23.夫の上司がやってきた
風が吹いている。
とうに民間人は誰もいない広場で、騎士団の奮闘は続いていた。
「木枠を崩しきれ!水が効かなかろうが、小さくなりゃぁどうにか空気を遮断できる!」
「どこにも誰にも延焼させるな、常に風上を意識して距離をとれ!!」
「アルテナさん、氷爪熊もう一体来ます!既に負傷はしている模様!」
「ちょっと待ってろ、今行く!!」
不気味なほど青白い聖火は木枠を崩されてなお燃え盛っており、負傷しながらも近くへ到達した僅かな魔物は、やはり聖火そのものへ向かっているようだ。
聖なる炎がある限り、それは魔物を呼ぶ。
魔物が棲む森については未だ全て探索されてはおらず、最奥がどこかもわかっていなかった。火を消せなければ、最悪は騎士団が消耗しきるまで魔物が襲撃し続ける。
愛用のハンマーを魔物に叩きつけながら、アルテナは奥歯を噛み締めた。
――司令が聖具使ってレオンがぶっ殺しまくってる、なのに上級が平気で入ってくるって事は、砦には処理しきれねぇ数の上級が押し寄せてるって事だ。くそ、くそくそくそ!!ッんでこんなモンが、聖火なんて呼ばれてんだよ!まるで魔物の親玉じゃねぇか!!
「聖火を消せーっ!!」
「崩して散った分は濡らした布で遮断しろ、少しでも削れ!」
「おい、バイエンス!」
誰かが駆けてくる足音、どこかで聞いた男の声。
反射的に振り向いたバイエンスは、いるはずのない人物を見て目を見開いた。
――なぜ貴方がここに。
肩につく長さの金髪に銀灰色の瞳、普段は王都にいる二十八歳の美丈夫。
騎士の中でも上位である事を示す紋章入りのロングコートが、腕を通されずマントのように翻っている。広場に到着した彼は立ち止まり、聖火を見やった。
「あれ消せばいいのか?」
「っはい!」
疑問の一切を飲み込んで、バイエンスは即座に返す。
この男ならそれができると知っていたからだ。
「【俺は許可しない】」
パチン。
指を鳴らした瞬間、聖火は消えた。
青白い炎の全てが一瞬にして消え、細く立ち昇った煙すらもすぐに途絶える。
アルテナがトドメを刺した魔物が同時に倒れ伏し、騎士達は呆然と聖火があった場所を見つめ――地を揺らすような歓声が上がった。
「うぉおおおお!!」
「消えた!聖火が消えたぞ!!」
「やっと他へ動ける、砦へ加勢に行こう!」
「俺達は避難先へ知らせてくる!」
汗だくのまま駆け出す彼らを横目に、アルテナは息を切らしながらバイエンスとその男を見やった。バイエンスが深く頭を下げている。
自らもハンマーを脇に置き、相手が見ていなかろうとも頭を下げた。
――ありがとうございました。あんたのお陰で次の仕事ができる。
「…行くぞお前ら!一旦バカ隊長を捜せ!」
「はい、副隊長!」
「アルテナさん、向こうが氷漬けなんで多分そこです!」
「わかった!」
アルテナ達テイセン隊が駆けていく。
彼女に届く距離まで低く飛んでいたエリーサベトは、翼を得る魔法を解除せず上昇に切り替えた。
「隊長、私砦に状況報せてきます!」
「ああ。気を付けて行け」
鎮火の報を受ければ、やがては砦からも制圧完了の狼煙が上がるだろう。
バイエンスは改めて己の隣に立つ男を見やった。まず、なぜここにいるのかと問わねばならない。
ヒルベルト・デルクス伯爵。
アーレンツ王国騎士団の情報統括局、第一部の長官である。
「ふむ。必要とあらば王都から騎士を連れ込む気だったが、不要そうだな?」
「…先程の騎士が戻るまでお待ちを。砦側さえ無事なら問題ありません」
