28.ちょっとやりかねない
そう。私達は夫婦なのだから、いずれ「そういう事」をしなければならない。
わかってたつもりだけど、ユリウス様があんな感じだから何となく遠い先の事のように思っていた。
でも今の様子では、彼はきちんと考えていて……しょ、初夜っていつ?
今日はさすがにありえないわ。
だって今、私の同意を得るまでは手を出さないって――私、両想いだと伝えたけれど。それって同意だとみなされてしまう?いえいえ、でも。好きだったらいいって話ではないでしょう?違うの?
お母様やお姉様からもっと真剣に話を聞いておくんだったわ、けどまさか今日ユリウス様に会うとは、お互い夢にも思ってなかったわけで…
「一つ、確認しておきたい事がある。」
「はいっ!?な、何でもどうぞ。」
ユリウス様の目が見れない。
ぱたぱたと手で顔を扇ぎながら、私は声が裏返らないようにするだけで必死だ。
しまった、「何でも」と言ってしまったわ。さっきみたいに直球が来たら、どうしたら。
「君が手紙に書いていた話だ。『今後について相談させてほしい』とあった」
「え?ああ……書いたわね。」
私が大混乱する話題ではなかったようで、一気に安心する。
ユリウス様に手紙を書いた事なんて一度きりしかないものだから、思い出すのもそう苦労はしなかった。
「相談というのは、ゼイルで働いていたいという話で合っているだろうか。」
「そうよ。それにもしかすると、貴方がこの結婚に否定的だったり、困っているかもしれないじゃない?話せる時がきたら、まずそこを知りたかったの。」
「つまり、場合によっては離婚も考えていたと。」
「ええ、場合によっては。貴方の事情を聞いて私がどう思うかはわからなかったし、逆もまた然り。……自分が自由でいられて過ごしやすいからって、嫌がる人を縛りつけていいわけではないでしょう。」
式に現れたユリウス様は(実際にはロッテさんだったけど)、結婚を喜んでいるようにはとても見えなかった。
納得のいく形がとれるなら、離婚になってもいい。そう考えていたのは確か。
ユリウス様が頷いた。
「君が働く姿は素敵だから、辞めろとは言わないが……問題は、俺がゼイル一帯の領主になり、君は領主夫人になってしまう事だな。」
「ええ」
「どうしようか。」
「どうしましょうね。貴族だとわかっても、おかみさんは雇ってくれるかしら。」
「領主でも、騎士団で働けるのだろうか……」
揃って首をひねる私達は、お互いをちらと見やった。
私はともかく、ユリウス様、貴方。
「は、働く気なの?騎士として。」
「割と。領主になるのであれば余計に、あの森は近い距離で様子を見ておきたい。今回の件は人為的だったが、その後の影響はまだ未知数だ。領主館も今の位置ではなく、ゼイルに移して然るべきだと思っているが、どうだろう。」
「いいんじゃないかしら――と言うには見積もりと予算がわからないわ。そこを知ってからね」
「うん、もっともな意見だ。」
そして少なくとも、ゼイルの中でも騎士団の拠点とは正反対の方向で、ある程度は森から遠い位置にすべきでしょう。今回のような事が起きたら騎士も領主も一気に――なんて、笑えないわ。
ユリウス様はお一人で充分にお強いけれど、次代やその次も同様とは限らないし、住み込みの使用人も抱える事になるのだから。
「領主としての仕事を引き継いだ時、俺と君にどれくらい自由時間が残されるのか……今まで通りには難しいだろうが、俺としては君と店側の双方が納得するなら、キーヴィットで働いても構わない。」
「……いいの?私はあまり見た目を変えていないから、領主夫人が働いてると噂されるのも時間の問題だわ」
「君の侍女を屋敷に待たせる必要がないからな。他にやりようもあるし、身の安全は確保できると思っている」
「…確かに、そうね。」
店内は元から人目もあるし、騒ぎになれば通りや他の店からも人が来る。
護衛が近くで待機する事は可能……大前提としておかみさん達がどう思うかというのはあるし、店が壊されていないか確認してからになるけれど。
「……でも周囲の反対が強かったら、無理に通す気はないわ。領主夫人の仕事だってゼイルや他の街のためになるし、新しい職場として楽しみにしているの。」
「そうか……覚えておく。ありがとう」
けど前任者が逮捕されてしまったからには、そこの引き継ぎは少し怪しいかしら?
