30.放置されたい私と何も知らない旦那様
よく、晴れている。
広場には沢山の人が集まっていて、そのほとんどはゼイルの住民だ。私達――…いえ、シーラとレオンさんにとっては、顔馴染みも多い。
修理された舞台は飾り布と花々で彩られ、主役の登場を待っている。
衝立の向こうから聞こえるざわめきは期待だろうか、懸念だろうか。
心を落ち着けようと深呼吸する私を見て、ユリウスが小首を傾げた。
「緊張してるのか?」
「ええ、それはもう。貴方は?」
「同じくだ。討伐任務より断然緊張しているかもしれない」
「ふふ」
到底そうは見えないけれど、本人が言うのだからそうなのでしょう。
品のある上質な紳士服に身を包んだ私の旦那様は、今日も今日とて冷静なお顔で。エスコートのために差し出された手に自分の手を添えて、私はくすりと笑ってみせる。
「大丈夫よ、ユリウス。私が一緒なんだもの。」
「…ああ。君も、俺が傍にいる事を忘れないでくれ。」
「もちろん頼りにしているわ。とってもね」
私が纏っているのは青紫の花飾りを散らした水色のドレス。
ユリウス様の襟元を飾るのは私の瞳と同じ色のペリドット。
私達は今日、新しい領主夫妻としてゼイルの人々の前に立つ。
壊れた家屋は直され、遠くに見えていた傾いた物見台も、今やすっかり修復されていた。
またここから街が再出発するのだと示すために、新しい領主夫妻の紹介は確かにうってつけでしょう。
前任であるメルテンス伯爵は民に好かれていたけれど、その夫人は凶行に走ってしまった。
発端となった伯爵の浮気疑惑は無実。伯爵は自分の説明で夫人が納得したと思っていたけれど、実際にはそうでなかったという事らしい。
うちの夫ときたら誤解を与えがちなので、いつか似たような噂を流される日が来るかもしれない。
その時は私が気をしっかり持たなくては。……私はたぶん、夫人のように突然復讐するよりは、キッパリ聞いてしまうと思うけれど。
だって、相手はあのユリウスだもの。
「俺の顔に何かついているか?」
「いいえ、何も。」
この、ユリウスだもの。
うっかり女性を勘違いさせて相手が舞い上がり、その方がユリウスがいないところで私を見下すとか、そんな言動をされる日がくるかも……?
「マリアンネ」
「な、何かしら。」
「考え込んでいる君を見たら、抱きしめるか手に口付けるか……何かしたくなったんだが、悩ましい。どっちならいい?」
直球で聞かれるこっちの身にもなってほしい。
黙って悩まれたままの方が困るけれど、その内何か仕返しできないかしら。頬が熱い。
「………両方したら、いいんじゃない……。」
「それもありなのか。わかった」
早速と言わんばかりに手を持ち上げられ、指の背に柔らかい感触。慣れない。
そうして、化粧や髪を乱さないよう気を付けて、そっと抱きしめてくれた。
別に、私が両方してほしかったわけではなくて。ユリウスがしたいなら、私は構わないわって、そういう事よ。
身体が離れて、つい、彼の水色の瞳を見上げる。
温かい手のひらが、まるで宝物にそうするように優しく、私の頬に触れて。
「…顔が真っ赤だ。俺の事が好きだと思ってくれてると、そう考えていいか?」
熱のこもった眼差しで、甘い声で。そんな事、今、言わないでほしかった。
図星をつかれてますます顔が熱くなる。ええ、好きよ。大好き――なんて、今。言えるわけがないでしょう!ここがどこだと思っているの。
彼の胸を押して少し距離を取り、こほんと咳をしてみせる。
汗が滲みそうなほど熱い頬は、どうにか手で扇いだりして。