「さっきのは報告にあった聖火の再現か?妙な匂いがしていたが」
「色が変化しあの匂いが風に流れてしばらく、魔物が押し寄せてきました。」
「ほう、魔物呼びの炎だったか。検証は気を付けて行う必要があるな」
水浸しの地面をちらと見やって、ヒルベルトが言う。
自分の到着まで消えていなかった事を考えても、ただの水では消せないのだろう事は明白だ。
「バイエンス隊長!戻りました」
「レオンか。ちょうど良かっ…」
た、と言う前にバイエンスは口を閉じた。
レオンが逃げ遅れた民間人を横抱きにし、あまつさえ聖具らしき宝剣を持たせていたからだ。どこから指摘したら良いのか少し困った。
地面に下ろされた女性はバイエンスにも見覚えがある。料理屋キーヴィットのシーラ・クラインだ。
最近レオンと良い仲らしいと噂の相手であり、あいつに限ってそれはなかろうとバイエンスは思っていたが、聖具を彼に返すシーラの頬は少し赤い。
――吊り橋効果も相まって完全に落ちてるじゃねぇか。こいつまた無自覚にやってないだろうな。
そんな心配をされているとは知らないレオンの左目がヒルベルトを捉え、一介の騎士として正しく一礼した。
視線はごく自然に、ヒルベルトからバイエンスに移る。
「粗方の上級は討伐しました。こちらの女性を保護して頂きたく…」
「初めましてぶらなくていいぞ、《レオン・エーヴェ》。」
にこりと快活に笑って、ヒルベルトは軽く手を広げた。
「言ってなかったが、バイエンスは唯一お前の正体を知ってた男だ。何の調査とは伝えてないが」
「――…そうでしたか。まるで気付きませんでした」
「それと、君。」
ヒルベルトがシーラを見据える。
紺色の長髪、紺色の瞳に、町娘の服。窮地をレオンに救われたばかりにしては、取り乱しもしていなければ妄信に至ってもいない。
明らかに位が高い男であるヒルベルトに名指しされても、後ずさりもしなければ震えもしない、怯えが出るでもない。肝が据わっている。
「《扉を開けた》のは貴女だな?」
「…何のお話でしょう」
「俺はね、とある貴族の屋敷から来たんだ。」
「っ!」
「ちゃんと閉めなかったんだよ、貴女は。」
目を見開いたシーラは蒼白になっていた。
ヒルベルトの言葉は比喩か予想でしかないのだろうが、《扉繋ぎの魔法》は確かに、閉めなければ繋がったままになる。
たとえ行き止まりの部屋だろうと、まかり間違えばゼイルの魔物を王都に送っていたところだ。
ただ、繋がっている最中の扉は「通常通りに開ける事ができない」。
あの時聖具の部屋にいなかったヒルベルトが「扉を使った」なら、それは。
「壁を一部壊させてもらった。部屋に入るために」
「っ…ど、どうしてそこまでして…」
「緊急事態っぽかったからな。仕方あるまい」
普通では考えられない事だ。
聖具を置いている部屋の扉は倉庫内にあり、元から鍵はかからない。開かなければ不審に思うのは当然であり、マリアンネはロッテに「聖具を借りる」と宣言していたのだから猶更、とはいえ。
たとえわかっていたとて、人の屋敷の壁を壊せるか。見た目以上の権力者である可能性。
それも今ここにいるという事は、聖具を取りに戻った際、この男は既に来客としてヴィンケル伯爵邸に居たのだろう。
「初めまして、夫人。俺は君の夫の上司――情報統括局第一部長官、ヒルベルト・デルクス伯爵だ。よろしく」
ヒルベルトは朗らかに笑いかけた。
ちらりとレオンの様子を窺うシーラを、バイエンスは疑問符を浮かべて見ている。
――夫人。誰の?
