルクス長官が「よう」と手を振った。
一礼して顔を上げる。
「お疲れ様です。長官」
「お疲れ、ユリユリ。まぁ座れよ」
「失礼します。」
王都ラグアルドとこのゼイルは、そう簡単に行き来できる場所ではない。
マリアンネの魔法を頼ったのだろう事はわかっていて、聞かなかった。ゼイルのためならと彼女は協力的だし、何より《扉繋ぎの魔法》は、術者本人に多大な負担を強いるものではないらしい。
それが嘘でない事は、シーラさんが度々ゼイルに来ていた事からもうかがえる。
俺が席につくと、長官は指先をこつりとテーブルにあてた。
口元は笑っているが目が笑っていない。
「聖火の作り方をヘンドリカ・メルテンスに確認し、実験を行った。結果はさっき司令に伝えてきたとこだが、次期領主であるお前も知っとくべきだと思ってな。」
「ありがとうございます。実はずっと気になっていたので、助かります。」
「…ま、気になるよな。」
「ええ――俺達は誰も、魔物が聖火に辿り着いたらどうなるかを見ていないので。」
聖火が持つ何か、恐らくは香りが魔物を呼んだ。
特定の香りに惹かれる獣がいるように、特定の香りを避ける獣がいるように。
「この地に伝わる聖火の伝説は知っているな?」
「はい。かつてあの青い炎によって魔物を滅し、それによって街を建てられたとか…」
「伝説は本当だった。あれは魔物を滅する力を持っている」
「…というと?」
行われた実験は、外に香りが漏れないようにした上で焚火を作り、聖火に変え、小型の魔物にそれを見せるというものだった。
炎の色が変わると、魔物は明らかにそちらに反応して引き寄せられたそうだ。
「俺の知り合いに、魔物の心理分析ができる奴がいてな。」
「魔物の心理分析…?」
「ま、ある程度知能が高いのに限られるが……聖火に惹かれた魔物は、苦しんでいた。心理的には嫌がりながら、身体は真っ直ぐ聖火を目指したんだ。そして辿り着いた時――聖火は魔物を焼き殺した。通常の炎や火炎の魔法とは、比べ物にならない速さでだ。」
その後は魔物の素材で試された。
徐々に硬質な物に変えてみたものの、聖火はその全てを焼き、あるいは溶かし、無に帰したらしい。
ぞわりと、総毛だつ感覚に襲われる。
伝説の意味……街が作られる前であれば、魔物が大挙して押し寄せようとも人間は無事で済む。効果さえ知っていれば簡単な事だ。
人間達はただ拓けた土地に巨大な炎を用意して、それを聖火に変えればよかった。
後は離れておけばよかった。どれだけ魔物がいようとも、勝手に自滅してくれるのだから。
「…ですが、どうやって消火を?伝説になるほど多くの魔物相手では、残った聖火こそ手に負えないのでは。」
「それこそ、俺のような術者がいたかもな?」
からりと笑って、長官は軽く指を鳴らしてみせる。
この方に授けられたのは空気を操る魔法だ。
『【俺は許可しない】』
そう唱えて指を鳴らすのを見た事がある。
長官は燃え盛る炎から空気を奪う事も、触れる事なく魔物を地面に押さえつける事も、刃を握らず人を拷問する事もできる。
発動されてしまえば、生物は皆等しく弱い。
同じ場所にいる限り、この方の許可なしには息を吸う事さえできないのだ。
「後は、聖具であればあの炎に焼かれないという事がわかった。神獣の助けがあったという言い伝えがあるわけではないけどな」
「試したのですか、聖具で?よく管理部の許可が下りましたね」
「うん?ああ、拝借して無傷で返しただけだ。」
無許可か。聖具に何かあったらどうするつもりだったのだろう。
危険性を知る事が急務だった、やってよかったと思わないかと押し切るのだろうか。聖具すら溶かされるなら確かに危険なので、実験が必要だった事について異議はない。
「念のためにお聞きしますが、俺の妻に手伝わせていませんね。」
「流石に無しだな。手間は省けるが、お前達からの信頼を失う方が痛い。ふふっ…俺の魔法がどれだけ強かろうと、お前やマティに本気を出されたら絶対に勝てないからな。」
