21.ゼイルじゃなくていい
遠く、悲鳴や戦闘音が聞こえてくる。
家で寝ていた者を叩き起こし、高齢者を連れ出すのを手伝って、マリアンネは息を切らしながら周囲を見回した。
慌てて放り出された荷物や騒動で踏みつぶされた野菜、騎士が倒していった魔物の死骸が転がっている。
「この辺りはもう充分かしら……プリスカ、私達も」
「お待ちを。何か聞こえませんか?」
「え……」
風が吹いていた。
聖火の匂いに顔をしかめながら、マリアンネは必死に耳を澄ます。確かにどこからか、か細く助けを呼ぶ声がしていた。
そんな風に大声を出せば、魔物を呼んでしまう可能性がある。
――でも、逃げ遅れた人がいるのなら。
躊躇ったのは一瞬だった。
ごくりと唾を飲み、マリアンネは大きく息を吸う。口の横に手をあてて。
「誰か、逃げ遅れた方はいますか!?」
「……っち…こっちだよぉ!」
「プリスカ!」
「はい。」
疲れ切った足をどうにか動かし、走り出す。
数軒通り過ぎた先の路地裏でよろよろ近付いてくるのは、キーヴィットの女将だった。
「おかみさん!?」
「シーラちゃん…!ああよかった、助けておくれ!うちの人が!うちの人がっ…」
「落ち着いて。私達を案内してください」
「ああ、ああぁ……!」
人に会えてほっとしたのか、女将は涙を流しながら幾度も頷いた。
マリアンネに支えられた彼女が示す方へプリスカが駆けると、そこにはキーヴィットの店主が倒れている。建物に立てかけられていた木材の下敷きになったらしい。
「っ…これは……」
意識は無いようだ。
プリスカは彼の上に載った木材に手をかけ、顔を歪めながら持ち上げて一つ一つどかしていく。マリアンネも助けに入ったが、なるほど確かに、女将が一人で持てる重さではなかった。
「あんた、あんたぁ!目を覚ましてよ、ねぇ!!」
「おかみさん駄目、あまり揺すらないで!頭にダメージがあるかも…」
「うう、ううぅう……!せっかくの火祭りだってのに、どうしてこんな事に…!」
どうすればいいのか。マリアンネは周囲に視線を走らせる。
半開きの扉から中に入って立てこもるか、しかし中に魔物が潜んでいたら?後から魔物にここを囲まれたら?とにかく逃げるべきだろうか?
考えがまとまらない。
逃げるとして、ガタイの良い店主を背負えるのはプリスカくらいだが、いつ魔物が出てくるかわからず、騎士もいない中で決行するのは危険ではないのか。
あるいはマリアンネと女将が二人がかりで支えるか。当然足は遅い。どこかで騎士と合流できる見込みは?