「いくらでも考えていいけれど、今この話はやめましょう。私達、これから舞台に上がるのよ。こんな顔じゃなくて、冷静になる必要があるの。」
「確かに、君のそんな表情は俺だけの特権な気がする。続きは家に帰っ」
「ユリウス。一旦黙ってもらった方がいいかもしれないわ、真剣に。」
落ち着き払った顔をして、一体何度私をどきどきさせるのか。もはや怖いまである。失敗できないのよ、今日は。
ただでさえ緊張してるのに、まったく。胸に手をあてて深呼吸、深呼吸。
すーはーと幾度かしたところで、騎士服に身を包んだプリスカがひょいと顔を覗かせた。
「お二人とも、出番です。」
「わかった。行こう、マリアンネ」
「はい。」
大丈夫、私達はやれる。
気を引き締めてユリウス様と手を重ね、淑やかに歩き出した。
音楽と共に私達が姿を現した途端、広場から歓声が上がる。
純粋な応援の声もあれば、恐らくユリウスの美貌にでしょう、きゃあきゃあと黄色い声も上がっていた。若過ぎないかとどよめく声も、先が長くていいじゃないかと笑う声も。
ああでも、嬉しくてたまらない。
人々が逃げ惑いがらんとした大通り、遠くには幾つも煙が上がり、聞こえてくるのは破壊音ばかり――…そんな風景はもう、ここにはない。
活気溢れる彼らの姿が、私を安心させてくれた。
眩しく思いながら広場を見回すと、思った通り私を見て首を傾げる人や、特に反応がない人、ぽかんと口を開けている人もいて。
私とシーラでは髪色やお化粧、衣服と佇まいの違いがあるけれど、気付く人は出るでしょう。事前に伝えていたおかみさん達が静かに手を振ってくれて、こみ上げる涙をどうにか堪えた。
ひとしきり歓声と拍手を送られて、少し静まったところでユリウスが息を吸う。
彼が話すと察して、誰もが口を閉じ耳を傾けた。
「――初めまして、俺はヴィンケル伯爵家のユリウス。こちらは妻のマリアンネだ」
夫の紹介に合わせ、わたくしは丁重に淑女の礼をしてみせる。
そしてレオンさんだった時の彼は姿こそ違っても、声や仕草は変えていなかったせいだろうか。警備についてくれている騎士達が数人、訝しげにユリウスを見ていた。
「皆が知っている通り、先だっての事件はヘンドリカ・メルテンス夫人の乱心によって起きたものだった。ゆえにメルテンス伯爵は爵位を返上し、この領地を治めるにあたって俺は別の名を賜っている――クライフ伯爵、と。」
少しどよめきが起きる。
夫人の被害者である伯爵を憐れんでいるのか、クライフ伯爵領へと変わる恐れだろうか。そんな反応にも、ユリウスは動じていないように見えるけれど。
「それはさておき。街の名は変わりないし、領主が違うからと言って、税率が急に変わるわけでもない。ただ、領主館はゼイルに建てる予定でいる。この地を知るために歩く事もあるだろうが、あまり気にせず過ごしてほしい。」
淡々と告げるユリウスに、人々はもはや呆気に取られている。
感情があまり伝わってこないので、信じていいのだかまだ様子を見た方がいいのだか、上手くわからないといったところかしら。
領主館をゼイルに建てるというくだりでは、かなり驚いた反応が多かった。歴代の領主が避けていた事であり、領民もまた「当然」と考えていた部分。
わたくしもいいかしら。
そんな気持ちを込めてユリウスに微笑みかけると、彼はきょとりと瞬いてから当然のように頷いた。
その仕草、ちょっとレオンさん過ぎるわね――なんて思いながら広場を見回し、口を開く。
「ご機嫌よう、強き街ゼイルの皆様。改めて、わたくしの名はマリアンネ……こうして正式にご挨拶ができること、嬉しく思っています。」