マティというのは、長官だけが呼んでいる王太子殿下の愛称だ。
マティアス・フィン・アーレンツ殿下。俺より二歳年下のはずなので、今は二十二歳か。
「唱える前に口を塞がれたら、魔法はそれで終わりだ。」
「俺が長官を討つ事は、早々ないと思いますが。」
「ふはっ、その通りだ。そう思われる男のままでいたいとは思ってるんだよ、俺も。」
聖火については一部が秘匿されるそうだ。
魔物を引き寄せられたのは多くの民が目撃しており、今更隠しようもない。
しかしその製法はもちろんの事、本当に魔物を滅する力があった事も公表はされないという。……妥当だな。
「でないと躍起になって製法を捜す者が現れる。討伐にだけ使われるとは限らんし、魔物を引き寄せる性質上、リスクが高すぎるし生態系を崩しかねない。それに、なぁ?」
「…通常の消火ができないのですから、放火殺人に使われれば一大事ですね。」
「ああ、人が扱うべきじゃない類のものだ。存外、製法が残されていなかったのもわざとかもな。」
可能性は高いだろう。
強いものほど扱いを間違ってはならない。
いたずらに使えば、築いた街をあっという間に滅ぼしてしまう――…今回とて、司令や長官、俺や皆が揃っていたから被害を抑えられた。
誰かが欠けていれば……。
「長官」
「うん?」
「申し訳ありませんでした。」
立ち上がって姿勢を正し、深く頭を下げる。
本当は、あの日ゼイルにいたすべての人に対してすべき事だ。
「俺がもっと早く密売の真相を暴き、夫人を捕えていれば……こんな事件は起きなかった。」
「そうだな。だが顔を上げろ。報告書を見て、捜査方針はそのままでいいと判断したのは俺だ。任務が長引いても、こちらへ寄越す人員を用意できなかった俺の落ち度。お前が欲しがった情報を届ける事もできなかった。」
「……これからもこの地を守る剣として、そして領主として、俺にできる限りで励みます。」
「おう、それでいい。けどあまり気負うなよ?お前達なら大抵の事は大丈夫だ」
肩につく長さの金髪がさらりと揺れた。
長官はよく笑う人だ。
難しい事を簡単だと言い、実際に道を切り拓いてみせる。
そんな人からの激励。
俺が領主になり情報統括局を抜ければもう、この方は上官ではない。
「所詮、人の手で動かせる運命には限界がある。たとえこれが史上初の大事件であろうとも、死者を出さなかった事はお前達の功績だ。ずっと謎だった《聖火》が、作ってはならないものだと知る事もできた。お前は嫁とのすれ違いが解決して、俺としても今後のために有用な人脈を得たわけだ。」
「…本人の同意があり、心身や環境に悪影響がないのであれば。」
「はははは!わかってる。軽率に使ってはあまりに危ういしな……ま、代わりにそちらも俺を頼れ。何かあった時にはな。」
「はい。ありがとうございます」
満足そうに一つ頷いて、長官が立ち上がった。
銀灰色の瞳が俺を見据える。
「ゼイルの騎士は強い。魔物を止める役目だからな、当然だ。国に貢献してくれている彼らに王家も感謝しているが……要らぬ心配をする者もいる。」
力を持つ者が過信しては、世に混乱を招く。
アーレンツの王族に反旗を翻す、あるいは高価な魔物素材を盾に独立を謀るのではないかという、懸念。
長官は笑みを浮かべている。
「お前が領主である限り、まったく無用な心配だな?」
「そうでしょうね。俺にそのつもりはありません」
国を揺らがしたところで何も利がない。
失うものばかりが多く、俺やマリアンネが、ゼイルの騎士達が望む安寧はそこにないだろう。
万が一にも何かを望んで事を成そうとしても、俺は結局この方に勝つ事ができない。
よくわかっている。
本当に敵になれば、長官は容赦なく人質を取るだろう。
俺が家族や友人を捨てられないと知っているからこそ。
一対一での死闘ならまだしも、戦略や政争で勝てる気は微塵もしない。
「貴方が味方で良かったと、常々心より思っています。」
「ふはっ」
嘘偽りない本心を伝えれば、彼は軽やかに笑った。
「お互いにな。」