メルテンス伯爵は生きているから、文官や使用人と話をして、資料を見て……設定通りの「病弱で部屋にこもりっきりのマリアンネ」なら、対応できなかったわね。
領地の事を知っていたらしいお父様も、まさか伯爵夫人が捕まるとは思わなかったでしょうし。
「ユリウス様は、騎士を続けるならレオンさんとして?それとも、今のお姿で?」
「悩ましいところだな。他の騎士が変に畏まるようなら、レオンのままがいいと思っている。」
「ふふ、結局は職場次第よね。街を直しながら、色々同時に考えていかなくちゃ――…あ、そうだわ。」
「うん?」
きちんと「領主夫妻」をやっていくなら、変えた方がよい事がある。
人差し指をぴんと立てれば、ユリウス様が素直にこちらを見てくれた。…自分から言うのは少し、恥ずかしいけれど。
「いいですか、ユリウス様。」
「なんだろうか、マリアンネ嬢。」
「それよ。」
「うん?」
「夫が妻を呼ぶのに、《嬢》はないでしょう。嬢は。」
指摘すると、ユリウス様は一度、二度と瞬いた。
本名で呼び合うのも今日が初めてだから、私も正直最初は違和感がなかったのだけど。ようやく思い至ったらしいユリウス様が、衝撃を受けたように目を丸くする。可愛い。
「――…確かに、その通りだ。」
「そうなの!何を隠そう、私も今さっき気付いたんだけど。これから先は呼び捨てにして頂くのが良いわ、きっと。」
「わかった。では君もユリウスと呼び捨てにしてくれ。」
「えっ……それは、どうなのかしら。」
困ってしまってつい、どこともない空中に視線を投げる。
お姉様達の嫁ぎ先はともかく、私の実家自体は子爵家なのだ。伯爵家の後継ぎであり、既にご自身に領地が与えられる事も決まったユリウス様を、妻になったとはいえ呼び捨てにしてよいものか。
「嫌か?」
「私は嫌じゃないけれど、世間一般としては微妙なラインじゃない?」
「ならば、君の口調と同じように使い分けるのはどうだろう。俺は君を尊敬しているから、できるだけ対等でありたい。」
「――ユリウス様…」
「ユリウスだ。」
胸が、じわりと熱くなる。
この方はどうして、私が喜ぶ在り方を望んでくれるのだろう。欲しい言葉を言ってくれるのだろう。
仕事中以外は結構な天然で、ちょっとずれていて、それなのに本質は、私の心と同じ方を向いてくれる。
涙が滲むのを誤魔化したくて、ふふ、と目を閉じて笑った。
「……ありがとう、ユリウス。とてもいい提案だわ」
「こちらこそありがとう、マリアンネ。俺は細かいところに気が回らない事があるから、今のように教えてくれると助かる。」
「ああ、私……いいのかしら。結婚したのが貴方で本当によかった。」
都合の良い夢でも見ている気になって、ついそんな事を言う。
たとえ傍に居られなくても、貴方には生きていてほしい……そんな風に思える相手で。貴族の夫人としては非常識な我儘を認めてくれて、ゼイルと離れなくてよくて、対等だと言ってくれる。
なんだか胸がいっぱいだった。この後眠れるかしら、私。
ユリウスはどうしてか少し考え込む仕草をして、口を開く。
「…実は、長官は元々、俺をいずれ王太子殿下の護衛にしたがっていたんだ。」
「えっ!お、王太子殿下の?」
「ああ。以前そう言っていたし、今回もため息混じりに言っていた。実現するとしても一、二年は先だったろうが。」
「それはすごいわね……でもわかるわ。貴方とても強いから。」
「それなりにはな。」
……突っ込んだ方がいいのかしら。それなりで済むのかと……。
ユリウスがすぐ続きを話し始めたので、私は口を閉じたままにしておいた。
「長官個人としての考えはそれだが、国全体の事で言うと、ゼイルという要所にも戦力を置いておく方が良い。だから渋々頷いたのだと言っていた。」
「…実際、今回の事は貴方なしでどこまで鎮圧できた事か。いなければもっと被害が大きかったのは確かだわ。」
「君にも同じ事が言える。聖火はただの水では消す事ができなかったそうだから」
「どういう事?」
ユリウスの説明によれば、あの青い聖火は井戸の水も魔法の水も受け付けなかったらしい。
空気を遮断すれば消せるとわかっても、あの大きさに蓋ができる魔法を持つ騎士がそこにいなかった。デルクス長官が駆け付けた事で見事、消火されたのだという。
私達が着いた時、聖火があった場所には木枠の残骸や灰はあれど、それだけだった。何かを大量に撒いたり落とした形跡もなく……きっと、長官の固有魔法なのでしょう。
「わかっていたら、図体のでかい魔物の亡骸でも持っていったんだが……いや、呼び寄せる効果があった以上は、たとえ亡骸でも危険か……?」
のほほんとしたお顔でとんでもない事を言っている。
真っ二つになった花泥鬼を引きずるユリウス様を想像して、やめた。色々と無茶だわ。
「こほん。…ところで、貴方が行かなくても王太子殿下は大丈夫、なのよね?護衛の手は足りて…」
「ああ、まったく問題ない。そもそも殿下ご自身、俺とそう変わらない実力の持ち主だからな。」
「えっ?あ、貴方と変わらないの?」
「強いて言うなら経験値の差で、俺は魔物、殿下は人間相手の方が得意だ。王都に居る時はしばしば手合わせに呼ばれたものだが、試合で言えば、俺はむしろ殿下に負け越している。」
お、恐るべし、王家の方……。
それは確かに、国としては同じ場所に置いておく理由がない。適性からいってもユリウスをゼイルに置きたいのは当然だ。
「貴方がお会いする事があるのなら、私もいずれお会いするわね。王家の方は時折、ゼイルの視察にいらっしゃるとも聞くし。」
「今回の事があったから、殿下は少し早めにいらっしゃるかもしれないな。」
「……ユリウス。その場合だけど、今日長官に会ったような普通の服では無理よ?わたくしも貴方も、王家の方にお会いしても問題ない衣服を選び、ゼイルに持ち込んでおかなければ。」
その時に私達が領主の後任だとして人々に周知できているかどうかも怪しい。
念のために伝えてみると、ユリウスは「確かに」とでも言いたげな顔をした。
彼は騎士服が正装にもなるけれど、私はそうはいかないのだ。大問題なので気を付けてほしい。シーラが借りた一軒家など、貴婦人の身支度に備えるには到底足りていない。
「だが、向こうにはまだ俺達の屋敷がない。仮で空き家を捜すか、あるいは…」
「間に合わなかったらそれはもう――…使いましょう。私の魔法を」
つくづく、この魔法を授かってよかったものである。
両親に感謝しながら眠った私は、キーヴィットで働いている所にユリウスが王太子殿下(らしき男性)を連れてきて、誇らしげに「妻です」と紹介しだす悪夢を見た。
…ちょっと、やりかねないかも。