私とて、シーラの時と別人の声を意識しているわけではないけれど。
貴族として話す時は抑揚の付け方や口調がまるきり違う。それでも、わかる人にはわかるだろう。
「わたくし達は同じ地に住む隣人でもあるのですから、お会いした時には気軽に挨拶を交わせるようになれたらと。決して、皆様が過度に畏まる必要はないのです。逐一立ち止まって頭を垂れるような仰々しさは、わたくしもユリウス様も望みません。気にしなくてよいというのは、そういう事です。」
最後の言葉と共にユリウスを見やれば、彼は素直に頷いた。
今のところは、淡々とした領主と穏やかな領主夫人、といった印象かしら?正体に気付いている人は、そんな事ないでしょうけれど。
「…見てわかったと思うが、俺は少々言葉足らずな時があるらしい。妻にはいつも助けてもらっている」
「ゆ、ユリウス様…」
私を立ててくれたのか、いえ、素かしら。領主の威厳的な面では黙っていてもよかったと思う。
でも小さく笑いが起こったところを見るに、今ので親近感を覚えた民もいるようだ。
「若さゆえに不安に思う者もいるだろう。確かに俺は若輩であり、学ぶ事は多い。尽力するつもりだが、何か疑問や不満があれば率直に聞いてくれ。」
「まものはー?」
「あっ、コラッ!」
舌足らずな声で聞いたのはまだ幼い子供だった。
父親らしき人が慌てて「シーッ」と口に人差し指をあてるけれど、子供はそちらをまったく見ていない。
「りょーしゅさま、まものたおせる?」
「倒せる。相手の種類と数、武器と状況によるが。」
「ほんと!つよいの?どれくらい?」
「それなり――どれくらい?どれくらいか…マリアンネ、少し離れていてくれ。」
「?え、ええ…」
何をするつもりかしら。
彼の強さはよくわかったつもりの私は、促されるままに舞台の端へ寄った。
「誰か、武器を貸してくれ。」
貴方が、そんな事を言ったものだから。
騎士のどなたかが投げたのだろう、それはそれは大きな金鎚が飛んできた。……やり過ぎじゃない!?
観衆から悲鳴が上がったのも無理はない。
一歩横にずれたユリウスはいとも容易くその柄を掴み、くるりと回して金鎚の頭を舞台の床につけた。ごつりと重い音がする。
「とりあえず、これを振り回せるくらいだな。今はそれでいいか?」
広場は、しんと静まり返った。
多くの民が目を見開いてユリウスを凝視し、そして…
「領主様すげぇええええ!!」
「きゃぁああああ!!」
野太い歓声と黄色い悲鳴が混ざり合う。びりびりと舞台が揺れそうな程の熱狂。
…というか、親しい騎士にはこれで完全にレオンさんだってバレたのでは?
私と同じように幾人かには伝えていたようだし、「知られたらそれはそれでいい」と言っていたから、気にしていないのでしょうけど。
ひとまず、民の心は掴めたみたい?
「マリアンネ」
もう離れていなくていいと、ちゃんと応えられたぞとばかりに笑って、ユリウスが手を差し出した。
私がその笑顔に弱い事とか、貴方はあんまりわかってないのでしょうね。
「まったく、もう」
苦笑した私の声なんて、この歓声に掻き消されて。
当然のように手を重ねると、ユリウスは愛おしげに眼差しを和らげて私を引き寄せた。待って、と伝える暇もなく抱きしめられる。
「っ、ユリウス様!」
「断りもなしにすまない、俺は君の笑顔に弱いらしい。だが長官も、こういう場では愛妻家ぶりを見せておけと言っていたし。丁度いいと思う」
確かに、そうかもしれないけど!
私を抱きしめてくるくる回るユリウス様、ますます盛り上がる民の歓声には指笛も混ざっていて。
ああもう、本当に、もう!