などと一瞬考えてしまい、今ここに揃っている状況から「まさか」と思い至った。
それ以外に無い。シーラが腹の前で両手を揃え、別人のように佇まいを直す。
「初めてお目にかかります、デルクス長官。わたくしはヴィンケル伯爵家ユリウスが妻、マリアンネと申します。」
「ああ、偶然とはいえ働きに感謝しよう。俺が直接来られた、その意義は大きい。」
ヒルベルトの魔法がなければ、消火まであとどれだけかかったかわからない。
それを実感として知っているのはこの中ではバイエンスとヒルベルトだけだったが、マリアンネは「恐縮でございます」と頭を下げた。
忘れてはならない。
言ってしまえばマリアンネは、他家から来た嫁であるにもかかわらず、夫の許しも当主の許しもなく施錠された部屋に侵入し、聖具を盗んで逃走したのだ。
事情を知ればヴィンケル伯爵は許すだろうしユリウスも味方だろうが、それでも謙虚な姿勢でいた方がいいのは間違いない。
「二人は話ができてると思っていいのか?」
「ついさっき、互いの正体に気付いたところです。俺の魔法は明かしました、その二点のみです。」
「できてないな、ろくに。」
ヒルベルトの冷静な返しに、レオン――ユリウスとマリアンネが同時に頷いた。気は合うようだ。
バイエンスがやれやれと頭を掻く。
「積もる話は終わってからにしましょう。」
「確かにそうだ。ま、聞いた感じ長期任務も終わりそうだし、安心してここの領主になるといい。」
ぽん、とヒルベルトに肩を叩かれたのはユリウスだ。
マリアンネはぱちりと瞬き、「え?」と呟いた。無意識に。他三人の視線が集中する。
――レオンさん…ユリウス様が、「ここの領主」?確かにメルテンス伯爵夫人は罪人になるでしょうし、そうなれば病床の伯爵も厳しいけれど。でもそれって今日発生した罪で、ならもっと前から決まっていた?いつ?
「……もしかしてとは思ったが、父から聞いてないのか?」
「聞いてないわ。…そんな事を言ったら貴方こそ、私と結婚するとは知らなかったはずだけど。」
「それは構わない。貴女で良かったと心から思ってる」
「そっ……れは、あの。わ、私も…」
「隊長ー!砦、大丈夫です!」
バイエンスが「後にしろ」と言うか悩む間に、エリーサベトが戻ってきた。
聖火が消えた事で魔物の進軍も止まり、まだ遠目だった魔物達は森へ戻っていったらしい。
ヒルベルトが「よし」と手を叩く。
「中々の大事件だ、王都との情報共有は要になる――方法は公にしないと約束する。協力して頂くぞ、夫人。」
「わたくしにできる範囲でよろしければ。」
マリアンネは避難先にいるはずのキーヴィットの店主夫妻の無事を確認したかったが、そんな様子は見せずに頷いた。
ゼイルがここまで魔物の侵攻を許すなど歴史的な大事件なのだ。
自分の魔法にどれだけ価値があるかはわかっている。
「レオン、街中の死骸を解体回収する必要がある。わかってるな」
「はい、バイエンス隊長。迅速に」
避難した人々はすぐ戻してあげられるわけではない。
魔物の片付けや、建物の被害状況の確認などを粗方終えてからだ。騎士達が休めるのはまだ先になる。
歩き出す先が違うから、マリアンネとユリウスは互いを見て頷いた。
今はそれぞれの役割を。
ヘンドリカ・メルテンス伯爵夫人は投獄された。
夫の浮気疑惑によって病んだ彼女は、毒を盛って伯爵を寝たきりの身体にしたそうだ。
自分の愛を壊された事を恨み、彼が愛した領地を壊してしまおうと思い立つ。まずは資金を得るために愛人と嘯いて人を雇い、文官に甘言を囁いて協力させ、希少な魔物素材の密売に手を出した。
どうやって壊せばいいか。
裏の組織と繋がるうちに、別の国で「青い火」を作るやり方があると聞いた。大した事はない化学反応で、だからこそ広まっていない、「ただ色が変わるだけ」の遊び。
暇潰しだった。
ゼイルの伝承みたく魔物を殺す火なら、それでもよかった。檻に入れた魔物の前で、小さな青い火を作ってみる。変わった匂いがした。
魔物は火に夢中だった。
そこへ辿り着こうと織へ幾度も頭突きをして、血を流して死んでしまった。
青い炎は魔物を滅するのではない。
魔物を滅する機会を得るために、魔物を強制的におびき寄せる装置なのだと理解した。
『ああ、それなら』
ヘンドリカは嬉しかった。ちょうどいいじゃないかと思った。
血塗れで倒れている魔物を見下ろし、彼女は心から微笑んだ。
『火祭りでやればいいわ』
あれほど大きい炎なら、釣れる魔物も多かろう。
聖火と呼んで有難がり、祭りまでやっていたゼイルの人々が、その聖火に裏切られて街を、命を、失うのだ。
まるで夫に裏切られて愛を失った自分のようで、素敵ではないか。