――私の…私の固有魔法が、魔物に通じるものだったなら。人を守れるようなものだったなら、どんなに良かった事か。
プリスカは強くマリアンネも教えを受けているが、それはあくまで人間相手の話だ。
魔物と戦う訓練を受けた者はここにいない。
「お嬢様、下がってください!」
「っ棘蜘蛛!?」
体長一メートル程の蜘蛛型の魔物が奥の建物の屋根から現れ、プリスカの前方にどかりと着地した。
身体中に鋭いトゲを持ち、通常は群れのボスである虹蜘蛛の兵隊をしている。
――まさか、虹蜘蛛まで近くに…
ゾッとしたが、考えている場合ではない。マリアンネは扉に飛びついてバタンと閉めた。
こちらへ駆け出した棘蜘蛛目掛けてプリスカが残っていた木材を押し崩す。けたたましい音と鳴き声が聞こえた。
「魔物が、どうしようシーラちゃん、あの子が、うちの人は、ああ、あああ!」
「落ち着いて!どうか内緒にして」
「え?」
もう時間がない。失敗はできない。
マリアンネは騎士が避難誘導していた方角を思い返し、その先にあって自分が使える「扉」を考える。目の前の扉に手をかざして。
「【これはかの地へ通じる扉。開きましょう】」
かちりと、鍵が開く音。
扉を開けた先は街の入り口にほど近い飲食店の中だ。ここでも客が急いで逃げたのだろう、誰もいない店内は椅子が倒れて荷物や食器が散らばり、窓ガラスの先には避難誘導する騎士が見える。
戸惑う女将に「早く入って!」と声を飛ばし、マリアンネは店主の脇の下を持ってどうにかそちらへ引きずり込んだ。すぐに立ち上がって外へ戻る。
「プリスカ!」
声をかけるのと、木材から抜け出した棘蜘蛛の脚がプリスカを襲うのは同時だった。
ガキンと硬質な音がして、飛ばされたプリスカの身体が横の壁に叩きつけられる。マリアンネが悲鳴を上げるより先に棘蜘蛛がこちらへ駆け出し、もう一つの前脚に刺さっていた木材を振り飛ばした。
あんな物が当たったら死ぬ。
ヒュッと息を呑んだ時には、身体が反射的に低い姿勢で横へ転がっていた。地面にぶつかって擦れて痛いが、すさまじい音を立てて建物に当たったそれが直撃するよりマシだろう。
「シーラちゃん!シーラちゃ…」
女将の声が途切れる。
木材が当たった衝撃で建物の壁が崩れ、「扉」が壊れてしまったようだ。歪んだ扉と広がったドア枠の向こうにはただ、建物内の様子が見えている。
ギチギチと音がしていた。
まだ立ち上がれないマリアンネの目の前に、棘蜘蛛がいる。コレは食えるのかと言わんばかりに、おぞましい八つの目に見下ろされていた。
血の気が引き、呼吸が浅くなる。
「はっ…はぁっ……」
恐怖で身体が動かなかった。
思考はぐるぐると意味のない自省を始めて。
――私のせいでプリスカが。もっと的確に動けたはずだった、即座に遠くへ繋いでそこへ誘導を――全部で何人いるかもわからないのに?それだけの人をどこへ?繋いだ先の扉は使えなくなるのに?幾つ扉を繋げば助かった?街の反対側にいる人達は?魔物が繋いだ扉を通らない保証は?どうすればよかったの?
金属のように硬質な棘付きの脚が振り上げられる。
このまま貫かれて死ぬのだとマリアンネが察した時、降り注いだ無数の矢が棘蜘蛛の身体を射貫いた。ぐらりと揺れた身体がドシンと地面に倒れる。
屋根上を駆けてくる音がして見上げると、一人の騎士が顔を出した。
「騎士団です、大丈夫すか――って、キーヴィットのシーラさんじゃないですか!」
「貴方は…」
よくレオンと食事に来ていた若い騎士だ。
話す暇はないとばかり、彼の視線はすぐに棘蜘蛛が来た方へと向く。二体目、三体目が現れていた。
「遅くなってすみません!俺があいつらの相手するんで、お連れさんと一緒に急いで避難を!」
「…っ、お嬢様…」
「プリスカ!」
壁を支えにどうにか立ち上がったプリスカのもとへ駆けつけ、頭から血を流している彼女に肩を貸す。
騎士に礼を言って、マリアンネはできるだけ急いでその場を後にした。
離れた場所で少しだけ座り、プリスカの頭にハンカチを裂いた布を巻きつけたが、明らかな気休めだった。
休ませてやりたいがそうもいかず、マリアンネは再び肩を貸して歩き出す。