ようやく下ろしてもらった私はどうにか笑顔を作り、ユリウスと舞台を降りながらお淑やかに手を振った。
最初は緊張した面持ちも多かった皆は、今は笑顔ばかりだ。呆れ気味だったり苦笑してたりもするけれど。ユリウスの人間味を見られてほっとしたのかしら。
次はバイエンス隊長が騎士団からの連絡事項を話す番だ。
衝立の裏に引っ込んだところで、私はユリウスをじろりと見上げた。彼がこてりと首を傾げる。
「うん?ああ、ハンマーが飛んできて驚かせたか。俺もまさか…」
「そうじゃなくて。少しくらい、貴方にやり返せないかと思ったの。」
「やり返す?何を――」
言いかけた彼の腕を引き、素直に背を屈めてくれたところで頬に口付ける。
さっと離して一歩後退し、目が泳ぎそうなのを堪えてユリウスを見た。私がキスした頬に手を添えて、彼は目を丸くしている。……恥ずかしくて、逃げ出してしまいたいわ。
「…ど、どうかしら。少しは、驚い」
「驚いた。」
食い気味にきたわね。
私だって、いつもユリウスからの急な愛情表現に驚かされているのだ。ちょっとくらい、なんて。
得意げな顔でもしてみせようとして、今しがた一歩引いたはずの距離がもうない。
あら?
顔に影がかかる。
咄嗟に目を瞑ったら、唇に柔らかい感触がしてすぐに離れた。
瞬けば、ユリウスが熱のこもった真剣な目で私を見つめていて。こちらが溶けてしまいそうなほど。腰に手を回されて。
「今夜、続きをしても?」
心臓がばくんと音を立てる。
続きって、どこまで?――そんな事、考えて。
口を動かしても声が出ない。吐息が混ざりそうな近さ。何か言わなければ、何か。
小声でもなんとか、声を絞り出して。
「………き、今日は、放っておいてください……」
恥ずかしいだけ。
ただ、今、恥ずかしいだけだった。
いつもならすぐ「わかった」と頷くのに、どうしてか今日は私を見つめたままで。
ようやく口を開いた彼は、嬉しそうに目を細めた。大きな手に自分の手を包まれてようやく、私がユリウスの服をぎゅうと握っていたことに気付く。これではまるで、離れたくないみたい。
「わかった」
胸がちくりと痛む。自分が断ったくせに。
違うのと言いたくても、恥ずかしくて。ユリウスはいつも真っ直ぐ愛を伝えてくれるのに、私はまだまだ、正面から愛を伝えるのは慣れなくて。
「今宵は貴女を逃がさない事にする。」
「え」
「ふふっ……そんな顔をされたら、鈍い俺でも流石にわかる。」
どんな顔だというの、いえ言わないでほしい。
くつくつと笑うユリウスは珍しくて、見ていたくて、でも私の今の顔を見られたくなくて。逞しい胸板に頬を寄せて、黙って腕に力を込めた。
「ありがとう、マリアンネ。」
「いえ……私達、夫婦だもの。」
これもまた乗り越えるべき試練。
恥じらいは飲み込まないといけないんだわ、きっと。
覚悟を決めたこの時の私はまだ、知らなかった。
このやり取りを衝立の裏で聞いていたらしいプリスカによって、夜はツヤツヤに磨き上げられて主寝室へ差し出される事も。
ユリウスの言う「続き」がベッド上での二時間にわたる甘い口付けと言葉の数々であり、その後は満足げな顔で添い寝される事も。
もじもじしながらも私からは言い出せないまま、そんな様子を「可愛いな」と溶けそうな声で言われている内に、いつの間にかぐっすり眠って朝を迎える事も。
「……まったく、手ごわい旦那様よね……。」
昨夜の妻の苦悩など何も知らないだろうユリウスの髪を撫でて、苦笑した。
働き者令嬢マリアンネと、天然騎士ユリウスの物語でした。
お付き合いくださりありがとうございました!
皆様の反応がとても励みになっていました。
◆ヒルベルトや序盤でユリウスが魔法をかけた指輪は、完結済の連載
「ハムスター王女、隣国王太子のペットになる」にも出てきます。
(目次ページ下部にリンクあり)
変身魔法で暗殺から逃れた王女と、とある魔法を使える王太子のお話。