「はぁ、はぁ……」
「……すみません、お嬢様…私の事は、置いて…」
「何を言うの!貴女が、貴女がいなかったら女将さんに気付けなかった、二人を逃がせなかった……!」
プリスカを支えながらでは走れない。
次に魔物が出てきたら終わりだと、それがわかっているから置いていけと言うのだ。わかっていても、マリアンネには到底その選択はできなかった。
鍵が開いている扉を見つけて魔法を試したが、向こうでも何かあったのか先程の店には繋がらない。
避難者がいる方向へ行けば騎士に会う確率は高いはずだが、急いでも急いでも歩みは遅くもどかしかった。気持ちばかりが急いて、目に涙が滲んでくる。
頭には「どうして」ばかりが浮かんでいた。もっと上手く動けていればと、そんな「もしも」を今考えても仕方がないのに。
緊急事態の今、街のどこでならすぐ治療を受けられるのか。どこに繋げばプリスカは助かるのか。
懸命に足を動かしながらも思考は途方に暮れていて、いっそのこと座り込んでしまいたかった。
そんな暇はないのに。
「大丈夫…頑張るのよ、助かるから…絶対大丈夫。大丈……っ、プリスカ?」
支えていた体がぐっと重くなり、バランスが崩れる。
よろめいてどうにかそっと地面に下ろすと、プリスカは意識を失っていた。肌には血の気がなく、呼吸は微かで。
――…まさか、このまま……
呆然としたマリアンネの耳に、どこかで建物が壊れる音が聞こえた。
先程の騎士がやられたのかもしれないし、そうではないかもしれない。魔物ではなく騎士団の攻撃によるものかもしれないが、音がした方角も何も、わからなかった。
顔を上げると、遠くにいくつも煙が上がっている。破壊音がする。土煙が舞っている。
風が吹いていた。
ゼイルの街が壊れていく。
マリアンネはあまりに、無力だった。
「はぁ…はぁ……」
『……そうだな…俺は、理想を言えば聖具が良いと思う。』
『セイグ?』
赤髪の騎士の姿が目に浮かぶ。
二人で出かけた時の事だ。彼が、レオン・エーヴェがそれを教えてくれた。
先程広場にいた彼は今、きっと街のどこかで戦っている。
『魔物を前にすると淡い緑色の光を宿し、時に持ち主を危険から守り、時に魔物すら滅する力を持つという』
地面に手をつき、靴裏でしっかりと土を踏んだ。
どうにかプリスカを背負い、よろよろと立ち上がる。
――そうだわ。私の侍女を預けるのは何も、ゼイルじゃなくていい。
一番近くにあった扉が開く事を確認し、周囲の安全を確かめる余裕もなしに手をかざす。
今はただ、背負った命を助ける事しか考えられなかった。
「【これは、かの地へ通じる扉……っ、開きましょう】」
ぜぇぜぇと息を切らしながら唱え、扉を開ける。
見慣れた廊下が見えた時、気が抜けそうになったマリアンネは歯を食いしばった。まだ何も終わりではないのだ。
ゼイルから屋敷内への数歩を歩ききり、崩れ落ちるようにして床にへたりこむ。プリスカを下ろすと、既にほどけかけていたマリアンネの髪がはらりと解けた。
「誰か!誰か、来て――プリスカを助けて!!」
プリスカは目を閉じたまま動かない。
バタバタと足音が聞こえて、一番最初に飛び出してきたのはロッテだった。土に汚れた町娘姿の義姉に、血を流している侍女の姿に、ひどく驚いている。
「お義姉様――」
「彼女をお願い。それと」
マリアンネは知っていた。
ヴィンケル伯爵邸にそれがある事を、自分がそこへ辿り着ける事を。
「聖具を借りていくわ。」
「えっ?ちょっと待っ…」
説明している暇はなかった。
マリアンネはゼイル側へ駆け戻って扉を閉める。あのまま伯爵邸へ残っていれば、それで「全ては遠い出来事」にできた。けれど、そうしたくはなかった。
――いつかの万が一を考えて開けた扉を、こんなに早く使うなんて。
集中する。間違いのないように。
魔力を込めた手をかざし、扉を睨みつけた。恐怖と不安で声が震える。
「【これはかの地へ通じる扉……開きましょう】」
ロッテに案内された時から変わらない、第二倉庫の奥にある小部屋。
あれが聖具だと教わった宝剣は、ガラスケースの中で静かに鎮座していた。




